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新参と古参@旧堀田古城園

2021-05-19 19:52:29 | 紹介
武田神社、信玄ミュージアム界隈、本日のお天気はくもり☁、一時雨。そして静か。
でも、季節は廻ります。
花も順々に咲き、花めぐりが楽しい5月です。
早いところでは小さな実らしきものも?


植物だけでなく、子ねこも生まれるわけで。
最近、よく見かけるこの子。3月くらいに生まれた猫でしょうか。
子ねこという時期はとっくに過ぎてはおりますが、最近よく見る新参🐈です。
フェンス越しなら、ここまで近寄らせてくれます📷

新参がいれば、もちろん古参も。
でも、こちらはちょっと変わり種!?
ザクロの実、2つが見えますか?
文字通りの古参💦去年からがんばってます💦

それにしても、ずいぶんなくつろぎよう。
旧堀田古城園周りで繰り広げられている(!?)縄張り争いを横目に😉 
ここは、やっぱり、猫たちの安全地帯なのかもしれません。

信玄ミュージアム内、昭和初期の料亭旅館、旧堀田古城園。
当館、総合案内で健康チェックシートご記入の上、ぜひご入室ください。
お天気が良ければ富士山が、場合によっては猫さんも眺めつつ、ご見学いただけます。
お待ちしております🙇
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今日は、国際博物館の日です。

2021-05-18 14:19:32 | 紹介
西では梅雨入りの便りも届いてますが、今年は梅雨入りが早そうですね。
甲府盆地も午後からどんよりしたお天気で、ムシムシして雨が降りそうなお天気です。

本日、当館は火曜の休館日ですが、世界的に5月18日は「国際博物館の日」という記念日になります。

文化庁HPの説明を引用しますと、
「国際博物館の日」は、博物館が社会に果たす役割を広く普及啓発することを目的として、ICOM(イコム。世界の博物館関係者で組織される国際博物館会議)によって1977年に制定されたものです。
この活動に賛同する世界中の博物館では、5月18日を中心に、無料開館、記念品の贈呈、地域連携事業、講演会等、様々な記念行事が行われます。

とあり、コロナ禍で博物館をはじめとする文化施設や活動に様々な制約が課せられる中、
改めて、博物館が果たす社会的な役割について考える日となればと思います。
日本の博物館については、こちらもご覧ください。↓
 当館は、正規の博物館ではなりませんが、その末席にある施設ですので、
本来でしたら、何らか貢献せねばならないところでしたが、あいにくの休館日。
昨年は、コロナ感染拡大で臨時休館でしたので、2年連続でお役に立てず、
来年こそは、何らかの貢献をしたいと思います。
施設の外には、屋根下で暑さをしのぎながら談笑する若者たちや、休館を知らずに
いらしたのか、様子を見にいらした方もいらっっしゃいました。
修学旅行で武田神社参拝にいらした学校もありましたが、休館でご見学いただけずに
大変申し訳ありませんでした。

梅雨入りで外出も控えがちになりますが、お近くにお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。
限定御城印も今月いっぱいですので、お忘れなく。


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こんな日は猫日和🐈

2021-05-16 09:47:57 | 紹介
非常事態宣言の延長後、初の週末です。
武田神社の参道脇には、屋台も出ていますが・・・
ここ数日は、比較的静かな武田神社、信玄ミュージアム界隈です。
今日は、朝からあいにくの雨で、来館者もまばらな状況です。

先日の金曜日は、甲府の最高気温、29.5度!外に出るのも億劫な方もいらしたかもしれませんが、
昨日、土曜日は、最高気温28度で曇り⛅
日中気温が上がり、やや暑くなりましたが、それでも比較的過ごしやすい日になりました。

そうなると・・猫さんたちが、あちらこちらから集まってくるんですね~。
まさに、猫日和🐈な予感です。
当館の特別展示室の裏でも


え!?総合案内、メインエントランスのすぐそばでも(-_-;)
お客さまが通っても、動く気配さえなく・・・
(猫にかわって、、申し訳ございません🙇💦💦)
ご通行、ご来館の皆さまが温かく見守ってくださるからこその、ちょっと和める光景です。
ありがとうございます🙇✨

ペットは家族同様(!)の今の世の中ですが、
猫が日本にやってきたのは、弥生時代ごろ。余談ですが、こういうことも発掘調査で明らかになるんです✨
奈良時代、大切な仏典をネズミから守るために、中国からやってきた🐈という文献も残っています。
そのお役目の傍ら、やんごとない方々の愛猫として飼われた子たちもいたようです。

