先週の痛みがあまりにもキツかったので、未だにある鈍痛に慣れてしまった状態です。激痛時に処方された薬は副作用で気持ち悪くなると言われた通りだったので、(食欲もなくなる)次回の予約時(10日)まで、薬無しに我慢の時期です😣
ところが私が少し落ち着いたところで、それまで慣れない家事をやってくれていた(とにかく痛さで微動だにできなかったので)主人が、今度は体調不良になりました。
急に将来の老老介護が不安になりました。
その為に自分の健康は自分でしっかりケアしないと。
まずは、歩けなくなる事が1番の恐怖、そして内臓疾患。
義母は今年100歳。
今でこそ施設ですが、以前は2世帯で同じ屋根の下に暮らしていました。
5,6年前、施設に自ら入所した時、義弟(シングル)が電話で「今までありがとう。もういいよ」
と言ってくれたので、真に受けてその後一度も訪問していません。
母が1番お気に入りの義弟が、甲斐甲斐しく面倒をみているし。
ただ未だにスタスタ歩いているとか。
そこで義母と一緒に出かけた(義弟が心配してコンサートのチケットなどを2人分手配していた)時や、日常生活を思い出す事で、今後自分がいかに元気で過ごせるか考察したいと思います。
(休みだし鈍痛で出かけられないので、長文になります)
まず義母はとにかく健脚。
「今の人は富士山へ車で中腹まで行っちゃうんでしょう?私なんて下から登ったわよ。」
基本登山好き。
晴天の日は小ぶりのリュックを背負って、嬉しそうに早朝から出かけていました。
また私がじっと家にいると、
「じっとしてないで、外へ行きなさいよ。
◯◯とか◯◯とか、私は何度も行ったわよ。」
私がカメラ散歩に行くようになったのも、そうした義母の言葉がきっかけです。
そして精神的にも老人だという意識がない。
ある日電車に昼乗っていると、
「何か周り、年寄りばっかりねー」
(って義母が一番歳上っぽいんですけど)
コンサートに行っても、
「歳とった人多いわね〜💦」
「あ、若い人もけっこう来てるのね」
とホッとした表情。
それから病気は基本ストレスの結果が多いと思いますが、義母は一切ストレスを溜めない。
=要するにやりたくない事はしない、会いたくない人には会わない、もらいたくない物は返す。疑問があったら知らない人にも聞く。
掃除好きですが(身体動かすのは好き)、料理嫌い(と自分で豪語、それでいて口が肥えているので、美味しい物を少量購入で満足)
いらない物はもらわない。
私が作った料理も「食べたからいらない、これは好きじゃないからいらない」
電車内で大荷物が邪魔だとそれを持っている人に、
「この中身はなんですか?」
自由奔放な人生です。
まあ、過去に色々我慢があっての反動かもですが、「本当にストレス溜めない生き方=平和で恵まれた環境だからこそ だなあ」と思っていました。
旅行好きなのも(1道1都2府43県ほぼ制覇らしい)、先立つ物がないとできませんけどね←ここ重要。(ただ義母は株はやっていたらしい→これも元値がないと💦)
そこは私は遠足の範囲で。
それから基本、依頼心がないです。
ゴミの日、一緒に袋を集積所まで運ぶ時、
「あなた、大きなゴミねぇー、持ってあげるわよ。」
ってそれ、こっちの言葉ですけど💦
普段自転車を乗り回していたけど、一度ハンドルの不具合で転倒して骨折した時は、病院の階段で、必死にリハビリ。
退院後、義母のリビングに行くと、杖代わりに(車椅子や杖は絶対使わず) 枝のついたモップで頼りつつ床掃除をしていました。
そんなサバサバした義母なので、たまに傷つけられる言葉を向けられる事もありましたが、それは本音が出ただけで。
要するに常に、自分に正直に生きているのかな。
そんな義母との生活を思い出して、私も健脚、かつ病気知らずで過ごしていかねばと自戒するのでした。
なので、
「歩くようにする」
「好きな熱中出来ることを見つける」
「この期に及んで、あまり我慢はしない」
「自分でできる事は自分でする」
という事ですかね。
ただし、義母の健康の原点は母大好き独身義弟との相思相愛が大きいとは思いますが😅(夫代わりか💦)