ひろむしの知りたがり日記

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病魔に敗れた天才剣士 沖田総司 ─ 浄土宗専称寺

2013年01月06日 | 日記
新選組きっての天才剣士といわれた沖田総司<そうじ>の墓は、六本木ヒルズからほど近い、専称寺(東京都港区元麻布3-1-37)という小さなお寺にあります。
残念ながら、墓地に入ることはできません。熱烈なファンが墓石を削ったりしたことなどが原因で、今では年1回、6月後半に新選組友の会が開催している「沖田総司忌」の時にしか公開していないのです(「沖田総司忌」について、お寺へ直接問い合わせることは絶対やめてほしいとのことです)。
墓石を削るというのはいくらなんでもちょっとやり過ぎですが、それほどまでに愛される沖田総司とは、いったいどのような人だったのでしょうか?


沖田総司の墓がある専称寺山門(左)と本堂(右)

沖田総司は天保13(1842)年(天保15年=弘化元年との説もあります)、江戸詰の奥州白河<しらかわ>藩士勝次郎の長男として、同藩江戸下屋敷に生まれました。沖田家は白河藩士とはいっても22俵2人扶持と微禄ですから、生活は決して楽ではなかったでしょう。それでも親が健在であれば、まだ貧しくともささやかな幸せのある暮らしを送れたかもしれませんが、弘化2(1845)年10月、総司が4歳の時に父勝次郎が死んでしまいます。母は名も没年も不明で、総司が幼少の頃に亡くなったと考えられています。
沖田家の家督は、姉のみつと結婚して婿入りした日野宿の農家出身の井上林太郎<りんたろう>(井上源三郎の親戚)が継ぎました。口減らしのためか、総司はわずか9歳の頃に江戸市ヶ谷にあった近藤周助(勇の養父)の剣術道場試衛館の内弟子となり、天然理心流を学びます。
しかしこのことが、彼の天賦の才を開花させることになります。沖田家には、12歳で藩の指南番と剣を交え、勝利を収めたという話が伝わっています。もし事実だとすれば、まさに天才といっていいでしょう。19歳で免許皆伝、20歳の時には塾頭となっていました。
総司のずば抜けた強さの前には、土方歳三や井上源三郎ら試衛館の生え抜きをはじめ、食客で北辰一刀流の目録を受けていた藤堂平助、同流免許の山南敬助といった、後に新選組の中核をなす猛者たちが皆子供扱いでした。本気で立ち合ったら勇もやられるだろうと、道場内では噂されていたそうです。

総司は文久3(1863)年2月に勇らと上洛し、新選組の副長助勤、やがては一番組長となります。後に肺病を患って若死にしているので、病弱で線の細い青年を想像しがちですが、新選組が屯所にしていた八木家の人で、当時少年だった為三郎の証言によれば、背は高くて肩幅が広く、色黒だったということです。
日焼けした顔にがっちりした体型の、運動部タイプの人物という印象でした。よく冗談を言っていて、ほとんど真面目になっている時がなかったそうです。子どもを相手に往来で鬼ごっこをしたり、寺の境内を走り回って遊んでいたとも語っています。新選組結成当初、勇とともに局長を張っていた芹沢鴨の暗殺や、新選組を一躍有名にした池田屋事件などで、非情な殺人剣を振るった凄腕の剣士というイメージとはかけ離れていて意外な感じがしますが、一度市中見回りに出れば、いつ斬り合いになるかわからない過酷な隊務の合間に、このようにバカ話をして笑ったり、子どもと戯れることによって、どうしようもない緊張感や奪った命に対する罪悪感を忘れようとしていたのかもしれません。
しかし、そうした行動で気を紛らわせなければいられないほど、実はナイーブだった総司の心の葛藤は、彼の肉体をも蝕んでいきます。池田屋事件当時にはすでに発病していた肺結核が、慶応3(1867)年頃にはもう隊務が遂行できなくなるまでに悪化し、翌年5月30日に27歳の若さでこの世を去りました。
よく解釈すれば、近藤勇をはじめ多くの同志がその前後に戦いの中で壮絶な最期を遂げたのに対し、畳の上で穏やかに死ねてよかったと言えるでしょうが、総司本人にしてみれば、同じ死ぬのなら、新選組の仲間たちとともに戦って、見事に討ち死にしたかったかもしれません。彼がどのような思いであの世へ旅立っていったかは、今となっては知る由もありませんが・・・。

最初に書いたとおり、総司が眠る専称寺の墓地に一般の人は入れませんが、ありがたいことに、塀の外から遠目に墓を見ることはできます。本堂の裏手に回ると、墓地の入口から2列目の道の右側にある、赤茶色の屋根に覆われた小さな墓石がそうです。距離がある上に、側面しか見えないのでわかりませんけれど、それには「賢光院仁誉明道居士」という戒名が刻まれているはずです。入口から見て総司の墓より手前側には、沖田家先祖代々の墓が立っています。総司の墓の前にはたくさんの花が供えられていました。


左写真の右側が沖田家先祖代々の墓、同左側が沖田総司の墓。右写真は総司の墓のアップ

上方に視線を転ずると、背後には六本木ヒルズの巨大なビルが、天に届けとばかりにそびえ立っています。それを目にした瞬間、剣だけを頼りに激動の時代を駆け抜けた、沖田総司が生きた約150年昔への時間旅行から、瞬時にして現代へと舞い戻ってきたような、そんな不思議な感覚に陥ります。


専称寺の墓地前から六本木ヒルズの高層ビルを見上げる


【参考文献】
山村竜也著『新選組剣客伝』PHP研究所、1998年
山村竜也著『完全制覇 新選組』立風書房、1998年
中村彰彦著『新選組全史 幕末・京都編』角川書店、2001年
木村幸比古著『新選組と沖田総司』PHP研究所、2002年
菊地明著『図解雑学 近藤勇』ナツメ社、2003年

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