湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)

2007年01月03日 | ストラヴィンスキー
○モントゥ指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団(フランス国立放送管弦楽団)(DISQUES MONTAIGNE/MUSIC&ARTS)1958/5/8LIVE・CD

正月三日の恒例行事であったロシア音楽マニアのかたとの新年会が、一昨年初頭の大病をさかいになくなった。

戦後ロシア系音楽・演奏受容史の生き字引のようなかたで、かつては伝説的指揮者や演奏家にせっした生のお話に胸躍らせ、貴重な生録音源に想像力をかきたてられたものだが、15年一昔というか、やはり現在の音楽を愛し過去に拘泥しないスタンスだからこそああいった生々しい話をつたえることができたのだろう、ここ数年は「現在進行形」のクラシック音楽業界と周辺分野の話に終始し、お酒もあまり召し上がらなくなったせいか正直「あまり胸が躍らない」ようになっていた。

おそらく本をかかれるであろうし、知られざる逸話についてはそれを待つしかない。国内レーベルに音源提供したものの業界自体の不振のため頓挫したプロジェクトも多いようである。

昨年はそれでもこの会の求心力となっていた男が積極的に動いて開催を促したようであるが立ち消えとなり、今年はついぞその動きすらとられなかった。その男は紹介だけするから聞きたい話などがあればあとは自分で聞けというスタンスで、大学のころに声をかけてきたのがきっかけなのだが、この男とは小学校の頃からの腐れ縁であり、絡めずして余り知らない人(元から「無縁であったわけではない」かたなのではあるが)と直接会うことには躊躇があった。何より積極的にマニアな話を聞くほど(当時は)「聴く事に対するマニア」ではなかったから、そういうことはしなかった。練習場所提供をお願いしようとしていたこともあるが、組んでいたカルテットが文字通り四散してしまった10年前からはその必要も無くなった。

時間の流れとはそういうもの、だからこそ今の縁に精魂かたむけ、過去は過去として思い出に封じるようにしていかないと、いつまでも引きずるだけでは心がやつれる。既に私は独自の「聴く事に対するマニア」の道をひき始めている。

モントゥの初演したペトルーシュカの録音には結構数がある。しかし最近M&Aが二巻のCDで東西ライヴ音源をほぼ完全にボックス集成してしまったので、過去のプレミア音源には余り価値が認められなくなったようである。これもそのひとつだ。しかしDMのものは分厚いブックレットこそ貴重であり、モントゥの写真がそれほど手に入らない現在、たとえばミヨー夫妻との写真やサン・サンとのきわめて古い共演写真(驚くほど顔つきが変わっていない)、既に結構な年同士であったころのストコフスキとの握手、それに若きストラヴィンスキーとの写真など楽しめる。ただ、全編フランス語なので抵抗のある人もいるかもしれないが。

録音はやや弛緩した様子から始まる。あまり温まっていないようにも感じる。DMのフランス放送音源は録音がソリッドでクリアすぎるせいか、音符の間に空気の通るようなスカスカ感がありそのせいで客観的で弛緩した印象を受けることもある(アンゲルブレシュトのものがいい例だと思う)。演奏が進むにつれ流麗な場面転換と舵取りの巧さがききとれはするものの、どこか落ち着いてしまったような感じは否めない。劇伴音楽としてはたぶん素晴らしい解釈になるのだろうが、演奏会様式としてはもう少し「踊りを無視した強い流れ」が欲しい気もする。モントゥも押せ押せのイメージがある一方でスコアの読みは入念で忠実な再現にも力を注いでおりミュンシュのような千両役者を気取ったごちゃっとしたゴリ押し演奏はしない(ミュンシュも好きだけど)。クリュイタンスほど明晰ではないがこれも立体的によく「聞こえてくる」演奏ではあり、録音のよさは特筆すべきだろう。47年版もカットが問題になるが、冒頭が略されないだけで私は満足。○。

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