戦国の世であっても、いえいえ、だからこそ!?
猫に癒されていた方々もそれなりにいらしたようで。

例えば、鬼島津と呼ばれた島津義弘(1535-1619)は、
鬼と言われる一方で、かなりの猫好きだったんじゃないか、と推測されています。
というのも、猫の瞳孔の開きで、戦地で時間を図ろうと、共に従軍。
その後、生きて帰れたお猫さま2匹を、猫の神さまとしてお祀りしております。

日本で唯一(?)の猫神神社!愛猫の長寿の御祈願はこちらでどうぞ🎶

猫好きとは一言も語られておりませんが、
松平信一(1539-1624)が徳川家康から贈られた兜の飾りは、
実は猫耳じゃないか(!?)とも空想され、触発されて制作された現代画もあるそうです。
所蔵のHP上では、「みみずくをかたどった兜」という説明されていますが、見れば見るほど猫っぽい😉 
ぜひぜひご確認を。

信玄公も猫好きだった!
となれば、ちょっと話題になりますが、残念ながらそういう記録は残っていません💦
ですが、たくさんの武将を適材適所で生かしたと評価されている武将です。
人を使うのではなく、その人間の技術を使う・・と語ったとも言われ、
例えば、批判にさらされた家臣の一人を、猫🐈を例えに擁護したエピソードも。

今日は本当に猫日和🐈
心地よい程度に暖かく、ちょっと静か。
最近見かけなかった、白猫の母ニャンも姿を現したようです。


最近もどこかで闘ってきた傷だらけのお兄ちゃん(左)です。
さすがに今は、エントランス前にはおりません。
かわいいあの子💕と、どこか、遊びに行ったかな?
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懐中に飯縄権現。その胸中は? 烏天狗到来!(その3)

2021-05-15 09:33:13 | 紹介
戦の時、信玄公が懐中に忍ばせた烏天狗・飯縄権現。

先ずは烏天狗のことが知りたくて、
カラスと天狗のイメージを眺めてみると、どちらも太陽や炎と関係が深く、
天(あの世)と地(この世)をつなぎ、神さまの案内役も務めるなど、
いくつか共通点が浮かび上がってきて・・・
烏天狗=山という異界に棲む、炎のように輝く黒鳥の擬人化という印象です。

烏天狗など、天狗と言えば山伏の装束を着ているイメージですが、
奥深い山の中=異界に住むと言われる天狗と、
全貌が見えないながらも、峰中で厳しい修行に挑む山伏の姿、オーバーラップしなくもありません。
実際、修行を終えて山から下りてきた修験者の様子は、
尊いような恐ろしいような、まさに天狗さながらだったという話も各地に残るようで、
人々は、山籠もりから帰ってきた修験者に、天狗という山神を見ていたとも言えます。

一方、当の修験者が目指したものは、まさに天狗の境地!?
というのも、修験者の究極の目的は、柱源(はしらもと)の境界を得ること。
つまり、天と地を結ぶ境地を得ることであり、それほどまでに意識レベルを高めることだとか。
でも、これって、カラスや天狗の得意分野。
修験者にとって、烏天狗は修験の道を究め神の域まで達した姿の象徴だったのかもしれません。

・・・
飯縄権現は、戦国武将たちが篤く信仰した戦勝の神ですが、
古くから山岳信仰の霊山であり、修験の場として栄えた飯綱山を発祥とします。
※飯縄山は、長野県北部の1900mを越える山です。

一般に飯縄権現は、白狐に乗り、剣と索を持った烏天狗で表されますが、
山伏の装束は身につけない一方で、さまざまな神仏の要素も合わせ持つ、
実はとっても欲張りな😉 お姿で表される神さま。
信玄公が懐に忍ばせたと伝承される飯縄権現像が、
具体的にどのようなものだったのか、わかってはおりませんが、
例えば、高尾山薬王院のご本尊飯縄大権現(江戸時代)は、
不動明王、迦楼羅天、歓喜天、ダキニ天、宇賀天、弁財天の五相合体!
飯縄権現は烏天狗の力を持ち、且つさまざまな神通力を合わせ持つ神さま。
領土を守り、拡大する宿命を背負った戦国武将たちにとって、
その力によるご加護は、とても素通りなんかできるものではなかった・・のではないでしょうか。

信玄公ゆかりと伝承される刀八毘沙門天と、
飯縄権現の授ける飯縄法の本地仏・勝軍地蔵尊(円光院(甲府市)所蔵)

・・・
戦国時代、さまざまな神仏が同時に信仰されたのは、
信玄公の拠点、躑躅が崎館の城下町に移転、建立された神社仏閣からも理解されるところ。
また、躑躅が崎館のプライベートエリアにも、「不動堂」、「毘沙門堂」、
そして「飯縄堂」といった祈りの場があったのではないかと言われています。
信玄公の飯縄権現像は、普段はこの「飯縄堂」に安置されていたのかもしれません。

「信玄公屋形之図」(一部)(江戸時代)より

こちらは、大泉寺(甲府市)所蔵の「武田信玄画像」
もしかして、その懐に飯縄権現像!?
そう思って観ると、新たな信玄公像が見えてくるかも!?

