予てから気にかかっていた、備後国の総社神社を訪ねてみた。
場所は、JR府中駅の少し北の、小高い丘の上にある小野神社境内だ。
石段を登ると、正面に立派な拝殿と本殿があった。
ところが、これが総社神社かと思いきや実は小野神社で、総社神社は向かって右側
の極めて慎ましい社で、備中国総社宮(下段)とは大違いだった!
小野神社の由緒を見ると、嘗て総社神社の社地だった場所へ、江戸時代初期に建て
られたらしい。
どんな事情があったのかは分からないが、まるで落ちぶれた大家が掘っ立て小屋に
住み、大家の土地に羽振りの良い店子が居座った感じがしなくもない!
奈良時代には、国司が中央から赴任した時には、国内の全ての神社へ参拝するのが
習わしになっていたといい、
平安時代になると政務多忙を理由に、国府(国の首都)の近くに国内の全ての神々
を祀る総社を設け、巡回して参拝する事を省くようになったという。
嘗てこの丘の上には総社として似つかわしい神社が建てられており、丘の下に広が
る国府を見下ろしていたのであろうが、今はそのどちらも見る影は無い!
(丘の上から見下ろした府中の町)
小野神社の由緒
社地は、元総社神社の社地であったが、貞享5年(1688年)にここへ奉祀した。
社殿は昭和9年に再建された。 元町の産土神で、祭神は押媛神と吉備武彦神。
場所は、JR府中駅の少し北の、小高い丘の上にある小野神社境内だ。
神社のある丘 | 一の鳥居 |
二の鳥居 |
石段を登ると、正面に立派な拝殿と本殿があった。
ところが、これが総社神社かと思いきや実は小野神社で、総社神社は向かって右側
の極めて慎ましい社で、備中国総社宮(下段)とは大違いだった!
小野神社の由緒を見ると、嘗て総社神社の社地だった場所へ、江戸時代初期に建て
られたらしい。
どんな事情があったのかは分からないが、まるで落ちぶれた大家が掘っ立て小屋に
住み、大家の土地に羽振りの良い店子が居座った感じがしなくもない!
奈良時代には、国司が中央から赴任した時には、国内の全ての神社へ参拝するのが
習わしになっていたといい、
平安時代になると政務多忙を理由に、国府(国の首都)の近くに国内の全ての神々
を祀る総社を設け、巡回して参拝する事を省くようになったという。
嘗てこの丘の上には総社として似つかわしい神社が建てられており、丘の下に広が
る国府を見下ろしていたのであろうが、今はそのどちらも見る影は無い!
(丘の上から見下ろした府中の町)
小野神社の由緒
社地は、元総社神社の社地であったが、貞享5年(1688年)にここへ奉祀した。
社殿は昭和9年に再建された。 元町の産土神で、祭神は押媛神と吉備武彦神。
(押媛神) 孝安天皇(在位:前392~291年)の妃。 (吉備武彦命) 父の稚武彦命は、 孝霊天皇(在位:前290~215年)の子で 吉備津彦命の異母弟。 吉備氏の祖。 |