湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲

2012年10月25日 | ラヴェル
○アンダ(P)ロスバウト指揮バーデンバーデン南西ドイツ放送交響楽団(hanssler)1952/3/15放送用セッション・CD

ミスタッチが目立ち響きには重みがなく、にも関わらず魅力的なのはケレン味溢れ尚乱れぬテンポ取り、細かいニュアンスの美しさ、清潔で透明な音に尽きるだろう。若きアンダのマスターピースではないが特徴的な演奏である。スピードが無いにもかかわらずダレないのは、これはバックオケの影響かもしれないがフォルムがしっかりしており、そのうえで正確なリズムにのっとった発音が極めて明瞭なためだろう。録音のせいかオケが引っ込み過ぎであり、ブラスなどもっと前に出て欲しい。ロスバウトの職人性が裏目か。アンサンブルは完璧。録音状態はよい。モノラル。○。
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ミヨー:ヴァイオリン、クラリネットとピアノのための組曲

2012年10月25日 | フランス
○リッター(Vn)ケル(Cl)ローゼン(P)(Cherry)1953/4NY・CD

ミヨーらしい牧歌的な室内楽。この組み合わせならではの、兵士の物語をオマージュしたと思われる3楽章にはニヤリとさせられる。ヴァイオリンの開放弦の重音が楽しい。演奏は生々しくも鋭利でもなくいい意味で中庸、技術的には何ら問題は無い。とりあえずモノラルという点を除けば私はこの盤だけで十分だ。○。
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ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番

2012年10月25日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(BS)1956/5/2初演live・CD

被献呈者による初演記録である。かなりノイズ除去がなされていて却って音の輪郭がぼけて分離が悪くなっている感は否めない。演奏自体は初演ということもあり後年の記録に比べ違った操作が行われているところも聴かれ、派手派手しい響きも耳に残る。ハレ管という分の悪いオケによる演奏ということで打楽器のテンポが危うくなったり色々問題はあるのだが、この曲にしてはブラヴォの飛ぶ演奏というのもなかなかなく、それだけのことはある迫力をもっている。個人的にはバルビの同曲演奏の中では好き。○。
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ベルク:抒情組曲

2012年10月24日 | ドイツ・オーストリア
○ヴェーグ四重奏団(audite)1963/11/10・CD

ちょっとびっくりしたリリースだが、甘さのないヴェーグの表現は抽象度を高める半面ベルクの特長であるなまめかしさというか分厚い響きの変化に先導される音色効果の妙をきかせるには、禁欲的すぎるというか、筋肉質すぎる気もする。ツェムリンスキーのエコーもあまりそうは聞こえない。そもそも抒情的ではない。むろん曲のせいである。かといってバルトークをやるような激しいスタイルでもなく抑制的にも感じた。にしても掴みどころのない難曲だ。それをまるで難無くこなしているような三楽章など素晴らしい。
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シェーンベルク:弦楽のための組曲ト長調

2012年10月24日 | ドイツ・オーストリア
○フリッチャイ指揮BPO(audite)1949/11/28チタニア・パラストlive・CD

古風な組曲との原題どおり調性音楽として書かれており、旋律要素もはっきりしており、構成要素の呼称から新古典主義の作品であることは明白だが、世紀末ウィーン風とでも言うべき半音階的進行や音色効果は、初期作品から生臭さを抜いて職人的に仕立てあげたふうであり、そのくせなかなかにくせ者な技巧がちりばめられている。とても人好きするが、それはアイヴズでいえば三番交響曲のような位置付け、決して模索の結果の到達点ではなく一種妥協の意図せぬ成果というか筆のすさび的なものと考えるべきだろう。ツェムリンスキーを想起するくらい逆行しているのだ。フリッチャイは比較的余裕のあるオケから溌剌とした輪郭のはっきりした音を引き出している。よく響きが整えられ作曲家の創意をわからせる配慮が嬉しい。○。
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ディーリアス:アパラチア抜粋

