湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ごてごて

2008年12月09日 | Weblog
お気づきの方もいるかもしれませんが徐々にバナーを増やしています。余りに文字だらけで寂しいというか見難いという話は旧サイトの頃からあったのですが、かといっていちいちレコメンドしたようなamazonなどの商品リンクを貼るのもめんどくさい。ちょっと面白いと思ったのはダウンロード販売系の音楽サイトでクラシック音楽対応しているところがままあることで、タワー系のナップスターと老舗リッスンジャパンを貼らせていただきました。その他、GIFが動いて楽しいのと、記事と記事の間を埋めるためにしつこくバナーが出るのは商売っ気が出たからではありません。しょうじき商売とは程遠いのがこのニッチな分野・・・
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ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

2008年12月08日 | 北欧・東欧
○グリーンハウス(Vc)スワロフスキ指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団(CHS)LP

ろうろうと歌いスカっと終わる曲なだけに「さてもう一回終楽章だけ聴くかな」という気分にさせる演奏は多いのだが、これはちょっと違う。「もう・・・いいわ」と思う。しかし名演なのだ。これは1楽章から3楽章まで、ゆっくりと確固としたテンポで(しかし重くは無く軽く明るく)一貫した独特の詩的雰囲気に満ちている。ソリストは確かな技術はある、だがこのテンポでは上手いのかどうか、音色も艶を出す類の自在な解釈ではないので、よく聴けば通好みのニュアンス、ボウイングの憂い、美しさはわかるが正直技巧的にどうこうというのはわからない。ソリスト部だけでは語れない曲だから、やはりスワロフスキという独特の指揮者の意思が入っているには違いない。スワロフスキがウィーンの楽団により冷徹ともとれる客観解釈を音楽的な横の音楽に昇華させている。

とにかく二文字で表せば「纏綿」。このような感動のこみ上げる2楽章を私は知らない。1,3楽章も速い部分のスポーツ的な快感よりメカニカルな構造を作為的なまでに(一部いじっているように聞こえたが)抉り出したうえで、旋律を非常に感傷的に歌わせている。VSOOらしい雑味はあるがこれも音が輝かしく美しく、同調するソリストとともにこの遅いテンポをもって初めて出来ると思われる、落ち着いた壮大な音詩を紡ぎ出す。

重くは無い、しかし何か残る録音。チェリストが挑戦して乗り越える対象としての曲ではないという主張を、ソリストもスワロフスキもなしているかのようである。ひょっとしたら、このほうが正統なのかもしれない。よく見る盤なので機会があれば。モノラルでコンサートホール録音なりのやや音像のはっきりしない、でも自然な音。○。

bernard greenhouse(Vc) etc. ;
ravel album
Beaux Arts Trio [Ensemble], Menahem Pressler [Piano], Bernard Greenhouse [Cello], Daniel Guilet [Violin]
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マーラー:交響曲第9番

2008年12月06日 | マーラー
○コンドラシン指揮モスクワ・フィル(LANNE:CD-R)1971/5/30プラハLIVE

録音はあまりよくはなく演奏的にも荒くて危なっかしい、精度が低いものだが、真に迫ったものはあり一気に聞かせる。MELODIYA盤よりわりと個性は薄く、コンドラシンらしい一貫した力技という特色は出ず、刹那的な激しさもマーラー的、という言葉で説明できる範囲なのだが4楽章だけは次元が違っていて、他楽章でも往年のロシアオケらしいボリュームと彫りの深さはあるが、ここにきていきなり即物的にテンポが速くなりコンドラシンらしさが前に出てくる。最初は軽すぎる気もしないでもないが、ホルンソロの音に確かにロシア奏法が聞かれたり、弦のうねるような重厚で滑らかな起伏のつらなりが往年のロシアの弦楽アンサンブルらしさを出してきて、かなり感情を揺り動かされるフィナーレになっている。それだけのせいでもなく、全般通して音さえよければかなりの名演だったことが想像された。○。

日本初演ライヴ(67)ただいまダンピング中(2008/12現在)




KONDRASHIN;
Kirill Kondrashin
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ショスタコーヴィチ:交響曲第8番

