ぞな通信

四国・松山生まれ、在米25年、Zonaの日常生活。

ホエールウオッチング

2010-02-28 23:09:16 | Weblog
今朝は朝9時前に自宅を出発し、ホエールウオッチングへと出かけた。
今までそんなの行ったことがなかったので、積極的に参加しよう!と夫と娘の3人で申し込んでおいたのだ。

娘はチリ地震による津波のニュースを聞いて、相当びびっていた。

「ぞな子ちゃん、行きたくなーい」

と前日から言っていた。
それをなだめておだてて連れて来た。この時は私も波は全くないと信じきっていた。

10時出発で、大きな船に乗って行くのかと思いきや、目にしたのは松山ー広島を往復する水中翼船ぐらいの大きさ。いや、水中翼船よりもう2周りぐらい小さい。横幅も4-5歩で歩ける。
だ、大丈夫か・・・これで・・・・
娘をなだめた私の方が不安になってきた。
そういえばクジラは大きい。
浅瀬でちょろちょろ泳いでいる小魚ではないのだ。

最初はわけがわからないので、意気揚々として乗船した。
全員がすわれないので、私たちは狭い甲板に陣取った。

そして10時に出航し、徐々に沖に出て行った。

後で知ったが、その日はやはり津波の影響で波が高くて、海岸によっては封鎖されていたところもあったそうだが、後の祭りである。

予定は9時半から12時半。3時間も海にいるんだ・・・結構長い。

遠くにいくんだ・・・・こわいっっ!

ウオーターブレークがある間は波もなくていいけれど、離れるとだんだん波が大きくなっている。
結構うねってないか?
小舟が笹舟のように感じられるほど、かなり揺れる。
波もでかい。

一体どこまで行くの~。

10時半か11時頃になって、クジラが見えるあたりで、ちょっと停泊。

もう停泊しなくてもいいよ~・・・・

だれかが、

「ホエール!!!!」

と叫ぶと、その方向にクジラが見えた。

イルカもペリカンも見えた。アザラシもいたらしいが、どうでもいい。

そのあたりで、うっときたかと思ったら、げーーーー。
横にあったドラム缶にげーげー吐いた。3回ぐらい吐いて、胃はすっきり。

今度は唇真っ青のぞな子。
やばい、こいつもそろそろかもしれない。

ぞな子は乗船してから、嗚咽にちかいうなり声をずっとあげ続けている。
「う~う~う~」
「もう帰ろうよ~
これを果てしなく繰り返していた。

でも、帰れないんだよ。この大海原。お母さんも帰りたいよ。くじらもペリカンももうどうでもいい。勝手に泳いでてくれ。お前らが偉大なのは、よーくわかった。

そして、
「気持ち悪いっっっ」
と、言い終わらないうちに、その場にゲーを吐いた。
夫のバックバックもげろまみれである。
横のドラム缶に顔をつっこませ、しばらく静止。
他の乗船者の方々はくじらやイルカを見ていた。
一方でげろを吐きまくる私たち・・・・

吐いたらちょっとはすっきりしたのか、唇の色がピンクに戻って来た。

でもまだ12時半にはならない。
長い長い航海(じゃないんだけど)。
つくづく寛平ちゃんを尊敬するし、なんでこんなしんどいことやんの?
海で働く人も大尊敬。陸が見えない所で、海賊だって出るだろうに、どうしてそんなこと出来るの?
私らはたったの3時間のホエールウオッチングなのに、あの人は太平洋を渡ったんだもんなあ・・・
水中翼船だったら広島に行って帰ってるよ・・・

もうクジラどうでもいいです。

一応全部見れたので、船は港に戻り始めた。

やっと戻れる・・・嬉しい。

横にいた赤ちゃん連れのお母さんもぼろぼろになっていた。
赤ちゃんはずっとずっと泣いたまま。お母さんも吐く所までは行かないけど、結構きつそうだった。
「早く帰りたいですねぇ」 
とお互い言った。

港に着いたら本当にほっとした。
ぞな子も急に元気になった。
降りたら係員が、
「次は釣りツアーがあります」
と、笑顔でちらしを配っていた。
行けるかいっっっ、この状態で

予定ではスムーズに帰宅し、アメリカvsカナダのアイスホッケー決勝線をライブで見る予定であった。
しかし、ぼろぼろの私たちは帰宅して、そのままぶっつぶれて寝た。
夕方起きて、食材を購入し夕食を食べながらホッケーの決勝戦を見た。
それはそれは盛り上がった。

就寝時、娘は海のイメージが残っているのか、
「ばかばかばかばか」
と、頭をたたいた。
それを3回繰り返した。
忘れるために、こうするんだそうだ。

今日は本当にえらい日だったよね。ぞな子もよく頑張った。お母さんもよく頑張った。
最初で最後でもいいと思える日でした。