湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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海のかなたで。

2005年10月16日 | Weblog
もうかなりジャポニズム横溢しすぎってかんじの20世紀初頭に絵画界の波乱の影響がやっと出てきたフランス音楽界、ドビュッシーも恐らく人づてだがこの描線の明瞭でデザイン性に富む浮世絵の世界に傾倒し(パリ万博では音楽的には寧ろガムランに興味深々だったが)、北斎晩年の傑作冨嶽三十六景より神奈川沖浪裏、恐らく本物を入手し壁に飾っていたそうである。飾っていたのだからとりわけ好きだったのだろう。江戸後期における浮世絵の、極めて鮮やかな色彩のコントラストと日本版画特有の簡潔斬新なデザインは、その成立の背景に洋画の模倣研究と吸収昇華という過程があったからこそ尚、フランス前衛絵画やポスターに深遠な影響を与え世界の絵画を変えることができたのだが、天才広重と並び称される葛飾在百姓爺は芸術的感性の鋭さと奔放さが先に世界で評価を受け、寧ろ日本はそれに追随して研究の進んだていがある。ここは絵のブログではないので余り書きたくないが、画狂人卍翁は日本画の流れとして極端な遠近法や透過画法といったものがあらわれていたのを更に研究し深化させた。その努力を微塵も感じさせない粋な画風を確立したのが現在の人気に繋がっている。小さな銅版画ひとつとっても長崎派とは比べ物にならないくらいにその真髄を見切って更に芸術性を高めているのがわかる。広重は「完全に静止したデザイン」というものを追及した人だから安心感がありわかりやすく、今も汎世界的な人気を保っているが、波のような動的で曖昧な対象物をはっきりした太い描線でしかし動きを少しも損なわずにその瞬間を絵画にうつしてみせる、北斎の即興的とも見えるわざには敵わない(しかし北斎は「即興の人ではない」)。

デュランが出した交響的エスキス「海」出版総譜の表紙に使われたこの「神奈川沖浪裏」、仔細を見れば瞭然だがデュランが浪だけを取り出してデザインさせなおしたものである。江戸絵は象徴派絵画のような背景への想像力と知識を要求する一種符牒的なものを持つものであることは言うまでもないが、この単純な道具立ての絵ひとつとってみても本質は「浪」ではない。富士山を描くということについて、富士山(神ほとけである)のさまざまな側面をあらわす三十六枚の中、これは荒波に揺れる黄色い船(藍に黄!)にうつぶせで必死にとりつく小さな人間たち、その見上げるであろう泡立つ壁のようなぞっとする浪の裏側・・・それらの烈しいやりとりを、遠く静かに見守る富士山があって、初めて自然の偉大さが引き立っているのである。そういう総合的な象徴を孕む「想像力の世界」だから、ほんとうはかんじんの船や富士山を消してしまったら元も子もないのである。退色はあろうが、どうもこの表紙が精細に欠けるのはそのあたりにも原因が追求できそうである。よくある版木落ちというよりまるでパソコンで切り取りエンハンスド処理を施したかのような変な絵だ。デザインのまるでよく似た北斎の紹介本が手に入る。しかしそれはちゃんと元絵の抜粋、である。

こんな海では船は浮きようが無い、たちまち二艘とも沈没だが・・・そもそも江戸絵の醍醐味はそのデフォルメ感にある(名所図会のたぐいでもその遠景は異常にスケールアップされて描かれる)。旅行を制限されていた庶民に「想像力の旅」をもたらすことで人気を博したさまざまの作者の旅絵シリーズのひとつにすぎないとしても、表現の凄さが抜きん出ており、本物以上の想像を掻き立てるものになっている。遠い異国のドビュッシーすら、北斎の旅物語に不可思議な想像を膨らませる事ができた、これは象徴的意味うんぬんを抜きにしても、やはり凄いことだったといえよう。だが往年のパリの凄かったところはこういうものを自分たちなりに吸収昇華し別物へと進化させたという点・・・まさに日本のやってきたことの裏返しであるが・・・である。さすがの北斎も自分の絵が音楽にインスピを与えるとは、しかもオリエンタリズムとしてではなくれっきとしたヨーロッパの風土に根ざした音楽に成り代わっていくとは、思わなかっただろうな。

今、アフリカ南部の島にひっそり暮らしている一匹の亀がいる。かれの生まれたとき、北斎はまだこの三十六景を描いていなかったのだ。ふとそんなことが頭をよぎった。
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