■カンタラウィチャイから国道213号線を8km進むと国道12号線となってカーラシン市街へ入ります。国道12号線に合流する交差点を右折、国道2116号線をドヴァーラヴァティーの環濠遺跡「ムアン・ファー・デート・ソン・ヤン」へ向かいます。
国道2116号線を23.6km進むと国道2367号線と交差します。交差点に結界石のモニュメントが立っており、左折してしばらく進んだ集落「バン・セーマ村」の中に「ムアン・ファー・デート・ソン・ヤン」へ通じる細い路地があります。この村は環濠の中にあります。
この標識は遺跡の帰りに出会いました。カーラシン市街から訪れる人の目印ですが、逆の道から来たので帰りがけになりました。
ここにも結界石のモニュメントがあります。
「プラタート・ヤクー」です。
現在の仏塔は3期に分けて建立されています。正方形の基壇と四方の階段は8世紀から10世紀のドヴァーラヴァティー時代、八角形の台座はアユタヤ時代、その上の八角柱の塔本体はラッタナコシーン時代との説明がありますが、詳しい年代は記載されていません。
他にも何基かのドヴァーラヴァティー時代の煉瓦積みの仏塔が残っていますが、いずれも崩壊が激しく、原型を想像できない状態です。
「プラタート・ヤクー」は後世の仏塔建設で大規模な補修、補強がされているようです。
地元の人の間では、仏塔には高僧の遺骨が納められたと信じられています。
ドヴァーラヴァティーの仏塔跡が「プラタート・ヤクー」から同一線上に3基並んでいます。
「プラタート・ヤクー」の周りに立てられている結界石です。
駐車場の周りにも結界石がたくさん建っていますが、ゴミに埋もれています。
二重土塁に囲まれた環濠です。
およそ5kmの環濠都市の形状が、結界石に似ているため「ムアン・セーマー」とも呼ばれています。
ここまで来る間のイサーンのほとんどの農地が赤色の干からびた大地でしたが、この一帯は水利がよく緑豊かで、稲穂が良く実っています。古代都市がこの地に成立した理由が良く分かります。
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■「ムアン・ファー・デート・ソン・ヤン」へ来た路地を戻り、「ワット・ポー・チャイ・セーマーラム」に寄ります。
寺院の境内には「ムアン・ファー・デート・ソン・ヤン」から出土した、8世紀から10世紀の結界石がたくさん集められています。
「ピムパーの泣き石」と呼ばれる「カピラヴァストゥへの帰郷」を描いた結界石です。帰郷し父王、息子ラフーラ、妻ヤソーダラ・ピムパーに出会うところで、妻は髪の毛で仏陀の足を清めると言う、最大の敬意を払う場面が描かれています。この結界石のオリジナルは、コーン・ケン博物館に展示されています。
寺院の奥には美術的価値の高い結界石が集められ展示されています。
「サラパンカ・チャードック(ジャータカ)」と解説されています。
「ネミラー・チャードック」
「ポムマナート・チャードック」
環濠都市の地図です。形状が結界石になっています。
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■カーラシンの観光ガイドブックをチェックして、宿泊を「リム・パオ・ホテル」にしました。午後4時前にチェクインです。一泊1100バーツで2泊します。
最近のホテル代もずいぶん高騰しているようです。数年前までは宿泊料が1000バーツを超えるホテルはまずありませんでした。
ちなみに「リム・パオ・ホテル」もガイドブックでは660バーツから3745バーツと印刷されています。
カウンターの女性たちが暇そうなので全員集合の記念撮影です。
8階の部屋です。解放感もあり、見晴らしはいいです。
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■まだ時間も早く、ホテルから14kmのところに「シム・ワット・クラーン・コーク・コー」と観光地図に載っているので出掛けてみます。
煉瓦造りの小さな布薩堂ですが、お堂の壁部分が少なく、壁画は描かれていません。
シムの背面から撮影しました。
側面です。
お堂の左右の壁は階段状にオープンとなっています。
境内に設けられた灌水のための仏陀です。表通りをソンクラーン・パレードが通っています。パレードの途中でお参りに来た人たちです。
礼拝堂ではメー・チー(女性の修行者)が読経の最中でした。
取敢えずソンクラーン・パレードが過ぎ去るまで境内で休息します。
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