○フルニエ(Vc)シュミット・イッセルシュテット指揮北西ドイツ放送交響楽団(tarha)1956/5/14・CD
Schumann/Dvorak: Cello ConcsFournier,RosbaudTahraこのアイテムの詳細を見る |
いったいいくつ出てくるんだというのがフルニエ、そしてロストロのドヴォコン(後者はそれこそ演奏会の数だけ出てきそうなものだが)。フルニエは音の美しさとそつのない演奏ぶりでむしろ多彩なバックをつとめる指揮者・オケ陣に聴き所のある場合が多い。熱血でスピードも飛ばしがちなクーベリックあたりとのものが面白いが、節度と厳しさを併せ持ったイッセルシュテットのような指揮者に機能性が持ち味のNWDRSOという常任の組み合わせも興味を惹かれるものはある。
確かに明らかに個性やパッションが聞き取れるたぐいの演奏ではなく、どちらかといえば「模範的演奏」の気の強いものではあるが、率直なテンポでヴァイオリンのような演奏振りと言ったらいいのか、スピーディでタッチも軽く、しかしやはりチェロだからその共に打ち出すのは難しいわけで、指がややスピード負けしてつんのめったり音量的にはっきりした変化がつきづらくなっていたりするところもある(それほど目立たないし録音が篭っているせいもあるが)。一部ヴァイオリニスト同様、音色の安定の余り一種飽きをきたすところもあるが、これは聴く側の贅沢だろう。オケ単体になるとイッセルシュテットの表現がぱっと出て纏綿な弦楽アンサンブルを聞かせたりなど面白いところもある。バックオケとしても立体的で構造の明瞭な彫刻がチェロの音線としっかり組み合っていく気持ちよさはこの指揮者のメリットだろう。響きのバランスよさ安定感はドイツっぽく、スラブぶった匂いを取り去っている。
音表現の美しさは2楽章でとても生きている。この盤の白眉だろう。古典的な雰囲気すら持つ水際立った精度のバックもさることながら、フルニエの高貴な旋律表現は筆舌に尽くしがたい。大きな流れの中に技巧的フレーズが有機的に、悪徒に主張せず組み込まれ、音楽の緩急が呼吸するように調和的に紡がれていく。バックが節度を持ちすぎて音が鄙びる感もあるが、この表現でフルニエの音量が余り出ないせいかもしれない。ソロ管楽器とソリストとのアンサンブルもなかなか丁丁発止だ。
3楽章は厳しく始まるがソロが入るとちょっと柔らかくなる。ちょっと録音が悪くなっているせいかもしれない。音量変化が聞き取りづらいのが骨董録音の実にデメリットで、tahraはよく音質調整はしているが音量操作までは余りしないから音域がカットされている音源の場合部分的にパワー不足を感じる場合がよくある。武骨なオケとなめらかなソロという組み合わせで意外とスケールが広がらないが、録音の限界のほかに、フルニエのそもそもの芸風とも言える。技巧的には本当に素晴らしいが音量は控えめ。調和のとれたあくまで「制御された柔らかさ」を目しているのだ。チェロらしい音域に降りた第二主題のほうがやはり素晴らしく力がある表現になっている。余りにしゃっちょこばったコンマスソロ(というかあくまでオケの声部として敢えて堅く表現させているのだろう)が対照的で、可哀想になるほど美しい音色表現で圧倒的な存在感をみせる。制御的なオケの引いた構築性がソロを自由にさせている。といっても自由にするようなソリストではないので、あくまで節度ある貴族的な雰囲気のうちに、壮麗なオケが出しゃばって幕は下りる。○。
音色が柔らかいって事はまぁそう言うこった。
オケはかなり遠慮しなければならない。
この曲は楽器がぎしぎし鳴るぐらい弾かないととてもオケと対等に勝負出来ないからね。
チェロなんて楽器は大きいけど音量は本当に小さい。
中音域だからってのもあるけど。
体力勝負だよ。
でもそうなるとハイドンのチェロ協奏曲がどうしても納得がいかないのだよなぁ。
あんなハイポジで弾かないといけないのに。
もちろんドヴォコンも。
作曲家の周囲にそんな弾き方しかいなかったら曲もそれ相当になるはず。
