ひろむしの知りたがり日記

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赤穂浪士で知られる泉岳寺に眠る柔術家 渋川伴五郎義方

2013年11月10日 | 日記
泉岳寺(東京都港区高輪2-11-1)と言えば、赤穂四十七士が眠る寺として有名です。しかしここには、知名度ではやや(いや、かなり・・・)劣りますが、かつては講談や映画のヒーローとしてもてはやされた渋川伴五郎義方<ばんごろうよしかた>と、彼が創始した渋川流を受け継ぐ渋川家歴代の墓所があります。


泉岳寺山門(左)とそばに立つ赤穂浪士の大石内蔵助良雄銅像(右)

渋川流は前回取り上げた小栗流同様、柔術を基本に剣、居合、槍、鎖鎌などを包含する総合武術です。義方が創始したと言っても、技術内容は関口流を改編したものが大部分でした。そのため、肥後熊本藩士で『広益俗説弁<こうえきぞくせつべん>』ほか数々の著作を残し、肥後流居合を起こした井沢十郎左衛門長秀(蟠竜<ばんりょう>)なんぞは渋川流ではなく、関口流として伝を受けています。

義方の先祖は源義家の3男義国の次男である足利義康<あしかがよしやす>の子孫で、足利家の旗本渋川中務大輔<なかつかさたいふ>の4男小四郎だと伝えられています。叔父の設楽遠江<しだらとおとうみ>守が武州の聖金坊と名乗って遁世したので家督を継ぎ、設楽修理大夫と称しました。そのため、父善兵衛兼辰<かねとき>の代までは設楽姓を名乗っていました(父は京都の人、渋川友右衛門との説もあります)。義方の生地は紀伊国(和歌山県)とも大和国(奈良県)ともされますが、兼辰が病気のために静養していた紀伊説が有力です。承応元(1652)年7月8日に生まれました。
寛文7(1667)年、16歳で関口流2代目関口八郎左衛門氏業<うじなり>、あるいはその父で流祖の関口弥六右衛門氏心<やろくえもんうじむね>(柔心。氏業は嫡男)に入門しました。氏心没後はその次男で、関口分家の万右衛門氏英<うじひで>に師事したともいいます。延宝8(1680)年5月、29歳で免許皆伝を受けました。ついで和歌山城下で道凝館<どうぎかん>を開きましたが、翌天和元(1681)年頃には江戸に出て、浜松町で道場を開く氏業を補佐しました。翌天和2年、氏業が江戸を去ると信州松代(長野県)の真田伊豆守幸道<ゆきみち>に招かれて半年間滞在しましたが、再び江戸に戻って独立し、芝山王町に道場を設けました。
貞享2(1685)年には内藤左京大夫義概<さきょうたいふよしむね>の招きで磐城平(福島県)に赴き、月俸20口を賜ります。元禄8(1695)年、江戸の大火で屋敷を失い、門人弓場弾右衛門政賢<ゆんばだんえもんまさかた>宅に仮寓しました。弓場は義方の養子に迎えられ、渋川流2代目渋川伴五郎(友右衛門)胤親<たねちか>となったともいいます(異説あり)。
その後芝土器町、翌年には本所に移り、元禄11年、47歳で芝西久保城山(芝切通しとも)に武義堂<ぶぎどう>を構えました。その精妙な技と優れた学識(『質直鈔』、『柔術百首』の著述があります)、人徳から渋川流の名は天下に聞こえました。老中阿部豊後守正武<まさたけ>や土屋相模守政直<まさなお>、井上大和守正岑<まさみね>ら諸侯に招かれ、また入門する者後を絶たず、門弟3,000余人を数えたといいます。


渋川流を創始した渋川伴五郎義方の墓(中央)

義方には、その強さを示すエピソードがいくつか残されているので紹介しましょう。
ある人が力の強い者5人を選び、義方の技量を試そうとしました。5人は全員で義方を捕らえましたが、彼がわずかに手を振ると、みんな前後左右に倒されてしまいました。そのようすはまるで、毛毬を弄ぶようだったといいます。
また、義方は菅谷<すがや>某という力自慢の浪人に、三田寺町(東京都港区)の仏乗院で勝負を挑まれたことがありました。縁の端に立った義方に、菅谷は走り寄って両手で取りつきましたが、義方は微動だにしません。さらに菅谷が突き倒そうとすると、義方はその手を取って縁から2、3間(約4~5メートル)も先に投げ落としてしまいました。敗れた菅谷は、義方に弟子入りしています。
またある時のこと、義方の門人たちが稽古後、戯れに拳で石を砕いていました。誰がやっても砕けない、太さ7寸(約21センチ)の石が、義方が持って捻ると、なんとたちまちはらはらと砕けてしまったのです。

このように並外れた強さを誇る義方でしたが、病には勝てなかったのでしょう、宝永元(1704)年5月7日、53歳で亡くなりました。彼の眠る泉岳寺は、都営浅草線の泉岳寺駅から歩いて1分ほどの所にあります。
ただし、赤穂義士以外の墓地には関係者しか入れません。行っても渋川家の墓所にお参りすることはできませんので、ご注意ください。


渋川家歴代の眠る墓所

【参考文献】
桜庭武著『柔道史攷』目黒書店、1935年
綿谷雪・山田忠史編『増補大改訂 武芸流派大事典』東京コピイ出版部、1978年
小佐野淳著『渋川流柔術』愛隆堂、1993年

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1 コメント

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Unknown (kazuki)
2024-04-17 22:48:23
渋川家の墓所は関係者以外入れない書かれてありましたが、投稿主さんは檀家さんって感じですか??
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