
4月13日から16日までの3泊4日の旅です。ソンクラーン初日の出発です。スワンナプーム国際空港を午前7時55分発のタイ航空TG-303便にてヤンゴンへ向かいます。
午前8時7分、航空機は滑走路に向かいます。タイの4月は雨季にはまだ早く快晴日が続くはずですが、今年は異常気象で空には真っ暗な雨雲が立ち込めています。



古の都ペグーは、この川を利用した交易で繁栄したのでしょうか・・・。





入国審査へ向かう途中で空港職員に「日本人か?」と呼び止められます。「そうだ」と答えると「こちらへ来い」と進行コースから外されます。
カンボジアやラオス、タイですら陸路の入出国では20バーツから100バーツの賄賂を要求しますが、ミャンマーでは国際空港ですら金銭を要求するのかと思っていると、放射能検査をするとのこと。
「僕はタイから来たのであって、福島の原発事故とは関係がない」とパスポートを見せて説明、検疫官も納得して無事解放されました。まさか福島原発事故の影響がここまで及んでいるとは知りませんでした。
ちなみにタイではそんな検査はしていませんでした。



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ヤンゴン=マンダレー高速道路入り口です。料金所の時計は午前9時37分を示しています。
■南下したビルマ族がバガンに建国するのが849年です。ビルマ族が南下する以前には上ビルマにピュー王国(驃国)、下ビルマにはタトゥン、ペグー(ハンターワディー)にモン族が500年頃から港市国家を築いていました。832年雲南地方の南詔の攻撃を受けピュー王国は滅亡、835年にはモン族の港市国家も攻撃を受けます。
南詔は戦利奴隷として住民を昆明へ連行します。こうして出来た上ビルマの空隙地帯に南詔に従属していたビルマ族が逃走、849年イラワジ川流域のパガンに建国します。
1044年に即位したアノーヤター王(在位:1044年から1077年)は東部のシャン族、下ビルマのモン族のタトゥン王国を征服し覇権をビルマ全土に拡大、パガン王朝(1044年~1299年)が勃興します。
パガン五千坊と呼ばれ、カンボジアのアンコールワット、インドネシアのボロブドゥール遺跡と共に世界三大仏教遺跡としてパガン遺跡を遺したパガン王国の繁栄も約200年後の1287年にフビライ・ハンの率いる元の襲来で陥落します。陥落後も王統はしばらく続きますが、1300年にはシャン族のインワ王朝(1365年~1555年)がとって代わります。
パガン陥落後の下ビルマでは勢力を盛り返したモン族がペグーを中心にペグー王朝(1285年~1539年)を興します。
ビルマ族はアヴァを拠点とするインワ王朝とペグーの中間に位置するタウングーに逃れ国家を建設します。
1538年にペグー王朝を滅ぼし、モン族を支配下に置きペグーに遷都、ビルマ族のタウングー王朝(1531年~1752年)が誕生します。
1557年にはチェンマイ王国を占領、属国とします。
1568年に上ビルマのインワ王朝を滅ぼし版図を最大にします。
1570年に前期アユタヤ王国を陥落し、1571年からラーンサーン王国へ侵攻を始めます。
しかし国内ではタウングー王朝の圧政に対してモン族の反乱が勃発、1599年には国王が殺害され、1643年に王都をアヴァに移します。
反乱を起こしたモン族は1740年に再度覇権を勝ち取ります。1752年にモン族はアヴァを陥落させタウングー王朝(ニャウンヤン王朝)は滅びます。
ビルマ族はシュエボー(コンバウン)で再興を図り、1753年アヴァを奪回、1757年ペグーを攻略し、寺院はことごとく破壊、経典などは焼き払われ廃墟となりります、モン族は次から次へと虐殺されました。
コンバウン王朝(1752年~1885年)は1767年には後期アユタヤ王朝を滅亡させ隆盛を極めますが、インド方面に進出し、イギリスと敵対することとなります。
三次に亘る英緬戦争の末、コンバウン王朝の首都マンダレーは陥落、1886年にビルマはイギリス領インドの1州となります。

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仏塔には仏陀の遺髪が2本納められています。

気温は40℃近くまで上昇、裸足生活に慣れない日本人にとっては、のんびりと日向を歩くことはできません。足裏を火傷してしまいます。




















素焼きの壺は、浸透した水が気化して熱を絶え間なく放出するため冷水となっています。







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