ひろむしの知りたがり日記

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姿三四郎 異種格闘技戦激伝 【第6章】 VS 良移心当流・村井半助 《巻之四》

2017年03月18日 | 日記
ブーンと唸る勢いで飛んだ姿三四郎の身体は、虚空3尺(約91cm)、丸くなってクルリと宙に返ると、観覧席前に張られた縄とすれすれの位置で、やや腰をかがめ、村井半助に対して真向いに立っていました。

三四郎のモデル、西郷四郎が得意とした「猫の三寸返り」です。
少年時代、四郎は暇さえあれば屋根から転げ落ち、地に着く直前にスクッと立つ練習をしたといいます。
三四郎も、故郷の会津で天神真楊流を習った大曾根俊平から、かつて関口流柔術の流祖関口弥六右衛門氏心<うじむね>(柔心)が同様の技を使ったと聞き、修練を重ねていました。

道場中が驚嘆のどよめきに叩き込まれた時、飽くまでも己の優勢を崩したくない半助が、ドドドドッと畳を蹴って三四郎に飛びつきました。その左の出足へ、三四郎の右足が飛びます。三四郎の大内刈に、半助はドスンと尻もちをつきました。
しかし、半助は相手の袖をつかんだ手を放さず、右手を半ば後ろ向きになった三四郎の帯に回すと、座りながら赤ん坊を抱いて立ち上がるような格好で軽々と抱きかかえ、肩の辺りまで担ぎ上げました。

「とうっ!」
腸<はらわた>から絞り出すような気合を発し、半助は仰向けに倒れながら、三四郎を頭越しに放り投げました。この裏投げで、三四郎は試合場の西の隅から東の隅へ、鞠のように吹き飛びました。
しかし、ガバッと起きて、技の効果を見定めようとした半助の眼に、またしても宙に返ってポンと立ち、両手を無造作に下げている三四郎の姿が映ったのです。

場内の異様な叫喚よりも先に、半助自身の眼がこれを疑い、意外な結果に戸惑っていました。
これではいくら投げてもきりがありません。極めるべき技がないのです。もはや寝技に引きずり込んで、逆を取るか、絞めるか、固めて攻略するほかに手がありません。
その新たな戦法を脳裏に浮かべるほんの2、3秒の間、半助にわずかな隙ができました。
それを見逃す三四郎ではありません。守勢一方だった彼が、半助の懐に飛び込みます。
右手が半助の左襟にかかり、左手が左袖にかかると体を斜めに開いて、グイグイと引きずり始めました。

体重と身長の開きから想像される力の差から推して、三四郎に半助を圧倒するパワーがあるとは思えませんでしたが、内心の動揺がそうさせるのか、半助は腰を引き、ダダ、ダダッとのめるように、畳を叩くような足音を立てて移動していきます。
30畳の試合場を半周した時、堪りかねた半助の左足が、三四郎の右足の踵<かかと>をぱっと払いました。刹那、三四郎の払われた右の足裏は、半助の右の足首にピッタリと張り付いて、飛び込んだ肩に23貫(約86kg)の肉塊を担ぐと、相手の足首を力の限り払い飛ばしました。
小柄な三四郎の頭上で、半助の足は遥か上空を蹴ると、身体は三四郎を中心に車輪のような半円を描いて、ズシンと畳に落ちました。
三四郎の必殺技、山嵐です!


三島家墓所に立つ通庸墓碑(左)と顕彰碑(右)。通庸は『姿三四郎』では三四郎と村井半助、現実でも横山作次郎と中村半助、西郷四郎と楊心流戸塚派、好地円太郎戦などを目撃(東京都港区・青山霊園)

半助は首の骨を強か打ってしまいました。頭から谷底へ飛び込んだ心地で、フラリと起き上がった彼の耳に、道場中のどよめきが遠い潮鳴りのようにぼんやり聞こえてきます。
そう思った時、三四郎の2度目の山嵐が襲いました。
腰にも、足にも、心にも備えがありませんでした。半助は、またもや宙を飛びます。
ガクンと畳に落ちた時、彼は頭を強打しました。受身をするには、角度が鋭すぎたのです。

「起きてはやられる・・・・・・」
霞む意識の中で、半助はそう思いました。このまま寝技に引っぱり込む以外に逃れる術がありません。
ですが、それは相手が寝技を仕掛けてきた場合の話です。投げられたまま起きもせず、寝て待つことはできません。立ち上がる力も失せたと見なされ、敗北を宣されてしまいます。ちらつく彼の網膜に、自分のようすを5間(約9m)も先から、両手を下げてじっと見つめている三四郎が映りました。
「堂々と戦わねばならぬ」
半助は苦痛の中で思いました。顔を歪めて起き上がった彼が一歩足を踏み出した時、三四郎は三度、彼の懐に飛び込みました。止めの壮絶な山嵐です。

足を縮め、首をすくめた半助は、1個の岩塊に似て空中を飛ぶと、真っ逆さまに畳に落ちました。
半助はそれでもなお、両手を前に突いて起きようとします。しかし、軽い脳震盪<のうしんとう>を起してしまい、眼がくらみ、手足が痺れます。さすがの彼も、ついに闘う気力が尽きました。
「我、敗れたり・・・・・・」
半助は全身の気力を集め、ようやく正座して両手を突くと、「ま、参りましたっ」と言ったのです。
応じる動作で、半助と5間を隔てて三四郎もまた、正座して両手を突きました。

「それまで!」
検証の佐々木源一郎の声が終わらぬうちに、半助は前のめりに突っ伏していました。試合係が3、4人駆け寄って半助を抱きかかえると、急いで観衆の開けた路を、控室へと運んで行きました。
割れるような拍手と歓声の中で三四郎は、三島通庸警視総監や矢野正五郎が座る正面の上席に一礼すると、もの静かな、いや、見ようによってはもの悲し気とさえ思える面持ちで、群れ立つ人々の間を足早に引き上げて行ったのです。


死力を尽くした闘いで、精魂使い果たした半助は、試合後にそのまま病の床に就きます。若い頃から浴びるように飲んだ酒が、五体をすっかり蝕んでいたことも災いしたのでしょう。
半助は、試合を通して武術家としても、人間としても大きな信頼を寄せるようになった三四郎に、乙美を実父である南小路光康子爵の許へ帰すよう依頼します。
いかに柔道が強かろうと、三四郎は社会的には一介の書生に過ぎません。自分に課された責任の重大さに困惑しつつも、半助の切実な願いに引き受けざるを得なかった彼の所に「村井半助、死す」の報せが届いたのは、秋も深まったある朝のことでした。


【参考文献】
国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』第13巻 吉川弘文館、1992年
富田常雄著『姿三四郎 天の巻』講談社、1996年
星亮一著『伝説の天才柔道家 西郷四郎の生涯』平凡社、2013年