湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

オネゲル:交響曲第3番「典礼風」

2008年02月15日 | フランス
◎アンセルメ指揮バイエルン放送交響楽団(orfeo)1964/1/24live・CD

これは叙情的!2楽章などオネゲルの緩徐旋律を、これ以上無いほどロマンティックにしかし清潔に表現している。こんな曲だとは、という向きもいるだろう。アンセルメ向けの透明でかっちりしたアンサンブルを提示するBRSOも秀逸だ。かたやゴリゴリのバッハイズムの発揮された曲想の表現もアンセルメらしい鋭利で統制のきいたもので、クーベリックのオケとは思えない精度である。とにかく2楽章以降は暗い曲想もまったく叙情的に聴こえてしまうほどで、とにかく美しくて、ビックリ。◎。
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ドビュッシー:選ばれし乙女(ポエム・リリーク)

2008年02月15日 | ドビュッシー
○チェリビダッケ指揮トリノ管弦楽団&合唱団、ソーテロー、フィオローニ(arlecchino)1959・CD

オケはトリノRAI放送管弦楽団だろう。意外と良音で伸びもよく適度なクリアさで曲を楽しめる。未だロマンティックな気配ののこる作品に耽美的な表現で美を引き出すチェリ過渡期の佳演。
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モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク(弦楽のためのセレナーデ第13番)

2008年02月15日 | その他古典等
○イワーノフ指揮モスクワ・フィル・ソロイスツ(selectmedia)1962・CD

意外としっかりした盤でじつにそつがない。録音もクリア。ソヴィエトってモーツァルト好きな国だったけど、余りに明るくて毒気のないスタンダードさにいささか拍子抜けはした。ギチギチに締め上げるでもなく、中庸。
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チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

2008年02月11日 | チャイコフスキー
○ホルライザー指揮ウィーン・プロ・ムジカ交響楽団(ウィーン交響楽団)(VOX)

録音もモノラルで遠いのだが、演奏もちょっと地味である。抑制的で熱気が感じられないところが多い。音表現がしっかりしておりリズムが引き締まっている反面、激しい表現が全く無い悲愴もどうかというところだ。1楽章は感情的に盛り上がる場面はいずれもかなり抑制的で表現の起伏が少ない。緩徐部のたっぷり尺を使った清清しい表現が特徴的とは言える。2楽章も普通。3楽章もまた普通だが、解釈の特徴として音を引き締めているだけにVSO(pro musica symphonie-orchester wien,あるいはpro musica symphony of vienneなどの変名がある)らしく縦が危うくなるところがひときわ目立っている箇所がある。4楽章が唯一抑制の個性的な表現に結晶したものとして評価できるか。無印にしたいが○にしておく。
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ショスタコーヴィチ:祝典序曲

2008年02月08日 | ショスタコーヴィチ
○ロジェストヴェンスキー指揮LSO(BBC,MEDICI)1985/7/8ロンドンLIVE・CD

ややオケが上品でそつなく録音も引きだが、演奏はすぐれて熱と技のバランスのとれたもので聴衆も盛り上がる。ロジェストヴェンスキー最盛期のいきおいを感じることができる。それにしてもイギリスオケが巧いことは確かだ。。
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ムソルグスキー:禿山の一夜(リムスキー・コルサコフ編)

2008年02月08日 | ロシア・ソヴィエト
○ロヴィツキ指揮ワルシャワ・フィル(LYS他)1960-67・CD

民族的な荒々しさを感じさせるリアルな演奏だが技術的な弱さもなくしっかりした縦の揃った音楽となっている。この人のつねとしてここでは夜明けの弱奏部に憂いがなく魅力がないが、悪魔や魔女の乱舞する前半部は独壇場。なかなか凄絶。録音は左右の分離のきつい古いステレオだが不足はない。
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マーラー:交響曲「大地の歌」

2008年02月07日 | マーラー
○ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団、ソウクポヴァ(A)ゴールドベルク(T)(WEITBLICK)1977/4LIVE・CD

最初はどうにも客観性が気になる。巨大な四角い枠組みだけの建物を見ているような、鉄骨の間に風の通るような1楽章。オケもやや不安定でブラス陣の音程が低いように感じる。弦はしかし装飾音にアタックをつけびしっと揃えるところがいかにもケーゲル流でかっこいい。丁寧さの美質は2のような楽章にあらわれる。くぐもった音楽のアク抜きがなされ聴きやすい。抑制の美質は3にもあらわれる。弦がとにかく前に出ないが、しっかり下地を組んでいる。4では緩徐部で歌と共にかなり無茶なテンポ・ルバートが入るが、いかにもケーゲルらしく凄い。このような沈潜は巧いがプレストのドライヴは抑えられるかんじだ。5もヴァイオリンの下降装飾音のアタックが強烈だがテンポ的には落ち着き響きも抑制的、だからこそ室内楽的アンサンブルがしっかり楽しめる。歌はじつにそつない。告別も調子は同じで心象的な響きが印象にのこる。明るいが沈む光景に歌が載る。後期マーラー的な特殊な音響を鋭く読取り、異常にはりつめた空気の中に点描させる。とつとつとしたハープの響きがじつにいい。雰囲気的なところから自ずと感傷の沸き上がるような、ワルターとは反対の方法で同じ域にたっしたような演奏である。歌とオケのバランスも理想的。長長しいが、浸りきることができる。