2012年10月24日 | イギリス
○バルビローリ指揮NYP他(BS)1938/4/17カーネギーホールLIVE・CD

今は二枚組で出ているバルビローリ協会のディーリアス集だが一枚めは再発、二枚めはライヴ集だが一部再発で他も裏青を含めればほとんど既出である。このトラックは唯一CD初復刻のSP音源と思われる。生気に満ちた演奏でディーリアスとしては素朴な初期作品に含まれるこのアメリカ時代の産物を、アメリカの楽団、歌い手を使って明るくあっけらかんとやっているところに価値をかんじる。ノイズが最悪だがハーモニーで進行する詠嘆の表現はバルビローリらしさが僅かに垣間見える。○。
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シェーンベルク:ヴァイオリンとピアノのための幻想曲

2012年10月23日 | ドイツ・オーストリア
○ヴァルガ(Vn)クルシェネク(P)(audite)1951/9/24・CD

後期作品にもかかわらずシェーンベルクらしいというか、ヴァイオリンが色っぽい。縮緬ヴィヴラートを駆使するソリストのせいもおおいにある。クルシェネックのピアノは素晴らしく鋭敏。それに対して少し前時代的すぎる演奏かもしれない。○。
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シェーンベルク:室内交響曲第1番

2012年10月23日 | ドイツ・オーストリア
○フリッチャイ指揮RIAS交響楽団のメンバー(audite)1953/1/10放送音源・CD

演奏日異説あり。15楽器版による演奏でフリッチャイの鋭い発音が曲にマッチして、響きのぬるまゆさより厳しさが伝わる熱演。だがライヴ的な軋みが詰まらない怜悧さを遠ざけ耳馴染みよくしている。わりと旋律性があり初期シェーンベルクらしいピチカートなど駆使した音色変化の面白さにも惹かれるいっぽう、単一楽章に多要素を押し込めたけっか散漫な印象も与えるが、この演奏でも山場がわかりづらく終始テンションの高い弦楽器と、数では勝るはずが余り引き立って来ない管楽器のひたすらわたりあうアンサンブルをきくのみになってしまう。曲の問題か。マーラーの夜の歌を想起するフレーズがあるが全般はやはりブラームスを突き詰めたかんじだ。○。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第15番

2012年10月17日 | ショスタコーヴィチ
○コンドラシン指揮モスクワ・フィル(STATEWORK)1972/9/14放送LIVE

極めて良好な録音。web配信されている。ミュンヘンオリンピックの文化プログラムの一環として演奏されたもので、本国での録音とも違う一種異様な緊張感が感じ取れる。折しもイスラエル選手団が襲撃され多数の死者を出したときでもあり、時代の気色濃い。コンドラシンの洗練されたスタイルはのちのコンセルトヘボウ時代に通じるものがあるが、オケの調子はその時代を上回る。ショスタコ最後のシンフォニー、自虐的な皮肉に満ちた一楽章のオリンピック風味(ウィリアムテルなどの引用)は象徴的な乾いた調子で激しく響く。しかし楽章を追うごとに過去作品の緩徐楽章から14番死者の歌のあの点々とした風景へと尻窄みになる。まるで死。生への皮肉。ソビエトへの皮肉。自分への皮肉。さまざまな想像をかきたてる抽象性の高い演奏だ。軋みも歪みも無い名演。
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マーラー:交響曲第9番~.リハーサル

2012年10月16日 | マーラー
ホーレンシュタイン指揮アメリカ交響楽団(放送)1969NY live

ホーレンシュタインの耳の鋭さは感じ取れるが、解釈には疑問を抱く。拘る部分と拘らない部分の基準がわからない。再現部相当の部分でのばらけた演奏ぶりを看過しているのは単にその後の練習風景をカットしたからなのだろうか。うーん。
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ブルックナー:交響曲第9番~

