龍の声

龍の声は、天の声

「飛梅伝説 ①」

2013-02-27 06:48:46 | 日本

東京、上野の不忍池(しのばずのいけ)を見下ろす高台に「湯島天神」がある。
湯島の白梅は特に有名である。そして今が旬!沢山の見物客が、ここ湯島を訪れる。
今回は、菅原道真(すがわらみちざね)公の梅の花に関する「飛梅伝説」について、2回にわたり学ぶ。


時は、平安初期。
この頃、藤原一族が政権を握っており、
宇多天皇は、そのことを快く思っていなかった。
「なんとか藤原氏の勢力を削ぐことが出来ないだろうか」
宇多天皇は考えた。
そこで思いついたのが、藤原氏に対抗できる人物の起用である。
その切り札として選ばれたのが、菅原道真公です。
道真公は、宇多天皇という後ろ盾もあり、政治の中枢で活躍する。
しかし当然のことながら、藤原氏の強い反発をかった。
 
寛平6年(894)、菅原道真公は遣唐使の廃止を上申。

「遣唐使は、海難等による危険が多く無事戻ってくるのは、半分にすぎません。まして現在の唐は国力も衰えており、派遣する価値は、もはやないでしょう。」
 
宇多天皇は、道真の進言を受け入れ、遣唐使を廃止した。

このような道真公の活躍に、藤原氏の反感は頂点に達した。
なかでも道真の政敵である藤原時平は、道真追い落としの機会を窺い続けた。

寛閉9年(897)、宇多天皇が醍醐天皇に位を譲り出家した。
藤原時平は一計を案じ、醍醐天皇に上申。
「菅原道真は自らの野心のため、醍醐天皇に代わる天皇を立てようと企てています。」
時平の策略は成功し、道真に突如の人事異動が発令される。
それは、「菅原道真に九州大宰府権帥を命ず」
というものであった。

宇多法王は道真左遷を聞き、抗議しに内裏に駆けつけたが、内裏の門は閉ざされたままで、中に入ることすら出来なかった。
 
道真公は弁明する機会すら与えられず、妻子とは別離となり大宰府へと下っていった。
道真公は都を去るにあたって、歌を詠む。

「東風(こち)ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春をわするな」

好きだった庭の梅の花に、別れを告げた。
そして、道真公が都へ戻れることは二度となかった。

都にいた妻の死をはるばる大宰府で聞き、濡れ衣を晴らせないまま大宰府にきて2年後に、道真公はその生涯を閉じた。





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