湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲(2012/3時点でのまとめ:5番まで)

2012年03月28日 | Weblog
ヴォーン・ウィリアムズ:海の交響曲(交響曲第1番)
<未だ作風確立していなかったころのRVWが長年苦心して作り上げた作品。ほとんどオラトリオのような威圧的な雰囲気があり、コリン・ウィルソンは冒頭の歌詞を指弾して「海を見よ、だと?君が見りゃあいい」と揶揄。言われるほどには悪くなく、うすーい雰囲気は独特。ただ、随所にマーラー「復活」の影響が露骨に顕れたりしていて一寸聞きづらい。RVWはこの作品をディーリアスに作って欲しいと頼んだが断られたとか。>

ボールト指揮ロンドン・フィル(旧盤)1950'
ボールト指揮ロンドン・フィル(新盤)アームストロング、ケース


◎ブリッグトン(SP)キャメロン(B)サージェント指揮BBC交響楽団、ニュージーランド・キリスト教会合唱団、BBC合唱協会合唱団(BBC、日本クラウン)1965/9/22live・CD

コリン・ウィルソン称するところの「君が見りゃあいい」感の無い、スペクタルとミステリーのバランスのとれた品のいい名演。初期RVWの生硬さが薄まり、ロンドン交響曲とのつながりを感じさせる美しい響きと流れのよさを、たとえばまさに押し付けがましいボールト盤とは対照的に楽しませてくれる。計算が尽くされているようだ。ソリストもケレン味がなくていい。マーラーの影響みたいなところは浮き立ってこないが、むしろいい。◎。

ブライデン・トムソン指揮ロンドン交響楽団(CHANDOS)ケニー、クック

ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト文化省SO、スモリアコヴァ、ヴァシリエフ(MELODIYA)


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ヴォーン・ウィリアムズ:ロンドン交響曲(交響曲第2番)
<じつはRVWの交響曲の最初3作品はいずれも標題交響曲なんですね(スコアでもそうなっている)。ビッグ・ベンの鐘に象徴される古きよきロンドンの何気ない一日を活写。ちょっと露骨すぎて気恥ずかしくなるところもあるが、いちおう代表作ということになっている。作曲家はあくまで抽象化し独立した純音楽として聞かれることを望んだという。後年に通じる透明感ある美しいひびきも現われてくる。作曲後かなり校定が加えられていて、今一般的に聞かれているのも後年の版。>

グーセンス指揮シンシナティ交響楽団

ブライデン・トムソン指揮ロンドン交響楽団(CHANDOS)

○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(EMI)1959・CD


ヴォーン・ウィリアムズの代表作(但しこの盤も含み殆ど短縮改訂版しか演奏されないもの)だが、生硬なオラトリオ「海の交響曲(交響曲第1番)」がラヴェル師事後の大規模合唱曲として初の成功作とすれば、これは「理想としてのロンドン」を描写的にうつした試作的な音詩であり、個人的には田園交響曲(交響曲第3番)の夢幻的にもかかわらずリアリティのある世界観に至るまでの、作曲家にとって扱い易い題材(音材)による過渡期作に思える。だから英国の都会者でなければ共感を得られないのではないかという、よそ者を寄せ付けないような独特の「内輪ノリ」がある。

実際RVWではよく演奏されるほうだとはいえ・・・全般極端にスコアの段数の少なく(といっても1,2番も非常に単純なオーケストレーションによっているのだが)、起伏の無いわりに無歌詞独唱まで伴うことが真の代表作である3番の演奏機会を少なくしている面も否めない一方・・・例えば朝日と日没の即物的な印象派表現が前奏と後奏を如何にもな和声で彩り、ビッグベンが一日の始まりと終わりを(ロンドン者には)わかりやすく告げ、労働者が騒々しく出勤(帰宅)する、その中に起きる色々な事象の情景描写を、何故かスモッグの無いような奇妙に晴れ渡った、でもやっぱりどこかよそよそしい都会の空気感を思わせる生硬な清新さのある響きによってなしているさまは、意味を解しないと中途半端な印象を残す。作曲家はあくまで印象音楽のような聴き方を要求しており描写音楽ではないと言い切っていて、これは表題のある全ての交響曲に言えるわけだけれども、それを言い切るには7番以上に直接的な素材を導入し過ぎではある。迫力はあれど基本的には簡素な構造の上に、コケオドシ的なffを織り交ぜた横の流れ中心で描かれていくさまは好悪別ち、一部田園風景を思わせる表現を除き、私は詰まるところ苦手なのである。

