旧暦だけど💦12月22日は三方ヶ原の戦いに勝利✨

2022-12-22 11:51:34 | 紹介
師も走るほどに忙しい、12月も後半に突入です。
若い世代のテレビ離れが指摘される昨今ですが、
年末年始の特番はそれなりの賑わいでしょうか。
年が明けたら大河ドラマの主人公は「徳川家康」です。
偶然か必然か、今年、来年と、二年連続で大河ドラマ出演の甲斐源氏武田氏。
2023年は、いよいよ、信玄公がご登場です✨

どんな役割を果たされるのか、今からとても楽しみ🎶ですが、
今川氏からの独立後、大名として家康公が飛躍していく序盤は、
武田氏との抗争の歴史なしでは語れません。
その中で外せないのが「三方ヶ原の戦い」。
元亀3年12月22日(新暦1573年1月25日)、
現在の静岡県浜松市で繰り広げられた武田軍vs徳川軍+織田援軍との合戦です。

信玄公は、総勢2万7千人とも言われる大軍勢を率いて徳川領に侵攻しました。
武田軍は、信濃から奥三河ルートと、東海道から西へ向かう遠江ルートに
分かれて進軍し、破竹の勢いで徳川方の城を次々と落としていきました。
当時、三河と遠江まで版図を広げていた家康公としては、
本拠としていた浜松城に攻め込んでくるに違いないと覚悟して籠城を準備💦

それなのに、こともあろうか武田軍はまさかの素通り!?
武田軍の背後を衝こうと追いかけてしまった徳川軍でしたが、
武田軍がまさかの反転。そして、万全の構えで徳川軍を待ち構え・・・

事の顛末は、信玄公の計算通りだったのか、
家康公が家臣の信頼を繋ぎ止めるための勇み足だったのか、
偵察隊との偶発的な小競り合いから発展してしまったのか、
はたまた、武田軍を足止めして時間稼ぎができれば良かったのか。
その議論は、未だ決せず・・・。

いずれにせよ、結果は、皆さまご存知の通り。
敵の恨みを買い、味方のおごりを生むとして、
「完勝」を良しとしなかった信玄公でしたが、
三方ヶ原の戦いでは、武田軍の完勝、徳川軍は大敗。

ただ、家康公は後の天下人、ただ者ではなかったと思わせてくれるのは、
信玄公への恨みをつのらせるよりも、どうやら失敗から学び、
信玄公に敬服の念を抱いてしまったというところでしょうか。

武田宗家が一度途絶えた後も、遺臣の多くが徳川家に召し抱えられ、
甲州流の軍法が継承されたのも、家康公が認めてくださったから。
その聖典とも言える『甲陽軍鑑』は、江戸時代のベストセラーに、
そして、信玄公と家臣たちを描いた「武田二十四将図」は、
浮世絵、歌舞伎など大衆文化の人気テーマに。

時代は移り変わっても、戦国大名・武田氏が、
人々の記憶に刻まれることになったのも、家康公のおかげ!

・・・
信玄ミュージアム、新年🎍、特別展示室\企画展のテーマは、
「信玄公と23人の家臣たち」です。
三方ケ原の戦いでも活躍した武将も描かれる「武田二十四将図」
その世界をご案内いたします。

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21日から御城印 信虎版と勝頼版を配布します

2022-12-19 16:58:30 | イベント
12月20日は、1519年に武田信虎公が川田(現甲府市川田町)から
躑躅が崎へ引っ越しをされ、新たに甲府を開かれた日です。
例年、この日から年明けまで、甲府開府を記念して通常デザインの御城印も
信玄公の龍朱印から信虎公の朱印に変更して配布させていただいています。
今年は、20日が火曜日の休館日となってしまったため、
21日(水)から過日、告知しました武田氏館跡御城印を配布します。
参考までに前回記事

加えて、1581年の12月24日は、勝頼公が新たな領国拠点として新造した
新府へ引っ越しを行った日でもあります。
そのため、川田から躑躅が崎、そして新府への移転を記念した
信虎公、勝頼公、二人の朱印を押した御城印を選択方式でお配りします。
さらに通常版も加えて三択形式となりますので、
武田氏三代の朱印版で欠けているものがございましたら
この期間に揃えてみてはいかがでしょうか?

信虎公版は、1月6日の生誕日記念も合わせて、
年明けの1月9日(月・祝)まで配布しますが、
勝頼公版は、年内12月28日(水)までと短めの期間となっています。
この次の登場は、3月となりますので、この機会を逃した方は
来春のご来館をお待ちしています。

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馬も走る12月!?

