湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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マーラー:交響曲第7番

2005年10月26日 | マーラー
○スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団(VIBRATO:CD-R)1995/8/9LIVE

最初に断っておくとこのAC盤、頭が切れてる楽章がある(1ですらぶちっといきなり始まる)。二番目の夜の歌冒頭のヴァイオリンソロが切れてるのはきっつい!!スウェーデン放送はWEB放送を行っており、何もわざわざこんなブート買わなくても聞けるよ、という人もいるだろうが、私は天性のモバイラーなので速度が足りません。まあ、エアチェックとなると音盤じゃないからなあ。

さて、演奏自体は素晴らしい。つくづくこの人はロシアに封ぜられてキャリアの大半を過ごすような人ではなかったと思った。バンスタのような没入はなく常に意識的だけど、あきらかに扇情的な演奏を狙っていて、ゆっくりしたテンポも強い表現によって力感を失わず終楽章の最後の長大なクライマックス(クレッシェンドと書く人もいるけど音量的には別に飛びぬけてるとは思えない。むしろテンポがどんどん遅くなっていくのとクレッシェンドが同調しての「偉大な表現」だろう)へと至る。この終盤は今まで聞いたこと無い、比類ない素晴らしさだ。昔この人がチャイコばっか振ってたとき、ロシアオケのどぎついローカル色の中で諦めもしくはあがいているように見えた。元々は割合意識的に表現を操作するタイプの指揮者でいながら奔放なオケの自己表現にも対応していて、結果として「最もロシア的な最後の巨匠」というわけのわからないレッテルを貼られてしまったわけだが、私はつねづね西側へ出て最後はドイツオケを振って、フルヴェンに対抗しうる芸当を見せ付けてほしいと思っていた。ロンドンのオケとはやっているが大人しすぎる感があった。でも私は何か新しいものが見えた気がした・・・この人は「ロシア」という称号が無くても十分に現代的で立派な芸術家なのだ、と。結果としてこのスウェーデンとのタッグでは録音には恵まれなかったけど、この演奏を聞くかぎりでもバンスタとは明らかに違う地平を狙っていながらバンスタ並の感動を与えることのできる、もはやローカルの域を完全にだっした「真の巨匠」の顕現を感じることができた。通して非常に聞きやすく、美しく、録音が悪くないことも手伝って、冒頭の瑕疵が気にならないほどの魅力的な潮流が出来上がっている。聞きものがどの楽章、と聞かれて答えに窮するが、物凄くゆっくりしたテンポでいながらチェリの芸風のような飽きをきたすゲイジュツ性とは無縁の奥底のドラマツルギーが見事にスウェーデンの音色によって纏め上げられている。オケも瑕疵はあるものの、ここでは非常によく演奏できている。さて、N響とのマーラーも「ドイツオケとの演奏にかわるもの」としていずれちゃんと出しなおされることだろう。スヴェトラーノフは、マーラー指揮者であった。私が言うまでもなく。録音瑕疵他マイナスで○。
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