昭和三丁目の真空管ラジオ カフェ

昭和30年代の真空管ラジオを紹介。
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ハリクラフターズ ( Hallicrafters ) S-38 受信機 (2)

2008-08-17 | アメリカ製真空管ラジオ

名機と呼ばれ、戦後日本の民生用受信機や通信機の開発にも大きな影響を与えた Hallicrafters社 S-38 シリーズの中でも、大変貴重な初期モデルであるS-38(No letter/前期タイプ '46年製)を入手して約1ヶ月が経過した。
 ハリクラフターズ ( Hallicrafters ) S-38 受信機 (1) でも書いたとように、第二次大戦の終了した翌年、EchoPhone EC-1B/Hallicrafters S-41G SkyRider Jr.をベースにレイモンド・ローウィのデザインと再設計を加え、初心者向け民生用受信機として登場した S-38は、大ヒット商品となり、戦後日本の民生用受信機や通信機の開発にも大きな影響を与えた。
        
        ▲Hallicrafters社 S-38 初期型で眠れぬ夜にジャズやR&Bを聴く
数年後、 S-38のデザインをコピーした、より高性能な受信機が日本の通信機メーカーから相次いで発売されている。
        
        ▲S-38をコピーし、高性能に進化させたデリカCS-7('59~)
それは60年以上前、『インダストリアルデザイン』という新しい価値観の重要性を日本人が無意識のうちに感じ取り、後年、アメリカの開発した通信機・家電をはじめ自動車・産業機械といったあらゆる分野の工業製品に “ 機能 ・品質・安価 ” という高い付加価値を与えることで AMERICA を凌駕し、彼らのマーケットを席巻する胎動期であったと考えれば、この S-38は “ 戦後の日本 ” を象徴する意味深い受信機である。
        
        ▲トリオは9R-4JをアメリカでLafayette KT-200/HE-10の名前で発売
 今回落札したS-38は、スチール製ケースの塗装色がダークグレー、底蓋もスチール製を採用しているS-38(No letter)前期型モデル。小キズ・汚れは多少ありるが、目立つへこみやひどい錆はなく、下の写真のとおり大変キレイな状態だ。
 レイモンド・ローウィによるデザインは、 S-38の立方体のキャビネット・ケースのエッジに柔らかな丸みを持たせ、フロントパネに専門用語で言うところの黄金比(最も美しいとされる線分比率 Golden ratio)に従ったレイアウトを採用している。 黄金比とは、線分を a, bの長さで 2 つに分割するときに、a : b = b : (a + b) が成り立つように分割したときの比 a : b のことであり、植物の葉の並び方や巻き貝、純結晶といった自然界にも見られる。黄金比は、神のもたらした神秘的な規則であるとも言われ、歴史的建造物、美術品は最も美しいとされるこの線分比で構成されていることが多い。
        
        ▲レイモンド・ローウィがデザインしたHallicrafters社 S-38 初期型('46年製)
 またS-38のデザインで目を引く特長は、左右向い合わせの半円状周波数インジケータにある。向かって左側がメインダイヤル、右側がスプレッドダイヤル表示だが、通常はスプレッドダイヤルの表示位置を「0」にして、メインダイヤルで大まかなチューニングを行ないます。
        
 このようにケース塗装、各ツマミ・スイッチ、裏蓋まですべてオリジナルのままの S-38は、60年以上前の受信機であることを考えると、極めて良好なトップレベルのコンディションではないかと思います。
        
 底蓋に貼ってある、むやみな調整を戒める警告ラベル(紙製)もきれいに残っている。ちなみにS-38A以降のバージョンの底蓋には、コストダウンのためにスチールではなく厚紙が使われており、アメリカらしい合理主義を垣間見ることができる。
        
 厚紙で出来た裏蓋を外し、キャビネットの内部を確認する。基本回路はトランスレス5球スーパ+BFOなので、シャシ上面は非常にスッキリしている。ほとんど錆のないシャーシ上には、RCAやGE製のGT管、メタル管が整然と並ぶ。スプレッドダイアル用に2軸方式となっているバリコンは、60年以上前の受信機とは思えないほど、輝きさえ放っている。シャーシに貼られたシリアルNo.ラベルがそのまま残っているのも嬉しい。
        
 近代の日本と最も関わりの深い国がアメリカであることに、誰も疑う余地はないだろう。ペリー来航による開国、明治におけるハワイ・西海岸への入植・移民、欧米列強のアジア支配に国家の存亡を賭けた闘いに敗れ焦土と化した日本・・・そこへアメリカが圧倒的な力とともに携えてきたのは映画と音楽にチョコレートだった。 彼らのもたらした文化の中で、物質的な豊かさを追い求めていた昭和世代の日本人にとって、AMERICA は “ 特別な国 ” なのかもしれない。
        
 20歳を過ぎた頃、自分の中に流れるその “ 特別な何か ” を知りたくて、シアトル郊外のSea-Tac空港に降り立った。小さなリズムボックスとカセットレコーダーをカバンに詰め込み、ギターを抱えてグレイハウンドバスに揺られながら、ラスペガスを目指した。 だが憧れの国だったはずのアメリカにボクの求めた居場所はなく、結局、AMERICA にたたずむ自分は “ 黒い瞳を持つただの日本人 ” であることを、思い知らされる旅だった。
        
 バブルがはじけて意気消沈したままの日本と自分自身の人生観との微妙なすれ違いに苛立ちを感じ、心の空白を埋めようと仕事にのめりこんでいた30代前半・・・ロサンジェルス郊外の工場に据え付けた産業機械のPRビデオ撮影現場に1週間立ち会った。
荒野に建つ真新しい広大な工場内で、汗にまみれて黙々と単純な肉体作業にいそしむヒスパニック系労働者と監督役のフィリピーナ。せわしなくフォークリフトを操るアフロ・アメリカンたちを横目に、電動カートに乗った白人エンジニアは日本からの撮影チームに気安く声をかけてくるが、経営陣とおぼしき白人は、決して目を合わせようとせず、ただ黙って横を通り過ぎる。 
“人種の坩堝(るつぼ)” と言われるアメリカの完璧なまでのヒエラルキーと、いわゆる “高品質なモノづくり” のみがこの国での日本人の存在意義である現実を肌で体感した。
        
 勤務先では毎年、7月下旬に9日間の夏季休業がある。今年は シアトル - ポートランド - サンフランシスコ - サンノゼ へプライベートの旅に出る予定だったが、諸般の事情でやむなく出勤。屋外は連日35℃を越える猛暑の中、オフィスのデスクに向かい「暑い~!・・・」と連呼するトホホな羽目になってしまった。

 蒸し暑い夜の続く深夜、浅い眠りから目覚めたボクは、ベッド脇に置いた S-38の電源スイッチを入れて、チューニングダイヤルを回す。ある日は雑音交じりに聞こえてくるジャズやR&Bに指を止め、また別の日にはどこの国からの電波ともわからない伝統音楽に耳を傾けているうち、いつのまにか眠りに落ちてしまう日々を過ごしている。

■過去の記事 ハリクラフターズ ( Hallicrafters ) S-38 受信機 (1) 2008年07月25日