雲跳【うんちょう】

あの雲を跳び越えたなら

フロイトに聞いてみろ

2006-06-09 | 雑記
 セックスする夢はよく見るがオナニーしている夢というのは見たことがない。
 やはり夢の中でまで自分自身を慰めていては、とても居たたまれなくなってしまうからだろうか?
 これが自己防衛というものなのだろうか?
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御手洗潔の挨拶

2006-06-08 | 小説
 推理小説の主たるものは、やはり「トリック」「アリバイ」「動機」「意外な犯人」などだろうが、自分はそんなことよりも「名探偵」の魅力に重きを置いている。
 明智小五郎、金田一耕助、鹿谷門実、法月綸太郎、湯川学、etc・・・。皆、一様に奇人変人扱いされ、最後にはその確実な手腕で周りを圧倒させる。それが実に爽快である。
 さて、その奇人変人扱いを受ける最たる名探偵「御手洗潔」の短編集『御手洗潔の挨拶』を読んだ。
 相変わらずのへそ曲がり、よく言えば反骨精神であるが、そんな御手洗がとても魅力的な一冊である。と云うより御手洗が出ていなければ、ただの暇つぶしのサスペンスになりかねない(いや、ちょっと言い過ぎか)
 ともあれ、ここ最近の人を喰ったかのようなミステリ小説を熟読されている方には、事件性にしてもトリックにしても物足りなさを感じてしまうであろうが、
「これぞ本格ミステリ!」
 そう断言できる一冊である。それもこれも、御手洗潔の魅力が存分に発揮されているためだと、私は思うのだが。
 名探偵論をここで長々と説明する気はないが、名探偵を魅力的に描いている推理小説は、自ずから名作につながっていくのだと私は思う。

 ちなみに、謎のミステリィ作家『K氏』の小説に登場する名探偵「井南くん」の活躍を私はずっと心待ちにしている。
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倒錯した盗作

2006-06-07 | 雑記
 別にこのバカ(和田氏)を擁護するつもりはないが、いささか気にかかることがある。もう、ここまでくれば盗作なのは誰が見ても思うことなのだが、このバカは頑なに否定し続けている。
 やれ、「彼(伊画家)に対するオマージュだ」
 やれ、「彼との共同制作だ」
 そう言い続けているらしい。
 あぁ、アンタがそう考えているならそうなんだろう。それがアンタの芸術なら、きっとアンタは間違っちゃいないだろう。
「凡人には解かるまい!俺様の苦悩、そしてそこから見出された俺様の芸術を!」 そんな戯言をせめて自分自身くらいは頑なに、何の疑いもなく、死ぬまで言い続けてくれ。それでこそ芸術家ってもんだよ。
 アンタは画の才能はないが自分を騙す技術と知恵は持っているように思える。頑張れ!そのニヤケタ面で固持し続けろ!
 しかし、女子大生に電話番号を渡したのは、ちょっと失敗したな。まっ、それも芸術のためと言い張れ!
 近いうちオマエのことなんか誰も関心を抱かなくなるから。
芸術 和田氏の東郷賞を取り消し 伊画家の作品と「類似」 - goo ニュース
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秋田事件でのやるせなさ

2006-06-06 | 雑記
 この事件については、今更ここで書く必要もないほど連日連夜ニュースで流れているので、私がどうこう言うことはないし、あれやこれやと軽率に自身の想いを綴るのも憚れる。しかし、どうしても書いておきたいことが一つあるので、書かせてもらう。
 それは、まだこの事件が起こったばかりのことだった。首を絞められて殺されたことが解かり、豪憲くんの祖母がテレビの無慈悲なインタビューに震える声で話したこと。
「犯人の首を、豪ちゃんの首を絞めたときよりも、もっと強く、絞めてやりたい」
 この言葉が、頭から離れない。
 容疑者が捕まった。ポツリポツリと自供も始めたらしい。
 連日連夜、ワイドショーでは、この容疑者の人となりや過去について調べ、コメンテーターたちがこぞって動機を推察し容疑者の心の闇を身勝手に抉っていく。 別に私はそれを非難するわけでもなく、また、賛同するわけでもなく、ただ、静かにそんな画面を眺めていると、決まって豪憲くんの祖母の言葉を思い出し、ただ、ただ、胸の奥から、云い様のないやるせなさが込み上げてくる。
現場足跡と類似の靴、畠山容疑者宅から押収 秋田事件 (朝日新聞) - goo ニュース
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セクハラ

2006-06-03 | 雑記
 な~んか、警視正、みっともなことになっておりますなぁ。
 実際「セクハラ」って「やる」ほうと「やられる」ほうの食い違いが多いんだろうから、今回もどうしようもないんだろうが、このオヤジ、触ったことは認めてんだよな。なんか時代劇とかに出てくる悪代官みたいになってない?
「よいではないかぁ、ちこう寄れぃ・・・ほぅら、身体は嫌がってはいないではないかぁ」
「おやめくださいませぇ」
 そんで大岡越前の前で
「あの娘のアソコは濡れておりました、したがって了承を得たものと思い云々・・・」
 だから、それがみっともない。この前もどっかの市長がセクハラで辞めてたけど、散々、言い訳してやがる。
 とりあえず、ハメられたんだかハメたんだか知らねぇが、男だったら潔く非を認めたほうがいい。
 どっちにしろ触ってんなら女性がどう感じたかってこと。
 この警視正もどっかの市長も、よっぽどヘタクソなんだろう。
懲戒処分の沖縄県警警視正「セクハラしてない」 (朝日新聞) - goo ニュース
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ギャランドゥ

