あれから25年。
そう、阪神淡路大震災からもうこんなに時間が経ってしまいました。
もちろんこれまでも、
毎年この日が来ると、
心が神戸に向いて、
当時一緒に被災した方々のことを思い出し、
人知れず頭を垂れます。
当時、
神戸市中央区と灘区の境に住んでいたわたし。
寒い時期だったので、
毎日朝5時半になったら、ガスストーブをつけて二度寝し、6時に起床するのが日課。
この日はたまたまお休みの日で、
朝早起きする必要がなく、ストーブをつけなかったのが、
生死を分けたように思います。
もし、ストーブをいつものようにひねっていたら、
ストッパーが付いていない古いガスストーブだったので、
当然倒れて火が出ていたでしょう。
そして自分だけでなく周囲の方々にどれほどの迷惑をかけることになったか・・・。
時々思い出しては震えが来ます。
自分の住んでいたそのアパート、崩れおちはしなかったものの、
隣との壁に隙間ができた状態で全壊指定となり、
1ヶ月ほどは教会に寝泊りをしました。
地震で直接なくなった方は周囲にはおられませんでしたが、
その影響で年配の方が何人も亡くなり、
教会でも何人ものお葬式を出しました。
今の神戸がテレビ画面に現れ、
当時わたしがいた頃とは様変わりしてる様子に
25年の年月の長さを強く感じたまんじゅう顔。
それぞれが痛みを抱えながら
歩んでこられただろうことに思いを寄せて、祈りました。
思い返せば、
生田神社の石の鳥居は折れ、拝殿は潰れ、
神戸栄光教会の大きな十字架の塔は崩れました。
焼け野原の長田地区にあるカトリックの教会のイエス像が、
焼け落ちずに瓦礫の中に立っていた姿を覚えておられる方も多いかと思います。
身内を多く亡くされた方の中には、
神も仏もあるものかと思われた方も多かったでしょう。
クリスチャンでさえも、
こんなに悲惨なことも神の御手の中にあるとはなかなか思えず、
ただ「どうしてですか」と問うばかり。
しかしながら、
そんな状況の中であるからこそ、
交通が不便でそれぞれが大変な中、
毎週教会の礼拝に集い、
聖書の言葉を聞き、祈り、
それぞれのところでしっかり立ち上がっていった、
わたしの周囲の神戸の方々のことを思い出し、
心が強くされるのです。
そのころの日記は手元にありませんが、
目と心にしっかり焼き付いた強烈な記憶は決して消えることはありません。
そして15年前の今頃になると、
すでに「主婦日記」を使い始めて何年か経ち、
だいぶわたしらしい形になって来ていた時期。

子育て真っ最中の頃で、
バタバタしてましたから、記憶はあやふやですが、
手帳を出して開いてみれば、
昨日のことのように思い出されます。
週2回の幼稚園、その他の日は、幼稚園仲間のお家へ行ったり、
よその教会の親子会に出てみたり・・・・。
10年前には、子供が小学校に入って時間の余裕ができ、
非常勤の仕事をすでに始めています。

子供が学校に行ってる間の仕事で、
子供が学校から帰って来たら、今日は「野球」、「ピアノ」「病院」と送り迎えをしてました。
そして5年前。
子供が高校入試だった・・・。
まーさんはまだこちらに来ておらず、
わたしは相変わらず週4日非常勤をしてた・・・。
時々、こうやって並んでる手帳を引っ張り出します。

特別気持ち的に重いこの時期、
阪神淡路大震災以降、
自分の心の中にある神戸で灯された小さな明かりに支えられながら、
わたしなりに、
良くも悪くもわたしらしく、
日々を重ねて来たことを確認し、自分で納得するんです。
「手帳」は、今だけのものではないし、
過去の遺物でもない。
これはわたしの実感です。
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