Rの気まぐれnote

カメラ散歩と気ままなつぶやき日記

ダジャレカレンダー(4月分だけど)からの考察①

2021-05-17 07:37:00 | 日記


今回、肩の痛みで大騒ぎした時、家庭や職場では皆に助けてもらいました。
なのでこの
「one team(ワン チーム) のりきるワン!」
のフレーズにやけに食いついてしまいました。

周りの人達の助けがあって、好きな事も面倒な事もやっていけるのだなと。
そして、落ち込んだ時の周りの人達からの優しい言葉がなんて重くて大切な物になるんだろうと。

職場の人達は団塊ジュニア世代が多いから、逞しい。エネルギッシュなパワーを持ちながらも気遣いもしっかり持っている。
くじけそうになった私を何とか引っ張り上げてくれました。
家では普段からマイペースな主人が動き回ってくれました→そのせいで体調崩したのは課題になったけど💦
友人がブログを見て、メールくれました。

言葉ってキツイ投げかけをすると「ナイフ」になるっていうけど、寄り添った声かけは「良薬」にもなるのだなと。
あ、「言葉の処方箋」という本があったような。

自分の健康はしっかり管理しつつ、気遣いも忘れない心の健康も保っていかないとですね。

終わりよければ ⓶

2021-05-10 18:29:00 | 日記
そしてゴールデンウィーク明け、近くに住んでいる娘が、1ヶ月ぶりに連絡してきて、
「9日の日曜日に行くね」

お昼に食べたい物を購入してきてくれるというので、(ゴールデンウィーク中も商店街のテイクアウトなどで済ましていたけど),気になっていてまだ訪問していなかった「山本のハンバーグ」のお弁当を頼みました。
うちは10歳上の主人も息子も肉大好きだし、私もパワー付けに食べたかったのです。
ハンバーグって、家で作っても中々納得のいくのができないのは、ひき肉の選定が悪いからかなぁ?

そしてこの度、職場の人達にも迷惑をかけたのでお礼の品とウチ用にケーキ(お酒より甘党であります)を購入の為、ジュン ウジタへ行きました。



オープンすぐに行ったのに、すでに外に6人程並んでいました。(店内人数制限の為)
最近は甘党男子も増えたので、客も半々。

まずはお昼に娘が購入してくれたお弁当をジャーン。


(撮るの忘れ、ネットより拝借)
普通の感じだけど、それぞれ美味しかったです。 
普段ブロッコリーは食べない息子も、「これ美味い!」
え?何で?
揚げたブロッコリーに何か味つけてる。
ハンバーグもボリュームありました。
(商店街の店舗もイートインの人でいつも混雑)

次は娘が来ると、いつもオススメの映画を紹介してくれます。
最初は、Netflixで「ナイブズ アウト」
イギリスのシャーロック ホームズやポワロ風だけど、刑事コロンボを彷彿とさせる展開。主役はかつてのジェームズ ボンドのダニエルクレイグ。
移民問題も絡めているので、正にアメリカ風。コメディタッチでもあるのかな?
(娘は一応アメリカで生まれたけど、何も喋れず2歳で帰国)

もう一つは「トイストーリー4」
これって完全に主人公達に郷愁を覚えるのは大人なのでは?
ディズニー、ピクサーの技術力やパワーに毎回圧倒されます。

まったり過ごしてたら、今度は娘が料理を始める。

「甘辛ヤンニョム チキン」
「レンコンの青のり焼き」
「中華風スープ」
ご飯にもお酒にも合うから良く作ると、サクサク作ってくれました。
(スープは鶏がらスープよりウェイパー使って とかワカメやネギも入れて とかリクエストしましたが)

そして外出から帰ってきた息子が、
「はい、これ」
一応青山フラワーマーケットで購入したというカーネーション。


何か珍しく家族揃っての夕食になりました。
慌ててテーブルにセットしたので、めちゃ雑然としていますが。

綺麗なテーブルコーディネートは、まずは器とカテラリー、テーブルクロスやランチョンマットなんですけどね、
母の私が適当でした💦
そのうち誰かに習いましょう。

食後のデザートのケーキ


甘党家族は全て味見したいので、4等分して分けるのが我が家流。


昼夜肉、そしてケーキと、全体的にもの濃くてヘルシーではないけど、今日はパワー付けの日でした。

。。。と、今月前半は何とか、痛みの苦しみを忘れさせてくれる良い思い出ができました。

仕事はちょうど1週間分休んでしまったけど、また明後日からは無理しない程度に頑張らなきゃ。

いや、引退生活にも憧れるぅ〜😅



終わりよければ ①

2021-05-10 17:14:00 | 日記
今年のゴールデンウィークは緊急事態宣言も出ていましたが、肩の痛み+精神的苦痛もあって印象に残らない最悪なシーズンでした。

ところが休み明け、差出人が英語の薄っぺらな封書が来ました。
私は何かの宣伝か冗談かと思いましたが、主人が、
「あ!アメリカの財務省からだよ!」
「えっ!えーーー?!」
な、何と小切手が送られてきたのです。


それも1,400$のがペラっと。

主人が調べると、バイデン政権になってからのコロナ対策の給付金でした。(3回目らしい)
うちがアメリカにいたのはもう30年程前。
5年駐在していたので、帰国してから年金も出るようになったのですが、何と!給付金の恩恵まで受けるとは!
さすが!アメリカ、太っ腹!

