湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ありゃ

2009年02月04日 | Weblog
リスニング環境によって、あれ、こんな演奏だったっけ、と思うことがある。

昨今流行りのデジタル圧縮音源再生となると、圧縮形式やソフト、変換に供するPC周辺のもろもろのこと、再生プレーヤー自体の特性、そこにそれぞれのリマスタリング(自動的にやるものもある)やドルビーサラウンドなどのイコライザ機能が加わるとほんと、わけがわからなくなる。

・・・原音はどれだ??

ありゃ、

フルヴェンのヒンデミット「世界の調和交響曲」って、こんなに硬くて四角四面だったけ?

・・・

ああ、

板自体がリマスタリングされ残響付加されているのに、更に圧縮・再現をへて最後にドルビーサラウンド効果が自動的に付加されているからだ。

・・・

つまりはいろいろいじくって違う音になったということか?

bluetoothヘッドフォンまで経由しているし。

・・・

いや、

でも他にもいろいろ聴いていると違うことに気がつく。原音より大元の情報量は減衰している筈だが、それ以上に、減衰した原音を整形復元し「想定原音」を作り上げようという操作が効いている。結果、原音を「上回った」のだ・・・

この音はそういう音だ。

エッジが不明瞭であるがゆえに脳内で勝手に補完作用が働き、自己催眠よろしく「自己印象操作」が行われることがある。アナログ音源やライヴ録音特有の、音符間を埋めるノイズが「倍音」として認識され、何となく迫力と感じられることがある(SP音源などノイズと残響が実際に分離困難な場合もなくもないが、マニアに言われるほど多くは無いのではないか)。

それら「脳内ノイズ」が取り除かれ、剥き身の「音」が「再現」される。

そして「印象」という曖昧なものを変えた。

うーん・・・

印象評論というものを私は否定しない、音楽なのだから。けど、やっぱりこういうことはある。認識はしておくべきだ。

FONIT CETRAの良復刻CDで認識を改めていたフルヴェンのヒンデミットだけど、しょうじき、ポータブルとはいえ最新の機器の連携の末にきかれる音は、いや、これこそ真実だと思わせる説得力があった。生硬でこなれていない、あきらかに「フルヴェンには向かない現代音楽」の演奏だということ。

そりゃ聴衆反応も一歩引いたものになるよなあ。ムラヴィンスキー並には迫力なんだけど、ムラヴィンスキー並にアプローチしあぐねている部分がとくに三楽章に、ある。あの単純にのぼりつめていく音楽の、しかし緻密に書き込まれ過ぎた内声を、生硬なテンポで整えるのが精一杯だったのであろう・・・一回性のライヴにあっては。

ヒンデミット自演の正規録音復刻を思い出した。あれも最良とされるプレスのアナログ盤でさえ響きが濁り精細に欠けるものに聴こえた。しかしここは逆にDGがボックスCD化したところ、目の覚めるようなノイズ除去に復調ぶりで、ここまで磨かれた演奏になっていたのかと驚嘆したものだ。everestの覆面オケによるステレオ録音に負けずとも劣らない迫力。

このセットで一度聴いてみるかな。

結論としてこの曲が駄目だということになったりして。それはない。

スコアがある。
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