<ソヴィエト社会主義レアリズムの象徴。体制迎合的な作曲家の中でも最も才能に恵まれ、作風は必ずしも伝統的民族主義には留まらないモダニズムの後波も残しているものの、極めて平易な管弦楽曲の数々で世界中の子供の運動会に貢献した。大規模な歌劇や歌曲でも名声を博し「レクイエム」の自作自演録音は有名。ミャスコフスキーの弟子であることは知られているがゴリデンヴァイゼルの弟子でもあり、ピアノ協奏曲は技巧的バランスにすぐれ今も演奏される。>
交響曲第2番
トスカニーニ指揮NBC交響楽団?(協会盤)1942・LP
非常に音の悪い協会盤であるがリマスターした復刻があればぜひそちらを聞いてほしい。冒頭の和音だけでもう聞くのがイヤになる野暮ったいロシアン晦渋だが(これがなければ国家(某女史)が許さなかったのだろうが)、まあ前半楽章はなんとか我慢するとして(よく1楽章最後で拍手が出たもんだ、逆に感動する)、後半楽章で軽やかで楽しいカバちゃん風味が出てくるので、コラ・ブルニョン的感興はそこまで待ちましょう。トスカニーニ自体は凄いですよ。こんなのトスカニーニじゃなければまともに弾きたくないでしょう、お国ものでもあるまいにアメリカ人。最後まで雄弁にしなやかに突き進む。音響が小さくまとまるのはこの時期のライヴ録音では仕方の無いもので、決してトスカニーニ自体が小さくまとめる指揮者ではないとは思うが、まあ、スケール感は期待できない。純粋に運動だ。好意的に聞いて○、しかしあんまりにも音が悪いので無印。いっしょに入っている43年録音コラ・ブルニョン序曲なるものは英国のCD化音源と同じと思われるが非常に音は悪い。
トスカニーニ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1942/11/18(8?)LIVE
録音が籠もりまくりで非常に聞き辛い。この音は聞き覚えがあるので既出盤かもしれない(後注:11月8日のものとされる音源がweb配信されている)。没入しない引いたスタンスの音とテンポをとっているが、退屈な緩徐楽章のあとフィナーレがやけに速く、その中にひそむイマジネイティブな瑞々しい曲想を鮮やかに浮き彫りにして、まるでジョン・ウィリアムズの映画音楽のように爽やかな主題が暗い一楽章の主題再現を押し退け、すっぱり抜け出たまま綺麗に締める。ドラマはないが客席反応もいい(一楽章最後に拍手があっても)。録音がよければじつにカラフルな南欧的な明るさを味わえたかもしれない。トスカニーニの適性がどこにあるのかはっきりわかる演奏。
トスカニーニ指揮NBC交響楽団(放送)1942/11/8LIVE
音が悪すぎてよくわからない。曲はちょっとショスタコの1番を思わせる簡素な構造を持っているが、ボロディンやカリンニコフを削ぎ落とし骨にしたようなじつに古色蒼然。新しさと古さの自然な同居ぶりがカバレフスキーの特長なんだろう。ただこれは、音が悪すぎてよくわからない。
トスカニーニ指揮NBC交響楽団(DA:CDーR)1945/3/25LIVE
録音が非力すぎる。かなり乗って演奏しているみたいだが想像で補完しないとこのわかりやすさの極致のような曲でも解析がつらい。トスカニーニがなぜにこの恥ずかしい曲を何度もやっているのかわからないが、ロシア国民楽派嫌いに陥っている私でも引き込まれる瞬間はあった。アンサンブルと集中力。おそらく協会盤LPと同じ。
○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1946/3/9live
快演で、この若干脇の甘い曲を引き締まったオケによりきびきびと演じている。トスカニーニが比較的よくやった曲だが、なにせオケが違う。ボストンは寄せ集めNBCオケなどと違う。合奏のボリューム、大きなデュナーミク、響きの底深さ、2楽章など曲が緩いのでどうしても弛緩して聴こえてしまうものの、両端楽章の迫力は十分に買える。身の詰まった演奏。冒頭テープヒスが痛ましいなど悪録音だが、○。
○ラフミロビッチ指揮ローマ聖チチェリア管弦楽団(EMI)CD