だからカザルスには悪いけどそれは本を挟むと言うのは一般的ではなかったかと思うのだ。
やはり周囲に豪腕なチェロ弾きがいたからこそあぁ言う曲が生まれたと思うなぁ。
NYタイムスに記事がありました。
http://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=9E04E4D71F31E132A25755C0A9659C94669ED7CF
1904年9月1日に夭折した記事もありました。his musical education from the great 'cellist Piatti and from Klengel and Davidoff at Lelpslcだそうですが、ピアッティ、クレンゲルって聞いたことあるような。バリ弾きの若手ソリストとしてドヴォコン初演の不意なる幸運にあずかり大成功、NYPを率いてロンドン凱旋公演し以後ヨーロッパを廻ったそうです。ヴィクトリア女王のお気に入りだったともあり、ヨーロッパ一厳しいライプチヒ・ゲヴァントハウス初の英人ソリストとしてドヴォコンをやりに招かれ、ポツダムで皇帝の御前演奏をやることになるほど成功したとあります。ストラディはさる公爵からもらったようです。
つまりハイドンはストラのチェロを念頭に作曲したわけではなさそう。
教則本書いてる人なんですね。イギリスのチェロ演奏の父、みたいです。オールドスタイルを貫きエンドピンを使用せず、変幻自在の演奏を繰り広げたとあります。しかしまったく非感傷的で、同時代の演奏家とは違っていたとも。機能的な現代奏法のルーツなんでしょうか。
http://www.cello.org/cnc/piatti.htm
非ドイツ系音楽家に手を差し伸べて成功させる、リストってやっぱりそんな存在だったんですね。ペストにかかって楽器を売ってしまったピアッティに最終的にアマティ贈ってます。ブレイクのきっかけとなったのがロンドンデビューでの指揮者メンデルスゾーンとの邂逅で、紛失した協奏曲を彼のために書いているそうです。とするとあの時代、チェロ協奏曲という形式も割りと普通にあったということなんですね。。イギリスって裕福だけれども音楽的後進国という面でやっぱり客観的に演奏家に対峙しパトロンとなる存在だったんですね。スターンはこのイタリア出身の王立音楽院教授に師事したということです。Hausmann, Stern, Becker, Whitehouse and Squire were among his many distinguished pupils.という記述がありますがチェリストの系譜はよくわかりません。大成功してのちはアマティにとどまらずRogeriとかいろいろ持っていて、中でも1720年製ストラディは「ピアッティ」という通り名がついたそうですが今誰が使っているんでしょう。
私が覚えていた理由はヨアヒム四重奏団のチェリストということだったようです。しかしエルンスト、ヴィニャエフスキ、ヨアヒムというレパートリーとしていた曲って思いっきり技巧曲ですね。。オケは完全にバックに徹してそうです、聞いたことないですけど。この時代の演奏家らしく自作もたくさん作っていて、18世紀音楽のチェロアレンジもたくさんしているそうです、レパートリーにするために。
写真があります。ストラは現在メキシコのCarlos Prietoが使っているそうです。
http://www.alfredopiatti.com/
ピアッティのウェブサイト。
足でしっかりと支えられなくなりエンドピンを使うようになったけど、結局それが楽だしハイポジも楽って事で一般的になったと昔聞いた。
俺もたまにエンドピンを伸ばさず弾くときがある。
畳の上とかで練習する時はエンドピンは刺せないしね。
練習場所によってはエンドピンの使用お断りの所もある。
かまぼこの板とか専用の丸い板で対処している人もいるけど俺はもっぱら脚ではさむ。
まぁ面白がって弾いているってところもあるけどね。