バルビは余り間をあけず二度録音している。ステレオだが50年代なりの音質。ただ少々ホワイトノイズ的なものがある程度で分離が激しすぎる等の問題はない。ヴァイオリンの音に特徴がありポルタメントやヴィブラートに制限を設けずある程度自由にやらせることで艶を出している(強制されてかもしれないが)。それが雑味を呼び込んでいることも確かで、また、ブラスが弱いというバルビの一面もちょっと感じられるが、50年代のバルビが未だ持っていたスピードと力強さがここにはあり、スケールとのバランスがよくとれている。一流の演奏とは言えないだろうが、ロンドン交響曲の演奏としてはいいほうだと思う。○。

○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(EMI)1967/7/11-14(1968?)・CD

この時代にしてはやや録音が雑な気もするが板のせいかもしれない。演奏も壮年期を思わせるスピーディで激しいものになっている。この曲は作曲家がフランス音楽の影響、とくにドビュッシーからの和声的影響を受けた最初の成功作とされ、しかし初期の生硬で長々しいものから後年短く改訂されたためもあって、ロンドンの一日を「まんま」描いた音詩であり、かつ形式的に締められた純交響曲でもあるという矛盾をはらむ、どう聴いたらいいのかわからない部分もある過渡的な曲である。バルビはそういう曲を巧く聴かせられる練達したわざを投入し、既存旋律をカラフルに飾っただけのフレーズが現れてもそう感じさせない、不自然さを感じさせないように融合的に描く。断続的なスコアを忠実にデジタルに表現してコントラストの強いはっきりした音楽を作るのではなく、旋律の連なりを旋律自身の起伏の延長としてレガーティッシモに表現させてゆき有機的な音楽に昇華させていくやり方がここでは成功している。とても聴き易い半面眠くなってしまう、しかしこれは音楽自身が気持ちよすぎるせいか。この曲に抵抗感を感じる向きには勧められる。○。

ボールト指揮ロンドン・フィル1950'

○マリナー指揮シュレスヴィヒ・ホルシュタイン祝祭管弦楽団(DISCLOSURE:CD-R)2003/8/2LIVE


じつに爽やかに淡彩の音楽をえがく。ダイナミズムの表現にも不要なドグマを持ち込まないから一部で評価が低いのかもしれないが初期RVWにはうってつけだ。短縮された完成版のせいか余りにあっさり終わってしまうが、逆にあっという間に聴けてしまうほどすぐれた適応性の発揮された演奏とも言えるだろう。録音は悪くない広がりがあるが、低音が潰れて深みがなく迫力には決定的に欠ける。オケはニュートラルで過不足ない。

~初版

○ヒコックス指揮ロンドン交響楽団(CHANDOS)CD

演奏、版(これが「本当の」オリジナルだそうです)共に重厚壮大。終楽章の「ビッグ・ベン」後に挿入(削除)された長いレントの牧歌は田園以降を思わせる静謐な曲想で(書法は平面的で単純だが)、確かにこれがあると無いとでは大きく違う。ロンドン交響詩というより、イギリス交響詩といった趣を感じさせるものになる。随所に響きの重厚さを感じさせる演奏になっており、やはり後年のRVWを思わせるが、寧ろ古い作曲家の残照の感じもする。「らしくない」感じは同時代の先鋭作曲家の素朴な模倣と思われる部分にも現れるが、寧ろ曲想に変化をもたらし悪い感じはしない。3、4番交響曲の鬱躁気分が交互に顕れる(様様に挿入された英国民謡の中には5番終楽章で印象的に使われたものと恐らく同じものも含まれているが)ところには1番で影響の指摘されるマーラーの分裂症的気まぐれさを思わせるものもあるが、それはあくまで数理的にそう感じるだけで内容は全く違う。RVWが変わったのは田園ではなくこの「ロンドン」であったことを改めて認識させる。とにかく原典版というのは長いので、気持ちに余裕のあるときに聞けばいい。録音もいいし、RVW好きだがロンドンが苦手という向きも非常に感銘を受けるだろう。演奏は偉大さを感じさせるも冗長ではなくしなやかで素晴らしい。1楽章序奏部のビッグ・ベンの朝から「オペラ座の怪人」の元ネタ(?)主題が不安の風を吹き込むところなども胸がすく。ヒコックスに私は悪いイメージを持っていたのだが、ちょっと見方が変わった。やはり録音なのか。○。