2006-06-02 | 思い出
 盲腸の手術を受けたのは、十六の時だった。
 その頃といえばラーメン屋でアルバイトをしていたのだが、仕事は午前十時からだったので、その日は友人のMと早朝から釣りに出かけていた。
 なんとなく起きたときから「腹具合が悪いな」くらいはあったのだが、Mとの約束もあるので、とりあえずままならぬクソをして家を出た。
 そしてMと落ち合い、港の桟橋から釣り糸を無心に垂らした。しかし、すぐに雑念が入った。
(は、腹がイテぇ・・・)
 どうにも我慢がならないが、近くに便所らしきものはない。しかし僅かながらの草陰がある。もう、限界だ。背に腹は変えられないので、私は産まれて初めての野糞をした。実に、爽快であった。
 そうこうしている内に仕事の時間が迫ってきたので、私たちは帰ることにした。収穫は、小指程のメギスに醜悪なボラくらいだった。(その場所は淡水と海水が混合している馬鹿げた河岸であった)
 私はバイト先につくと、真っ先に便所に駆け込んだ。皆から「どうした?」「大丈夫か?」などの声をかけられながら
「ちょっと腹具合が悪いが、大丈夫です」と気丈に振舞った。それは何故かと云うと、この日は給料日だったので途中で帰ると貰えないのでは?と、そんな思いにかられ、冷や汗かきつつも私の上がり午後五時まで働いた。
 そうして、ぎこちない笑顔で給料袋を受け取り、なんとか家まで辿り着いたのだが、そのまま居間に倒れ込み、腹を抱え、瀕死の形相でうずくまっていた。
 それから一時間もしたころであろうか?母が帰ってきて私の様子を見るなり、
「何事か!ど、どうした!」と、オロオロ焦るのだが、私に至ってはすでに説明の出来る状態ではない。
「い、医者へ・・・」
 至急、近くの総合病院へ駆け込んだ。
 結果は盲腸。しかし、もう少し遅かったら腹膜炎を併発していたらしい。我慢も程々に、である。
 そんなこんなで次の日、すぐに手術となるわけだが、その際私が危惧していたのは『剃毛』である。まだウブである私はあのキレイな看護婦さんに私のナニをつままれジョリジョリされるのは何とも恥ずかしくて、しかも、もしそこでナニが元気になろうもんなら目も当てられない・・・そんなことを苦痛の中で考えていた。
 しかし、手術前に看護婦さんが事もなげに
「剃らなくてもいいみたい。良かったね」と私に報告した。どうやらまだウブな私のギャランドゥは手術の邪魔はしないらしい。私は「ホッ」と安心したのだが、何だか「フッ」と寂しい気持ちもよぎった。
 手術は程なく終わり、私の右腹には、そんなこんなの思い出と共に手術痕が残った。

 さて、もうここまでくれば私の言いたいことは解かるであろう。もし、今現在の私が『剃毛』はしなくてよい、とキレイな看護婦さんから言われたなら、土下座でも何でもして(金を払ってでも)
「お願いだから、剃ってください!何もやましい事なんぞありません、ただ、ただ、アナタに剃ってもらいたいのです!」
 そう叫びながら必死に懇願するであろう。
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つげ義春とぼく

2006-06-01 | 小説
『つげ義春とぼく』と云う本を読んだ。『つげ義春』と云えば希代の天才漫画家であるのだが、これは漫画ではない。主に「旅日記」「夢日記」「回想記」などが掲載されているエッセイのようなメモのような、はたまた私小説のような、なんだか解からないがヒジョウにお得な一冊である。が、もし、つげ漫画に触れたこともなく、真っ白な感覚でこの『つげ義春とぼく』を読むのは、よしたほうがいい。
つげさんの(あえて「つげさん」と呼ばさせていただきます)感性や芸術性(本人は嫌がるかもしれないけれど)、また人間性、はたまた運命というか宿命というか、そういったものを確実に捉えられるのは、やはり『漫画』のほうであって、今回この本を読んで『つげ義春』を受け入れるのはいささか遠回りに思える。
 えっ?だからどうしろって?
 とにかく、つげさんは漫画家だ。だから、もしこの場で初めて『つげ義春』という名前を知って、ちょっとでも読んでみようと思った人がいたら、今回紹介している『つげ義春とぼく』からではなく、『ねじ式』や『紅い花』、『無能の人』(私のお薦めは『別離』『散歩の日々』『夜が掴む』『ヨシボーの犯罪』・・あぁ、キリがない・・)などを読んで、そうして「なんなんだ!この人は!」と、つげさんの人となりに興味を持たれたならば、是非『つげ義春とぼく』を読んでいただきたい。
 因みにこの『つげ義春とぼく』の中に収められている「断片的回想記」の「万引き」と云う章は格別な文学の体を成している素晴らしい文章である。もちろん、私個人の想いだが。

 今回、タイトルが本の名とはいえ、図らずも『つげ義春とぼく』となったのをいいことに私の『つげ義春』さんへの想いを一頻り書けたことは実に嬉しいことである。(きっと、興味の無い人にはちっともオモシロくないだろうが・・・)
 それでも、せっかくなのでもう一つ。
『貧困旅行記』これも、辺鄙な旅を求める人にはもってこいの本なので、少し人生に疲れたら読んでもらいたい。読むともっと、人生に疲れるので。
 
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