2022-12-17 10:44:09 | 紹介
武田軍といえば騎馬軍団🐎のイメージでしょうか。
けれども、戦国時代は、鉄炮の導入や、足軽による戦力が増大するなど
戦い方が大きく変化した時代。
武田の騎馬軍団が戦場を席巻・・は多分無かったと考えられていますが、
甲斐は、信濃と共に、古代より良質な馬を産出した土地。
馬の扱いに長ける人も多く、馬は運搬、戦など、
様々な場面で重要な役割を担っていたことは確か。

当館がご紹介する武田氏館跡からも、馬の全身骨格が出土しています。
意外かもしれませんが、戦国時代を生きた馬の全身骨格が
きれいな状態で出土しているのは、山梨県甲府の武田氏館跡だけ。
信玄ミュージアム、特別展示室の見どころのひとつとなっています。

こちらのブログでも、何度もご紹介させていただいておりますが、
馬骨は、蹄から背骨までの体高が126cm、推定14歳の雄馬のもの。
サイズはポニーくらいで、「戦国時代の馬って、小さかったんだね。」という、
みなさまのご感想ももっとも。
「でもさ、当時の人も小さかったんだもんね。」という優しいフォローも聞こえてきます。

馬の全身骨格(レプリカ)
骨の状態をみると、荷馬に見られるような損傷や変型も認められません。
栄養も良く、筋肉質だったこともわかるとか。
大切に育てられ、丁寧に埋葬された軍馬だったと考えられています。

「でも、小さいから、(甲冑を着た武将を乗せて戦場は走り回るのは)ムリだよね。」
というお声も。

そのご意見もごもっとも・・・でも!!
私たちの予測を裏切り、「和式馬術」なら、馬は体力を消耗せず、
戦闘でも活躍できるくらい、高い運動能力を発揮できるそうなんです。

ポイントは、馬の肩甲骨や背中の動きを阻害しないことだそうで、
普段は体が弾まない(?_?)「居鞍乗り」で、
戦時は「立ち透かし」にシフト。
騎乗時に足をのせる鐙(あぶみ)に体重をかけ、
お尻を軽く浮かせた状態で背中を伸ばします。
これなら、馬の上でも姿勢が安定し、攻撃可能になるとか。
実際、在来種の木曽馬に、総重量90kgの騎手を乗せて走ってみたところ、
なんとなんと最高速度は時速40km!
駆け足は30分が限度と言われているようですが、十分な働きだと思います✨
ちなみに、当館の馬骨も木曽馬に近いと考えられる在来馬🐎です。

師も走る12月は忙しいですが、今年を振り返り、来年のことを考えるのも良い時かと。
武田神社でのお礼参りと一緒に、郷土の歴史にふれる当館にもぜひお越しください。
馬と一緒にお待ちしております。

今年の開館は12月28日(水)(最終入館時間16時30分)まで
旧堀田古城園内の蕎麦・カフェ由布姫は、31日まで営業しています。
29・30日は、10:00〜15:00
31日は、10:00〜17:00
新年🎍は、元旦より通常どおりに開館いたします!
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武者と一緒に歴史散策はいかが?

2022-12-15 10:00:54 | イベント
先月も告知させていただきました
躑躅ケ崎歴史案内隊による史跡武田氏館跡散策会のお知らせです。
今週末の12月17日(土)にお屋形様のお膝元にて
皆さまのお声がけをお待ち申しているそうです。

初詣には少し早いかもしれませんが、
この機会に武田神社だけではなく、
史跡として境内を散策し、戦国時代に思いを馳せてみませんか?
公式アカウント https://twitter.com/koufusamurais

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晴れときどき猫

2022-12-14 19:17:15 | 紹介
今日は一日猛烈な寒風が吹き荒れ、
気温も上がらずで寒い一日でした。
施設内の旧堀田古城園も先日は日なたぼっこのお客様で賑わいましたが、
今日は一日ガラス戸を閉めて完全防備でした。
お天気は晴れて日差しは暖かでしたので、風さえなければ
絶好の縁側日和でしたのに残念でした。
中庭のベンチ付近には本日もお昼からニャン登場。
そして、風よけがあってデッキの板が暖かいのか、
みんな大好きなデッキの隅っこで日なたぼっこ。
この子は、最近になって顔を出し始めたのですが、
ケンカの傷が完治せず、首から耳元にかけて地肌が見えて
ところどころ真っ赤になっていました。
さらに先日は普通に歩いていたのに、今日は片足を引きずってかなりの重症。
ネコ社会も厳しい😫 

ご飯のおねだりなのか、珍しくニャンの方からお近づきになってきたので、
声掛けしながら近距離撮影。
いやー、野良はツラいよって顔でしばしうなだれて。
早く怪我が治ると良いね。
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