湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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レスピーギ ローマの松(2012/3までのまとめ)

2012年04月20日 | Weblog
○コッポラ指揮パリ音楽院管弦楽団(Gramophone/RICHTHOFEN:CD-R)1920年代

有名な録音にもかかわらずSPでしか聴けず(盤自体の流通量は多かったが)復刻が待たれていたもの。戦前仏グラモフォンで近代音楽の網羅的録音を使命とされたピエロ・コッポラ(割と近年まで存命)。フランスものはイタリア盤CDでかなり復刻されていたが、同時代にあっても雑味も厭わずただ高速で突き通す、ワンパターンな指揮者として余り評価されていなかったようである。しかしこれは他のSP指揮者のものにも言えることで、収録時間の制約があってそのテンポを取らざるを得なかったという説もある。派手な表現、特にオケの色彩を引き出すことには長けており、ただテンポとリズムが単調なためにドビュッシーのような繊細な音楽には向かなかっただけである。

従ってこのようなテンポとリズムが単調でも聴けてしまう音楽には非常に向いている。私はこの異様なテンポは好きだし、中間楽章は確かにこの録音状態では是とはしがたいけれども、終楽章の突進はトスカニーニとは違ったスケールの小さな爽快さというか、世俗的な喜びが感じられ、表現の振幅は全然違うけれどもクアドリを彷彿とさせる楽しい音楽になっている。変なケレンがなく、ただスコアの面白みが存分に表現されている。この時代のフランスの弦楽器は確かにちょっと雑過ぎる。しかし、この曲は弦楽器なんかいらないから大丈夫(暴論)。○。

◎クアドリ指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団(WESTMINSTER)1950'S

プレヴィターリに比べて派手だがぐだぐだ。でもそこがイタリア人らしくていい。この個性に私は◎をつけたい。この指揮者と縁深いウィーンオケも重量感がある(ウィーンオケの常?としてブラスの技巧がすぐれないが)。クアドリも日本にゆかりが深いそうだが私は初耳。なかなか爆演系の指揮者で、細部はアバウトだが入り易い演奏だと思う。ジャニコロの松の陶酔的な謡いまわしは情緒たっぷりで印象的。色彩変化も鮮やかで美しい。アッピア街道は文字どおり爆演。ブラスがへたろうが構わない圧倒的なクライマックスだ。録音のレンジが広いせいもあろうが(モノラルだが)。面白い。◎。

○プレヴィターリ指揮聖チチェリア音楽院管弦楽団(DECCA)1959

イタリア人指揮者の「松」となるとこの人とクアドリのものがまっさきに挙がるそうである(トスカニーニは別格)。これはメリハリのきいた色彩的な演奏。日本にも来ていた指揮者だそうだが私は初めて聞く。このオケはレスピーギゆかりのオケだそうだ。私はサバータの噴水の録音でしか知らなかったがこれがけっこう巧い。軽やかできらびやかだ。とてもまとまりのいい演奏に聞こえるが、抜けのいいブラスも楽しい。アッピア街道の松にもうすこし圧倒的なパワーがほしかったが録音のレンジの狭さのせいか。ジャニコロの松のいち早く入る鳥の声や弦楽器の歌謡的な表現など、やや美に徹しすぎる感もあるが、品のよいいい演奏だと思う。○。

○ガルデッリ指揮ロンドン交響楽団(EMI)

超廉価2枚組CDで発売中。LPで手にいれたあとそれを知って愕然としました(泣)。イギリスオケの軽量級の音はこの曲に意外に合う。1楽章など特長には欠けるが美麗だ。淡彩のため曲によっては力感に欠ける印象もあるが、3楽章など余りにも美しい音詩に陶然とする。ディーリアスの世界だ。高音打楽器が懐かしい余韻をのこし秀逸、ちょっとホルスト的な神秘の怜悧を秘めた音響である。4楽章はブラスがはじけないのが気になるが(バンダが弱い?)ティンパニがダンダンと気分を高揚させる。ドラやら鈴やら打楽器大活躍、最後にはブラスも力感を取り戻し立派なクライマックスを築く。やや音量変化がぎごちなく大きなクレッシェンドの効果が出ていない感じもするが、最後は壮麗に盛りあがるからいいか。指揮者がいいのだろう、「松」らしい演奏になっており、○ひとつはあげられる。「松」のスタンダード盤として如何。(2003記)

○ガルデッリ指揮ハンガリー放送管弦楽団(HUNGAROTON)