○ヘンリー・ウッド指揮クイーンズホール管弦楽団(DECCA,DUTTON)1936/4/21-22・CD

ドラティのような職人的指揮者の演奏にきこえる、さすがウッド卿といった颯爽とした演奏振りだが、どうも叙情的な場面になると表現がリアルで音も硬く、録音が旧くて仕方ないとはいえやや入り込めない。序奏の終わりを告げるビッグ・ベンの響き(これを「学校のチャイム」と表現するやからは日本にしかいません)もハープの金属質な音が近くて幻想味を失っている。しかしそこからの「オペラ座の怪人」にパクられた劇的な主題からの展開は素晴らしくリズミカルで力強い。この時代の指揮者そのもの、クーセヴィツキーやトスカニーニなどを彷彿とさせるスピードとテンションに、イギリスオケならではの適度な規律正しさがまたかっこいい。異様なハイスピードぶりは他の楽章でも聞かれるがSP録音特有の事情によるものかもともとそうだったのか、多分後者だろう。レント楽章が精彩に欠けるのはRVWを本質的に理解していなかったのか録音のせいかはたまた職人的処理の対象としてしか扱っていなかったのか、ボールトとは違ったブラームス臭さを感じさせる中低弦も特徴的である。エピローグの最後、一日の終わりを告げるビッグ・ベン、こちらのほうは冒頭よりやや遠く幻想味を醸しているが、後奏は何かよくわかっていないようなブラームスっぽい感じでいただけない。ラヴェル要素を抜き去りブルッフだけにされたようなRVW、といったら言い過ぎだが(1楽章の現代的なスペクタクルなど素晴らしいし)、この時代にはまだ、こういう表現しか受けなかったのか。○。

○ミトロプーロス指揮NBC交響楽団(NICKSON/PASC)1945/12/9LIVE9NY、8Hスタジオ・CD

この曲が苦手な方おすすめ。私も苦手なひとりだったが、その大部分はあまりにあけすけな民謡のオーケストレーションが気恥ずかしく感じられるせいだった。しかしここでミトロプーロスは民謡は民謡でてきとうに流し、むしろそうではない場所・・・それこそ「タリスの主題による幻想曲」のような極めて美しい場面・・・にたっぷり思い入れを込めて演奏しており、ああ、この曲ってこんなに美しかったのか、と思わせる。ぎちっと凝縮された音響がこの曲全体に構造的な安定感をあたえているのも評価できよう。1楽章がもう絶美でおすすめです。ミトプー/NYPのてきとうに濁った音もグー。この曲、元々かなり透明感
があるため、そのまんま透明感ある音作りをすると却って浅くて確信犯的に聞こえてしまう。泥臭いくらいのほうが美しさが浮き立つ。泥沼の中の蓮。○。いちおうオリジナル版としてある。(2005以前)

きわめて状態の悪い録音で、鑑賞に値しないレベルに達している。ビッグベンの音程すら聞き取れないというのは、この描写的で表層的な音楽には完全にマイナスである。演奏スタイルも直線的で、ロマンティックな感情のうねりがRVWのイメージにはあわない。ミトプーらしさというか、即興的で特異な解釈というものも聴き取れない。ただ、3楽章などドライヴがうまく、感動的なものはある。 (2010/7/8)

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ヴォーン・ウィリアムズ:田園交響曲(交響曲第3番)
<押しも押されぬヴォーン・ウィリアムズの最高傑作。ドビュッシー「海」からの書法上の影響は伺えるにしても、ヴォーン・ウィリアムズが「フランス熱」をへて到達しえた最初の頂点であることに間違いなく、後年の作品と比べても感覚的に訴える力が段違いに強い。「タリスの主題による幻想曲」がいくぶん生硬な部分をとどめているのに対して、この極度に夢幻的で穏やかな(全楽章が緩徐楽章)音楽は独特の境地において希に見る完成度の高さを示している。明るく牧歌的な田園風景を描いているようでいて、どこかそこはかとない哀しさがある。薄霧の中さまようような思索的な中にも強い諦念(矛盾した物言いだが)が感じられ、第一次大戦従軍時に得た曲想をもとに作曲したという言葉を裏付けている。フランス南部の田園風景にインスパイアされたとはいえ、ここに展開されているのは弟子ランバートの言う通り紛れも無くイギリスの陰うつな田園風景である。私は嵐の船上でこの音楽を聞いた。それは暗く恐ろしげな海のうねるさまとシンクロし、とても印象的に響いていた。この明るさには儚さがある。いつか消えてしまう夢がある。多用される民謡旋律もぽっかり突き抜けたように空疎で、何か遠い昔の趣をもってノスタルジックな感性に訴えかけてくる。終楽章のソプラノ独唱は民謡旋律をうたっているにも関わらず無歌詞であることで直接的な表現を避け抽象的な思索を与えることに成功している。哲学的な雰囲気すらある。この世のものとも思えない精霊のような歌唱は、しんとした景色の中に遠く遠く消えて行く。日本人の感性にあう楽曲だと思うので、ご興味があれば是非。ベートーヴェンの「田園」とはおよそ掛け離れた作品ですのであしからず。>