2008年12月04日 | ショスタコーヴィチ
○コンドラシン指揮フランス国立管弦楽団(lanne:cd-r)1969/7/29パリlive

これは最初こそラジオノイズが気になるが細部までウブい音でとらえられ、素晴らしい拡がりあるステレオ録音、バランスは弦が強くブラスは比べれば若干引き気味でとらえられてはいるが、アバウトさもひっくるめて力強いコンドラシン壮年期の表現が最上級の聞きやすい(ロシアの癖のあるオケやホールの音ではない)録音で聞ける。曲自体の価値を高める感すらある。コンドラシンがロシアでアメリカなど他国の音楽をやったときのような、ショスタコなのにショスタコじゃない、スヴェトラが外国へ出て振ったときのような「ロシアオケじゃないとこうなるんだ」的なものもあるが、意外とショスタコをロマンティックにとらえ、ギチギチの楽章こそ即物的な「らしさ」が強調されるものの、ゆるやかな大半の部分にあっては暗すぎず響きと旋律の美しさが感傷的な起伏をお自ずとおりなしていき、バンスタをふと想起するところもある。「革命」の隔世エコーがひびくとその感を強くする。曲は違うがprofilのバイエルンライヴに似た録音の感触があり、機会があれば聴いてみてください。○。

正規録音全集(この値段て・・・)




KONDRASHIN;
Kirill Kondrashin
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YouTubeオーケストラは電子楽器の夢を見るか

2008年12月03日 | Weblog
見ない。

YouTubeオーケストラ、団員募集――目指すはカーネギーホール



思えば就職のとき面接でまさにこの構想を語ったことがあったっけ。パソ通の時代だったけど仮想通貨を利用したネトゲ空間構想まで語ってた、そのうちの一つ。

メインフレームでオープンリールテープの時代に。

みんな思いつきはするけど、ってものである。

インフラと社会的認知度が上がるのに十数年の時間がかかった、ということでもあると思う。言うだけなら誰でもできる。

それにしてもほんと、ちょっと感動した。そうか、動画共有サイトというのが一つの仮想空間を形成するものとすれば、それがホールでもありえるし、オーディション用の小部屋でもありえるのだ。繊細な指示の必要な楽器教育にはちょっと向かないけど、単純な技術を見る、更に技術をクリアした慣れたメンバーがオケで合わせる、そういうレベルのことはある程度はネットだけでも可能だ。

ギターを電話口で弾いて聞かせて、曲を組み立てていく、フォークの時代に行われていたことを単に置き換え置き換えしていくと、ネット上だけの仮想フルオーケストラも出来るのではないか。音の重ね方に工夫は要るけど、調整を重ねれば難しくは無いだろう。世界中に散って活躍する忙しいソリストたちが、サイトウキネンのように無理に集まるのではなく、ある時間だけPCの前に集まり、演奏し、サーバ上のホールでオーケストラとなる。タクトは画面でも接続された物理的な棒状のものでもいい、俊敏に反応さえすれば。少なくともリハに使える。少なくともセク練レベルはこれで十分だろう。

そういう構想も語ったおぼえがある。

実際にやったおじさんがいて、それはホールにオーケストラの形に、大小スピーカーを並べてそれぞれからそれぞれの楽器の音を流す・・・実際はシンセで自分が作った音をわざわざアナログ空間で協和させる、というタクトもいらない半端なものだった。いや、演奏は演奏家がすべきだろう。オーケストラは協和と不協和のせめぎあいだ。協和しかしようがない「俺様オケ」はきっと面白くない。

>米Google傘下のYouTubeは12月1日、オンラインオーケストラ「YouTube Symphony Orchestra」の結成を発表、世界中の音楽家に参加を呼び掛けた。

 YouTube Symphony Orchestraは個人の演奏をインターネットを通じて世界規模のオーケストラに変換する試み。参加者がアップロードした課題曲を演奏する動画を組み合わせ、1つのコラボレーション演奏動画にするという。また応募者の中から来年4月15日にカーネギーホールで演奏する演奏者が選ばれる。

 参加希望者はサイトにコラボレーション演奏用の課題曲と、オーディション用の自分で選んだ楽曲を演奏する計2本のビデオをアップロードする必要がある。課題曲は、このプログラムのために上海出身の作曲家タン・ドゥン氏が作曲した「The Internet Symphony」という楽曲。

~豪華メンバーだ、ちょっと不調かもしれないけどティルソン・トーマスにロンドン交響楽団、サン・フランシスコ交響楽団・・・

2ちゃんオケとかmixiオケとか、かつてはネットコミュニティができるたびにオーケストラが結成され・・・消えていったものだがそういう限りなくアマチュア臭いものとは訳が違う。少なくとも世界レベルである。