早世が惜しまれる名手だが、このミャスコフスキーをあく抜きしてプロコの手口を付けたしたような余り受けそうにない曲目のリズムと旋律の魅力を引き出し、技術的に完璧ではないものの俊敏で洗練されたスタイルを持つオケの表現意志を上手く煽って聞き応えのあるものに仕立てている。二楽章はそれでもキツイが、速い両端楽章はとにかく引き締まってかつ前進力にあふれ、力強くも透明な色彩感を保った音がロシア臭をなくしとても入りやすい。即物的だがトスカニーニのように空疎ではない、古い演奏では推薦できるものだろう。○。
交響曲第4番
○作曲家指揮レニングラード・フィル(MELODIYA)
まあ新古典主義の影響を受けたマイナー交響曲という感じで、いささか冗長感のある曲である。終楽章などけっこうかっこいいが、旋律の魅力はそれほど強くないし、響きの面白さもソヴィエト楽界の最大公約数的なところに留まっている。メロディヤ録音の常で響きがスカスカに聞こえるのも痛い。悪くはない。アメリカあたりのアカデミックな交響曲に比べれば段違いにスマートでわかりやすい。でも聴きおわって終楽章以外の印象が残っていないことに愕然とした。おまけで○ひとつ。CDで出ていたが現在入手可否不明。
○ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル(NICKSON)1957/3/11LIVE・CD
ミトロプーロスの勢いに圧倒される。このプロコフィエフとショスタコーヴィチを足して4で割ったような作品に対して、つねに旋律を意識しそれに絡む音を巧く制御しながら流れ良い音楽を生み出している。1楽章などかなり面白いのだが、2楽章あたりでちょっと飽きてくる。それでもさすがミトプー、曲の弱さは勢いでカバー。結果として3楽章以下面白さを巻き返し、大団円につなげている。ほんと聴いているとプロコフィエフ、それも晩年の穏健なプロコフィエフを思わせる旋律、コード進行、楽器法のオンパレードで、それはそれで面白いけど、借り物のように座りの悪いところがある。全般にこの作曲家にしては少し暗さを感じさせる所があるが、そこはショスタコーヴィチの11、12番シンフォニーの雰囲気と物凄く良く似ている(民謡旋律のとってつけたような使い方も似)。但しこちらは56年作品、ショスタコの11番が57年作品。まあ同時代の空気に同じように反応したということなのだろう。○ひとつ。
コラ・ブルニョン序曲
○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R/DELL ARTE)1943/4/11LIVE・CD
プロコフィエフを灰汁抜きしてショスタコーヴィチの通俗曲とかけあわせたような作風、というのが私のカバレフスキー観だが、そうはいってもそうとうの数の作品を長い人生の中で書き綴ってきた作曲家であり、いろいろな作風の作品があることも事実である。単純ではない、ソヴィエトの作家は。プロコフィエフの影響は否定できないけれども、プロコフィエフの遺作のオーケストレーションを行ったりして恩返しをしている。歌劇コラ・ブルニョンは若きカバレフスキーの代表作であり、台本がロマン・ロランであり、フランス民謡を用いていることからしてロシア大衆のための作品としてかかれたとは思えないものだが、無心で聴く限り非常に平易で洒脱、まさにプロコフィエフの毒を抜いて食しやすくしたような曲で、結果として大衆受けしたことは想像に難くない。外国でも受けて、トスカニーニも序曲を振る気になったのだろう。ジャズふうの妙なリズムもカバレフスキーらしいものだが、そういった世俗的で下卑た癖を、トスカニーニは颯爽とした棒によりうまく取り去っている。歴史的録音として○ひとつ。(2005以前)