後半になるにつれ起伏が板につき素晴らしくなる演奏。たしかに他には聴けないたぐいのものだろう。録音もけしてよくはないが実像であろうものに非常に近づいているのではないか。
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ルーセル:交響曲第4番

2008年02月07日 | フランス
○ツィピーヌ指揮ラムルー管弦楽団(CAPITOL)

比較的冷たい響きでアンゲルブレシュトを現代的に整えたような演奏に感じた。1楽章本編に入ってからつんのめり気味なテンポでどんどん前にいってしまうのはちょっと独特だが、あとはかなり全体の均整の考えられた演奏で、モノラルながら適度に色彩的でもある。わりと急ぐわりに中庸だが、まあ○。
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耳がよいのは不自由なこと

2008年02月07日 | Weblog
弦楽器のアマチュアという立ち位置を念頭にクラシック音楽を見たとき、絵でいえば落書きとイラストの差というのか、どうせ落書きだから好き勝手にさせてくれ、と思うのは道理だ。これは単なる我儘ではないと思う。

人にみせびらかす、合奏をするというならば、辻栄二氏の実に正しい佳著「アマチュアの領分」を玉条にあげ精進すればよい。しかしあくまで感覚的理解を深める手段として楽器に触れるという原点に立ち返り、客観が必要だというだけなら録音して自分で聴けばよい。他人は不要だ。なぜそのテンポで、その音を自分は欲しがったのか?生々しく自分の打ち出された傲慢な独り演奏、それは楽曲理解よりむしろ自己理解の深遠な行為である。楽譜は音楽をするうえでの道しるべ、記号である。デジタルな記号からアナログな音楽に移し替える作業が演奏であり、演奏者の主観がその方法を決定する。自分の芸術的嗜好の源泉を探求することが音楽鑑賞の目的であるとしたら、あくまでアマチュアとして演奏をその延長上に位置付ける場合、他者との調和にとらわれず自由奔放に楽器をかなでることは間違っていないと思う。

クラシックのアマチュア演奏界ってじつに特殊な世界だ。なんでみんなあんなに従順なのか、不思議に思う。通常の趣味より余程労も金もいるものなのに、よくもまあ他人の指揮で他人の解釈を忠実にやるもんだ・・・と感心してしまうのはワタシの厭らしい皮肉な性格によるものなんだろう。

客観という言葉は絶対的な何かに近づく手段として語られる。プロが客観を失ったら金などとれない。しかしこの客観もまた主観の対置概念でしかない。実演の音を再現できないと録音を嫌った、稀にみる鋭敏な耳の持ち主であったチェリビダッケは、ホールの音響に対する感覚においてフルトヴェングラーの耳が悪いと言ったことがある。ここでチェリが言う耳とはチェリの耳である。現代では演奏家の誰もが持たなければならないとされる、絶対音感的なものである。耳の鋭い人は下手な聴音を嫌う。プロの中には悪い演奏悪い音を聴くと吐き気をもよおしたりする人もいるし、耳に悪影響をおよぼすと退ける人は多い。チェリはあきらかにその指向を持っている。

だがチェリの音楽は万人に絶対ではない。録音の話になってしまうが、ワタシなど余りに均質すぎて一回聴いたらもういいや、と思ってしまう曲もあり、ワンパターンさを感じてしまう。その厳しさは究極にはPCで作れる音楽を求めているのではないかと。もちろん曲によりけりでそんなことはなかろうが、音楽は厳しければ面白いのか、同じ実演専門指揮者でもあるフルトヴェングラーのムラの多くもどれも楽しい音盤を聴くと、いや、むしろ耳は鈍感なほうが豪快に振り切った音楽を作れていいのだ、とも感じる。

楽譜に忠実なのも音響的に完璧なのも、ただの一つのやり方、主観的解釈にすぎない。ただ念頭に置くべきは、自分の耳だけが絶対だと思わない度量の大きさを持つことである。あくまで生み出す立場ではなく、享受する立場にいるマニアは、とくに。