◎ボールト指揮ニュー・フィルハーモニアO、プライス(SP)(EMI)1968・CD


最近とみに増えてきたヴォーン・ウィリアムズの交響曲録音ですが、どんなに増えたとしてもボールトの新録は外せません。初演者であるからという音楽外の理由から推すのではありません。終楽章マーガレット・プライスの夢見るような歌唱もさることながら、全般としてボールトの明瞭な描線が軟質な曲の羅針盤となり、すこぶる安定した抒情を与えてくれていること、即物的な乾いた表現がすっかり影を潜め、最良の状態にあるフィルハーモニアOの美質を、いかんなく引き出していること・・・これはヴォーン・ウィリアムズ交響曲演奏のスタンダードです。BBCのライブもありますが本盤をお勧めします。この全集では5、そして何より9番の絶後の演奏が聞き物です。,

○ボールト指揮ロンドン・フィル他(LONDON/BELLART)1950'S・CD

優しく、優しく、しかし限りなく哀しい音楽。世界戦争の時代に産み落とされた極めて美しく繊細な響きの綾、何度も書き直されているとはいえ神がかり的な楽想と絶妙な複調性に彩られた世界は英国人でなくとも深い心象を与えられる。これは陸軍将校であったRVWの悲しみと諦念のあらわれである。戦下に見たプロヴァンスの喉かな風景、明るい光に憧れを抱く暗い気候の国の人は明るい国の人以上に光の本質をえがくことに優れ、これはミヨーの極めて美しい田園作品群と比べて決して優るものではない、だが何と眩いことか、残る気分の切ないことか、平和で穏やかな情景への限りない憧れに満ちたものであることか、その手はけして届くことはない、けれども精一杯手を伸ばし、限りなく上からひびく遠い歌声に静かな涙を流す、これはもう技法どうのこうのいう問題ではない。その描く内容が全てだ。「描けていること」のみに感嘆すべき作品である。

タリスの主題による幻想曲もそうだが茫洋とした印象派的世界かといえばそうでもなく、明瞭な旋律とリズムが通底するシンプルな(凡庸という意味ではない)書法だ。5番ほど技巧的に完成されていない分あざとさを感じさせること無く素直に入ってくる(私はとても好きだ)。この作品を五音音階(英国民謡に元々あったものだ)や似通ったフレーズだけをたよりにドビュッシーの延長上ととらえるのは誤りである。寧ろラヴェルの技巧的本質を反映した描線の明確な作品といえる。とくにこの時期のボールトで聴くと芯の強い響きと旋律の流れが印象的である。スピード感があり、じっさいかなり速いことは特筆すべきだろう。この旧録はモノラルだが、モノラルなりの凝縮力というものが強みに働いており、ドイツ的なものにも適性を発揮するボールトが、ドイツとフランスという相反する要素を内在するRVWの作品を両面から突き上げて、どちらかに偏ることによる違和感をなくすことに成功している。ボールトから入った私のような人間は新しい数々の演奏にどうも平板でつまらない印象を抱いてしまう、それはフランス的な美しさ、高音要素を強調しすぎているせいだと思う。もっと重心は低いはずである。音は高くても使われている楽器は中低音楽器だったりする、これは単なる癖ではなく意図的にその情報量豊かな響きを狙ったものである。

たとえば3楽章はダイナミックな音楽であるはずだ。誰かが映画音楽作家ジョン・ウィリアムズへの直接的影響を語っていたが、テデスコの弟子との関係は時代的に絶対ありえないものの、そこには確かに似たものがある。例えばスター・ウォーズのダイナミズムと必ずしも遠いものではないのである。違うのは映像を伴なわない、必要としないことだ。この作品は全てが心象の反映であるから映像や文章論理にあわせてしまうと聴くものの想像力が完全にスポイルされてしまう。挙げ句美しいだけの単なる描写作品と思われてしまうのだ。「印象派的」というイメージを植え付けられている向きは恐らくそういったもの~多くはジャケット写真や煽り文句~を見、読んだことが大きいのではないか。明瞭な文脈でしかし想像力を刺激するという稀なる技に成功しているこの作品、もちろんいろいろな聞かれ方があっていいと思うが、まだよくわからないという向きはボールトのバランスで一度聴かれてみてはいかがであろうか。最初は新録をお薦めするけれども。 (2005/7/8)

