○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団他(OLYMPIA/仏WARNER・スヴェトラーノフ協会)CD
ミャスコフスキーの中では特異なブラスバンドのための交響曲である。そのまんまの意味でのオーダメイドに近いのだろう。しかし意外とこれがすんなり聞きやすい。旋律がいつにも増してわかりやすく親しみやすいせいもあるが、弦を使わないことでストレートに強靭なブラスの音で表現できていることがプラスと受け取れるせいかもしれない(コノ演奏にかんしてのみ言えばソビ響のバラケた独特の弦が入らないこと、世界一強靭なブラスがそのぶんのびのび全開なことも要因だ)。ミャスコフスキーは弦の人だが、ゆえにか弦の扱いが独特で、旋律表現にもクセがある。というか妙に機械的で単純なのだ。特に後期における単純さへの指向(もしくは体制側からの要望)がロシア臭をきつくさせている面も否定できない。
この曲は交響曲的な構成をとっているが1楽章はほとんどブラスバンドのための序曲であり、最初の上向音形からしてラフマニノフの交響曲第3番1楽章の有名な第二主題を想起せざるをえないあけすけさである。コノ曲だけ抜き出して軍楽隊が演奏しても誰も気がつかないだろう。構造的には交響曲であっても内容的に純粋な交響曲ではない。ただ、主題展開は末期交響曲特有の常套性があきらかにみられる。
2楽章もラフマニノフ末期の書法や旋律展開を思わせる明快さとジャズ的なちょっと洒落た和声展開やうらぶれた楽器用法の感じがあるが、これは交響曲らしい魅力的な間継楽章になっている。暗い第二主題などわりとRVWとかそのへんを思わせる西欧的な部分もある。これも含めミャス末期交響曲的な単純さである。さて3楽章制を旨としてきたミャスとしては異例な4楽章構成だが、この楽章も含め本人も言っているように行き当たりばったりな感じがするまま3楽章も緩徐楽章となっている。ベースとホルンの取り合わせがいかにもな出だしの暗さだ。
4楽章は楽想変化に終楽章らしさはあり、弦が加われば末期交響曲のそれとまったく同じ雰囲気だけれども、結局また祝典序曲な出だしから、スターウォーズの終幕のような音楽と言わざるをえない。ただ、展開部(というかロンド的に繰り返し祝典主題があらわれるの中の「継ぎ」)で旋律が音量の小さいソロの数珠繋ぎで痩せてパンチに欠けている。もっとも、この演奏ではソビ響のブラスや木管の独壇場が聴ける点ではいいけれども、曲的に4楽章がもっと盛大に盛り上がればもっと交響曲らしかっただろう。楽章全体がマエストーソという名前なところも変。結局同じような音量で平坦なまま、祝典主題の何度目か回想であっさり終わる。まあ、これもミャスの個性だが。ソロ楽器に任せる部分が多く、スヴェトラは楽だっただろう。○。
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ミノフスキーにどうしても見えてしまう。
困った時のミノフスキー理論(^◇^)
俺はとっくにガンダム熱は冷めているのでこの理論はもうギャグとしか思ってない。
ヤマトならなんとなくわかりますが。。卑近な人間ドラマの舞台として未来を置いたにすぎないソフトSFは理論は仕方ないんじゃないでしょうか、、、考証にハマり創作できなくなった創作家さんはどの分野にもいますね。理科男本はお笑いだからいいけど「と」系の内部崩壊ぶりは引きます。