店先に「おタ福さん」が建っています。
京都の「お多福さん」のご利益をこの店先の「お多福さん」が代行しているようです。
「商売繁盛!福多く」の願いを込めました。
こんな出会いもぶらり散歩の楽しさですね!
店先に「おタ福さん」が建っています。
京都の「お多福さん」のご利益をこの店先の「お多福さん」が代行しているようです。
「商売繁盛!福多く」の願いを込めました。
こんな出会いもぶらり散歩の楽しさですね!
日野宿本陣には街道に面して「天然理心流道場」がありました。
近藤勇や土方歳三、井上源三郎などが稽古に励んだのです。
本陣屋敷内は伝統のある5月飾りが飾られていました。
大田蜀山人の狂歌「たけのこの そのたけのこの たけのこの 子の子の末も しけるめてたき」という書画が表具されています。
江戸幕府を開いた徳川家康が江戸を中心とした交通網を整備しました。
日野宿もその五街道の一つです。
本陣ではガイドツアーの説明を聞きながら、わかりやすく陣内を見て回れその当時の空気を感じる事が出来ます。
日野の暖かな人情とともに新撰組が身近に感じました。
「浅草金龍山」
浅草寺は江戸時代一番人気のあるお寺だったのです。新吉原の遊郭や猿若町にある芝居小屋があったりと寺の周辺で遊ぶところが多かったからです。
風雷神門(雷門)につり下がっている大提灯には新橋の信徒から奉納された物で「志ん橋」と書かれています。
「亀戸梅屋舗」
江戸で亀戸天神の東北に梅の花で有名な梅屋敷「清香庵」がありました。
この庭の臥龍梅という梅の木が人気を呼んで賑わっていました。梅の香りも特別によくその梅の香りを着物にしみこませて散策したようです。
ゴッホはこの絵の構図に影響をうけた。
今の「梅屋敷」にはその頃の様な風情はなく、土産店の中のロビーにこの絵と当時の庭園の浮世絵が飾られていました。
秋の「竹」の季語を調べてみました。
「竹伐る」・・・秋:「木六竹八」と言って木は六月に竹は八月に伐るものとされています。
「竹の春」・・・秋に緑を濃くします。春に竹の子を出すので養分をとられてしまい親竹が衰えてしまいます。秋には若竹も成長して青々としてきます。それで竹の春と言い竹にとっては秋が「春」で春が「竹の秋」になります。「竹落葉」は夏の季語です。
「竹の春水きらめきてながれけり」・・・成瀬桜桃子
「一むらの竹の春ある山家かな」・・・高浜虚子
偕楽園にも秋が訪れています。秋の七草でもあります赤や白の「萩の花」があちこちで見られます。
格子越しにみた白い萩の花も心静かになります。
私は萩の向うに見える「好文亭」を、その昔歌詠み人の文人たちが四季を詠みあっていた風情を感じながら眺めました。
「萩の風ほつほつと花咲きそめし」・・・虚子
「いちはやく萩は乱るる風を得つ」・・・林火
「白萩へ一夜泊りの障子かな」・・・展宏
出羽三山は羽黒山、月山、湯殿山です。
月山を奥に描き手前から蛇行する最上川には大小の船が行き来しています。「五月雨をあつめて早し最上川」と芭蕉の句にあります。
また「立石寺」を訪ねた時の事を奥の細道では「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」と詠んでいます。
松島は天橋立、宮島と並ぶ日本三景の一つです。島の数は260余りで歌枕として有名です。
松尾芭蕉も「奥の細道」の序に「松島の月まづ心にかかりて、」と書かれています。がこの地を訪れても待望の絶景に感動し句を詠めずに万感胸に迫り眠れなかったと書かれています。
同行の曾良は「松島や鶴に身をかれほととぎす」と句を詠んでいます。
榛名山」は上毛三山・妙義山、赤城山、榛名山の一つです。
この絵の雪景色の榛名神社が描かれています。この境内には「みすがた岩」や「九十九岩」などの奇岩が多くあります。
那須火山帯に属し近くに伊香保温泉のある風光明媚な土地です。
長野県更科にある冠着山(かんむりきやま)は通称を姨捨山と言われここから観える田毎(たごと)の月は土佐桂浜、石山寺と並び三名月と呼ばれます。
古今和歌集に「わが心 なぐさめかねつ 更科や 姨捨山に 照る月を見て」
また松尾芭蕉にとっても、この姨捨山から見る月はどうしても観なくてはいけない聖地でした。
「俤(おもかげ)や姨ひとりなく月の友」と句をよんでいます。その旅は「更科紀行」になって伝わっています。この「更科紀行」は美濃から木曽に入って信濃路をたどり江戸にもどる旅です。
千曲川の向うに月がのぼる鏡台山(きょうだいやま)です。
現在の岐阜県北部からなる飛騨国は良質の木材が取れました。しかし山深いので橋をかけられない個所が多く「籠渡し」となったのです。
この絵の元は歌川豊広の「浮牡丹全伝うきぼたんぜんでん」です。広重は断崖絶壁に籠渡しの様子が景色を引き気味にして書いています。
いまでもその様は観光地化されていて、見ることが出来ます。
養老ノ滝は孝行の考心により滝の水を瓢箪に汲んだら銘酒に変わったと言う故事が伝わる名瀑です。当時から水が綺麗な土地です。
広重の書いた「養老ノ滝」は中央に勢いのある一本の滝の流れが印象的です。滝の水の色もグラデーションがかかって、豊かな水量を表現しています。また切りたった崖には紅葉した木々と松が描かれています。
琵琶湖はその形が琵琶に似ている事からつけられました。その琵琶湖の南側にある「石山寺」はは真言宗のお寺です。
平安時代の宮廷の女人達の間では石山寺の観音堂で読経しながら一夜を過ごすのが流行し、紫式部もここに参籠して「源氏物語」の相を練りました。
また「近江八景」の八景とは「堅田落雁かたたのらくがん」「瀬田夕照せたのせきしょう」「比良暮雪ひらのぼせつ」「粟津青嵐あわづのせいらん」「矢橋帰帆」やばせのきはん「唐崎夜雨からさきのやう」「三井晩鐘みいのばんしょう」「石山秋月いしやまのしゅうげつ」です。その中で琵琶湖と石山寺を描いたのが「石山秋月」です。
満月に雁に静けさを感じます。画面中央に横切るのは瀬田の唐橋、または長橋と呼ばれる東海道の道です。