(2005以前)モノラルだとこの曲はやや聞きづらいか。こういう繊細なひびきの曲に録音の悪さは仇。,

ボールト指揮BBC交響楽団、ヒル(SP)(BBC)CD

硬い響きに違和感。録音のクリアすぎるせいかも。,

○ブライデン・トムソン指揮LSO(CHANDOS)CD

トムソンのチクルスではこの曲が一番良い。透明感のあるスケールの大きな曲作りが楽曲にあっている。やや暗さに欠ける演奏であるが、十分に魅力を伝えている。,

○ノリントン指揮LPO(DECCA)CD

幻想的なこの曲を牧歌的な五番の世界へむしろ引き寄せたようなリアルな演奏でダイナミズムが強調されているのは違和感がある。冒頭より急くようなテンポで楽器個々の響を金属的に研ぎ澄ませてのぞみ、ボールト盤の柔らかい美観とは異質である。だが激しい四番の前に位置付けられるこの曲の立ち位置をよく意識していると考えて受け止めることはできる。にしてもエキセントリックだ。○。オケが「丸い」のは救い。上手いし。

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ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番
<RVW初の抽象的な概念に基づく交響曲。時代の不安を写したような暗雲立ち込める音楽。激しいドラマがあり、ヒンデミット的でありながらもはっきりと個性的な音楽。緻密に良く書き込まれており、ミトロプーロスはこれを最高傑作としてたたえたという。じつはけっこう人気がある曲です。RVWのヤワなところが嫌いな向きにはうってつけのガチガチの対位法なんかが聞けるがしゃがしゃ騒がしく焦燥感に満ちた楽曲。終楽章のファンファーレはビールのCMで使われたことがある。>

作曲家指揮BBC交響楽団(DUTTON/KOCH他)1937

有名な演奏。RVWは合唱指揮をしていたこともあってかなり指揮記録を残している。RVWのインタビュー入りの盤も出ていたそうだが未聴。音が悪いがまとまりのよい演奏。

○バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(SONY)1960'

昔から有名だった盤で今はCDで容易に手に入る。終楽章のファンファーレ以降の鮮やかさは出色。独自の感情の篭った原曲以上にロマンティックな演奏。

ボールト指揮ロンドン・フィル(LONDON/BELLART)1950'S

○ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル(SONY)1956/1/9・CD


無茶ミトプーでゴイスーです(意味不明)。力強く突き進む音楽は説得力の塊となって耳を圧倒する。曲も曲だけにささくれだった現代性が浮き立ちがちであるにもかかわらず圧倒的に抒情性が優り、旋律や和声のヴォーン・ウィリアムズ美がよく表れていて気持ちいい。最初から最後まで一気に聞けます。唐突になりがちの終楽章のファンファーレ主題も大きな設計のもとに組み込まれていて納得の流れ。ミトプーは多分ここでも暗譜で振っているのだろうが、そういう人の音楽は首尾一貫して聴き易い。とくに長い曲では細部に拘泥したいびつな音楽に比べ聴き易さとわかりやすさの点で大きく勝っている(どちらがゲイジュツ的かという問題とは別)。モノラルだがモノラルのほうがミトプーのカタマリ芸が適切に届く気もするのでこれもまたよし。そうそう、NYPのパワーも凄い。○。

○ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル(NICKSON)1949/12/18放送LIVE

録音は悪いが音には迫力がある。突進するようなスタイルでミトロプーロスはこの曲のドラマツルギーをひときわ強く抉り出すことに成功している。テンポを結構揺らしたりして独自の解釈を入れてきているが決して曲を壊すことはない。この曲の演奏としては個性の強いほうだろう。別盤より集中力が強く激しいように感じられる。まずは面白いです。この曲が苦手なかたお勧め。○。

ストコフスキ指揮NBC交響楽団(CALA)1943/3/14放送LIVE

遅い!1楽章、細部の聞き取りづらい録音で、そのせいもあってかだらしない演奏に聞こえる。テンポが上がるまで待とう。NBCにあるまじきポルタメントの多用も何か奇異な感じもするが、劇的効果を狙ったような派手なダイナミクス変化や整合性を敢えて考えていないような激しい表現同士の衝突など、ちょっと雑味が多すぎるけれどもユニークではある。こうして聞くとウ゛ァイオリンがひたすら歌いまくり続ける曲なんだなあと思う。末尾のRVW的な哀しい静寂が静かな感動を呼ぶ。独特の解釈だが素晴らしい。2楽章になるとドラマティシズムの演出が一層明瞭になってくる。ストコフスキの本領はむしろ静寂の表現にある。末尾の長大なフルートソロの救いのなさには深く感銘を受けた。ダイナミックな3楽章は打って変わって攻撃的だ。巧みな起伏の付け方に改めて非凡さを感じる。一直線に駆け抜ける演奏多い中、この楽章にはこんなに魅力的なフレーズがあったのか、といちいち膝を打たされる。4楽章のファンファーレへの盛り上がりがイマイチなのは惜しい。4楽章は落ち着いてしまった感がある。テンポが遅いせいかもしれない。意表を突いたポルタメントにはにやりとさせられるが。構造的な書法を生かした演奏とは言い難いものの、ひたすらパワフルな楽器同士の饗宴だ。しまりないという感じが最後まで残るので無印としておくが、ストコフスキにしては録音が悪すぎるせいかもしれない、と付け加えておく。非常に特徴的な演奏ではある。この曲の解釈としてここまで本気で取り組んでいるのは珍しい。ストコフスキ協会監修盤。

