ひろむしの知りたがり日記

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姿三四郎と天神真楊流

2013年02月24日 | 日記
1992年に開かれたバルセロナオリンピックの男子柔道71kg級で金メダルを取った古賀稔彦<こがとしひこ>が「平成の三四郎」、古賀のコーチを受けて2004年アテネ、2008年北京の女子63kg級で連覇を果たした谷本歩実<たにもとあゆみ>が「女三四郎」と呼ばれたように、姿三四郎といえばズバ抜けて強い柔道家の象徴的存在です。講道館四天王の1人、富田常次郎<とみたつねじろう>の子である小説家富田常雄<つねお>が生み出したこの武道小説のスーパースターは、明治の世に新しく出現した柔道の命運を担って心明活殺流<しんめいかっさつりゅう>の門馬<もんま>三郎や良移心当流<りょういしんとうりゅう>の村井半助・檜垣源之助<ひがきげんのすけ>ら古流柔術家と戦うのですが、彼自身、紘道館<こうどうかん>の矢野正五郎<しょうごろう>(講道館柔道の創始者嘉納治五郎<かのうじごろう>がモデルです)に入門する以前は、やはり柔術を学んでいました。

小説『姿三四郎』には、弟子入りしようと門馬の道場を訪れた三四郎が、故郷の会津でやっていた流派を聞かれて「天神真楊流<てんじんしんようりゅう>の大曽根俊平<おおそねしゅんぺい>という人」に教わったと答えています。『姿三四郎』には、この大曽根先生が72歳のおジイちゃんだったことが触れられているだけで、三四郎の天神真楊流修行時代についてそれ以上の記述はありません。しかし、実は富田常雄には、そのあたりの物語が書かれた「姿三四郎エピソード0 <ゼロ>」とでも呼ぶべき作品があります。少年少女向けに書かれ、その名も『少年姿三四郎』といい、これまた『姿三四郎』同様、映画化もされています(「第一部 山岳の決闘」1954年4月13日公開、「第二部 大川端の決闘」5月25日公開)。それには磐梯山<ばんだいさん>に住む、「天狗仙人」と呼ばれていた大曽根に15歳で弟子入りした三四郎が、天神真楊流を身につけて荒くれ猟師や悪辣な柔術家との死闘を経て、やがて矢野正五郎と出会ってその鬼神の如き強さを目の当たりにし、感激して紘道館に入門するまでが描かれているのです。
この『少年姿三四郎』は出版社を変えながら何度か本になっています。僕が読んだのは、昭和48(1973)年に少年少女講談社文庫として出されたもの(杉尾輝利・絵)ですが、ジュニア向けとはいえ、手に汗握る格闘シーンなど読み応え十分で、ワクワクしながら読んだ記憶があります。

本宮ひろ志がマンガ化した『姿三四郎』(講談社)

さて、少年三四郎が学んだ天神真楊流ですが、これは江戸時代も終わりの頃になって現れた柔術の一流派で、磯又右衛門<いそまたえもん>が、楊心流<ようしんりゅう>と真之神道流<しんのしんとうりゅう>の2流を合わせて作ったものです。又右衛門は文化元(1804)年頃、伊勢国松坂在勤の紀州藩士の家に生まれました。最初の名を岡山八郎治<はちろうじ>といい、一時、栗山又右衛門と称しましたが、幕臣磯家の家督を継いで磯又右衛門正足<まさたり>となりました。柳関斎<りゅうかんさい>とも号しています。
幼少の頃から武術を好み、15歳の時に京都へ出て楊心流の一柳織部義路<ひとつやなぎおりべよしみち>の門に7年学びましたが、一柳の死後は真之神道流の本間丈右衛門正遠<じょうえもんまさとお>(環山<かんざん>)に入門し、わずか6年足らずでその奥義を極めました。
武勇伝もあります。廻国修行の途中、東海道草津宿で人助けのために門人の西村外記之輔<げきのすけ>とたった2人で100人余りの敵を相手に戦い、見事追い散らしたといいます。その際、初めて当身<あてみ>の効用を悟って修行を重ね、楊心流と真之神道流を合わせた上に新たな工夫を加えて天神真楊流と称し、江戸の神田お玉が池に道場を開きました。のちに幕府講武所の柔術師範に任じられるなど天神真楊流は隆盛を極め、門人の数は5,000余人に及んだといいます。

話を『姿三四郎』に戻しましょう。三四郎の師匠である矢野正五郎も、その修行時代には天神真楊流に入門し、免許皆伝を得ています。さらに正五郎は起倒流<きとうりゅう>も修めていますが、この2つは共に嘉納治五郎が学んだ流派でもあります。正五郎もそうですが、モデルである治五郎も当時のわが国における最先端の知識を身につけた、東京大学出のエリートです。それが何故、野蛮で時代遅れといわれていた柔術を始め、講道館柔道を開くに至ったのでしょうか?

