湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

音楽家は殺さない、聴衆が勝手に自死するのみ

2008年12月19日 | Weblog
このめまぐるしい現代において、いまさらカラヤンがどうとかケーゲルがどうだったとか、どうでもいいねえ。自己の思想的主張を音楽の表層に絡めて文学的に書くという評論屋の流れはまだ続くのか。知識で聴くな、赤子であれ。カラヤンの音楽(的記録体)は偉大な遺産である。偉大か偉大でないかを判断するのは聴く個々に帰結する。しかし直感的にカラヤンの後期ロマン派音楽の解釈が「ヘタクソ」で「汚い」と感じる人間がいるとしたら、耳を疑ったほうがいい。クラシックは透明で綺麗な音を出すことから始まる。なぜってそういう音楽だからだ。音響バランス的なものはケーゲルがすぐれている部分はある。しかしクレンペラーの音は概ね、汚い。

書を捨てよホールに行け、楽器を弾けっつーのに。扇情的な題名のほうが罪だ。権威的なものに反抗するのに殺すだなんだと、そっちのがワロスわ。

さて、どの本のことを言ってるんでしょう?まあ、どの本でもいっしょです。

技術論からカラヤンとか読み解けばこんな話にはならんのではないかなあ。政治的な手腕はオケに対しても必要な技量で、世渡り上手はオケ繰り上手ってとこもあんじゃないでしょうか。
Comments (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« シマノフスキ:ヴァイオリン... | TOP | ヴォーン・ウィリアムズ:8つ... »
最新の画像もっと見る

2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
カラヤンは凄かった (サンセバスチャン)
2008-12-19 20:12:40
昔、FMでしょっちゅうカラヤンのライヴが流れていて、勝手に「さすがはカラヤン」とか、「カラヤンも大したことないな」なんて好き放題言っていましたが、幸せな時代でしたね。
先日、久しぶりにカラヤンのチャイ5、65年DGG録音を聴いたのですが、べらぼうに上手い。こんなに凄かったのか!
批評家にこき下ろされて、辞任する指揮者はしょせんその程度のもの。
返信する
チケットが高くて (管理人)
2008-12-19 21:41:57
どっちみち聴きに行けなかったかもしれないけれど、何とかラジオは聴けた、カラヤンもチェリもバンスタも、確かに幸せな時期でしたし、不条理・非合理性がまかり通った巨匠の時代だけが可能にした強権構造下のオケの一種強靭さというのは、今は無いかなあ。ケーゲルもクレンペラーも晩年はともかく基本的には強権指揮者だったし後者は商業的なものと無縁でもない。カラヤンが空疎なんて印象自体、音だけでちゃんと判断してない。
返信する

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Recent Entries | Weblog