これも試みだけで終わるかもしれない。でもちょっと感慨だったのだ。

ようつべの不意なる高画質版提供開始を思い出す。こういったものへの展開の布石だったのだな。

しかし音質はあれでいいのか?
Comments (2)
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ミヨー:バレエ音楽「屋根の上の牛」

2008年12月02日 | フランス
○デゾルミエール指揮ORTF(RICHTHOFEN:CD-R他)1948/3/11シャンゼリゼ劇場live

板起こし。この擬似輸入海賊盤(恐らく国内産だろう)は原盤状態が余りよくないものが多いかもしれない。これを別のものと組んで裏青化するくらいなら同じ演奏会をまとめて裏青化してほしかった。そしてこの演奏はデゾのライヴということでスタジオではしばしば軽くそっけない一直線の演奏をしたこの人の、実演におけるリズム処理の巧さと案外情緒的に揺らすところが聴けて面白い。反面、技術的に問題があるのかオケは乱れがち。音色も情緒的になり過ぎるために、浅薄なラテンふう音楽の浅薄な旋律・リズムだけがえんえんと聴かれる感じで飽きる。ポリトナリの微妙な響きや精緻な構成をもっと浮き彫りにしないとどうも、ザ・六人組という範疇を越えられない曲ではある。デゾにしては楽しい、ということでおまけで○。アンゲルブレシュトのバックによるシェラザードを裏青化するほうが先ではっ。
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バルトーク:弦、打、セレスタのための音楽

2008年12月01日 | 北欧・東欧
アンセルメ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1949/1/8live

アンセルメは速い楽章の動き出しが常に遅い。すぐに流れができるのだが、ザッツを数学的にあわせようとしすぎているような、国民楽派音楽ではスタジオ録音でさえ萎縮したようなものを感じることが多い。この音楽は精密機械指向の強いアンセルメ向きではあるが同時に即興的な動きというか感情的な動きを、ギチギチの弦楽アンサンブルで即物的に表したような部分も多く、2楽章(「マルコヴィッチの穴」で使われた)では実際はそれほどでもないにせよ相対的には異様に乱れたような冒頭の印象を持つ。オケにそれほど機能性が感じられず、もしくは相性が悪いのかもしれないがバンスタ常任時代のNYPのアバウトさを想起した。響きへの配慮は素晴らしいが、オケに染み渡っているとはいえないようにも思う。あと、録音が悪すぎる。もう殆ど鑑賞に値しない。貴重な時期の録音ではあるが、無印。
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<豆情報>ACOアンソロジー第五弾クリスマス発売

2008年12月01日 | Weblog




いよいよ1980年から90年までのシリーズBOX、前回から一年十ヶ月ぶりでしょうか。あいかわらず高いわりに既出や現代ものが多いけど、ラフマニノフの2番シンフォニー、コンドラシンで1980年8月18日ライヴとくれば買う人はいるんだろうなあ。フォンクのディーペンブロック?ルーセル3番!!裏青が次々と正規化される流れはいいですね。ドラティの悲愴や法悦の詩かあ。バンスタのタイタンは1987年10月9日のもの。あとはドラティの「映像」かな。
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ミャスコフスキー:交響曲第23番(交響的組曲)

2008年12月01日 | ミャスコフスキー
○スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団(warner他)CD

全集の一枚。スヴェトラのアンソロジー中の演奏水準でいけば後期にしてはかなり上。若干大人しめだが小音量部分での繊細な音響配慮、しんとした空気感が晩年の特質を示している。○

楽曲は交響的組曲とクレジットされることが多く、やや散漫ではあるが一応三楽章からなる交響曲の形骸は保っている。全般印象はきわめて伝統的なロシア・ロマン派音楽でありボロディンの国民楽派の伝統にのっとっているように感じるが、終(3)楽章は古典派に立脚点を求め西欧ふうの構造的書法が特筆すべき点として挙げられるが、終幕の不思議に気まぐれな場面転換ぶりは、その洗練ぶりがフランス的ですらありミャスコフスキーの個性を僅かに感じさせる部分となっている。2楽章は暗いだけ。全般薄い音楽の中で1楽章は印象に残る。「交響的幻想」を思い出させる構成にカバルタ主題(同時期行動を共にしていたプロコの弦楽四重奏曲第2番3楽章主題と同じ民謡を使っているのが印象的)を織り交ぜ、これもやや気まぐれではあるが何か哲学的というか暗示的な雰囲気を持ち面白い。少し混乱して長すぎるものの、清澄な音楽で聴きにくい部分は少なく、お勧めできる。
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