441年前のクリスマス・イブ、甲府では・・・

2022-12-24 11:08:47 | 紹介
町の中、家の中もクリスマス🎄

当館の総合案内もクリスマス🎅

日本のクリスチャン人口は総人口のわずか0.8%ですが、
クリスマスパーティーの浸透率は相当なものかと。
信仰していなくても、これから深まる冬を前に、ぴったりなイベントですから!


戦国時代のさなか、1549年ごろに日本に伝来したキリスト教ですが、
日本初のクリスマスパーティーが行われたのは1552年だったとか。
どこから聞きつけたのか、記録によれば総勢2000人ほどの人が集まり、
賛美歌、クリスマスページェント(劇)、そしてごちそうを堪能したとのこと。
クリスマスの劇といえば、キリスト生誕かと思いきや、この時演じられたのは、
「楽園追放」(*_*)
イブが禁断の果実🍎を食べてしまったばっかりに、
アダムとイブがエデンの園から追放される話ですが、
追放のシーンではみんなで泣いたとか、泣かなかったとか。
いずれにしても人間の「原罪」はキリスト教の布教には
欠かせないストーリーだったようです。

・・・
天正9年(1581)12月24日、
日本のあちらこちらで、キリストの生誕がお祝いされる中、
勝頼公は、武田氏三代が領国統治の拠点とした、甲府の館を破却し、
甲府の北西に位置する、韮崎の新府城への移転を断行します。
しかし、城下町、家臣屋敷はおろか、城の二の丸、三の丸も建設されていない
新たな拠点に、実際に付き従ったのは、家族と一部の側近、家臣のみ。

その後も、勝頼公は織田信長との和睦交渉を試みますが、
織田方は、勝頼公を朝敵とする大義名分を積み上げ、
ついに武田領への侵攻を開始。
その同じ日、天正10年(1582)2月14日、浅間山が噴火。
噴火を東国の異変の前兆・・と当時の人々は感じてしまったのでしょう。
武田軍でも動揺が広がり、同年3月3日、勝頼公は新府城にも火を放ち・・・
最後は武田家ゆかりの天目山を目指す途上で自害されます。

・・・
当館の特別展示室では、館跡や城下町出土のものをご紹介しています。
かつては主殿の床の間を飾った陶磁器など、価値の高いものだったようですが、
ほとんど全てが破損した状態で出土しており、そのままをご覧頂いています。

けれども、当時の状態をほぼほぼ保っているものもあるんです。
城下町の家臣屋敷跡で、「天久(てんきゅう)」という地名から、
かつては信玄公の弟・信繁さまがお住まいになった場所かも知れない土地。
そこから出土したものは、完全な形の染付皿や天目茶碗、一定量の銅銭。
完品だったワケは、これらは水路に捨てられたのではなく、納められていたから。
調査から、勝頼公の時代のものと考えられていて、
もしかすると、陶磁器の主は、勝頼公と共に新府城に向かいながらも、
いつかは甲府に戻りたいという思いで、
または、地主神への感謝の印として、
大切なものを、水路に埋納したのかもしれません・・・。

・・・
現在、当館の特別展示室では、
永正16年(1519)12月20日の信虎公の躑躅が崎館への移転、
天正9年(1581)12月24日の勝頼公の新府城への移転を記念して、
信虎公バージョンと勝頼公バージョンの御城印、2種類をご用意しております。
ご見学記念品として、どちらか一枚になりますが、ぜひお受け取りください!

※配布期間にご注意ください。
勝頼公バージョンは12月28日(水)まで、
信虎公バージョンは令和5年1月9日(月)までです。


武田氏館跡御城印・勝頼公バージョン
コメント
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