
タワレコ記事に追記したのだが今のサイト構成だとトップでは追記部分が隠れて見えないせいかまったく読まれていないらしいw
まーどうでもいいんですが、たかだか20年近くのクラヲタ生活(ヴァイオリン演奏という部分はちっと長いんですが)の中でそれでも、けっこういろいろとあったことを、ここのところ断続的に回想しているのは「カテゴリ:weblog」を読んでいる奇特なかたにはおわかりのことでしょう。タワレコ記事につけた追記はいわゆる「CDコレクター」の黄昏を自虐的に書いたんですが、ここでコレクターというものの究極の姿を非常に鮮やかに提示してくれた著名な日本美術愛好家のコレクション展覧会についてちょっとだけ。絵画についてはいくらでも書きたいことやらなんやらあるんですが、「しろうと評論は音楽だけで結構」という個人的な思いもありまして、SNSなどいろいろなところに散記してるわけです。
伊藤若冲の装飾的絵画については、アメリカ人コレクターのプライス氏が見出し日本は逆輸入のような形で紹介を受け、宮内庁所蔵品の修復後大規模な展覧会が開かれるにいたって一般的にも認知度が上がったものである。きっかけであるプライスコレクションが日本で!・・・「マニア」ならまず唖然とし手放しで喜ぶべきことだった。何せ鳥獣花木図屏風が来るのだ。前衛的な手法を駆使した若冲の「マニアック絵画」の中でもとっぴな「モザイク画」であり、色彩的にもまるでペンキのようなハデハデしい色づかいでアメリカ人受けしそうなものだ・・・しかしこの青々しく赤々しい色はあきらかに仏画の(しかも恐らく中国仏教の)色彩である。終生仏法に身をゆだねた若冲の、「釈迦涅槃図」における鳥獣表現だけを抜き出し、極楽を極限的に描いたたものと見るべきだろう。周囲の柄が渡来の仏画装具を真似ていることからもこの出自不明な屏風(入手者プライス氏自身によって初めて若冲と弟子によるものとほぼ認定されたものである)が「必ずしも全て独創の鬼才によるのではない」ことを示している。たぶん調べれば何か特異な経緯が見つかるのじゃないか、どこかの寺から。そしてもちろん身近であったろう西陣織など京織、刺繍のデジタルで艶やかな色彩感からの影響もあるだろう。いずれ道を外れているわけではなく、伝統から逸脱し奇天烈な発想をしただけの変人なんかではなかったのだ。
若冲は錦小路の野菜問屋の若旦那として生活に不自由することなくひたすら絵に打ち込んだ京絵師である。独自の絵画表現をストイックに追及したと書けばかっこいいが、今はなぜか「京の引きこもり絵師」などというヘンな頭文をつけて呼ばれる。生活のために描かなかった、描いても金をほとんど取らず、寺に喜捨した(たいていの若冲画の名品は寺に伝来するが、これは寺院に積極的に納めたせいである、もちろん無償で)。それは江戸浮世絵師なんかにしてみればべらぼうな若ダンさんの道楽と言うことになろうが、狩野派などの伝統が身近に脈々と受け継がれてきている京都という町の特異性を考えると、そういった「古い伝統技法」に対する鬱屈した気持ちが他の土地より醸造されやすかったのは確かだ。後に出てくる江戸浮世絵全盛期の北斎らに先んじた前衛性に傾いたのもそういった「反動的前進性」のなせるわざだったのだと思う。手法的限界を感じるとすぐ他の方法技法を探り探し、何も絵師に頼らず縁深い万福寺あたりの黄檗寺院に入り浸って渡来画を模写したりを繰り返し、しかしその過程で得た技術的素地はそうとうに広く深かったから、遂に「凡才は画家に学び、天才は自然に学ぶ」というダ・ヴィンチの言葉どおり、「自然観察」即ち実物をひたすら見つめ続けることによって真髄を見抜くという極意を得たときに、一気に絹地上に「展開する」ことができるようになったというのは、その長年の逍遥研鑽のおかげである。「画材は揃っていた」。金持ちだから揃っていたというのではなく。