比較的落ち着いたテンポで楽しげにこの一種諧謔的な楽曲をリズムよく表現している。屈託なく躊躇もなく、慣れた調子といえばそうだ。今も名前がのこる楽曲というのは例えどんなにキッチュで後ろ向きであっても何かしら他とは違う魅力をはなっているもので、この率直な解釈では余り面白くない演奏にもできてしまうところ曲想と管弦楽の響きの面白さだけでどんな演奏でも聴かせる力は元々あるのであり、トスカニーニだからどうこうということはないかもしれない。しっかりした演奏ではある。 (2007/3/9)
作曲家指揮ボリショイ劇場管弦楽団(COLOSSEUM)LP
いささか弱い。音量が少ないせいもあるが、溌剌とリズミカルに演じるべきこの曲を、妙にぎくしゃくだらだら振ってしまっている。折角の名曲にもったいない。ジャズふうのフレーズにも遊びが欲しい。無印。モノラル。
○ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル(NICKSON)1955/8/5LIVE・CD
きわめてクリアな音質で驚く。耳にキンキン響いて却って耳障り。派手で盛り上がる曲だが、派手すぎて少々疲れる。勢いは買おう。○。
チェロ協奏曲第1番OP.49
◎シャフラン(VC)作曲家指揮ソヴィエト国立管弦楽団(VANGUARD)
名曲。かなりプロコフィエフっぽいが、プロコフィエフのように晦渋で偏屈なところがなく、素直に楽しめる曲だ。ウォルトンのチェロ協奏曲を思わせる冒頭からぐいっと引き込まれる旋律の力は強力。チェリストがひたすら旋律を歌いまくり、カバレフスキーだからかなりせわしない動きがあるのだけれども、シャフランは唖然とするほど弾きこなし、大家らしさを見せている。ロストロといいシャフランといいこの国のチェリストはどうなっているんだろう。圧倒的な1楽章、カバレフスキーの抒情が臭くならない程度にほどよく出た緩徐楽章、これまたせわしない曲想だが非常に効果的な終楽章、とにかくわかりやすさが魅力の第一ではあるが円熟したカバレフスキーの隙の無い書法に感銘を受けた。オケはソヴィエト国立だがレニフィルのように緊密でまとまりがよく、カバレフスキーのそつない棒によくつけている。いい曲だなしかし。。ぜひ聴いてみてください。この組み合わせは最高だが、他の演奏家でもきっとうまく響くはず。◎。
○ジャンドロン(Vc)ドラティ指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団(KARNA:CD-R)live
指が軽く冒頭から装飾音が音になっていなかったり音程が危うかったりちょっと安定しないが、2楽章カデンツァあたりから低音が力強く響くようになり安定してくる。3楽章は元がロシアのデロデロ節なだけに、ジャンドロンらしい柔らかくニュートラルな音で程よくドライヴされると聴き易くてよい。ドラティはさすがの攻撃的なサポートで前半ジャンドロンの不調(衰え?)を補っている。この曲のロシアロシアした面が鼻につくという人にはとても向いているが、録音特性やソリストの適性もあり決して最大の推薦はつけられないか。○。
チェロ協奏曲第2番OP.77
シャフラン(VC)作曲家指揮レニングラード・フィル(CELLO CLASSICS)CD
ショスタコの晦渋な曲パターンのまじめでつまらない曲。
ピアノ協奏曲第3番
○ギレリス(p)作曲家指揮モスクワ放送交響楽団(olympia)1954
恥ずかしさ炸裂の社会主義リアリズム節。当初より青少年向けに企画された曲だけに、ラフマニノフその他のわかりやすいロマン派ピアノ協奏曲を諸所で彷彿とさせる。旋律は全て明白、ロシア民謡的。終楽章最後で1楽章の主題が回想されるところなど穴があったら入りたいくらいだ。カバレフスキーは決して先祖回帰的な作曲家ではなく、モダニズムや新古典の空気をめいっぱい吸った作曲家でもある(2番を聞けばよくわかる)のだが、ここでは古臭い雰囲気を終始漂わせている。ギレリスはそつなくやっている。放送響も巧くこなしている。カバレフスキーの指揮は明快。そんな感じ。
ピアノ協奏曲第4番
◎ポポフ(p)カバレフスキー指揮モスクワ・フィル(olympia)1981