次回の日記では、勉強はできるけれど小柄でひ弱だった少年が、一念発起して柔<やわら>の道を志し、不屈の闘志で強靭な肉体を手に入れ、道場一の実力を誇る腕自慢の巨漢を投げ飛ばすまでに成長していく、感動のドラマをお届けします。


【参考文献】
富田常雄著『姿三四郎』上・中・下巻、新潮社、1973年
嘉納治五郎著『私の生涯と柔道』日本図書センター、1997年
小佐野淳著『概説 武芸者』新紀元社、2006年

新選組柔術師範 篠原泰之進と良移心当流

2013年02月10日 | 日記
前回の日記で書いたように、新選組では隊士たちの各種技能を高めるために、武術その他の師範を定めていました。沖田総司や永倉新八、斎藤一といった凄腕の剣士が名を連ねる撃剣師範のほか、柔術、槍術、馬術、砲術、変わったところでは文学師範というのまでありました。もっともここで言う文学とは詩歌や小説、随筆などではなく、軍学、朱子学、水戸学のことを指します。師範には伊東甲子太郎<いとうかしたろう>や武田観柳斎<たけだかんりゅうさい>らが当たりました。
柔術師範を務めたのは、松原忠司<まつばらちゅうじ>、篠原泰之進<しのはらたいのしん>、梁田佐太郎<やなださたろう>の3人です。松原についてはすでに触れたので、今回は篠原のことを書きたいと思います。

篠原泰之進は文政11(1828)年11月16日、筑後国生葉郡高見村で石工、篠原元助の長男として生まれました。良移心当流<りょういしんとうりゅう>柔術と要心流剣術を修めた彼は、文久3(1863)年、神奈川奉行所支配下にあった横浜外国人居留地警備の任に就きます。そんな彼が、翌年に新選組へ入隊したのは、友人の加納道之助<かのうみちのすけ>を介して出会った伊東甲子太郎に従ってのことでした。篠原は、隊では柔術師範のほかに、諸士取調役兼監察を務めました。慶応3(1867)年に伊東一派が新選組から分離した際には、加納も篠原も、伊東と行動を共にします。前年に崩御した孝明天皇の陵墓を守る御陵衛士<ごりょうえじ>となった彼らは、高台寺の塔頭<たっちゅう>月真院に屯所を定めたことから高台寺党と呼ばれました。
同年11月18日に京都七条油小路で近藤勇方の放った刺客たちによって伊東が謀殺され、遺体を引き取りに行った同志のうち藤堂平助ら3人も斬殺されてしまいました。見張り役だった篠原や加納らは、薩摩藩邸に逃げ込んで辛うじて命を長らえることができたのです。
12月18日には、篠原ら高台寺党の生き残りは恨み募る近藤を銃撃して右肩に重傷を負わせています。鳥羽・伏見の戦いでは篠原は薩摩軍に身を投じ、維新後は警察機関である弾正台<だんじょうだい>に出仕しました。亡くなったのは明治44(1911)年6月13日ですが、晩年には敬虔なクリスチャンになるという紆余曲折に富んだ生涯を送っています。

さて、次に石工の家に生まれながら武の道を志した篠原が、新選組で師範を任されるまでに極めた良移心当流(良移心頭流とも書きます)について紹介しましょう。
流祖は福野七郎右衛門正勝<ふくのしちろうえもんまさかつ>で、福野流ともいいます。子どもの頃から相撲が得意だった七郎右衛門は、柳生宗厳<やぎゅうむねよし>・宗矩<むねのり>父子に師事して柳生新陰流兵法を学び、体得した兵理をもって組討の術を工夫し、良移心当和<やわら>と名づけました。
さらに彼は、明<みん>の帰化人、陳元贇<ちんげんぴん>から教授を受けた中国拳法の技法を加え、流儀としての完成度を高めていきました。良移心当和からは、嘉納治五郎<かのうじごろう>も学んだ起倒流<きとうりゅう>などが派生しています。元禄(1688-1704)の頃には、筑前福岡藩士の笠原四郎左衛門一春(柔楽)が出て流名を高めました。そして一春の高弟、森八郎右衛門尚友が享保2(1717)年に久留米<くるめ>藩に仕え、以後その道統は幕末まで続きました。
同流の命脈は、維新後も保たれます。明治16(1883)年には中村半助<はんすけ>、上原庄吾<うえはらしょうご>の2人が、警視庁柔術世話役に抜擢されているのです。
そんなことも背景にあるのでしょう、黒澤明監督デビュー作の原作として知られる傑作柔道小説『姿三四郎』にも、新しく生まれた柔道と覇権を争う古流柔術の代表として、この流派が登場します。主人公の姿三四郎<すがたさんしろう>に恋する娘、乙美<おとみ>の父で、警視庁武術大会において三四郎と対決する村井半助、その弟子で、三四郎の宿命のライバルとして壮絶な死闘を繰り広げる檜垣源之助<ひがきげんのすけ>の流派が、この良移心当流です。
僕が初めてこの流派の名を知ったのも、『姿三四郎』を読んだ時でした。

柔道VS柔術の激闘が描かれた『姿三四郎』

三四郎は、紘道館<こうどうかん>(小説では講道館ではなく、こう書きます)で柔道を始める前は、故郷の会津で天神真楊流<てんじんしんようりゅう>をやっていました。これは、嘉納治五郎が起倒流に先立ち、最初に学んだ柔術でもあります。
次回はこの流派について、見ていきたいと思います。


【参考文献
富田常雄著『姿三四郎』上・中・下巻、新潮社、1973年
国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』第14巻、吉川弘文館、1993年
朝日新聞社編『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社、1994年
宮崎十三八・安岡昭男編『幕末維新人名事典』新人物往来社、1994年
中村彰彦著『新選組全史 幕末・京都編』角川書店、2001年
加来耕三監修・水谷俊樹著『新選組人物事典 壬生狼FILE』朝日ソノラマ、2003年