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ひろむしの知りたがり日記

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制剛流 梶原一族 (1) ─ 2世 梶原源左衛門直景

2013年11月16日 | 日記
今回取り上げる制剛流は前回、前々回で紹介した渋川流や小栗流同様、捕手、小具足、縄、当身、組討、居合に及ぶ総合武術です。それらのうち居合は、独立の一科としても盛んに行われました。
流祖は水早長左衛門信正<みずはやちょうざえもんのぶまさ>です。天正年間(1573~1592)初め頃の生まれとされますが、生年、生国ともに不明で、没年は寛政15(1638)年前後と考えられています。一説に京都の人で、豊臣秀吉に仕え、秀吉の死後は浪人して摂津国(大阪府西部・兵庫県南東部)に隠棲したといわれています。若くして武芸十八般を極めた信正は、制剛僧という高野<こうや>の山法師から柔術を学びました。それからさらに研究を重ね、五身伝20ヶ条ヤワラ組討を発明してこれを教授しました(ヤワラは、本当はにんべんに和という字を書きます。柔術のことです)。
制剛流という流名の由来は師の名を冠したものとされますが、『日本武道全集』などに収められた『印可状』を見ると、「老子に謂う、至柔よく至剛を制すの義也。これを称えてすなわち制剛一流と曰う也」とあります。
信正の教えを受けた者の中には、錚々たる顔ぶれが並びます。新陰流剣術の柳生石舟斎宗厳、宝蔵院流槍術の宝蔵院胤栄<いんえい>、能楽師で、宗厳から新陰流を学んだ金春七郎氏勝<こんぱるしちろううじかつ>らが、信正から印可を与えられています。

制剛流2世となり、同流発展の端緒を開いたのは梶原源左衛門直景<げんざえもんなおかげ>です。慶長15(1610)年の生まれで、前名を弥市右衛門といいました。
祖父の備前守景規は、相模国小田原(静岡県)の北条氏第5代氏直に仕えていました。天正18(1590)年に北条氏が滅亡した後、父兵部景通<ひょうぶかげみち>は美濃大垣藩戸田左門氏西に仕えましたが、寛永5(1628)年に浪人し、直景は父とともに摂津国に移り住み、名を口演随身<こうえんずいしん>と改めます。
兵法者として立つことを志し、水早信正にヤワラ・組討の術を、また河上伊左衛門重忠<しげただ>(河上流居合・捕手)に抜刀手詰の術を学びました。寛永20年7月には、信正から免許を受けています。
さらに浅山一伝流捕手、竹内流小具足腰廻<こぐそくこしのまわり>、難波流、一無流、戸田流平法、鐘捲流刀槍術を修め、高野山で真言秘密を学びました。特に制剛流はその奥義を極め、諸国を遊歴しましたが、1人として直景に敵う者はいなかったといいます。体術に達し、居合・抜刀を工夫して一流を立て、一時、柳生流居合を称しましたが、やがて江戸へ出て両国に道場を開き、「制剛流ヤワラ組打骨砕キノ傳」という看板を掲げると、多くの門弟が集まりました。

この頃直景は、尾張藩初代藩主徳川義直<よしなお>が士を愛すると聞き、仕えることを望みます。そこで義直は、直景に力士御用木(小野川とも)と試合をさせました。御用木は長身肥大、それに対して直景は小躯で、とうてい勝負になるまいと思われましたが、驚くべきことに直景は、一撃で御用木をなぐり倒してしまったのです。義直は直景の技を賞し、正保元(1644)年2月、寺尾土佐守直政の同心として召し抱えました。直景は禄150石を給せられ、晴れて梶原姓に復します。
それ以降、源左衛門(弥市右衛門)景明、猶右衛門景政(景格)、久右衛門景益、直之進景慶、弥市右衛門景長、久右衛門景弘、弥市右衛門景登、弥市右衛門景富と9代にわたって柔術師範役を勤め、幕末に至ります。尾張藩で行われた制剛流は俗称、梶原流と呼ばれました。直景は貞享2(1685)年4月22日に76歳で亡くなります。名古屋の妙本寺に葬られ、法名は心聰院蓮順日喜とつけられました。

梶原直景の墓(名古屋市・平和公園内妙本寺墓地)

直景の門からは、優れた武術家たちが巣立ちました。
里村随心<さとむらずいしん>政氏(正氏)は、制剛流のほかに堤宝山流9代の武藤徹山に学んで随心流を起こしています。その政氏の門からは、高橋流の高橋随悦諸氏、鑑極流(和田流)の和田十郎右衛門正重が出ました。またやはり直景門下で、その子景明の後見を務めた猪谷忠蔵元和の門流からは、制剛心照流の宮崎只右衛門重職(睡鴎)が出ています。
このように制剛流とその流れを汲む流派は、柔術の一大潮流として発展していったのです。

【参考文献】
今村嘉雄他編『日本武道全集』第5巻〈柔術・空手・拳法・合気術〉人物往来社、1966年
綿谷雪・山田忠史編『増補大改訂 武芸流派大事典』東京コピイ出版部、1978年
綿谷雪著『完本 日本武芸小伝』国書刊行会、2011年

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