なかなか面白い曲。三楽章制だがこの演奏でわずか13分、簡潔だ。懐かしきモダニズムの時代を思わせる鮮烈な出だしから、プロコフィエフ的な新古典的展開。響きは清新な空気を振り撒き、部分的に非常に美しい。民謡ふうの旋律はまったく無く、新しい時代の曲であることをアピールする。終楽章はスネアドラムの焦燥感に満ちた音が面白いスパイスとなっていて、ジャズふうの曲想とからみ、耳を惹く。その響きはアメリカ的ですらある。ポポフが巧い。
弦楽四重奏曲第2番
ナウマン四重奏団(URANIA)
やわらかい音は好みだが戦闘的なソビエト音楽にはヤワすぎるか。全般迫力に欠け技術が足りないようにも感じる。とくにファーストのハイポジの音程が低いのは気になった。明快な和音もきれいに響かないのだ。団体としては一流とは言えない。曲については、わかりやすい。多分に漏れず通俗的で明せきな音楽である。かなりテンション高いタカタカした動きが目立つが、いかにもソビエト時代の大衆向け音楽の感じがする。ハーモニーも曲想もいたって古風だが、ショスタコっぽい旋律が多く楽しめる(この曲、全般にプロコの新古典的書法やショスタコの清明だが皮肉っぽい音楽を彷彿とするところが多い)。緩徐部、緩徐楽章はわかりやすい民謡ふう主題にちょっとクセのある転調をかましたりするところは師匠ミャスコフスキーを(僅かだが)思わせる。3楽章はどこどこどこ低い音域を駆け回るが、畳み掛けるような最後などやっぱりショスタコ。4楽章はアイロニカルな主題はちょっと面白くプロコふうだが(とくに暗い緩徐部の最後でちょっとずつ主題が戻るとこはあざといまでに効果的)、曲の流れはまるでショスタコのわかりやすいところを取り出して組み合わせたようで楽しめる。緩徐部の暗さはあくまで旋律性の上に成り立っておりやっぱりプロコ的。ちょこちょこした動きがダイナミックに交錯する後半~クライマックスはファーストが辛そう。このカルテットには厳しすぎるかも。曲の良さがうまく消化しきれていない感じがするが、曲はけっこう面白い。1945年作品(終戦の年だ)でカバレフスキーとしては比較的新しいほうの作品だ。プロコは2作のカルテットを既に作曲し終えているが、ショスタコは2番を前年に仕上げたところ(従ってカバレフスキーが逆にショスタコを予告した作品とも言える)。ソヴィエト国家賞を受けた3番(翌年作)が有名。
交響曲第2番
トスカニーニ指揮NBC交響楽団?(協会盤)1942・LP
非常に音の悪い協会盤であるがリマスターした復刻があればぜひそちらを聞いてほしい。冒頭の和音だけでもう聞くのがイヤになる野暮ったいロシアン晦渋だが(これがなければ国家(某女史)が許さなかったのだろうが)、まあ前半楽章はなんとか我慢するとして(よく1楽章最後で拍手が出たもんだ、逆に感動する)、後半楽章で軽やかで楽しいカバちゃん風味が出てくるので、コラ・ブルニョン的感興はそこまで待ちましょう。トスカニーニ自体は凄いですよ。こんなのトスカニーニじゃなければまともに弾きたくないでしょう、お国ものでもあるまいにアメリカ人。最後まで雄弁にしなやかに突き進む。音響が小さくまとまるのはこの時期のライヴ録音では仕方の無いもので、決してトスカニーニ自体が小さくまとめる指揮者ではないとは思うが、まあ、スケール感は期待できない。純粋に運動だ。好意的に聞いて○、しかしあんまりにも音が悪いので無印。いっしょに入っている43年録音コラ・ブルニョン序曲なるものは英国のCD化音源と同じと思われるが非常に音は悪い。
トスカニーニ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R)1942/11/18(8?)LIVE
録音が籠もりまくりで非常に聞き辛い。この音は聞き覚えがあるので既出盤かもしれない(後注:11月8日のものとされる音源がweb配信されている)。没入しない引いたスタンスの音とテンポをとっているが、退屈な緩徐楽章のあとフィナーレがやけに速く、その中にひそむイマジネイティブな瑞々しい曲想を鮮やかに浮き彫りにして、まるでジョン・ウィリアムズの映画音楽のように爽やかな主題が暗い一楽章の主題再現を押し退け、すっぱり抜け出たまま綺麗に締める。ドラマはないが客席反応もいい(一楽章最後に拍手があっても)。録音がよければじつにカラフルな南欧的な明るさを味わえたかもしれない。トスカニーニの適性がどこにあるのかはっきりわかる演奏。