駐在した頃は日本企業がアメリカを席巻していて、タイムズスクエアの広告も日本企業ばかりだったけど、今はすっかり影を潜め。
アメリカのGAFAが力つけてからは日本は小さくなってしまいました💦
それでも日本まで送付してくれたんだ。

私が動けない時、慣れない家事をやっていた主人も一時体調不良で発熱まで(高熱にはならず、すぐ下がった)したのを、何とか落ち着いてきた頃合い。
わあい!お見舞い金じゃない?タイミング的に。
。。と都合良くとる私。

アメリカの経済力の底力を見た感じですが、保険制度に関しては、日本国民は平等の医療が受けられるし、日本人固有の気配りやサービスの充実度、食やその他への繊細な感覚、そして清潔で安全な所は誇れる点。

安住できるのはやはり日本ですね👍



義母の行動による長寿への考察

2021-05-05 08:46:00 | 日記
先週の痛みがあまりにもキツかったので、未だにある鈍痛に慣れてしまった状態です。
激痛時に処方された薬は副作用で気持ち悪くなると言われた通りだったので、(食欲もなくなる)次回の予約時(10日)まで、薬無しに我慢の時期です😣

ところが私が少し落ち着いたところで、それまで慣れない家事をやってくれていた(とにかく痛さで微動だにできなかったので)主人が、今度は体調不良になりました。

急に将来の老老介護が不安になりました。
その為に自分の健康は自分でしっかりケアしないと。
まずは、歩けなくなる事が1番の恐怖、そして内臓疾患。

義母は今年100歳。
今でこそ施設ですが、以前は2世帯で同じ屋根の下に暮らしていました。
5,6年前、施設に自ら入所した時、義弟(シングル)が電話で「今までありがとう。もういいよ」
と言ってくれたので、真に受けてその後一度も訪問していません。
母が1番お気に入りの義弟が、甲斐甲斐しく面倒をみているし。
ただ未だにスタスタ歩いているとか。

そこで義母と一緒に出かけた(義弟が心配してコンサートのチケットなどを2人分手配していた)時や、日常生活を思い出す事で、今後自分がいかに元気で過ごせるか考察したいと思います。
(休みだし鈍痛で出かけられないので、長文になります)

まず義母はとにかく健脚。
「今の人は富士山へ車で中腹まで行っちゃうんでしょう?私なんて下から登ったわよ。」
基本登山好き。
晴天の日は小ぶりのリュックを背負って、嬉しそうに早朝から出かけていました。

また私がじっと家にいると、
「じっとしてないで、外へ行きなさいよ。
◯◯とか◯◯とか、私は何度も行ったわよ。」
私がカメラ散歩に行くようになったのも、そうした義母の言葉がきっかけです。

そして精神的にも老人だという意識がない。
ある日電車に昼乗っていると、
「何か周り、年寄りばっかりねー」
(って義母が一番歳上っぽいんですけど)
コンサートに行っても、
「歳とった人多いわね〜💦」
「あ、若い人もけっこう来てるのね」
とホッとした表情。

それから病気は基本ストレスの結果が多いと思いますが、義母は一切ストレスを溜めない。
=要するにやりたくない事はしない、会いたくない人には会わない、もらいたくない物は返す。疑問があったら知らない人にも聞く。

掃除好きですが(身体動かすのは好き)、料理嫌い(と自分で豪語、それでいて口が肥えているので、美味しい物を少量購入で満足)
いらない物はもらわない。
私が作った料理も「食べたからいらない、これは好きじゃないからいらない」
電車内で大荷物が邪魔だとそれを持っている人に、
「この中身はなんですか?」

自由奔放な人生です。
まあ、過去に色々我慢があっての反動かもですが、「本当にストレス溜めない生き方=平和で恵まれた環境だからこそ だなあ」と思っていました。
旅行好きなのも(1道1都2府43県ほぼ制覇らしい)、先立つ物がないとできませんけどね←ここ重要。(ただ義母は株はやっていたらしい→これも元値がないと💦)
そこは私は遠足の範囲で。