○サージェント指揮BBC交響楽団(IMP,medici/BBC)1963/8/16プロムスlive・CD

アレグロ楽章の出だしからグズグズ、しかし作曲家と親交深かったサージェントなりのリズムとスピードで煽り、若干引き気味のイギリス的なオケの弱い表現を、曲の要求するドイツ的な構造物に仕立てようとしている。4楽章のヒンデミット的展開(ブラスの用法や構造的書法に影響が顕著だ)まで、やや弛緩したようなテンポの音楽が続くが、プロムスだから「ザ・プロムス」のサージェントには大ブラヴォが贈られて終了。ライヴらしい演奏ではあるが緊張感に足りないものを感じた。この曲にライヴ録音は珍しいので○。2楽章あたりが一番板についているか。アメリカ往年のテレビドラマBGMのような音楽。2008年mediciレーベルとして再発売。

ブライデン・トムソン指揮ロンドン交響楽団(CHANDOS)

○ノリントン指揮LPO(DECCA)CD


表現主義的だが往年のそのように言われる指揮者にくらべ客観性が際立っており、後半は慣れるが最初は拒絶感をおぼえた。LPOのよさが殺されている、柔らかさが払拭されロマンチシズムのかけらもない音そのもののみが響いている。しかしこの曲の内面が逆に浮き彫りになる、ヒンデミット的な構造的な音楽を志向しながらも結局牧歌的な旋律とロマンティックな響きがその中身のほとんどであり、まったくヒンデミットではない代物であることがわかる。客観性の強さが最後まで気になるが、曲を音の構造物として認識する向きには向くだろう。独特ではある。○にはしておく。

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ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番
<第二次大戦中に作曲されたとは思えぬほど平穏でヴォーン・ウィリアムズらしい癒しに満ちた作品。「田園」よりも起伏があり親しみやすく、最近とみに人気が高い。歌劇「天路歴程」と共通の素材が使われているがそれほど気にならない。>

◎作曲家指揮ロンドン・フィル(SOMM)1952/9/3プロムスlive・CD

驚異的な発見である。確かこの演奏時の写真も何枚か存在していて、戦後、大戦の爪あとを癒すかのような曲想に当時の指揮者たちがさかんにとり上げた中での作曲家本人による指揮記録だ。RVWの素直で幻想極まる3番と技巧追求が老いの諦念の中に昇華された9番の作風の狭間に両方の長所を備えた作品として、代表作にも数えられるこの曲はソロを除けば難しいところは殆どなく、それだけに演奏陣の思い入れと指揮解釈の幅の出し方・・・とくに和声的な作品だけに「響き」の追求・・・が問われる。極度に録音が悪く楽章によって状態に差があるのはおいておいて、作曲家としての「描きたかった実像」、そこに合唱指揮者としても定評のあった演奏家としての力量が存分に反映され、ロンドン・フィルもボールトとのもの以上の集中力を発揮してきわめて精度の高い演奏を行っている。雰囲気的に演奏陣に並みならぬ思いいれがあるのは感じられる。やはり3楽章のダイナミズムに尽きるだろうが録音の貧弱さが音響音量のバランスを伝わらなくしている終楽章を除けば他の楽章も素晴らしい。RVWの音響の整え方は理想的だろう。ボールトの方法論は正しく、ドイツ的な重心の低い安定した響きを求めていたようである。但し録音ゆえわかりにくいが弦楽器を中心として透明感ある見通しいい響きにはなっており、合唱指揮者ならではの特質が感じられる。テンポ取りにおいては現代のものでは聴けない大きなうねるような起伏がつけられている。ライヴならではかもしれないがボールトよりもよほど感情的であり、だがバルビのように全体のフォルムが崩れるようなカンタービレはなく自然である。旋律線が和声から乖離するようなこともなく不分化であり、とにかく非常にこなれている。作曲家だからといえばそれまでだが、これは規範となる解釈だと思う。ある時期までボールトに非常に近しかったのも出自がドイツ系の作曲家への師事から始まっているがゆえのものであるし、今現在和声に重点が置かれ客観的な整え方をして透明感を強調する場合が多いのは途中でのラヴェルへの師事に着目した解釈であろうが、その両方をバランスよく取り入れた演奏というのは余り聴かない。「民謡臭いブラームス」でも「重厚なラヴェル」でもない、ここには「RVW」がある。旧い録音雑音まみれの録音に抵抗がなければ聴いて損は無い。終楽章のあの高みに昇りつめるような明るさが録音で損なわれ少し不完全燃焼気味でもあるし、拍手もカットされているが、◎。

