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湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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アイヴズについて考えているいくつかのこと

2008年01月17日 | Weblog
#アイヴズの交響曲第3番のスコアをマーラーが見た(持ち帰った)という件について。

しっかりしたソースはアイヴズの日記の一文ただマーラーがタムズ(写譜屋)のオフィスでスコアを見て「まったく興味を持っていた」。お上品なコンサートやそれにまとわりつく「天道虫たち」に嫌悪をおぼえていたアイヴズは滅多に実演に出向かなかった(晩年まで堅持しつづけたが健康上の問題もあったと思われる)。しかしマーラーのNYPの演奏会は「特別」として聴きに行ってはいたけれど、シンクレアによると一度も会見はしていないと思われる(日記の記載は伝聞もしくは「舌足らず」だと思われる)。

シンクレアはそもそもマーラーとの接点について資料集中で疑問を呈している。NYSのW.ダムロッシュ(早くに部分初演を行った)より前にアイヴズの3番のスコアを見た人間がいた証拠はみつから無いという。アイヴズの信念はマーラーの得意としたワグナーふうの芸風とは相容れないものであろう。作曲的接点について論じるのは観念的もしくは文学的なざっくりしたものでしかありえず、共にプロであった双方が全く異なる信念を交わらせる理由はなかろう。伝説ではダムロッシュがアメリカ音楽に興味を持っていたマーラーにアイヴズを紹介したというが、あくまで口頭によるものでスコアすら見せていないかもしれない。

自身以外でマーラーとの接点についてはっきりふれているのはアイヴズ研究の基礎資料として注視されるカウエルとウールドリッジの書籍だけだと思われる。ウールドリッジはこの接点をかなり重く書き、それが一般に流布している「アイヴズの完成版スコアをマーラーがヨーロッパに持ち帰りそのまま亡くなったため紛失、アイヴズは記憶でスコアを書き直した」という伝説に結びついたと思われる。ソースは失念したがオケ団員の証言としてマーラーが自身の交響曲第8番ミュンヘン初演時にいったんオケに演奏させたとかNYでの自身の作品の演奏会で私的に演奏したとかいう話も流布していたがこれはデマだろう(ウールドリッジの書籍?)。奥田恵二氏の論文は未見。マーラーとの接点については本国でも論文がある模様。

#交響曲第4番の編成について

これは確定しているものが無い前提となる。アイヴズ協会が10数年前に最終版としてまとめたスコアとストコフスキが使用したジョン・カークパトリック編集の手書きによるスコア(民音に所蔵されている)にははっきり差異があるが、原譜との比較およびアナライズの経緯と修正点と変更点の明確化がなされていないため、結果として指揮者もしくは解釈者の自由がままにまかされているように思われる。シンクレアの資料では4手ピアノが四分音ピアノとなっており、それとは別のピアノが必要とはあるがオルガンについての記載はない。いくつかの特殊楽器がオプションとして記載されていて、中にテルミンが明示されている。これは使用されている音盤もあるが実際には音量音域の問題で殆ど聴こえないものである。別項に書いたがグランドピアノ2台(1台は四分音調律)にアップライトピアノという編成にしているものもあった(音数的には同じである)。アップライトピアノはあるいは足踏みオルガンであったかもしれないがその指定は何にも無いはず。3楽章でオルガンを使用する演奏としない演奏があり、どちらが本当かは定かではない。

#アイヴズの病気について

アイヴズが作曲の筆を折り実業から身を引く原因となった病気はパーキンソン病であったが、病状について明記した資料は殆ど無い。ここに掲示しているオートグラフには明らかに病気の痕跡がみられ、少なくとも30年代には病状が進行していたものと思われる。
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