2012年10月16日 | ドイツ・オーストリア
○ベイヌム指揮ACO(放送)1950年代半live・着任25周年記念盤

LP化されていた音源でナレーションも収録されている。これは単独演奏されたようだが、ねっとりとした重くロマンティックな表現をとりながらもダイナミクスの変化の付け方は至極まっとうで自然である。そのため勘違いブルックナーとも言い難いそれなりに聴ける演奏となっており、深い感動はないが心地よい感傷をのこす。○。
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オルフ:カルミナ・ブラーナ

2012年10月16日 | ドイツ・オーストリア
○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団他(SCC:CD-R)1969/5/18live

大げさな始まりから音符を切り詰め攻撃的な発音でスピーディに展開していくいつものストコのブラーナである。この楽団らしい派手派手しさにくわえ、牧歌的な曲でさえどこか冷たく恐ろしげな気配がするのはストコの同曲観といっていいだろう。柔らかさが無い。クライマックスの作り上げ方も見事で大ブラヴォが飛ぶのもいつものとおり、と言っていいか。独自の世界なのでこの曲の正統な聴き方を好む向きには薦められないし、この曲のもつ世俗性を映画音楽的な見方から楽しむ向きにも薦められないが(ジョン・ウィリアムズ好みの風景はどこにも無い)、まずまずの録音状態のステレオでもあり、ストコマニアなら聴いておいていい。ソプラノ独唱が素晴らしい。
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モーラン:シンフォニエッタ

2012年10月15日 | イギリス
○ボールト指揮LPO(LYRITA)CD

旋律性を固持した折衷的作風だが、モダンでみずみずしいリズム表現はウォルトンやコープランドをも想起するモーラン。この曲もバックス的な現代性を表面上は貼付けながら、中身はディーリアス風和声を織り交ぜたRVWであったりシベリウスであったりもっと昔の旋律的な後期ロマン派音楽であったりと、シンフォニエッタという名称に期待される合奏協奏曲的な立体的な構造は三楽章にならないと聞こえて来ない。ボールトが立派にやり過ぎていて、大曲感が強く、もっと軽く透明にやると違ってきこえるかもしれない。もっとも、個人的にはバックスの曲なんかよりずっと魅力的に聞こえた。人好きする作曲家だ。人間的な末路を選んだ人らしい内容だ。
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ホルスト:惑星~Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ

2012年10月15日 | イギリス
○サー・アーネスト・マクミラン指揮トロント交響楽団(ANALEKTA/NAXOS/VICTOR)1942・CD

意外や意外、聴けるのだ。ねっとりロマンティックな惑星、金管が事故を起こすほどうねる、こんなものは聴いたことが無い。あるいはこのオケの鮮やかな色彩感を活かしたみずみずしい表現。ロシア人指揮者のようだ。録音は悪いし人により気持ち悪くて聴けないと思うが、私は耳から鱗が落ちた。ラヴェル派のホルストならやはり突き放した表現のほうが正統だろうが、こういうのもあっていい。ナクソスでオンライン配信中。
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ミヨー:劇音楽「コエフォール」

2012年10月12日 | フランス
○マルケヴィッチ指揮聖チェチリア音楽院管弦楽団他(eternities:CD-R)1952/5/29live

DGGにラムルーといれている演目のライヴになる。同曲はストラヴィンスキーの原始主義の影響を受けたあと多調性を研究した結果生み出された最右翼作品として知られるが、しょうじき、アイヴズを聴いている身からするとリズムが揃っているだけ数倍まし、むしろ旋律性が強く、無調的な部分もシェーンベルクのような秩序が感じられ茫洋として聴きづらいことがない。演奏自体のテンションの高さ、とくにリズム処理のうまさに感服させられる。最後はもうえんえんと旋律の楽天性に身を任せ気持ちよく終われる(最終音も不協和だが)。通常の人なら気が違ったような曲と顔をしかめるかもしれないが、私は非常に楽しめた。ライヴ的な前進性が心地いい。○。
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