◎ロジンスキ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1944/3/12live

生命力。このアンサンブルの緻密さ・・・巧い!録音の悪さなどこのさいどうでもいい。ロジンスキが一流オケを振るとここまでやれるのだ。もっと長生きしたならベイヌムと比肩しうる名指揮者として記憶に残ることができただろうに。この作曲家には似つかわしくないほど厳しく絞られた筋肉質の演奏だが、RVWの美しさをこういう活発な音楽として描くことも可能なのかと思わせる。とにかくリズミカルである。重くて野暮な(「らしい」)シーンも、このスピードで生き生きと活写されたら気にならない。中間楽章の弦楽アンサンブルでは中低音域から繰り広げられる緩やかで哀しい光景、心を直に揺さぶられずにおれない強烈なロマン性が迫ってくる。精緻に揃ったヴィブラートが眩しい。この曲に「独特の解釈を放つ名演」などないと思っていたがここに残されていた。録音状態を割り引いても◎。RVWがよくわからないという人に、こういう意図のはっきりした演奏はいいかもしれない。まさに作曲された第二次大戦中の演奏としても価値がある。

◎クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(Guild)1943-48live・CD

謎の仰天盤でびっくりした。このシリーズは初出は殆ど無いのだが、これもどこかで知られず出ていたのだろうか。とにかく録音は旧いのだが1楽章から弦楽器の素晴らしく整った和音の美しさに心奪われた。ヴォーン・ウィリアムズからラヴェルを引き出している。この硬質の美しさはこの時代にしては驚嘆すべきもので、リマスターがかなり入っているとしても、実演の透明感、美しさを想像させるに十分なものである。クーセヴィツキーのトスカニーニ的な前進力が出てくると、必要以上にドラマを引き出してしまいヴォーン・ウィリアムズの本質をやや遠ざけているようにも思うが、テンポを揺らすほうではなくあくまでアッチェルさせ煽り、打楽器などリズム要素を強く打ち出しブラスを完全にりっした状態にもっていき、だらだらしたロマンティックな演奏にはしない。4楽章前半など余りにベートーヴェン的なテンポの持って行きかたで、表現がダイナミックすぎ常套に落ちる部分もあるが、この曲にその方法論で「常套」を表現した演奏記録などかつて聞いたことはない。ドラマの中に織り交ざる緩徐部での木管を中心とする「金属的な美しさ」もぞっとするくらいの感情の起伏の伏を打ち出している。そして何といってもボストンの弦ならでは(フィラ管にもこの音は出せたかもしれないがハーモニクな合奏力では勝る)、最後の泣きのヴァイオリン合奏。木管ソロに唄い継がれる「戦前の穏やかな風景に向けられた遠いまなざし」、このコントラストがまた素晴らしい。改めて全体が流麗な流れの中に、けしてロマンティックのぐだぐだにも即物主義の筋肉質にもならず、ひたすら骨太な主観のもとに「ロシア風に強く味付けされ」コントラストも激しく構築されていることに気づかされる。いや、ロシアにこんな美しい響きの音はなく、ボストンにしてなしえた奇跡的な名演奏だったと言えるだろう。「こんなドカドカくる演奏、RVWじゃない!」などといって途中で投げ出したら後悔します。どこまでも眩く輝く田園の情景の記憶の中に去り行く、もうこの世にはないものへの深い愛情が、はからずもこの異国の権力的指揮者の手によって表現された、RVWが嫌がったろうくらいの強い表現をとりながらも最後には本質をズバリ言うわよ。◎。ロジンスキなんかもこの方向性に一歩踏み込めていたら・・・オケ的に不利か。