開放的でいかにもイタリアの指揮者らしい色彩感と「やる気」にあふれた演奏だが、オケが技術的に不安をおぼえるところもあるし、音もやや冷たく南欧的雰囲気を損ねている感もある。1楽章は予想を裏切らない楽天的な演奏。2楽章は表現が世俗的であざといようにも思えたが、この曲はそれでいい気もしないでもない。3楽章はソロヴァイオリンが音末を切上げるように弾いているところがラベルのダフクロ終盤を思い起こさせた。感情を煽らず雰囲気を徐々に盛りあげていくところなど印象派的と感じる人もいるかもしれない。最後はロマン派ふうに雄大に盛り上げる。私は好きだが音が重すぎると感じる人もいるかもしれない。全体的にはなかなかの出来である。○ひとつ。

ミュンシュ指揮ニュー・フィル(LONDON)1966/1

イマイチノリの悪いオケのせいもあるが、鈍重で野暮に聞こえる。1楽章はロマン派的くぐもりが支配しており、内声部が充実しているぶん前進性が損なわれている。2楽章も濁っており鈍重だ。3楽章は逆にロマン派的アプローチが功を奏している。色彩的で心象的で、哀しいほどに美しい。ゆっくりした楽章だから、ミュンシュのアバウトなところが目立たないせいもある。4楽章は重々しい。そのせいか重い。どっしりしすぎて行進に聞こえない。オケも何か「こなしている」という感じしかしない。全般、無印。

○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1960/12/23LIVE

モノラルで、録音が悪ければ悪いほど良いように聴こえるというのは、つまるところ悪い演奏だった証拠だが(「悪いステレオ録音」というのもあるけど)、録音を聴く側は聴き易ければ問題ないわけで、こちらのほうをおすすめする。派手なだけでハスッパなブラス陣もバンダ含めインホールの茫洋とした音響の中ではその荒さや欠点を補われ、立体感はやや損なわれても総体的に美しい音響に昇華される、よくあることだ。1楽章に違和感がなく、2楽章から重心の低い音響がドイツ的なしっかりしたカタコンベを提示するのが面白い。モノラルなのに立体的に聴こえ、3楽章も低い音がしっかり響いて、鳥の声も含めて単なる環境音から抽象音楽として昇華されている。ミュンシュのデフォルメがやや気になる4楽章も大きなクレッシェンドという音量変化がはっきり聴こえてわかりやすい。最終音を異常に引き伸ばすのはしかし成功しているのか・・・終演後の冷静な拍手・・・

○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1961/8/6LIVE

ステレオ録音が明晰すぎて荒が目立つ、、何かぶよぶよしていて済し崩しにはいる拍手も構成力の弱さを象徴しているようにおもう。起伏が起伏としてきちんと録音されておらず、聞こえなくてもいいブラスの隅々まではっきり聞き取れてしまう。あと、この曲はやっぱり一楽章冒頭で決まる。壮麗なだけだとリズムがしまらずテンポをしっかり印象づけられない。以後すべてだらだら聞こえてしまう。三楽章はさすがに綺麗に決まっている。○にはしておく。

◎モントゥ指揮ORTF(M&A)1956/5/3live・CD

余りに音作りというか旋律作りがリアルで、音楽自体が単純化されイマジネイティブのかけらもないトスカニーニふうの即物表現なので、はじめはどうかと思った。しかし、次第にこの演奏の凄みを感じだす、けっして少しも端すらもイマジネーションをかきたてられないし旋律ばかり耳につき音量変化も小さくひたすら強音、みたいなかんじなのに、何か得体の知れない魔物の強靭なかいなに首ねっこをつかまれ、アッピア街道に引きずり出されそのまま土煙にまみれてローマへ連れ去られるような、ものすごい「迫力」に圧倒された。演奏陣がまた稀有なくらい完璧なのである。充実した響き、内面からの共感にささえられた瑕疵のかけらもない表現、隅々まで完璧なのである。ああ、カタコンブは生命力に満ちたミイラたちがカラオケをがなる様だし庭園の鳥たちはスピーカーの音量つまみを最大にひねったように騒々しいし、アッピア街道は最初からもう軍隊が轟音たててる感じ、なのに、これは、◎以外思いつかない。圧倒的、というひとこと。モントゥはハマると凄い。珍しいブラヴォが飛ぶ。録音はモノラルとしては深みも広がりも最高。環境雑音以外の瑕疵ゼロ。

○ベズザラブ指揮ルーマニア・フィル(MELODIYA)

オケ名がジャケ上ではソヴィエト国立放送交響楽団と混同されているが金管や弦の音がぜんぜん違うのでルーマニア・フィルのほうが正しいと思う。無名指揮者に無名オケということだが演奏面はよく練り上げられていて完成度が高い(この曲に完成度という言葉が適当かどうかわからないが)。オケの技量的にもまったく過不足なく、解釈は常套的ではあるが2楽章終端から3楽章への陶酔的な雰囲気や4楽章の圧倒的な表現などなかなかどうして楽しめる。モノラルだがとくに違和感は感じなかった。3楽章の鳥の声がなんだか低い声でカラスみたいだが、あまり重要ではない要素だからいいだろう。個人的に◎をつけたくなるくらいのめり込めたのだが、冷静になると録音条件を鑑みて○が妥当か。アッピア街道のぶっ壊れかた?はちょっと感動モノ。

