ぞな通信

四国・松山生まれ、在米25年、Zonaの日常生活。

マンモスバスツアー

2010-02-01 23:43:40 | Weblog
土曜日は久しぶりにお休みをとり、マンモスへスキーに行ってきた。
スキーは去年近場に1回行ったけど、娘にスキーをさせるのが目的だった。その目的を達成できたのは嬉しかったけど、私は本当にひどかった。娘をスクールに入れている間バンバン滑るつもりが、予想を裏切り、たった1本で滑るのを辞めてしまった。辞めたのは、あまりにも体力がなくなっていたからだ。天気が悪かったのもあったけど、もう息切れがひどい。
滑るのがしんどくてしょうがなくて、情けなかった。

だから今回真面目なスキーをするのは、実質20年ぶりぐらいになる。
果たして大丈夫だろうか・・・
怪我だけは避けなくっちゃ。

マンモスは行くのに車で5-6時間かかるので、行こうとも思わなかったスキー場だ。それこそ20年前に1度だけ行ったスキー場だ。でも全米でもトップクラスに入るスキー場だと思う。こんなスケールのでかいスキー場はない。ここに毎週末行く強者もいる。社会人でだ。
遠いのと面倒くさいので行かなかったけれど、今回はバスツアーを企画してくれる人がいた。
彼が「キャンセルが出たから行かない?」と誘ってくれた。

土曜日は娘の日本語学校もあるので、申し込みもしなかったけれど、偶然お泊まりの誕生日会に招待されていた。娘がお泊まりなら私、家にいなくてもいいじゃん・・・・
そう思うと、一人でも参加できないか考え始めた。
誘われてから、俄然家事に力を入れ始め、急に良い奥さんになった。

夫に、「私一人で行っていいかなあ、どうせぞな子はお泊まりだし」と話すと、「いいよ」と言ってくれた。
やったぜ
ちなみに夫はスキーは出来ない。だからはなから頭に入ってない。ははは・・・。 
こういうとき仕事を持って対等な立場になっていると助かる。なーんも引け目感じることないもんね。

ツアーには私のようなお一人様も何人もいるそうだ。だから全然気にならない。

金曜日の夜11時半に近所のホテルに集合し、12時前には出発した。
夜出発して、土曜の朝スキー場に到着し、土日滑って、日曜日の夜戻るという、強行スケジュールだ。
こんなスキーツアー今時ないぞ。
しかし、参加者はいたのだ。それも良い年した人ばっかり・・・・すごいぞ!

その日、9時前まで仕事をしていたので、バスの中で眠らないと絶対怪我する、と思い込んでいた私は、寝袋と枕を持参し、バスの中で寝る努力をした。うとうとしながらも、多少なりとも寝ることができた。もちろん完璧にはほど遠いけれど、91歳の参加者もいたのだ。このくらいで文句を言っちゃ罰が当たる。
明け方5時にはマンモスに着いた。運転手さんぶいぶい飛ばしたようだ。

持ってきたパンを食べ、着替えて、レンタルスキーをした。
これらのコーディネートはK隊長がすべて引き受けてくれた。
K隊長は長野県出身のスキーヤー。ちゃんとした仕事はあるが、山とスキーが大好きで、毎週と言っていいほど、スキーをしてるマニアだ。マンモスの山を知り尽くしている男とも言える。
彼の熱意にみんなが付いていっているという感じだ。

マンモスに着くと、あまり天気がよくない。吹雪いている。
こわいなあ・・・
まだ参加者全員のことがわかってないので、慎ましくついていった。

K隊長の友達が合流してきた。彼は元カナダのナショナルチームのコーチだ。そんな人と滑るんかい・・・
参加者のKRちゃんはスキーの先生をしていたこともあるし、60歳の元国体選手もいる。彼女はスキーの特待生でその昔大学に入った人だ。年はとっていても筋肉が記憶しているのか、素晴らしい滑りをしていた。
午前中は私は途中ではぐれてしまった。
足ががくがくする。息もすぐあがる。
大きいスキー場なので、集合場所に戻って待っていた。

みんなでランチを食べながら、休んでいると、両すねがつりはじめた。
ぎゃ~痛い!!!
しかし、迷惑をかけてはならん。
靴を脱いで、丹念にストレッチ。おばちゃんなんだからここのとこじっくりしとかないと。

そうこうするうちに、みんなの食事も終わり、午後の部開始。
完全に合宿モードだ。
K隊長を先頭に、がんがん滑り始めた。
しかし、みんなよくついていくよなあ・・・・
私は、かなり息が荒かった。
標高差がかなりあるというのもあった。頭痛もした。でも滑る度にだんだん体が慣れてきた。
25年前とスキーがすっかり変わっているので、滑り方も先生をしていたKRちゃんも快く教えてくれた。
カービングスキーってすごいなあ・・・・・本当に昔とは違うんだねえ・・・・。

バスの集合時間ぎりぎりまで滑った。
トレーニングを欠かさないKRちゃんとK隊長以外は全員へろへろである。

後に同郷の人だとわかったHさんは、
「これは完全に合宿ですね・・・・想像していたスキートリップとはかなり違いました・・・・」
と言っていた。
同感です・・・・

帰ったらすぐお風呂に入ったが、半分眠っていた。

夜は、用意の良いK隊長が鍋とコンロと材料を持参していて、部屋で鍋をすることになった。何故かお酒もたくさんあった。
これ全部もってきたの?・・・・すごい・・・・・。
みんな準備良すぎる。見習わないと。

