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「安倍総理の靖国神社参拝が意味するもの ①」

2014-01-06 08:24:43 | 日本

文藝評論家の小川榮太郎さんが、靖国神社に関する実にいい論文「靖国の神学・私論 ~安倍総理の参拝が意味するもの~」を出された。
以下、要約し以下、5回にわたり記す。


「戦は好戦派といふ様な人間が居るから起るのではない。人生がもともと戦だから起るのである。」(小林秀雄「戦争と平和」)

安倍政権は、アベノミクスによる日本経済の応急処置に成功し、安倍ドクトリンとも言うべき独自の外交「日米同盟、対中包囲網、資源外交を基軸にしつつ、アメリカからの自立に向けて徐々に重心を置き換へる。」により、崩壊寸前だった日本の土台の補修に成功した。たった半年である。その上で、今般は参議院選挙にも大勝し、衆参のねじれを解消した。これだけでも既に、安倍首相は戦後でも稀有な名宰相と言っていい。

しかし、安倍政権の掲げる「日本を取り戻す」は、単なる経済の復活ではない。目先の日本復活だけではないはずである。安倍首相が、状況を見つつ、発言を微妙に修正しつつも、従来のどんな首相も敢へて語らなかった歴史認識問題や憲法改正を、タブー視せずに語り続けてきた事から明らかなやうに、安倍氏にとつて、この取り戻すべき「日本」の本丸が、第一次安倍政権時の「戦後レジームからの脱却」であるのは明らかである。
であるならば、これからが戦いの正念場となる。

今の日本の崩れは容易ならざるものがる。経済や安全保障の危機はいはば表面的な症状に過ぎない。内側に病気の原因があるから、こうした症状が出る。この内なる病因をこれ以上放置すると、日本はある日突然死しかない、それほど、内側からの崩れは深刻である。その内側の病因と靖国問題は深く関係している。一言で言えば、自分の国を先の大戦で敗れた相手に守っててもらって、自分たちは金儲けにうつつを抜かしてきた。人々は口を揃へて平和と繁栄が尊いと言う。しかし、道徳的腐敗の上に永続的な平和も繁栄もあり得ない。こんなことをちらっとも恥じと思はないで70年もやっていれば、国民の心はバラバラに荒廃し、国家としての求心力はどんどん失はれるに決まっている。

もちろん政治家である安倍氏は最終的な行動については慎重であらねばならない。だが、逆に我々国民は傍観者であってはならない。心ある国民は、国辱に対してもっと激しく強く怒らねばならない。そもそも我が国の為に戦場に散った功労者への鎮魂・顕彰を、諸外国に遠慮して自粛するという国辱を許す位なら、もう一度一億玉砕した方がずっとましではないか。230万人もの方々が日本の為に命を捧げたのが、たった70年前のことである。その人たちが命を捨てて国を守ってくれたお蔭で、今日の日本がある。その230万人もの御霊を日陰者にしてまで、マスコミの反応がどうの、外国の顔色がどうのと、事なかれを期する国があれば、そんな国は腰抜けどころか、精神の腐りきつたドブである。

かう言う常識をまず日本国民全体で取り戻さなくて、アベノミクスで「日本を取り戻す」もへったくれもない。日本国民が、国論として、靖国神社の深い意義を理解し、守り、外国からの不当な干渉を断乎許さぬと言う、強い共同意志を持たねばならない。安倍首相が堂々と公式参拝をできるだけの強力な国民の総意を形成する努力をしなければならない。外国の不当な干渉という戦場に、安倍政権を裸で放り出してどうするか。我々一人一人の愛国心、国の安寧を祈る深い祈り、それが安倍政権を正しい選択に向けて動かす。安倍政権を外側から論評するのではなく、我々の祈りで安倍氏が本来なすべきことをなせるよう、ささえ押し上げねばならない。


◎靖国神社創建の意義

第一の論点は、靖国神社は明治維新、新政府発足とほぼ同時に創建されたが、この靖国創建にはどのような意義があったのか。
第二の論点は、靖国が、日本人にとつて、ある絶対的な場になったのは大東亜戦争を通じてである。「靖国で会おう」を合言葉に無数の先人が戦場で散った。このことを通じて靖国は近代日本の中核価値としての本質を顕わにしたとの考えである。
第三の論点は、こうして余りにも大きな犠牲と引き換えに靖国神社の本質が現れたというのに、戦後、それは言語に絶するひどい侮辱に汚され続けてきたことである。つまり、この靖国の現状と、その克服への方針の私案である。