せっかくなのでほとぼりが冷めないうちに今の思いを書いておこうと思います。
私がウォーキングを始めたのは2011年の1月。
2010年の年末はグァムに旅行に行ったけれどあまり外に出ず、ホテルでゴロゴロしているくらいのぐうたらぶり。
帰ってからも「寒い」と言って毎日こたつにもぐっていました。
そんな堕落しきった生活に何か区切りをつけようとお正月に一念発起してウォーキングを始めました。
その後、3月に震災が起こり、日本中が不安と悲しみで包まれ、私の心も不安定になりそうな時もありました。
そんな時、毎日ひたすら歩くことで気持ちを整えていたように思います。
歩くことはお金もいらない。
道具もいらない。
本当に人が苦しい状況になった時に役に立つのは健やかな心と体かもしれないと思いました。
それまでお金さえ出せばすぐに手に入る安易な物やことに飛びつきがちだった私だけどコツコツ自分を磨いていく楽しさが何となく分かってきました。
歩くことは直接誰かの役に立つことではない。
その時間、働けばもっと収入を得られる。
でも自分が本当に心から喜びを感じられることを続けていて、ポジティブな気持ちで過ごすことがめぐりめぐって人の役に立てるのではと思いました。
本当は被災地に行って直接人を助けたかった。
金銭的な援助ももっとしたかった。
でも現実問題、それができませんでした。
それまでの私だったら直接的に人を助けられない私にOKは出せませんでした。
無力感を感じながらも自分の命を最大限に輝かすこと=歩くことに思えました。
〈続く〉
私がウォーキングを始めたのは2011年の1月。
2010年の年末はグァムに旅行に行ったけれどあまり外に出ず、ホテルでゴロゴロしているくらいのぐうたらぶり。
帰ってからも「寒い」と言って毎日こたつにもぐっていました。
そんな堕落しきった生活に何か区切りをつけようとお正月に一念発起してウォーキングを始めました。
その後、3月に震災が起こり、日本中が不安と悲しみで包まれ、私の心も不安定になりそうな時もありました。
そんな時、毎日ひたすら歩くことで気持ちを整えていたように思います。
歩くことはお金もいらない。
道具もいらない。
本当に人が苦しい状況になった時に役に立つのは健やかな心と体かもしれないと思いました。
それまでお金さえ出せばすぐに手に入る安易な物やことに飛びつきがちだった私だけどコツコツ自分を磨いていく楽しさが何となく分かってきました。
歩くことは直接誰かの役に立つことではない。
その時間、働けばもっと収入を得られる。
でも自分が本当に心から喜びを感じられることを続けていて、ポジティブな気持ちで過ごすことがめぐりめぐって人の役に立てるのではと思いました。
本当は被災地に行って直接人を助けたかった。
金銭的な援助ももっとしたかった。
でも現実問題、それができませんでした。
それまでの私だったら直接的に人を助けられない私にOKは出せませんでした。
無力感を感じながらも自分の命を最大限に輝かすこと=歩くことに思えました。
〈続く〉
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