ひろむしの知りたがり日記

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木村政彦と大山倍達 (9) ─ 血戦! プロレス巌流島

2014年12月01日 | 日記
“プロレス巌流島の決闘”と呼ばれた、初の日本チャンピオンを決める力道山対木村政彦の選手権試合は、当時まだNHKと日本テレビの2局しかなかったテレビ局が両方とも生中継をし、さらにラジオも2局が生中継するという、全国民が注視する世紀の一戦でした。

相撲と柔道の世界で、それぞれ華々しい経歴を持つ2人の対決は、「柔道の木村か、相撲の力道か」と人気を呼び、東京の蔵前国技館は開場の6時半を待たずに定員の1万3千人を突破し、その後も続々とファンがつめかけるという、相撲の本場所でも見られない盛況ぶりとなりました(主催者発表では1万5千人)。
リングサイドを警官が取り巻き、国技館の外でも入場できなかったファンたちの群衆整理のために、機動隊が出動するというものものしさでした。


現在は東京都下水道局の北部下水道事務所などになっている蔵前国技館跡(東京都台東区蔵前)

前座試合の後、酒井忠正プロレス・コミッショナーの挨拶が終わり、満場の拍手と歓声の中を、木村が紫色の、背中にコイの跳ねる模様が入ったガウン、続いて力道山が濃紺地で、裾に富士山と桜をあしらい、背中には「力道山」と大書された和服式の派手なガウンで登場します。

その日大山倍達は、木村側のリングサイドに陣取り、手に汗握って対戦を見守っていました。そして、リングに上がった木村の眼の光が、いつもとまるで違うことに気づいた彼の背中を、改めて嫌な予感が走ります。
そんな倍達の不安をよそに、午後9時19分、ついに61分3本勝負開始のゴングが鳴り響きます。

試合は、その後に起きる惨劇が嘘のように、互いにがっしりと組み合う真っ向勝負で幕を開けました。
翌日の朝日新聞朝刊は、次のように経過を報じています。
「はじめ両選手ともすきをねらって慎重な運び、木村が逆をねらえば、力道は投の大技で応酬、力道のやや押し気味のうち十五分を過ぎるころ、はだしの木村がつま先で急所をけった反則に力道山が激怒したか、空手打、足けりを交互に木村の顔面と腹部に集中、木村はコーナーに追いつめられて見る見るグロッギーとなり、そのままリングにこん倒して起き上れなかった。ただちに医師が木村の顔面の負傷を診断の結果、出血がひどくドクターストップとなりあっけなく力道山の勝利に終った」



日本中が注視した“世紀の一戦”を報じる毎日新聞(上)と朝日新聞(下)の記事(昭和29年12月23日付)

それは、引き分けにするものとばかり思っていた木村にとって、信じられない展開でした。
「私はこのとき、相手が空手チョップを打ちやすいように力をぬいていた。お客が見て、あれは痛いだろうと思ってくれれば成功したことになるからだ。
ところがそこを本気で打ってきたから、たまったものではない。私はうずくまってしまった。しかも、そこを靴で蹴ってきたのである」(『鬼の柔道』)

得意の空手チョップに張り手、蹴りも含めた猛攻に、木村は前歯を数本折り、顔面を血で染めて意識を失い、リングに倒れ伏しました。試合開始後わずか15分49秒で、文字通り蹴りがついてしまったのです。
マットには直径50センチの血溜まりができていたといいます。
この一戦で、国民的スターだった不敗の柔道王木村政彦の名は、地に落ちることになります。
“真剣勝負”はしないはずであった力道山対木村戦が、なぜこのような結果になってしまったのか─その謎については、別な回で詳しく考察することにしましょう。

さて、恐れた通りの結末だったとはいえ、目の前で繰り広げられた耐え難い光景に、倍達の気持には思いもよらなかった変化が起こりました。倍達は自伝に書いています。
「ああ、偶像が壊されていく! 鬼の木村とうたわれたかつての面影ももうそこにはなく、一方的な押し込まれかたをする彼の姿に、自分自身刃物で身を斬りつけられるような痛みを感じながら、無惨なK・Oシーンが展開されたその瞬間、私は席を蹴っていた」(『大山倍達、世界制覇の道』)

怒りに我を忘れた倍達は、「力道、殺してやる!」と叫ぶと、リング上に駆け上がろうとします。それを関係者一同が、必死にすがりついて止めました。もしそうしなければ、「私は多分、いや間違いなく力道山を殺していただろう」(前掲書)と倍達は述懐しています。当時の彼は、力道山を3分でKOする自信がありました。

この時は危うく踏みとどまった倍達ですが、力道山に対する怒りは静まりませんでした。
かつて、力道山を倒した“赤サソリ”タム・ライスに復讐戦を挑んだ彼は、今度は木村のリベンジのために、力道山に挑戦状を叩きつけるのです。


【参考文献】
木村政彦著『鬼の柔道』講談社、1969年
原康史著『激録 力道山 第1巻─シャープ兄弟、木村政彦との死闘』東京スポーツ新聞社、1994年
木村修著『『空手バカ一代』の研究』アスペクト、1997年
大山倍達著『大山倍達、世界制覇の道』角川書店、2002年
ボム・ス・ファ著、金至子訳『我が父、チェ・ペダル 息子が語る大山倍達の真実』アドニス書房、2006年
増田俊也著『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(上)』新潮社、2014年

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