ユダヤ人は世界に散らばった後、各地で混血しており、1つの血を分けた民族とは言えません。
だからこそ例えば…
ユダヤ人と言えば、「ワシ鼻」というイメージがあるかもしれませんが、これは西ヨーロッパ系のユダヤ人の一部に過ぎず、実際は顔つき、肌の色、髪の毛など多種多様なのです。
基本的に世界のユダヤ人口は、
・スファラディ(イベリア半島系)、
・アシュケナージ(中欧、東欧系)、
・ミズラヒ(中東、北アフリカ系)、
の3系統に分類されます。
祖国を失ったユダヤ人は、移住を余儀なくされ、「離散(ディアスポラ)」の状態におかれるのですが、
紀元70年にローマ帝国によって征服され、エルサレム神殿は破壊され、ユダヤ人は広く世界中に四散します。
それからは、かつてのユダヤ社会のような神殿祭祀を脱し、ラビの指導により戒律の実践と聖書やタルムードの研究を中心とするものに変質し、
スファラディ、アシュケナージ、ミズラヒと、それぞれの文化的区分が生じるようになったのです。
◎スペインに移住したユダヤ人
もともと現在のイスラエルに住んでいたユダヤ人の中で、紀元前1世紀にスペインに移り住んだ人たちが、スファラディの先祖であり、(Sephardi 英:Sepharad)その語源は、ヘブライ語でスペインを意味するセファラドに由来します。
ヨーロッパでは11世紀末から十字軍派遣を機に異教徒討伐の名の下で、ユダヤ人迫害は激化され、また職業組合からも排除されたため、
多くのユダヤ人が、キリスト教徒に禁止されていた金融業に従事するようになります。
そして中世を通じ、最大かつ最も洗練されたユダヤ人社会を作り上げた彼らも、キリスト教徒により、さらに徹底的な迫害を受けるのです。
1492年、キリスト教による国土統一を完成したスペインでは、ユダヤ教徒追放令が発せられ、スペインからの追放により地中海世界全域に離散します。
主な亡命先はオランダやトルコ帝国でした。
◎スファラディ系、アシュケナージ系
さらに彼らの一部は西半球へ移住を決意するのですが、コロンブスの第一回航海に参加した乗組員の3分の1は新天地に活路を求めるスファラディ系ユダヤ人でした。
東へ向かった人たちは、バグダッド、シンガポール、香港、上海へ進出、財閥を築いたサスーン家、カドゥーリ家はその名家です。
一方、アシュケナージとは(Ashkenazi)ヘブライ語でドイツを意味しますが、9~10世紀に大挙して西欧、中欧へ移住したユダヤ人の子孫です。
イタリアでは16世紀半ばにユダヤ教徒を集団隔離する居住区ゲットーが現れ、西欧各地に広まります。
ドイツを中心とする西欧に暮らしていたアシュケナージ系ユダヤ人ですが、彼らは14世紀以降、黒死病流行の際のユダヤ人大虐殺を機に、ポーランドやウクライナなど東欧へ拡大し、繁栄するものの、17世紀半ばのカザークの反乱などで迫害されるようになります。
さらにナチスによる迫害を経て、19世紀半ば以降は北米のアメリカ、カナダへと進出します。イスラエル建国の中心勢力は彼らでした。
◎ミズラヒ系ユダヤ人
ヘブライ語で「東」を意味するミズラヒは、(Mizrach、英:Mizrahi)西はモロッコ、南はイエメン、東はアフガニスタンに至る中東、北アフリカに拡散したユダヤ人です。
主に中東イスラム世界に居住しました。
それ以外にも、インド(コーチン)中国(開封)や、エチオピアのユダヤ人(ファラシャ)もミズラヒに含むとされます。
もともとイスラム圏に居住したユダヤ人は、人頭税を払えば生命、財産、信仰の自由が保障され、法理論上は二級市民であったものの、イスラムと同じ神を信仰する「啓典の民」とみなされ、散発的な迫害を除けば、概してムスリムと比較的平和裏に共生していました。
彼らは11世紀以前には、世界ユダヤ人口の半分を占めるほどでしたが、近世以降は移住先の衰退と連動して、数的、文化的に劣勢に立たされます。
さらに、イスラエル建国直後に起こったイスラム諸国のユダヤ人迫害が追い討ちをかけ、1960年代までに87万人のミズラヒが故郷を追われ、そのうち60万人がイスラエルに亡命します。
今日では、イスラエルを除けば中東、北アフリカのミズラヒ共同体は衰亡に瀕しており、3000人を擁するイランの共同体を上回るものはありません。が、しかし、いずれの地でも、迫害と離散を繰り返す歴史の中で、各地に離散しながらも2000年近く同化せずしぶとく生き残り、独自のユダヤ道、ユダヤ主義を守って来たという例は歴史上他には存在しないものです。
◎アシュケナージとハザール人
さて、こうした区分にはもちろん諸説、議論があるのは言うまでもありません。どの歴史が正しいのか、その判断は難しいものです。
ここで、今日世界のユダヤ人口の80%を占めるアシュケナージ系の先祖は、「パレスチナ→西欧・中欧→東欧」へと移動して来たユダヤ人ではなく、ユダヤ教に集団改宗したコーカサス
北部出身の遊牧民族ハザール人が西進してきた末裔だという説もあります。
ジャーナリストのアーサー・ケストラー著『第13番目の部族』がその代表ですが、これが反ユダヤ勢力による、アシュケナージを「本当のユダヤ人」と認めない論説なのですが、パレスチナを領有し、イスラエルを建国した現代ユダヤ人の権利否定の根拠として長い間利用されてきましたが、真相はどうなのでしょうか?
◎ユダヤ人の遺伝的均一性
史実に照らせば、黒海、カスピ海北岸に建国されたハザール王国では、8世紀に確かに国王以下の支配層がユダヤ教に集団改宗しています。
これは周囲のイスラム、キリスト教の二大勢力に対抗するためでした。しかしこの史実から、上記の仮説を導き出すには極めてずさんであり、
例えば、中世ラビ文学にハザール人に関する記述が全くないのはなぜか、ハザール人はトルコ語を話していたのになぜアシュケナージ系ユダヤ人はイディッシュ語を話すのか、
こうしたユダヤ人史学者からの批判に全く応えられません。そして今日ではなんと歴史遺伝子学の発達より「ハザール人起源説」は完全に破綻へと追いやられました。
父系祖先を辿るY染色体と母系祖先につながるミトコンドリアDNA(デオキシリボ核酸)に含まれる特定遺伝子の変異を調べ、現代のアシュケナージ約1000万人の系譜を辿ると全員が14世紀のドイツのラインラント地方と東欧に居住していた1500家族にたどり着くそうです。
ほとんどのアシュケナージは共同体内で結婚を繰り返してきたため、それが遺伝的均一性として現れるのです。
ユダヤ人の血脈は想像以上に連続性がある事も、この一連の流れで分かったのです。
いずれにせよ、各地にバラバラになりながら、「聖書」を精神の支えとして、「タルムード」を生活の支えに、ユダヤ人は生き抜いてきたのです。
これがユダヤ人の独特な考え方、生き方を作ってきたのです。
そして世界から見れば人口比は圧倒的に少ないにも関わらず、世界の文化に大きな貢献をし経済、金融に巨大な勢力を振るっているのです。