腕以上に目を鍛える。目を鍛えるのに数年縁側で鶏を見つめ続けたなんてのも禅宗の修行にも似た日本人伝統のストイシズムなわけで・・・もちろん武士道的な意味でのストイシズムだけではない、寝転んでもぼーっとしてても、見た目だけのことだ・・・それを今ふうに「引きこもり」と言うのは酷い。たとえば虎の実物が見られないから絵もしくは毛皮を見て描いた、というふうな言い訳をいちいち残したのも、誰かに「翻訳」された、既存の工芸的技術によることなく、実物を自分の目で見ることに拘った完成期後の若冲の考え方を如実にあらわしている。即ち若冲は外面的生活だけを見るなら「引きこもりのオタク」なのかもしれないが、そこまでしないとあんな独自の世界は生み出せない。物事を納得いくまでやりつくすには「全てを犠牲にする必要があるのだ」。それをオタクと断じてしまったなら浅はかの極みだ。それを言ったら画家なんてみんな「引きこもりのオタク」である・・・この論は他の芸術にもそっくりそのまま当てはまるのだが・・・。物凄く貪欲に絵だけにまい進した作家であり、そのストイシズムだけに感動すればいい。ヘンな先入観に左右されず。
貪欲に細密で見事な鳥獣草木画ばかりが取り沙汰されるが、一筆で描きぬく画力に表現力は後年得られたものだろう。絢爛な装飾画に没頭するかたわら墨画という「引き算の絵画」で更に純粋にそのわざの特異さを表現していった。私はそこに惹かれていた。どこかに書いたかもしれないが、晩年をすごした伏見の小さなお寺石峰寺を訪ねたとき、「若冲らかん」が目的だった。確かこの五百羅漢のことは土曜夜のテレ東の番組にも取り上げられていたと思うが、若冲が石屋に自分の下絵を見せて竹やぶの中に石像を林立させた。最晩年の「伏見人形図」をご存知だろうか。あのタッチの非常に奇異でプリミティブな「羅漢」が、まるで筍のように生えているのである。姉妹サイトに確かいくつか写真をのっけていると思う。これはもう見ものだった。絢爛な彩色絵に私は余り興味がない。若冲がその技量と筆力をどのように「昇華」させていき、どういう境地にいたったのかがそこにある。羅漢の脇に若冲は眠る。寺は静まりかえったまま誰も来なかった。今はいくぶん人が来ているだろう。
こんかいの展覧会は若冲にこだわらず、氏の「いいとおもったものだけを」「いいとおもった見せ方で」紹介するという趣向で、ネームの大小は殆ど問題にされていない。出来不出来ですらも「好き嫌い」の観点で不思議な評価の別け方をされている。まさにコレクターはこうでなくてはだ。すがすがしい。好き嫌いにも絶対に理由があり、プライス氏ほどの鑑識眼になるとそこに何らかの区分けする「意味」はあるのだ。子供向けのコーナーがひっそりと別に設けられていたがこれがまた素晴らしかった。絵画への冒涜?笑止。絵画は結局見る人のためにあるのだ。買う人のために値段がつけられ画家の生活が成り立つのでもあり、まあ若冲みたいなのは金じゃないのかもしれないけれども、たかだか千数百円出してあれこれ難癖つける輩よりはよほど肝が座っている。可笑しかったのは紹介札のトーンがあきらかに美術史的・研究史的立場から評価してかかれているところだった(プライス氏にとっては余り意味のないこと)。「プライス氏」そのものの、常識に囚われない一種アートプロデューサーとしての「コレクター道」を紹介するという点で、非常に好企画だったわけだ。「ポリシーあってのコレクター活動は一つのアート活動になりうるのだ」ということをほんとはここでテーマとして書きたかったのだがなんか道がそれまくったので適当にこのへんで終わらせるが、プライス氏独特の「絵画鑑賞法」を示し訪問者に強い印象をのこした後半展示、これから巡回する地方のかたは注目してみていただきたい。芦雪がよかったという声も多かったが私は若冲を除けば無銘の作のいくつかに惹かれたなあ。
ちなみに浮世絵なんかを趣味に見る人には常識だし、よそに書いた絵金なんか幕末町絵師の世俗芝居絵屏風には特に見事に細工されていたりするが、紙に光りものを織り込んだり特殊な刷り方をしたり特殊な絵の具を調合使用したり紙そのものに細工したり特殊な描き方で特定の状況にのみ見えてくるような図像を織り込んだりと、西欧的な常識にとらわれない「臨場感やオドロキを演出するためのマニアックな技巧」が数々取り込まれているのが江戸絵画である。幽霊画によく表装をはみ出したり光の具合で血跡が浮き出たりなどといったものがあるが(このての細工は絵に限らないけど・・・そもそも芝居の演出とかもそうだったし)光の具合、見る状況などなど、それぞれによって見え方が違うのは江戸絵の醍醐味、王道なのであり、プライス氏に紹介されてやっと気が付くのはドウモ日本人としてどうかなあ。エルミタージュ行くなら大原行け、なんてね。ボストンでもいいけど。
