りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

水無月。

2013-06-28 | Weblog
今日をもって、会社の先輩が退職した。

ワタシが今の会社に転職して以来、19年もの間、直属の上司として指導していただいた先輩である。

ワタシと同じ高校出身で、ワタシと同じ浜田省吾のファンで、そしてワタシと同じように若い頃から
ひたすら広告業界に身を投じてこられた人だった。

おこがましい言い方だが、ワタシは先輩に自分と同じ匂いを感じていた。

上手く説明できないが、仮に世界中の人間を4分割したら、ワタシと先輩は、おそらく同じカテゴリーに
分類されるような気がする。

だからといって、仲が良かったわけではない。

私語を交わすことなど滅多になかったし、ましてやプライベートで会うことなど一度もなかった。
先輩とツラを合わせ、会話を交わすのは、それこそ仕事の時だけだった。

厳しい先輩だった。

入社当時の20代半ばの頃、ワタシはケチョンケチョンにダメ出しを食らい続けた。
どんなものをデザインしても、ひとつとしてすんなりとOKを出してもらった記憶がない。

「めんどくせぇ」

正直に言えば、心の中でそう思ったことも多々あった。
でも、今思い返せば、当時のワタシは、仕事をしてゆく上での知識も技術も覚悟も見事に持ち合わせて
いなかったし、そして先輩は、そんな半人前以下だったワタシの中身を完全に見抜いていたのだ。

今なら、分かる。
あの頃の七転八倒、紆余曲折、暗中模索がなければ、今のワタシはない。

先輩が退職することを知ったのは、2ヶ月前だった。
会社勤めをしている以上、退職してゆく人間を見送ることは、珍しいことではない。
むしろ、今のご時世、日常風景のひとつだし、実際、今までも数えきれないほどの人を見送ってきた。

しかし先輩の退職話が鼓膜に響いた瞬間、ワタシは驚きのあまり言葉を失い、経験したことがないほど
激しく動揺した。

いい年をした大人のくせに、いったいどうしたのかと、自分自身でも思った。
しかし、時間が過ぎて気持ちが落ち着いた今なら、あの時の自身の心境を自分なりに解釈できる。

人はいくつになっても、自身を俯瞰して見てくれる人が必要なのだと思う。

良いことが続くと、人はすぐに調子づく。
調子づいた人間は冷静さを失って、自分でも気づかないうちに1枚1枚服を脱いで裸の王様に近づき、
そしてその鼻は際限なく高くなってゆく。
そうなってしまわないために、自身の言動を客観視して導いてくれる存在の人が、人間には不可欠
なのだと思う。
ワタシが全裸に近づけば、お前は裸だとハッキリと指摘し、鼻が伸びれば、是非もなくその醜い鼻を
ポキンと折った。

ワタシにとって、先輩はそんな存在だったのだ。

上述したとおり、ほとんど身の上話をしない間柄なので、先輩に退職の理由や今後のことなどは、
直接聞いていないし、これからも聞くことも話すこともないと思う。

でも、それでいいのだと思う。
その方が、先輩とワタシらしい。

今日、退社する時も、お互い普通の社会人として一般的なお別れの挨拶をし、ワタシは会社を後にした。
外に出ると、今にも大粒の雨が降り出しそうな、ぶ厚い水無月の雨雲が空一面を覆っていた。

もうすぐ、6月が終わる。
今年も、半分が過ぎようとしている。
コメント (5)
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