それから基本、依頼心がないです。
ゴミの日、一緒に袋を集積所まで運ぶ時、
「あなた、大きなゴミねぇー、持ってあげるわよ。」
ってそれ、こっちの言葉ですけど💦

普段自転車を乗り回していたけど、一度ハンドルの不具合で転倒して骨折した時は、病院の階段で、必死にリハビリ。
退院後、義母のリビングに行くと、杖代わりに(車椅子や杖は絶対使わず) 枝のついたモップで頼りつつ床掃除をしていました。

そんなサバサバした義母なので、たまに傷つけられる言葉を向けられる事もありましたが、それは本音が出ただけで。
要するに常に、自分に正直に生きているのかな。

そんな義母との生活を思い出して、私も健脚、かつ病気知らずで過ごしていかねばと自戒するのでした。
なので、
「歩くようにする」
「好きな熱中出来ることを見つける」
「この期に及んで、あまり我慢はしない」
「自分でできる事は自分でする」
という事ですかね。

ただし、義母の健康の原点は母大好き独身義弟との相思相愛が大きいとは思いますが😅(夫代わりか💦)


日立海浜公園 ネモフィラ

2021-05-03 22:30:00 | 日記
4月19日(月曜日)は朝から気持ちの良い晴天だったので、どこかに飛び出したい私は、話題になっていた「日立海浜公園のネモフィラ」を見に行きました。

(この記事はずっとアップしたかったのですが、時間がなかったのと体調が悪かったので遅くなりました。)



混雑する前にと、公園オープン時間頃に到着するよう7:15品川駅発の常磐線特急「ときわ51号」に乗り込みました。
(車両内はガラガラ)
ゆったりしたシートで旅行気分。2時間かかるので、中々読めなかった文庫本を持ち込んだら、ほぼ読破。

勝田駅に到着したら、今度はバス停まで早足で行きます。
うわ、すでに沢山の人。
お天気もいいから、みな出足早い。

主要道路沿いに綺麗に植え込まれたツツジは満開で、赤やピンクが綺麗。
バスに揺られ25分程で漸く会場に到着。
入園券はバスに乗る前に共通券として既に購入していたので、早速そこからネモフィラ園までひたすら歩きます。


見えてきました。
遠くに青い小山。



まず出会ったのは菜の花とネモフィラのコラボ。




いよいよネモフィラの丘を上がって行きます。







すると途中でインコちゃんに出会う。


インコを2羽連れた男性がネモフィラをバックに撮影していたので、便乗しちゃいました。


下の方には菜の花畑と屋根を綺麗に手入れした古民家。


途中にあるシンボルツリー。
そして向こうには海が見えてきます。


眼下には園内を走るトロッコ。
(コキアを見に来た時と同じ構図?)


しかしよくもまあ、これだけの広さにネモフィラを育てたものだわとその手間と熱量に感動するばかり。

そしてこの可愛いネモフィラを見ると、日本人にぴったりの花なのではと思ってしまいます。
小ぶりで可憐だけど密集して存在感を出している。


コロナ禍の中なので、制限される道順を指示されるままに黙々と、いえ、感嘆の声を上げながら整然と歩く人々。
青い小山を降りてきました。

古民家の屋根もじっくり観察。
ここにも日本人の丁寧で繊細な仕事ぶりが見えます。
今回中には入りませんでしたが、

「旧土肥家住宅は、江戸時代前期と中期に稲敷市下太田の利根川に沿った新田開発に合わせて建てられた東日本では最も古い民家のひとつです。1981年から1982年にかけて解体され、保管されていた部材を用いて2010年に当公園に移築復元しました。」
HPより


なんか美しい。


チューリップ畑は今回スルーして、正面ゲート方面に戻ってきました。
橋を渡り、


水仙畑を抜けて、






楽しみの一つ、レンタルサイクリングをします。


水仙畑と木立が爽やか。


ウグイスがあちらこちらでさえずっている林を抜けて行きます。
気持ちいい〜。


結構アップダウンがあるので、アシストに慣れた私にはキツく感じましたが、ぐるっとネモフィラの小山の裏手に回ってきました。


そして大好きな海が見えるスポットで自転車を置き、砂地を歩きます。









気持ち良いなぁー。



しばらく佇んでいました。

その後観覧車の近くまで来ましたが、秋と違いお花畑にはまだあまり出会えませんでした。


かろうじてクルマギクが咲き始めていたかな。

スタート地点に戻って自転車を返却した時初めて、アシストもあるのを知りました。
いやぁ、結構キツかったな。

開園時間頃に入園したので、そろそろお昼。

コキアで来たときより、お祭り時のような食べ物の出店がたくさんあり、行列のある店舗もあったけど、このお弁当にしました。





はまぐり飯
大きなはまぐりがごろごろ入っていて美味しかったです。

心地よい疲れで満足してお昼ちょい過ぎには海浜公園を出ました。
(そこからの帰りが遠かったけど😅)