まーどうでもいいんですが、たかだか20年近くのクラヲタ生活(ヴァイオリン演奏という部分はちっと長いんですが)の中でそれでも、けっこういろいろとあったことを、ここのところ断続的に回想しているのは「カテゴリ:weblog」を読んでいる奇特なかたにはおわかりのことでしょう。タワレコ記事につけた追記はいわゆる「CDコレクター」の黄昏を自虐的に書いたんですが、ここでコレクターというものの究極の姿を非常に鮮やかに提示してくれた著名な日本美術愛好家のコレクション展覧会についてちょっとだけ。絵画についてはいくらでも書きたいことやらなんやらあるんですが、「しろうと評論は音楽だけで結構」という個人的な思いもありまして、SNSなどいろいろなところに散記してるわけです。
伊藤若冲の装飾的絵画については、アメリカ人コレクターのプライス氏が見出し日本は逆輸入のような形で紹介を受け、宮内庁所蔵品の修復後大規模な展覧会が開かれるにいたって一般的にも認知度が上がったものである。きっかけであるプライスコレクションが日本で!・・・「マニア」ならまず唖然とし手放しで喜ぶべきことだった。何せ鳥獣花木図屏風が来るのだ。前衛的な手法を駆使した若冲の「マニアック絵画」の中でもとっぴな「モザイク画」であり、色彩的にもまるでペンキのようなハデハデしい色づかいでアメリカ人受けしそうなものだ・・・しかしこの青々しく赤々しい色はあきらかに仏画の(しかも恐らく中国仏教の)色彩である。終生仏法に身をゆだねた若冲の、「釈迦涅槃図」における鳥獣表現だけを抜き出し、極楽を極限的に描いたたものと見るべきだろう。周囲の柄が渡来の仏画装具を真似ていることからもこの出自不明な屏風(入手者プライス氏自身によって初めて若冲と弟子によるものとほぼ認定されたものである)が「必ずしも全て独創の鬼才によるのではない」ことを示している。たぶん調べれば何か特異な経緯が見つかるのじゃないか、どこかの寺から。そしてもちろん身近であったろう西陣織など京織、刺繍のデジタルで艶やかな色彩感からの影響もあるだろう。いずれ道を外れているわけではなく、伝統から逸脱し奇天烈な発想をしただけの変人なんかではなかったのだ。
若冲は錦小路の野菜問屋の若旦那として生活に不自由することなくひたすら絵に打ち込んだ京絵師である。独自の絵画表現をストイックに追及したと書けばかっこいいが、今はなぜか「京の引きこもり絵師」などというヘンな頭文をつけて呼ばれる。生活のために描かなかった、描いても金をほとんど取らず、寺に喜捨した(たいていの若冲画の名品は寺に伝来するが、これは寺院に積極的に納めたせいである、もちろん無償で)。それは江戸浮世絵師なんかにしてみればべらぼうな若ダンさんの道楽と言うことになろうが、狩野派などの伝統が身近に脈々と受け継がれてきている京都という町の特異性を考えると、そういった「古い伝統技法」に対する鬱屈した気持ちが他の土地より醸造されやすかったのは確かだ。後に出てくる江戸浮世絵全盛期の北斎らに先んじた前衛性に傾いたのもそういった「反動的前進性」のなせるわざだったのだと思う。手法的限界を感じるとすぐ他の方法技法を探り探し、何も絵師に頼らず縁深い万福寺あたりの黄檗寺院に入り浸って渡来画を模写したりを繰り返し、しかしその過程で得た技術的素地はそうとうに広く深かったから、遂に「凡才は画家に学び、天才は自然に学ぶ」というダ・ヴィンチの言葉どおり、「自然観察」即ち実物をひたすら見つめ続けることによって真髄を見抜くという極意を得たときに、一気に絹地上に「展開する」ことができるようになったというのは、その長年の逍遥研鑽のおかげである。「画材は揃っていた」。金持ちだから揃っていたというのではなく。