お鍋をつつきながらいろんな話をした。
皆さん駐在だったり、現地で仕事をしたり、いろいろなバックグラウンドがある。
中でもHさんは東高出身だということがわかり、エミフルから2-3分の距離にご実家があるとわかった。もう驚愕である。
なんで雪なし県出身の彼がスキーがうまいかというと、社会人になって函館に転勤になった3年間で友達に教えてもらったそうだ。やっぱり住む所で遊びが変わるんだなあ・・・・
そして、もっとびっくりしたのは、私よりずっと年上だと思っていたHさんが、4つ年下だと判明したことだ。
彼は、
「僕は老け顔なんです・・・・」
と何度もおっしゃっていた。
それより、私も45だし、駐在で来る人たちが自分より若いのが当たり前だ。そこを錯覚しておった。いかん、いかん。
全員、その日の練習メニューが相当きつかったと言っていた。でも付いていってたよね。
私も気合いだけはいれにゃーと思い、
「行くぞ~!」と大声だけは出していた。もう後半はやけくそである。
気合いを入れないと怪我をしそうになる。だから空元気でがんばった。
それぞれの会社に帰れば、それなりの立場におられる方達だが、そのときばかりは一人の人間としてスキーを全力で楽しんでいた。
最高!!!!

8時になると私はもう睡魔につぶされそうになった。前日のこの時間、私はまだオフィスで働いていたはずなのに、もうスキー場にいる。やればできるじゃん、自分。
そして、もう限界だったので、

「お先に寝ます」

と、先に自分の部屋に戻った。

ホテルの部屋を一人で泊まるのなんて、父の葬儀で帰国して以来だ。
寂しいかな・・・・なんて思う間もなく、疲労で爆睡した
そして夜中1時頃、足がつって起きた以外、朝まで爆睡。

気がついたら窓の外が明るい・・・・

びっくりして飛び起きたら、7時になっていた。
やばい。今日の出発は8時だ。
急いで準備をして、下で簡単な朝ご飯を食べて準備した。
ちなみに朝食はスーパー8にあったようなワッフル焼き機とジュース、コーヒーがフリーで置いてあったので、それを各々で焼いて食べた。こういう簡易な朝食は本当に助かる。日本もsit down形式じゃなくて、こういう簡単ならいいのにね。

朝食をがっついていると、徐々にロビーに参加者が集まって来た。
えらいことに、前日のK隊長の部隊というか部員は全員起きて準備していた。
みんなすごいぞ~!
体が痛いとか、今日もえらい、とか言いながらだったけど。

日曜日も午前中びっちり滑った。
その日はいろんなバーンでレースが行われていた。
回転、大回転、X系のジャンプなどなど。
未来のオリンピック選手の卵たちがばんばん滑っていた。

セレブ系のベイル(コロラド州)スキー場にいったことのあるKRちゃんは、
「あそこはミンクとか毛皮とかを着て喜ぶリゾート。スキー場自体は大したことがないから行かなくていいですよ。滑る人を対象にしたスキー場はここ。マンモスが一番いい。」
と教えてくれた。

K隊長は山を知り尽くしているので、「どこに何時に行けば良い」とか、「このリフトがすいているから今行こう」とか、「ランチは早めにとって、午後たくさん滑ろう」とか、「ここからトラバースしてあっちのコースに行ってそこに集合」などと、的確な指示を与えてくれる。私たちは彼に付いていけばいいだけだ。隅から隅まで滑りまくった。

最後のランのときは、足が弱って踏ん張りが効かなくなるのがわかった。

飛ばして降りていたとき、スピードに負けてバランスを崩して、自分の板を踏んでしまった。と思ったら2-3回転してゴーグルも帽子も板も吹っ飛んで、頭を強打して転倒してしまった。

(うわっっっ、足が・・・・)

と、思うと同時にごろごろ体が回転して、最後に頭をバーンに打ち付けた。

いってー!!!!!

後ろから「大丈夫~!?」と助けに来てくれた。
心配をかけてはならないから、転んだときはサッと立つ。
でもふらふらした。
無茶はいかん。トレーニングをちゃんとしてないからこうなったんだ。自業自得。

「すみません。ありがとうございます。」とお礼をいって、滑り始めた。
気をつけなきゃ。

そしてあとロングをあと1本で終わり。
全員で滑った。

そして集合の時間。

全員が疲れたけど、本当に満足した濃厚な二日間をすごした。

91歳のお母さんを連れて来ていた方、80歳のお母さんを連れて来ていた方もいた。この強行スケジュールに来ようと思うお母様方に脱帽だ。すごいよ。

現役ばりばりにスキーを滑るK隊長にも脱帽である。まいった。

こんな壮快な体験を出来るなんて夢にも思わなかった。
がんがん滑ったからよかったんだよね。
なんだか絆のようなものが出来て、帰ってからも良い意味で元気が維持できた。

夜になって私は転倒で怪我した首がむち打ちのようになって、寝るとき支えないと寝れなくなった。これは想定外。

翌日月曜は参加者全員がそれぞれの仕事に出社しているはずだ。
私も朝から終日ゴンドラ20本分ぐらいのハイペースで仕事をした。
くったくた。でも壮快。

やれば出来るんだなあ。
本当に素晴らしい人たちと出会えて、こんな学生みたいなことを出来ることを幸せに思った。
また行こーっと。