○カラヤン指揮ベルリン・フィル(DG)1977-78

磨き抜かれたひびきの美しさと節度ある表現の上品さがこの演奏の特徴である。2、3曲めがやや印象に薄い感があるが、サウンドとして聞けば決して看過できるものではない、すばらしいサウンドだ。ベルリン・フィルの田舎びた剛直さからここまで柔らかく透明な音を引き出すことができたカラヤンという存在の特異さを改めて思う。アッピア街道はもう少し派手な盛り上がりが欲しい気もするが、それは下品な人間の趣味なのだろう。瑕疵のない、何度聞いても飽きない演奏である。何よりあけっぴろげに明るいのがよい。

○カラヤン指揮ベルリン・フィル(KARNA:CD-R)1984/10/18LIVE

とてもドイツ臭い重量感あるレスピーギだが、これがまったく、ライヴでこの演奏ぶりというのはまったく凄まじいのであって、生前はそれがカラヤンだから普通だとおもっていたのが、そのじつこんな強烈な力感と充実した響きの威容を誇る非常な完成度のライヴを創り上げる演奏家など滅多にないことに後から気づいた不明である。これはもう余りに重々しく力づくすぎるかもしれないけれど、爽やかなレスピーギの色彩感とは無縁だけれども、異常なブラヴォーの渦に熱狂がしのばれるカラヤンという孤高の究極のひとつのかたちである。このあたりもラジオでやってたなあ、とおもうと時代であるが、海賊盤のかたちであっても当時聞くことの叶わなかった若い世代にこれをつたえることに意味は絶対にある。名演とは言わない、○以上にはしないが、圧倒された。

○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(melodiya/scribendum)1980/2/20live

レスピーギはじつは苦手だ。いや、小規模な曲に面白い曲があるのは認めるが、このローマ三部作にかんしては、印象派的にぼやけたテーマが、いたずらに効果的なオーケストレーションに染め抜かれている、空虚な作品であるという色メガネを外せないのである。「噴水」はワグナー・師匠リムスキー、そしてドビュッシズムの影響が顕著だし、それほどではないものの後二作はストラヴィンスキーなどを思わせる無個性な楽想が派手なオーケストレイションを加えられている、いわばハッタリ的な音楽に思えてしょうがないのだ。しかし、きょうスヴェトラーノフの「松」を聞いて、じつは感動してしまったのである。とくにアッピア街道の松、ボロディンの「中央アジアの平原にて」にラヴェルの「ボレロ」が加えられたような巨大松葉(クレッシェンド)のおりなす非常に強力な音楽。スヴェトラーノフの繰り出す轟音は我が家のステレオセットの小さなスピーカーを揺るがす。強力なブラスの響きにのって、壮大な音楽の伽藍が構築されていく。いや、これがライヴなのだから凄い。さすがにこれにはブラヴォーの喝采が投げかけられている。素晴らしい演奏であった。

○スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団(KARNA:CD-R/weitblick)1999/9/10ベルワルドホールlive・CD

晩年のこの人らしくテンポが落ち着きすぎており奏者同志の纏まりもイマイチだが、奔放で軽やかな色彩感、音粒の明瞭な煌びやかさは流石、師匠リムスキーの国の人といった感じである。細かいソリスティックな動きへのこだわりが全体の流れを壊しているものの、逆に細部をたのしめる。しろうと指揮あるいは作曲家指揮者に近い解釈ぶりではあるけれども、健康を害しもう長くない指揮者の、その最後の境地をうかがい知るというところで興味深くも有る。だからニ楽章から三楽章が生きてくるのだ。カタコンブはまったくRVWのように哀しく悠久なるテンポのうえにひびく。地下墓堂に男らしい哀愁が日差しなす。この楽章の歌はやや弱いけれどもそのあとの庭園に場所をうつした三楽章の思い入れのたけを籠めた歌いぶり、陶酔ぶりはソヴィエト時代を思い起こさせる。確かに元々感傷的なロマンチシズムのある楽章だけれどもどこか「ロシアの憂愁」チャイコフスキーの世界を思わせるのは独特だ。この人も作曲家なのだ、ということを思い出しながら直前にきいたカラヤンとの対極ぶりに感慨する。カラヤンは大局的な視点をつねに失わない完全なるプロフェッショナルだったが、スヴェトラはお国柄でもあるアマチュアリスティックな近視眼をハッキリ「両刃の武器」として選んでいた。だから出来には非常にムラがある。豪放にやりっぱなしなところもある、正規のレスピーギなどもキ盤の謗りを受けているゆえんだが、一時代すぎてスウェーデンの実に清涼感溢れる中性的な音で改めてきくと独特の垢抜けた感傷を醸し出していることに気づく。ロシアオケの脂を抜くとこう響く、スヴェトラはロマンティックなフレージングを駆使しながらも音響的な清涼感を意識しつづけ透徹したまなざしを送り続ける。繊細で金属質の響きへの拘りが、ああ、スヴェトラはじつはこういう音がほしかったのだ、国立響の前に確かにそういったものを追っていたふしはあった。