耳を狭くしたら、最後はなんにも聴けなくなるだろう。

ましてや雑音だらけの骨董レコードや、アイヴズみたいな非調和音楽も。

自分の出した音すら。
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ルーセル:ヘ調の組曲

2008年02月07日 | フランス
◎ツィピーヌ指揮ラムルー管弦楽団(CAPITOL)

ハープのテンポがわずかにずれるなど大雑把な部分もあるが、ラムルー管らしい洒落た音で前進的に押し進められる音楽は力強くスケールがある。色彩的な書法をよく活かした演奏になっている。管弦楽のすべてのパートが往年のフランスの音で統一されているだけに重さも晦渋もなく、ルーセルの意図したところが過度なリズム強調による濁ったバーバリズム音楽ではなく華やかでキッチュな明るい世俗音楽であったのだろうと改めて感じさせる。ドビュッシイズムも未だ聞き取れ、ルーセルが過去と決別し変貌した作曲家ではなく、あくまで延長上に作風を確立した人なのだとわかる。それが聞き取れるということで正統的演奏といえると思う。ルーセルがたいてい感じさせる不自然さがここにはない。
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マルティヌー:ピアノ協奏曲第3番

2008年02月06日 | 北欧・東欧
フィルクスニー(P)クリップス指揮NYP(DA:CD-R)1965live

新古典主義のロマンティックで凡庸な曲。初期プロコの影響も強い。クリップスらしい小気味いいテンポ回しが悪い録音状態を跳ね除けるが、3楽章のテープ撚れはきつい。ピアノは胡麻を撒くようにパラパラ難なく弾きこなす。まるでアディンセルとかそのへんの曲のようなもので、名技的ではないため、クラシカルミュージックという立場では、どういうスタンスで聴いたらいいのかわからない。
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ショスタコーヴィチ:歌劇「鼻」組曲

2008年02月06日 | ショスタコーヴィチ
○モートン・グールド指揮デトロイト交響楽団(DA:CD-R)1978live

やや鈍重でリズムがはっきりしない。しかし情景描写力はある。色彩は比較的明確でショスタコの諧謔を表現するに足りぬところはない。ただ少しアタックが弱くテヌート気味の音表現がそぐわないのだ。録音は篭り気味で悪いが一応ステレオ。
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ストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」(1911年版)

2008年02月06日 | ストラヴィンスキー
○モントゥ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1953/11/4live・CD

このスクリアビンショック冷めやらぬ作品、それほど好きではないが、巧緻な設計の音楽で、技巧的に優れたオケにシェフが演奏すると素晴らしく効果的である。モントゥ/BSOは恐ろしく完璧な水際立った演奏を繰り広げ、どうだと言わんばかりだ。凄いスピード、なのに解れが無いのが凄い。最後はやや大人しく、拍手も大人のそれである。モントゥの録音にしてはまあまあの録音状態か。CDレーベルはmusic&artsという記録もあるが詳細不明。
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チャイコフスキー:交響曲第5番

2008年02月06日 | チャイコフスキー
○ルドルフ・アルベルト指揮セント・ソリ管弦楽団(club france/ACCORD)1959・CD

この組み合わせで後期三部作をClub Francais du Disque(言わずもがな一時期高額沸騰していたフランスのLPレーベル)に録音している(セント・ソリ管は実体がラムルー管と言われている)。トスカニーニ的で軽快だが品格が感じられる演奏で、録音かオケの特性からか透明で音構造の細部まで識別しやすく、感傷的な沈潜のない純音楽的感興を掻き立てられる。CDには3、4楽章に録音難な箇所が二箇所ほどあるが、他はおおむね良好なステレオ。4楽章の人工的なテンポ設定は面白い。○。
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マーラー:交響曲第2番「復活」

2008年02月06日 | マーラー
◎クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団、シュワルツコップ(sp)マイダン(msp)(EMI)1961/11,1962/3・CD

ライヴとは違ったスタジオならではの音のよさとバランスの素晴らしさが楽しめる。細部まで聴こえて初めて価値がわかるたぐいの指揮者ではないがこの演奏では弦のアーティキュレーションの細部まで指示が行き届き(オケの自主的な可能性もあるけど)、終楽章でオラトリオ的な合唱の下に消えてしまいそうなところでも伸び伸びと弓の返しまでしっかり表情付けがなされているのがわかり面白い。オケが中性的だからこそ聴こえてくるものがある。独逸のオケではクレンペラーの色が濃すぎて却って耳煩わしくなることもあろう。これは「清清しい復活」という混じりっ気の無いCDならではの「音響」を愉しむための盤であり、変な色をつけない解釈もそれを助けるものである。生臭さのない稀有壮大な宗教祭儀の如き演奏。まだ晩年の超遅速にはいたっていない。◎。
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