○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R他)1947/3/4live

Guildで出ていたものと同じ演奏と思われる。録音は安定せずノイズも酷い。

RVWの書いた最も美しい交響曲とされる・・・第二次世界大戦当事国で戦時下に書かれた全交響曲中でも最も美しいであろう・・・作品だが、クーセヴィツキーはいつも通りアグレッシブでドラマティック、しかしこの曲はそういった表現も許容するしっかり書き込まれた作品であることが逆にわかる(3番だったら上手くいかなかったろう)。ポリフォニックな書法が印象的な1楽章からこの楽団弦セクの分厚さ滑らかなアンサンブルぶりが印象的で、スケルツォはRVW特有の田舎っぽい和声が強いリズムと速いテンポで野暮ったさを完全に払拭され、ひたすら気を煽る。3楽章はリアルすぎて憂いが無いが、あっけらかんとした勝利から1楽章の淡い回想で収束する終楽章は楽団の機能幅を感じさせる繊細な響きもみられ、老練ぶりが感じられる。シベリウスの影響を受けながらも晩年は寧ろ派手な音響表現に向かっていったRVWがその最後の方向性を定めた曲とも言えるけれども、その意味ではクーセヴィツキーにとっては後期シベリウスより「やりやすい」曲だったかもしれない。○。

ボールト指揮ロンドン・フィル(LONDON/BELLART)1950'S

ボールト指揮ロンドン・フィル(EMI)

△メニューイン指揮ロイヤル・フィル

ロジェストヴェンスキー指揮BBC交響楽団

○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(DUTTON他)1944/2/17・CD

耽美なステレオ盤よりこのダイナミックな旧録のほうが私は好きだ。ヴォーン・ウィリアムズの牧歌的なイメージをそのまま具現化したような同曲に対して、当時ライヴで強引な演奏を繰り広げていたバルビローリは、起伏の大きく感情の赴くままに歌いまくる演奏をやってのけている。3番の繊細な音楽であれば壊してしまったかもしれないが、しっかりした構成と叙情性のバランスのとれた5番を選んだのは正解だ。とにかく歌、歌、歌、カンタービレ!音が悪いので(ダットンはリマスタリングで残響を付加しているが、それでもなお)想像力をもって聴いてみてほしい。このヴォーン・ウィリアムズの一番の人気交響曲(日本でもプロアマ最近けっこうやられている)、聞いた事がないならハンドレーやトムソン、ボールトで予習してから聴いてください。バルビがいかに荒れ狂っているかわかるでしょう。聞けば聴くほど面白くなってくる演奏。バルビのRVWは当たり外れ大きいが、これは当たり。LPのほうが音はよかったような気も・・・。

○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(artone,document)1944/3/17?・CD

おそらくデータ間違いで、正規旧録と思われる。直線的なテンポでぐいぐい進んでいく壮年期バルビの芸風で、精緻と言えるまでに鍛え上げた弦楽器群をフルに活用した歌心溢れる演奏。わりと形式的な冒険をしているヴォーン・ウィリアムズの断片的な旋律をすべて掬い上げ、一本のラインを曳いて聞きやすくしている。ブラスや木管もなかなかである。○。

ブライデン・トムソン指揮ロンドン交響楽団(CHANDOS)

プレヴィン指揮ロンドン交響楽団

◎プレヴィン指揮ロイヤル・フィル(TELARC)CD


プレヴィンの感傷的な旋律繰りもさることながら、木管が上手い。美しい音色、繊細なアンサンブルどれをとっても一級品。木管ソロが多用されるこの曲にて同オケの魅力が最大限引き出されている。イギリスオケらしい弦楽器の微妙な色彩感の演出、柔らかく張り詰めた音の組み立てがまた素晴らしくよくできている。併録されている「タリス」よりも優しい音楽の、明るさを特に引き出して、きらきらと煌くような音楽はまったく、どの楽器がどうこうというよりも、素晴らしい「交響曲」である。◎。

○ノリントン指揮LPO(decca)CD

さすが(日本でもやった)得意な演目でありいつものエキセントリックさが陰をひそめた慈しむような表現が胸を衝く。しかしアプローチ自体は譜面に忠実、ということでなだらかな譜面を柔らかく表現するあまり特長のない印象も否めない。残響が多めで弦楽器のザッツが結構ばらけているのを上手に隠している。LPOはボールト時代から元々ある雑味を軟らかな美音を伴うロマンティックな表現の中に埋没させるような演奏をする。ノリントンには意外と補完しあう部分があるかもしれない。曲は大戦中の作品とは思えない感傷的な田園風景をベートーヴェンとは真っ逆さまに歌いあげるもの。先鋭な部分を含むものとしての3番のころの柔軟な心象性が、すっかり後期RVWの形式的な響き・旋律重視マンネリズムに転化しているとはいえ、とにかく美しい。ゆえにRVWの交響曲では、とくに最近、最もよく演目に上がっている。

つづく

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