トスカニーニ指揮NBC交響楽団(放送)1942/11/8LIVE
音が悪すぎてよくわからない。曲はちょっとショスタコの1番を思わせる簡素な構造を持っているが、ボロディンやカリンニコフを削ぎ落とし骨にしたようなじつに古色蒼然。新しさと古さの自然な同居ぶりがカバレフスキーの特長なんだろう。ただこれは、音が悪すぎてよくわからない。
トスカニーニ指揮NBC交響楽団(DA:CDーR)1945/3/25LIVE
録音が非力すぎる。かなり乗って演奏しているみたいだが想像で補完しないとこのわかりやすさの極致のような曲でも解析がつらい。トスカニーニがなぜにこの恥ずかしい曲を何度もやっているのかわからないが、ロシア国民楽派嫌いに陥っている私でも引き込まれる瞬間はあった。アンサンブルと集中力。おそらく協会盤LPと同じ。
○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1946/3/9live
快演で、この若干脇の甘い曲を引き締まったオケによりきびきびと演じている。トスカニーニが比較的よくやった曲だが、なにせオケが違う。ボストンは寄せ集めNBCオケなどと違う。合奏のボリューム、大きなデュナーミク、響きの底深さ、2楽章など曲が緩いのでどうしても弛緩して聴こえてしまうものの、両端楽章の迫力は十分に買える。身の詰まった演奏。冒頭テープヒスが痛ましいなど悪録音だが、○。
○ラフミロビッチ指揮ローマ聖チチェリア管弦楽団(EMI)CD
早世が惜しまれる名手だが、このミャスコフスキーをあく抜きしてプロコの手口を付けたしたような余り受けそうにない曲目のリズムと旋律の魅力を引き出し、技術的に完璧ではないものの俊敏で洗練されたスタイルを持つオケの表現意志を上手く煽って聞き応えのあるものに仕立てている。二楽章はそれでもキツイが、速い両端楽章はとにかく引き締まってかつ前進力にあふれ、力強くも透明な色彩感を保った音がロシア臭をなくしとても入りやすい。即物的だがトスカニーニのように空疎ではない、古い演奏では推薦できるものだろう。○。
交響曲第4番
○作曲家指揮レニングラード・フィル(MELODIYA)
まあ新古典主義の影響を受けたマイナー交響曲という感じで、いささか冗長感のある曲である。終楽章などけっこうかっこいいが、旋律の魅力はそれほど強くないし、響きの面白さもソヴィエト楽界の最大公約数的なところに留まっている。メロディヤ録音の常で響きがスカスカに聞こえるのも痛い。悪くはない。アメリカあたりのアカデミックな交響曲に比べれば段違いにスマートでわかりやすい。でも聴きおわって終楽章以外の印象が残っていないことに愕然とした。おまけで○ひとつ。CDで出ていたが現在入手可否不明。
○ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル(NICKSON)1957/3/11LIVE・CD
ミトロプーロスの勢いに圧倒される。このプロコフィエフとショスタコーヴィチを足して4で割ったような作品に対して、つねに旋律を意識しそれに絡む音を巧く制御しながら流れ良い音楽を生み出している。1楽章などかなり面白いのだが、2楽章あたりでちょっと飽きてくる。それでもさすがミトプー、曲の弱さは勢いでカバー。結果として3楽章以下面白さを巻き返し、大団円につなげている。ほんと聴いているとプロコフィエフ、それも晩年の穏健なプロコフィエフを思わせる旋律、コード進行、楽器法のオンパレードで、それはそれで面白いけど、借り物のように座りの悪いところがある。全般にこの作曲家にしては少し暗さを感じさせる所があるが、そこはショスタコーヴィチの11、12番シンフォニーの雰囲気と物凄く良く似ている(民謡旋律のとってつけたような使い方も似)。但しこちらは56年作品、ショスタコの11番が57年作品。まあ同時代の空気に同じように反応したということなのだろう。○ひとつ。