腕以上に目を鍛える。目を鍛えるのに数年縁側で鶏を見つめ続けたなんてのも禅宗の修行にも似た日本人伝統のストイシズムなわけで・・・もちろん武士道的な意味でのストイシズムだけではない、寝転んでもぼーっとしてても、見た目だけのことだ・・・それを今ふうに「引きこもり」と言うのは酷い。たとえば虎の実物が見られないから絵もしくは毛皮を見て描いた、というふうな言い訳をいちいち残したのも、誰かに「翻訳」された、既存の工芸的技術によることなく、実物を自分の目で見ることに拘った完成期後の若冲の考え方を如実にあらわしている。即ち若冲は外面的生活だけを見るなら「引きこもりのオタク」なのかもしれないが、そこまでしないとあんな独自の世界は生み出せない。物事を納得いくまでやりつくすには「全てを犠牲にする必要があるのだ」。それをオタクと断じてしまったなら浅はかの極みだ。それを言ったら画家なんてみんな「引きこもりのオタク」である・・・この論は他の芸術にもそっくりそのまま当てはまるのだが・・・。物凄く貪欲に絵だけにまい進した作家であり、そのストイシズムだけに感動すればいい。ヘンな先入観に左右されず。
貪欲に細密で見事な鳥獣草木画ばかりが取り沙汰されるが、一筆で描きぬく画力に表現力は後年得られたものだろう。絢爛な装飾画に没頭するかたわら墨画という「引き算の絵画」で更に純粋にそのわざの特異さを表現していった。私はそこに惹かれていた。どこかに書いたかもしれないが、晩年をすごした伏見の小さなお寺石峰寺を訪ねたとき、「若冲らかん」が目的だった。確かこの五百羅漢のことは土曜夜のテレ東の番組にも取り上げられていたと思うが、若冲が石屋に自分の下絵を見せて竹やぶの中に石像を林立させた。最晩年の「伏見人形図」をご存知だろうか。あのタッチの非常に奇異でプリミティブな「羅漢」が、まるで筍のように生えているのである。姉妹サイトに確かいくつか写真をのっけていると思う。これはもう見ものだった。絢爛な彩色絵に私は余り興味がない。若冲がその技量と筆力をどのように「昇華」させていき、どういう境地にいたったのかがそこにある。羅漢の脇に若冲は眠る。寺は静まりかえったまま誰も来なかった。今はいくぶん人が来ているだろう。
こんかいの展覧会は若冲にこだわらず、氏の「いいとおもったものだけを」「いいとおもった見せ方で」紹介するという趣向で、ネームの大小は殆ど問題にされていない。出来不出来ですらも「好き嫌い」の観点で不思議な評価の別け方をされている。まさにコレクターはこうでなくてはだ。すがすがしい。好き嫌いにも絶対に理由があり、プライス氏ほどの鑑識眼になるとそこに何らかの区分けする「意味」はあるのだ。子供向けのコーナーがひっそりと別に設けられていたがこれがまた素晴らしかった。絵画への冒涜?笑止。絵画は結局見る人のためにあるのだ。買う人のために値段がつけられ画家の生活が成り立つのでもあり、まあ若冲みたいなのは金じゃないのかもしれないけれども、たかだか千数百円出してあれこれ難癖つける輩よりはよほど肝が座っている。可笑しかったのは紹介札のトーンがあきらかに美術史的・研究史的立場から評価してかかれているところだった(プライス氏にとっては余り意味のないこと)。「プライス氏」そのものの、常識に囚われない一種アートプロデューサーとしての「コレクター道」を紹介するという点で、非常に好企画だったわけだ。「ポリシーあってのコレクター活動は一つのアート活動になりうるのだ」ということをほんとはここでテーマとして書きたかったのだがなんか道がそれまくったので適当にこのへんで終わらせるが、プライス氏独特の「絵画鑑賞法」を示し訪問者に強い印象をのこした後半展示、これから巡回する地方のかたは注目してみていただきたい。芦雪がよかったという声も多かったが私は若冲を除けば無銘の作のいくつかに惹かれたなあ。
ちなみに浮世絵なんかを趣味に見る人には常識だし、よそに書いた絵金なんか幕末町絵師の世俗芝居絵屏風には特に見事に細工されていたりするが、紙に光りものを織り込んだり特殊な刷り方をしたり特殊な絵の具を調合使用したり紙そのものに細工したり特殊な描き方で特定の状況にのみ見えてくるような図像を織り込んだりと、西欧的な常識にとらわれない「臨場感やオドロキを演出するためのマニアックな技巧」が数々取り込まれているのが江戸絵画である。幽霊画によく表装をはみ出したり光の具合で血跡が浮き出たりなどといったものがあるが(このての細工は絵に限らないけど・・・そもそも芝居の演出とかもそうだったし)光の具合、見る状況などなど、それぞれによって見え方が違うのは江戸絵の醍醐味、王道なのであり、プライス氏に紹介されてやっと気が付くのはドウモ日本人としてどうかなあ。エルミタージュ行くなら大原行け、なんてね。ボストンでもいいけど。