師も走るほどに忙しい、12月も後半に突入です。
若い世代のテレビ離れが指摘される昨今ですが、
年末年始の特番はそれなりの賑わいでしょうか。
年が明けたら大河ドラマの主人公は「徳川家康」です。
偶然か必然か、今年、来年と、二年連続で大河ドラマ出演の甲斐源氏武田氏。
2023年は、いよいよ、信玄公がご登場です✨
どんな役割を果たされるのか、今からとても楽しみ🎶ですが、
今川氏からの独立後、大名として家康公が飛躍していく序盤は、
武田氏との抗争の歴史なしでは語れません。
その中で外せないのが「三方ヶ原の戦い」。
その中で外せないのが「三方ヶ原の戦い」。
元亀3年12月22日(新暦1573年1月25日)、
現在の静岡県浜松市で繰り広げられた武田軍vs徳川軍+織田援軍との合戦です。
信玄公は、総勢2万7千人とも言われる大軍勢を率いて徳川領に侵攻しました。
武田軍は、信濃から奥三河ルートと、東海道から西へ向かう遠江ルートに
分かれて進軍し、破竹の勢いで徳川方の城を次々と落としていきました。
当時、三河と遠江まで版図を広げていた家康公としては、
本拠としていた浜松城に攻め込んでくるに違いないと覚悟して籠城を準備💦
それなのに、こともあろうか武田軍はまさかの素通り!?
武田軍の背後を衝こうと追いかけてしまった徳川軍でしたが、
武田軍がまさかの反転。そして、万全の構えで徳川軍を待ち構え・・・
事の顛末は、信玄公の計算通りだったのか、
家康公が家臣の信頼を繋ぎ止めるための勇み足だったのか、
偵察隊との偶発的な小競り合いから発展してしまったのか、
はたまた、武田軍を足止めして時間稼ぎができれば良かったのか。
その議論は、未だ決せず・・・。
いずれにせよ、結果は、皆さまご存知の通り。
敵の恨みを買い、味方のおごりを生むとして、
「完勝」を良しとしなかった信玄公でしたが、
三方ヶ原の戦いでは、武田軍の完勝、徳川軍は大敗。
ただ、家康公は後の天下人、ただ者ではなかったと思わせてくれるのは、
信玄公への恨みをつのらせるよりも、どうやら失敗から学び、
信玄公に敬服の念を抱いてしまったというところでしょうか。
武田宗家が一度途絶えた後も、遺臣の多くが徳川家に召し抱えられ、
甲州流の軍法が継承されたのも、家康公が認めてくださったから。
その聖典とも言える『甲陽軍鑑』は、江戸時代のベストセラーに、
そして、信玄公と家臣たちを描いた「武田二十四将図」は、
浮世絵、歌舞伎など大衆文化の人気テーマに。
時代は移り変わっても、戦国大名・武田氏が、
人々の記憶に刻まれることになったのも、家康公のおかげ!
・・・
信玄ミュージアム、新年🎍、特別展示室\企画展のテーマは、
「信玄公と23人の家臣たち」です。
三方ケ原の戦いでも活躍した武将も描かれる「武田二十四将図」
その世界をご案内いたします。