疾風怒濤の80年代

日本中が熱い風に包まれていた1980年代
そのころの音楽・映画・テレビなどを語る30代のための
広場です!

近藤真彦を久々に振り返って

2005年12月16日 02時35分54秒 | 歌謡曲
昨日、マッチがうたばんに出てましたね。
で、見ていたのですが、彼が81年に16歳でデビューしてから、
「愚か者」を歌ってレコ大を取るまで、6年しかなかったのですね。
つまり「愚か者」の時には正直言って、マッチの人気はかなり下降線をたどっていましたから、彼の最後の絶頂期まで、たった6年間しかなかったわけですね?

22歳のマッチは、当時は「ガキだ」と思っていたのですが、今の26歳のキンキキッズよりもずっと大人に見えました。
多分22歳って、オレンジレンジぐらいの年齢なのでしょうか?バブルをはさんで
さらに日本人の『モラトリアム』は伸びてしまったのかもしれませんね。

話がずれましたが、マッチが本当にヒット曲を連発していた時期が
そんなに短くて、さらにビックリしたのですが、81年のレコ大新人賞で
「ギンギラギンにさりげなく」を歌っていたのですが、あれってデビュー1年目の歌だったんですね。でもそれまでに「スニーカーぶるーす」「ブルージーンズメモリー」「情熱☆熱風☆せれなーで」は確実にヒットさせているわけで、「ギンギラギンにさりげなく」は少なくとも5曲目ぐらいですよね?シングルのサイクルって
そんなに早かったでしたっけ?

当時、ベストテンも完全に毎週欠かさず見ていたし、賞レースもドキドキしながら
見ていたわけですが、記憶って薄れていくものですね。





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2 コメント

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おじゃまします (まんぼう)
2005-12-17 23:52:07
はじめまして。

近藤さんのデビュー曲が「スニーカーぶる~す」というのは有名だと思いますが、その後は

「ヨコハマチーク」

「ブルージーンズメモリー」

そして4曲目が「ギンギラギンにさりげなく」です。

「情熱熱風せれな~で」は5曲名ですよ。

デビューから数年は年4曲のサイクルでした。

それはマッチに限らず他のアイドルさんたちも同じ感じだったと思います。

「愚か者」の2年前くらい前の「夢絆」あたりで大人の歌手へ向けての路線変更を図ったように思いますね。

確かに10代の頃のような人気ではなかったかもしれませんが、20代の頃の曲は心に残る歌が多いですよ。





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こんな曲も・・ (太郎)
2005-12-25 01:09:49
マッチといえば、確かに愚か者やギンギラギン・・・がダントツ有名ではありますが。

夜の街角では「夕焼けの歌」「夢絆」といった曲が今でもカラオケで歌われたりしていて・・・

侮れませんよ
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