◎トゥルトゥリエ(Vn)チッコリーニ(P)(EMI/PATHE)1970初出・CD
この曲は奇跡的によくできた曲である。サティがこのスタイルで他に室内楽を書かなかったのが不思議なくらい同ジャンルにおいて独特の境地を示しており、決して筆のすさびではない。楽想的には中期サティのピアノ曲と同じものがあり、パロディ性が強く、一方で洗練・凝縮・単純化された書法や旋律を解体し伴奏と装飾音形だけで短い曲を形作るという斬新なやり方もはっきり表れている。それらのかもす空気感、透明で幻想的な流れはヴァイオリンという生臭い楽器を用いてもまったく失われず、寧ろその魅力が倍加されている。まるでヴァイオリン的な用法を馬鹿にしたようなパッセージも数多いが、それが毒のある雑味として導入されているわけでなく、見事にピアノと調和し、しっかりアンサンブルしているのである(アンサンブルというほど組み合わないが、掛け合いというくらいには組み合っている)。サティの弦楽器がこれほどサティ的情感を表現できていることに驚かされる。題名や3曲の標題はあきらかにダダイズム的でたいした意味はない。伝統的なコラールからはじまり子供音楽のパロディ的なフーガ、そしてなかなかウキウキの終曲幻想曲の最後にはなんと伝統的なヴァイオリンのカデンツァ(的なソロ)が入るが、どこかサティ流儀で、パロディというほどには野暮ではない。何か全てが寸止めされるような余りに短い3章だが、この完成度、サティ好きを自認するなら必聴だ。サティの魅力をまたひとつ発見できるだろう。ヴァイオリン的にはとくに難しくない。でも、サティ風に演奏するのにセンスは必要だろう。少なくとも情感を込めてはいけない。ピアノも同時期の独奏曲と非常に似通った感じでとくに難しくはなさそう。この演奏は数少ない音盤の中でも最も叙情的で美しい演奏である。ちょっと高尚すぎるかもしれないが。譜面は現在は極めて低額で手に入ります。◎。
この曲は奇跡的によくできた曲である。サティがこのスタイルで他に室内楽を書かなかったのが不思議なくらい同ジャンルにおいて独特の境地を示しており、決して筆のすさびではない。楽想的には中期サティのピアノ曲と同じものがあり、パロディ性が強く、一方で洗練・凝縮・単純化された書法や旋律を解体し伴奏と装飾音形だけで短い曲を形作るという斬新なやり方もはっきり表れている。それらのかもす空気感、透明で幻想的な流れはヴァイオリンという生臭い楽器を用いてもまったく失われず、寧ろその魅力が倍加されている。まるでヴァイオリン的な用法を馬鹿にしたようなパッセージも数多いが、それが毒のある雑味として導入されているわけでなく、見事にピアノと調和し、しっかりアンサンブルしているのである(アンサンブルというほど組み合わないが、掛け合いというくらいには組み合っている)。サティの弦楽器がこれほどサティ的情感を表現できていることに驚かされる。題名や3曲の標題はあきらかにダダイズム的でたいした意味はない。伝統的なコラールからはじまり子供音楽のパロディ的なフーガ、そしてなかなかウキウキの終曲幻想曲の最後にはなんと伝統的なヴァイオリンのカデンツァ(的なソロ)が入るが、どこかサティ流儀で、パロディというほどには野暮ではない。何か全てが寸止めされるような余りに短い3章だが、この完成度、サティ好きを自認するなら必聴だ。サティの魅力をまたひとつ発見できるだろう。ヴァイオリン的にはとくに難しくない。でも、サティ風に演奏するのにセンスは必要だろう。少なくとも情感を込めてはいけない。ピアノも同時期の独奏曲と非常に似通った感じでとくに難しくはなさそう。この演奏は数少ない音盤の中でも最も叙情的で美しい演奏である。ちょっと高尚すぎるかもしれないが。譜面は現在は極めて低額で手に入ります。◎。