コラ・ブルニョン序曲
○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R/DELL ARTE)1943/4/11LIVE・CD
プロコフィエフを灰汁抜きしてショスタコーヴィチの通俗曲とかけあわせたような作風、というのが私のカバレフスキー観だが、そうはいってもそうとうの数の作品を長い人生の中で書き綴ってきた作曲家であり、いろいろな作風の作品があることも事実である。単純ではない、ソヴィエトの作家は。プロコフィエフの影響は否定できないけれども、プロコフィエフの遺作のオーケストレーションを行ったりして恩返しをしている。歌劇コラ・ブルニョンは若きカバレフスキーの代表作であり、台本がロマン・ロランであり、フランス民謡を用いていることからしてロシア大衆のための作品としてかかれたとは思えないものだが、無心で聴く限り非常に平易で洒脱、まさにプロコフィエフの毒を抜いて食しやすくしたような曲で、結果として大衆受けしたことは想像に難くない。外国でも受けて、トスカニーニも序曲を振る気になったのだろう。ジャズふうの妙なリズムもカバレフスキーらしいものだが、そういった世俗的で下卑た癖を、トスカニーニは颯爽とした棒によりうまく取り去っている。歴史的録音として○ひとつ。(2005以前)
比較的落ち着いたテンポで楽しげにこの一種諧謔的な楽曲をリズムよく表現している。屈託なく躊躇もなく、慣れた調子といえばそうだ。今も名前がのこる楽曲というのは例えどんなにキッチュで後ろ向きであっても何かしら他とは違う魅力をはなっているもので、この率直な解釈では余り面白くない演奏にもできてしまうところ曲想と管弦楽の響きの面白さだけでどんな演奏でも聴かせる力は元々あるのであり、トスカニーニだからどうこうということはないかもしれない。しっかりした演奏ではある。 (2007/3/9)
作曲家指揮ボリショイ劇場管弦楽団(COLOSSEUM)LP
いささか弱い。音量が少ないせいもあるが、溌剌とリズミカルに演じるべきこの曲を、妙にぎくしゃくだらだら振ってしまっている。折角の名曲にもったいない。ジャズふうのフレーズにも遊びが欲しい。無印。モノラル。
○ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル(NICKSON)1955/8/5LIVE・CD
きわめてクリアな音質で驚く。耳にキンキン響いて却って耳障り。派手で盛り上がる曲だが、派手すぎて少々疲れる。勢いは買おう。○。
チェロ協奏曲第1番OP.49
◎シャフラン(VC)作曲家指揮ソヴィエト国立管弦楽団(VANGUARD)
名曲。かなりプロコフィエフっぽいが、プロコフィエフのように晦渋で偏屈なところがなく、素直に楽しめる曲だ。ウォルトンのチェロ協奏曲を思わせる冒頭からぐいっと引き込まれる旋律の力は強力。チェリストがひたすら旋律を歌いまくり、カバレフスキーだからかなりせわしない動きがあるのだけれども、シャフランは唖然とするほど弾きこなし、大家らしさを見せている。ロストロといいシャフランといいこの国のチェリストはどうなっているんだろう。圧倒的な1楽章、カバレフスキーの抒情が臭くならない程度にほどよく出た緩徐楽章、これまたせわしない曲想だが非常に効果的な終楽章、とにかくわかりやすさが魅力の第一ではあるが円熟したカバレフスキーの隙の無い書法に感銘を受けた。オケはソヴィエト国立だがレニフィルのように緊密でまとまりがよく、カバレフスキーのそつない棒によくつけている。いい曲だなしかし。。ぜひ聴いてみてください。この組み合わせは最高だが、他の演奏家でもきっとうまく響くはず。◎。
○ジャンドロン(Vc)ドラティ指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団(KARNA:CD-R)live
