ひろむしの知りたがり日記

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姿三四郎 異種格闘技戦激伝 【第4章】 VS 良移心当流・村井半助 《巻之二》

2016年12月12日 | 日記
現実の警視庁武術大会での良移心当流柔術対講道館柔道の試合は、中村半助と横山作次郎が対戦しましたが、小説『姿三四郎』において中村半助をモデルに生れた村井半助を迎え撃ったのは、紘道館一門の期待を一身に背負って立った三四郎でした。
時は、『姿三四郎』に「明治十五年に隆昌寺の書院にささやかな道場」を開いてから5年とありますので、明治20(1887)年ということになります。

警視庁武術大会は明治18年から21年頃まで毎年行われていました。庁内ばかりでなく、著名の士を招いて演武をさせ、撃剣および柔術の奨励と士気の鼓舞、さらには技能優秀な者を武術世話係として採用するという目的もありました。
横山作次郎と中村半助が闘ったのは三四郎対村井半助戦が行われたのと同じ明治20年、あるいは19年の大会だとされます。

時世に押され、柔術が衰微の一途をたどる中、酒に心身を蝕まれ、血を吐くまでに胃を冒されていた村井半助ですが、圧倒的な勢いで台頭してきた紘道館の存在に、失っていた闘志を掻き起されます。富田常次郎に敗れた中村半助が酒をやめて稽古に精進したように、村井半助もまた、打倒柔道、打倒姿三四郎に燃え、酒を断って再び道場に立ったのです。

しかし、一方の三四郎には、半助とは戦いたくない理由がありました。
半助には乙美という美しい娘がいました。彼女は子爵南小路光康が小間使<こまづかい>の女性に産ませた子で、同郷だった半助が母娘ともどももらい受け、自分の子どもとして育てたのです。偶然乙美と出会った三四郎は、彼が何者であるかを知らない彼女から、その苦しい胸の内を聞かされます。

半助が敗れれば、己が警視庁柔術世話係の職を辞さねばならないばかりでなく、他の柔術家たちも紘道館にその地位を奪われ、路頭に迷う羽目に陥るでしょう。
さらに半助には、桧垣源之助という師を凌ぐ実力と、明晰な頭脳をあわせ持った弟子がおり、半助に代り試合に出ることを望んでいました。しかし、もし源之助が勝てば、乙美は彼との結婚を強要されるというのです。半助は紘道館への挑戦者という使命を源之助に譲るつもりはありませんでしたが、それでも半助が敗れ、いずれその相手に源之助が勝てば、どちらにしろ、乙美は無事ではいられません。
桧垣源之助は優秀ではあっても、傲慢で残忍な性格の男でした。彼を嫌う乙美は、そうなれば死ぬ覚悟であると三四郎に打ち明けます。いつしか彼女に思いを寄せるようになっていた三四郎は、自らがまさにその父と闘う相手であることを乙美に伝えることができないまま、試合当日を迎えます。

皆が三四郎を応援するために我先にと出払い、誰もいなくなった紘道館に、当の本人は唯一人、いまだ心を決めかねて居残っていました。そこへ訪ねて来たのが名寄屋<なよろや>安兵衛です。
安兵衛は門馬三郎との試合を見て以来、三四郎の強さと人柄にすっかりほれ込んでしまった日本橋小網町(中央区)で小間物屋を営む人物ですが、それは表の顔で、裏では「香車の安」と呼ばれる東京で一、二を争う掏摸<すり>の大親分でした。
安兵衛は根津権現で源之助に言い寄られていた乙美を救った上に、あろうことか源之助の懐を狙って逆に捕まり、凄惨な私刑<リンチ>を受けて不自由な身体にされてしまいました。
世間では、三四郎の相手が師に勝るといわれる源之助ではないかという噂もあり、それを聞きつけた安兵衛は、居ても立ってもいられず、利かない足を引きずってやって来たのです。

安兵衛と連れ立って麹町富士見町(現在の千代田区富士見)の紘道館を出た三四郎は、半蔵門から桜田門へかけてのお濠端を警視庁へと向かいます。なおも迷いが吹っ切れぬまま土提に上った三四郎は、そこで一幅の絵のような美しい光景を目にしました。
松の緑、草の青い色が鮮やかに瞳に映ずる中、深い蒼味を湛えたお濠の水面には、水鳥たちがあちらを向き、こちらを向いて無心に浮かんでいます。時折吹いてくる風がさざなみを立てて身体を揺すっても、彼らは気にもとめずに世界と一つになって悠々と自適しているのです。
それを見ながら三四郎は、安兵衛が治療のために通っている診療所にあった「柳緑花紅」─柳は緑、花は紅─というあるがままの生命の輝きを謳った額の話を聞き決然と悟ります。乙美の存在も、村井半助も、警視庁の大試合という気持も、はては勝敗すらも彼の念頭から消え失せていました。求めるものは、水面に遊ぶ水鳥のごとき“無我”の境地のみ。

三四郎はただ、試合に遅れてはならぬという思いに駆られ、桜田門を抜けて宮城の広場へ向けて、ひた走ったのです。


現在「桜田門」と呼ばれているこれらの門は正式には外桜田門といい、その奥には内桜田門(桔梗門)があります。外桜田門は、濠側(上)と皇居外苑側(下)の二重構造になっています(東京都千代田区)




桜田門と半蔵門を結ぶ桜田濠。三四郎達が見たように、水面にはたくさんの鳥が群れをなしています


桜田門前に建つ警視庁庁舎


【参考文献】
富田常雄著『姿三四郎 天の巻』講談社、1996年
山田實著『yawara 知られざる日本柔術の世界』BABジャパン出版局、1997年
柔道大事典編集委員会編『柔道大事典』アテネ書房、1999年
藤堂良明著『柔道の歴史と文化』不昧堂出版、2007年
加来耕三編『日本武術・武道大事典』勉誠出版、2015年