玉木宏樹氏の音楽革命論を読んでいて、ちゃんと現場でやってきた音楽の専門家らしいなかなか面白い本だと思ったのだが、ひとつ気になったのは、この人もまた、他のクラシック屋同様、流行り音楽の象徴としてロックをあげ、如何に共鳴理解しているかを説いている。
クラシック屋の悪い傾向として、ロックという実はポップスの中でも限られたグループ、汗臭い、さいきんはあまり流行らないスタイルの音楽をクラシック以外の音楽の大半のように語るということが、もう何十年も前からつづいている。これ、かっこわるいんですよ。
若手演奏屋はクラシックからバンバン他のジャンルに出ていっている。ジャズはまた少し特殊だが、クロスオーヴァ流行りは一般に浸透してすっかり普通にクラシック素材や奏者がポップスのたとえばテクノやらHIPHOPやらに取り込まれている。
反骨なんて三十年古い言葉に飾られたロックとかメタルなんてのはむしろクラシック屋と親和性がある特殊なジャンルと言っていい。無いものを求めるというのか、クラシックをやる連中にはじつに、古臭いロックを好むのが多いのだ。
判で押したようにビートルズとかディープパープルとか言ってるのは論外だが、ガーシュインを挙げてドイツ音楽を批判するベストセラー反音楽史に対してなんか、浅薄との批判とともに古典邦楽とか出してくるのも、どっちもどっちだなあとか、雑感。
クラシック屋の悪い傾向として、ロックという実はポップスの中でも限られたグループ、汗臭い、さいきんはあまり流行らないスタイルの音楽をクラシック以外の音楽の大半のように語るということが、もう何十年も前からつづいている。これ、かっこわるいんですよ。
若手演奏屋はクラシックからバンバン他のジャンルに出ていっている。ジャズはまた少し特殊だが、クロスオーヴァ流行りは一般に浸透してすっかり普通にクラシック素材や奏者がポップスのたとえばテクノやらHIPHOPやらに取り込まれている。
反骨なんて三十年古い言葉に飾られたロックとかメタルなんてのはむしろクラシック屋と親和性がある特殊なジャンルと言っていい。無いものを求めるというのか、クラシックをやる連中にはじつに、古臭いロックを好むのが多いのだ。
判で押したようにビートルズとかディープパープルとか言ってるのは論外だが、ガーシュインを挙げてドイツ音楽を批判するベストセラー反音楽史に対してなんか、浅薄との批判とともに古典邦楽とか出してくるのも、どっちもどっちだなあとか、雑感。
しかしなんとも初歩的なミスをするねぇ。
そう言えば東京の役所はFAXの使い方も知らないようだし。
しっかりしてねぇ、と昨日餃子を食べながら思いました。
FAX送信はセキュリティインシデント防止観点から注意すべき基本中の基本の観点。役所ってこういう部分が一番固くて融通が利かなくて、だから一番頼りになるんじゃなかったんでしょうか。
というか人件費削減とか理由はあるんでしょうけど。役場はそれでもまだいい方。
と言う事でそのまま引用。
読売新聞より
東京都内の老舗ホールとして知られる東京文化会館(台東区上野公園)で、今秋に予定される別々の公演の日程がぶつかり、一方の当事者である東京都交響楽団が1日、定期演奏会を中止すると発表した。
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事実上のダブルブッキングによる公演中止で、公共ホールでは極めて珍しい失態となった。
中止になるのは、10月23日午後7時から同館大ホールで予定された都響の第669回定期演奏会。小林研一郎さんがスメタナ「わが祖国」を指揮するはずだった。
同館によると、この前後の日程で、人気指揮者の小沢征爾さんが音楽監督を務めるウィーン国立歌劇場が来日公演を開き、10月23日には午後3時開始のマチネーを予定している。しかし、大掛かりな装置が舞台に設けられ、都響のコンサートのためにステージを空けることが、物理的に不可能で、同歌劇場の招請元と都響間の調整が付かなかったという。
同館の使用承認は1年半前に出され、10月23日は都響側が権利を持っていた。ただ、大規模なオペラ公演などでは3~4年前から長期使用の打診を受け付けているという。同館は「双方に十分、認識が伝わっていなかった」と、調整ミスを認めている。
すでにチケットを売り出してしまった都響は、「信用問題にもなりかねない。すぐ払い戻しを行う」と当惑している。
一番悪いのはホールですけど。
ポピュラー音楽とロックを峻別する必要があるのか、さらにロックと呼ばれる分野でデビット・ボウイとフランク・ザッパーとエイちゃんとプログレとハードロックとラップ(そもそもラップはロックでないか?)を果たして同列に語ることが出来るのかという疑義は(こうしたあげ方では枚挙が尽きなくなるのでやめるが)、用は嗜好の問題でしょ。
あ~懐かしいと思って、プログレを見たりすると懐かしいし、ウーズリズミックスが好きだったりするけれど、現在は金銭を投資してまで聴きたい対象ではないだけのこと。ボノとか十分文化人でしょ?
最近、松本隆(赤いスイートピー)はすこがったな~などと感心しているし。ケイコみたいな怖そうな奥さんが好みだったのだろうか(でもトモちゃんより正解か)と不思議に思っても見ることがあるし
かなりつまらない話題。(正確にはつまらない批判をしているものの批判すらばかばかしい)
やっぱええなぁ。
魂の音楽だよ。
イタリア人も好きと聞くが。
カンツォーネと相通じるものがあるのだろうかねぇ。
所詮クラシック音楽は毛頭の作り出したものだし、別に高尚なもんでもなんでもない。単にその時代が求めた音楽だろってのが俺の意見だし。感性の違う人の音楽ってのはやはりどこか違うなとは思う。
カラスの女房を聞いてふと電信柱でいいって人を探したくなったよw
妙な権威付けなんてさっさとやめて普通に音楽としてやってれば普通にクラシック音楽ってやつも普通に存続できると思うのだけどね。
>田豊さん
感覚的な問題だと思うんです。枚挙に暇が無いなら枚挙してから話しは始まる、その中にもちろん、技法的には他のジャンルの流用にせよ確実に音楽ジャンルとして語られているのが「演歌」です。
別項の「しょせん評論は好き嫌い」の関連項目として挙げたエントリですが、どうもこれだけ返答が重なるのはなんだろう、このアクセス数何だろうとか思いつつ、正直どうでもいい話です。別に高尚でも何でもない、そこには音楽だけがあり、分類は無用ですね。便宜上の記号的分類だけがある。
>けんさん
雑感です、あくまでこれは。
「演歌」は、興味深い、あれは歌う人なの?(愛燦燦)は、小椋桂も歌っているけど演歌?襟裳岬は拓郎が歌っても演歌か?「ワインレッドの心」はどう見ても装束等からしてあの頃玉木は演歌に見えた。
昔読んだ物の本では、大正時代に路頭で時事について節をつけて演説した浪花節調が始まりと書いてあったが信じられない。まあリズムに微妙に遅れるサンバ系のジャズをボサノバと定義出来るのであれば「微妙にまたは大きな程度の差はあるが、こぶしという独特の音程または結語の発音の変化を特徴とするポピュラー音楽」とでもいうのでしょうか?ちょっと前までは村田だ~とか、本来の発祥に近い演歌師の系譜の人も生存していたのですがね。