里山の山野草

里山と山野草の復活日記。

猫山地方の歴史

2008年07月23日 | 歴 史
猫山の麓の坂井谷(板井谷?)には“猫塚”があるという事なので、山から下りて
最初に出会った村人に聞いてみた。

ところが、
「さあ、山の姿が猫の寝姿に見えるから“猫山”と呼ばれているとは聞いたが、
 “猫塚”など聞いた事が無い」
と、要領を得ない。

ところが、耳寄りな話を聞いた。 
「山麓北の三坂には、伯耆の国からやって来てこの地を開いた、北村源之丞という
 人を祀った“北村神社”があるし、その北隣には嘗ての伯耆国と備後国の国境の
 番所があった」という。

ダボハゼとしては聞き捨てならず、早速行って見た。
すると、旧国道沿いに小さな社があり、
「北村神社は旧三坂村の開基、祭神は北村源之丞」と書かれていた。

境内には、半径5mの円内に6本の巨樹があり、昭和53年に広島県の天然記念物
に指定されていたそうだ。

その後枯れた為に今はイチイとトチノキの2本しか残っていないが、どちらも巨樹
であり、神社の歴史の古さを感じさせた。
イチイトチノキ

神社の直ぐ北隣には、石州瓦の立派な家があった。 嘗て番所があった所だそうだ
が、今は何も残っていない。 
番所というのは、江戸時代に設けられ、通行人などを見張ったり、積み荷の検査や
税の徴収などを行った場所で、それだけこの地が交通の要衝だった事を示している。

この地方ではどの家も屋号があり、このお宅の屋号はズバリ“番所”だった!

猫山西の新国道沿いの墓地には、“尼子家の墓”もあった。
いずれも、この地が国境の村で山陰と山陽を結ぶ要衝であった事が窺われ興味深い。

帰りに改めて北と南から猫山を眺めてみたが、どう見ても猫には見えなかった。
しかし、この猫山、むかし化け猫が住んでいて人を喰ったとか、山中に猫に似た石
がある(或いは人が願うと山中の石が全部猫に変わる)為にネズミが恐れた、など
の言い伝えもあるという。  面白い山だ!