菅家一比古さんから言霊の華が届いた。
以下、要約し記す。
⇒愛するもの(者、モノ)を守るために戦う。全ての動物に備わっている本能です。ライオンに襲われた動物の子どもや仲間を取り戻すために、親や仲間は必死で反撃に出ます。そしてライオンたちは怯(ひる)んで諦め、立ち去ることもあります。
そのように愛するモノを守ろうとして来た親や仲間たちがいたお陰で、「種」は生き長らえて来たのです。生存本能、それを支える防衛本能を「生命力」と言います。
国家も全く同じでしょう。NHKの大河ドラマ「青天を衝け」を観て思うことは、当時の日本人が武士から百姓にいたるまで高い国家意識を持っており、「国を守ろう」とする危機感と氣概に燃えていたと云うことです。
それは当時の藩校や寺子屋、私塾と言った高い教育水準にも因りますが、それより何より重要な事と思われるのは、「愛するモノ」を守ると言う人間本来としての、または生物本来としての生存本能、防衛本能がピチピチと漲(みなぎ)っていたからだと思われるのです。
それは生命に対する畏敬であり、郷愁であり、回帰でもあります。先の大戦で国の楯となり、散華して逝った英霊たちの姿と重なります。パラオのペリリュウ島で74日間も守り、戦い続け、遂に玉砕した日本軍。
アメリカ軍は「こんな島3日間で陥(おと)してみせる」と豪語していましたが、世界最強と言われた第一海兵隊も第七海兵隊も全滅宣告を受けます。ペリリュウ島の守備隊長だった中川州(くに)男大佐は言いました。「人は憎しみの為に戦い続けることは出来ない。それは愛するものを守る為、戦うことが出来るのだ」と。
防衛の為の戦争は強い。それは愛するものを助けるため自己犠牲を厭(いと)わないからです。昭和26年アメリカ上院でマッカーサーは証言しました。「先の大戦は日本の侵略のための戦争ではない。防衛の為の戦争であった」と。
先の大戦で日本が示したのは「愛するものを守る」と云う氣概であり、日本の底力である生命力がそうさせたに違いありません。では果たして現代日本にその氣概たるものがあるのでしょうか。
竹島を奪われ、尖閣も風前の灯。国内の土地は中国資本に買い漁られ、領空、領海は侵犯の連続。もっと酷いのは北朝鮮に拉致され続ける数百人の同胞をいまだ奪還できていないことです。諸悪の根源であろう憲法も、改正できないまま70数年も放置し続けているのです。
一体日本人に愛はあるのか。底力である生命力はあるのか。現代、罷(まか)り通っている愛とは、左翼リベラル勢力の主張するヒューマニズムの見せかけの人権、平和、自由、平等的な愛でしょう。それは真実の愛から程遠いものであります。
真実の愛とは、自己犠牲、即ち痛みが必ず伴い、血と涙と汗が流れるのが歴史の真実です。日本人に愛国心があれば必ず他国に思いを寄せ、チベット、ウィングル族、内モンゴル、香港、台湾等に対する姿勢もより強固なものとなり、中国に忖度などしないでしょう。
日本の伝統精神「清らと潔さ」「惻隠の情」を取り戻し、世界から信頼され尊敬され、愛される人づくり、国づくりをするのが教育の使命です。
自然と風土そして藩風が生んだ伝統精神「清らと潔さ」「惻隠の情」、即ちそれは武士道だったのです。
日本は先人達の残したこの財産に目覚め、立ち帰る必要があるのです。