ただ今、当館特別展示室では、信玄公生誕500年を記念して、「遺産から語る武田信玄」を通年で開催中。
5月1日からは、大泉寺所蔵の「武田信玄画像」をご覧いただいております。
よろしければ、お立ち寄りください。お待ちしております。

最後までお読みいただき、ありがとうございました🙇💦💦💦
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カラスが天狗で、天狗がカラス!? 烏天狗到来!(その2)

2021-05-12 17:40:55 | 紹介
信玄ミュージアムのガラスをコツコツつつくカラス君。


カラスつながりで、信玄公も信仰した、お姿が烏天狗の飯縄権現のお話になりました。


神仏の信仰、関わり方は、時代・土地それぞれで違うもの。
戦国の世と今では、カラスや天狗を通して見える世界も違うはず。
それはそうなんですが・・・、でも、伝承とは言え、ちょっとは共感したいじゃないですか。
そっか。だから、信玄公はその懐に烏天狗のお姿の飯縄権現をしのばせたんだ💡って。

そんなわけで、先ずは、
この記事を書くきっかけをくれた「カラス」のイメージを探ります。

「カラスってこわい!」「なんかずるがしこいから、余計いや!」
現代カラスのイメージ😨 多くの方にとってネガティブなものかと思いますが・・・

そこに至るまでに、いろ~んなイメージが重なって、
私たちの頭の中の「カラス」が出来上がっているワケですが、
カラスと言えば、やはりその黒、見方によっては美しい濡れ羽色。
色から得る印象は強く、イメージの形成には欠かせなかったはず。
カラスが黒くなければ、神使・カラスも烏天狗もいなかったかも。

それじゃあ、古代の日本で、黒のイメージってどんなものだったのでしょう?
日が暮れた色、暗闇、悪、死→現世から離れる→禁欲、
その他、地下の色っていうのもあって、そこから再生、豊穣、母神が連想されて・・・

また、黒はなど最下層に属する人々の衣服の色とされたり、
平安時代に入ると、喪の色としても定着しますが、
時に、黒と対極の色である白と逆転したり、白黒が混ぜこぜになって、創造の根源の色とされたり。
浄でもあり、不浄でもあり・・・

黒いカラスは、その特性とも相まって、霊魂を運ぶ鳥としても考えられました。
これは、チベット仏教などの葬儀のひとつ、鳥葬が発想の源のようで、
ご遺体をついばむことで、その魂を天に運んでくれるという考え方。

太陽の象徴、または太陽神、例えばギリシャ神話アポロンの使いもカラス。
真黒なカラスと太陽?意外でしょうか?
でも、カラスはどの土地に生息しようとも、太陽に向かって巣に帰る。
そんな姿から、世界各地にカラスと太陽のお話が伝承されています。
(カラスは太陽の位置と体内時計を使って、巣に帰るそうです。)

それじゃあ、天狗はどうでしょう?

古代中国では、天狗は、読んで字のごとく「天の犬」、
凶事を知らせてくれる流星として考えられたとか。
犬は、鋭い嗅覚などによって霊感が強い、「死」に近い存在とされ、
境界を守るための生贄や儀礼・呪術にも使われていたようです。

中国の流星を天狗とする見方、実は日本では定着せず、
天狗という呼び名が定着したころには、異界から、時々こちらにやってくる妖怪、
見方を変えれば山の神としてとらえられていたようです。
時系列が前後してしまいますが🙇💦💦
一方で、古事記・日本書紀にも登場する、天孫降臨の時の案内役・猿田彦や、
仏法の守護神、迦楼羅天(かるらてん)にもイメージが重ねられたり。
迦楼羅天は、その前身がインド神話に登場する、炎のように光り輝く神鳥ガルラであり、
だから、興福寺など、日本に安置される迦楼羅天のお姿は、はっとするくらい烏天狗、なんです。

烏天狗!
カラスは天狗?それとも天狗がカラスなの?
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