指が軽く冒頭から装飾音が音になっていなかったり音程が危うかったりちょっと安定しないが、2楽章カデンツァあたりから低音が力強く響くようになり安定してくる。3楽章は元がロシアのデロデロ節なだけに、ジャンドロンらしい柔らかくニュートラルな音で程よくドライヴされると聴き易くてよい。ドラティはさすがの攻撃的なサポートで前半ジャンドロンの不調(衰え?)を補っている。この曲のロシアロシアした面が鼻につくという人にはとても向いているが、録音特性やソリストの適性もあり決して最大の推薦はつけられないか。○。
チェロ協奏曲第2番OP.77
シャフラン(VC)作曲家指揮レニングラード・フィル(CELLO CLASSICS)CD
ショスタコの晦渋な曲パターンのまじめでつまらない曲。
ピアノ協奏曲第3番
○ギレリス(p)作曲家指揮モスクワ放送交響楽団(olympia)1954
恥ずかしさ炸裂の社会主義リアリズム節。当初より青少年向けに企画された曲だけに、ラフマニノフその他のわかりやすいロマン派ピアノ協奏曲を諸所で彷彿とさせる。旋律は全て明白、ロシア民謡的。終楽章最後で1楽章の主題が回想されるところなど穴があったら入りたいくらいだ。カバレフスキーは決して先祖回帰的な作曲家ではなく、モダニズムや新古典の空気をめいっぱい吸った作曲家でもある(2番を聞けばよくわかる)のだが、ここでは古臭い雰囲気を終始漂わせている。ギレリスはそつなくやっている。放送響も巧くこなしている。カバレフスキーの指揮は明快。そんな感じ。
ピアノ協奏曲第4番
◎ポポフ(p)カバレフスキー指揮モスクワ・フィル(olympia)1981
なかなか面白い曲。三楽章制だがこの演奏でわずか13分、簡潔だ。懐かしきモダニズムの時代を思わせる鮮烈な出だしから、プロコフィエフ的な新古典的展開。響きは清新な空気を振り撒き、部分的に非常に美しい。民謡ふうの旋律はまったく無く、新しい時代の曲であることをアピールする。終楽章はスネアドラムの焦燥感に満ちた音が面白いスパイスとなっていて、ジャズふうの曲想とからみ、耳を惹く。その響きはアメリカ的ですらある。ポポフが巧い。
弦楽四重奏曲第2番
ナウマン四重奏団(URANIA)
やわらかい音は好みだが戦闘的なソビエト音楽にはヤワすぎるか。全般迫力に欠け技術が足りないようにも感じる。とくにファーストのハイポジの音程が低いのは気になった。明快な和音もきれいに響かないのだ。団体としては一流とは言えない。曲については、わかりやすい。多分に漏れず通俗的で明せきな音楽である。かなりテンション高いタカタカした動きが目立つが、いかにもソビエト時代の大衆向け音楽の感じがする。ハーモニーも曲想もいたって古風だが、ショスタコっぽい旋律が多く楽しめる(この曲、全般にプロコの新古典的書法やショスタコの清明だが皮肉っぽい音楽を彷彿とするところが多い)。緩徐部、緩徐楽章はわかりやすい民謡ふう主題にちょっとクセのある転調をかましたりするところは師匠ミャスコフスキーを(僅かだが)思わせる。3楽章はどこどこどこ低い音域を駆け回るが、畳み掛けるような最後などやっぱりショスタコ。4楽章はアイロニカルな主題はちょっと面白くプロコふうだが(とくに暗い緩徐部の最後でちょっとずつ主題が戻るとこはあざといまでに効果的)、曲の流れはまるでショスタコのわかりやすいところを取り出して組み合わせたようで楽しめる。緩徐部の暗さはあくまで旋律性の上に成り立っておりやっぱりプロコ的。ちょこちょこした動きがダイナミックに交錯する後半~クライマックスはファーストが辛そう。このカルテットには厳しすぎるかも。曲の良さがうまく消化しきれていない感じがするが、曲はけっこう面白い。1945年作品(終戦の年だ)でカバレフスキーとしては比較的新しいほうの作品だ。プロコは2作のカルテットを既に作曲し終えているが、ショスタコは2番を前年に仕上げたところ(従ってカバレフスキーが逆にショスタコを予告した作品とも言える)。ソヴィエト国家賞を受けた3番(翌年作)が有名。