いささか鳥が怪鳥的に巨大だが非常に美しく録れているのでこの三楽章は聞きものだ(旧盤でも聞きものではあったのだが・・・それはまったく、寧ろリムスキーの称賛したところのスクリアビンの天上性であった)。キャニオンのラフマニノフ全集に代表される「あの」壮大なスケールはマーラーに顕著だがそれまでのロシア国内オケものとはあきらかに違う方向性を指示している。さあアッピア街道はもうデモーニッシュなスヴェトラの独壇場だ。序奏からして細かく纏めることを拒否している。カラヤンの求心力はこの視点からすると音楽をせせこましくしている。スヴェトラにとってこの楽章はボレロである。それもミュンシュではなくフレイタス・ブランコだ。これはスタイルであり、是非を問うべきものではない、素直に聞くべし。期待と、結末。最晩年様式のテンポに支えられた異常なスケール感は「爆演」という青臭い言葉では断じられまい。オケがオケだけに音の目の詰まり方がややすかすかしており、もっとボリューム感がほしかった気もするがそれはひょっとすると、チェリの晩年と同じ録音の穴かもしれない。テンポはひたすら遅く、重い打音を繰り返し音楽は地面の上をひたすら行軍しつづける。スヴェトラは北の大地の地平線の彼方へと行軍し続ける。北の赤く燃え立つような陽光のなかに、異常に引き伸ばされた終和音の中に、この強大な軍隊は振り返ることなく咆哮し、消えていったのだ。 (KARNA盤感想)

かつてweb放送され非正規でも話題になったもの。音質やノイズは正規化されているとはいえ放送録音レベル。1楽章はテンポが後ろに引きずられるようで、これに拘泥してしまうと後が楽しめない。先入観のない人向けか。ちょっとストラヴィンスキーのバレエ曲を思わせるソロの踊らせ方をするところはスヴェトラらしい。2楽章はそのテンポと重いリズム、ロマンティックなフレージングが壮大なロマンチシズムにつながり、けしてそういう曲ではないのに納得。3楽章は美しい。白眉だろう。ロマンチシズムが晩年スヴェトラの志向した透明感のある高音偏重の響きとあいまってこの清澄な音楽にとてもあっている。4楽章は賛否だろう。早々とローマ軍が到着してしまいひたすらその隊列を横で見ている感じ。譜面を見ていないのでわからないがクレッシェンドとデクレッシェンドがそれほどの振幅なく、音量的には大きく煌びやかな側面を見せ、最後に、巨大な音符が待っている。ストコに似ているが、ここまで音符を引き伸ばすことはしない。だいたい、ブラスがもたない。ここでは何らかの方策をとっているだろう。この一音だけを聴くための演奏といっても過言ではない。全般、松の新しめの演奏としては面白い、という程度だが、物好きには、音も旧録よりいいし、どうぞ。ちなみに迫力やテンポの速さ等、スヴェトラらしさとエンタメとしての完成度の高さは旧録のほうなので念のため。技術的にはこちら。(weitblick盤感想)

○ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(YEDANG)1960/2/3LIVE

レスピーギは周知の通りリムスキーの弟子であり、天才的に華美なオーケストレーションはこの曲で最大に引き出されている。ロシア系列の作曲家の曲をロシア陣がやる、というのはちょっと期待させるものがある(ロシアの強力なブラス陣の面目躍如たるパッセージが多数内在されているし)。ガウクはロシア臭の強い指揮者だがその演奏については爆演も行う一方割合と緊密であったりする。このライヴ、終始旋律線を強調し印象派めいた演奏を行うことなく分かり易い音楽を目している。冒頭のボルゲーゼのテンポがややたどたどしくてハラハラしたが、カタコンブあたりの不気味な雰囲気からぐっと引き込むものがあり、ジャニコロにいたっては(録音の悪さが惜しいが)美しい旋律が法悦的な感情を惹起する。やや無遠慮な鳥の声の録音が流されたあと、アッピア街道では(古い録音のせいで今一つ迫力には欠けるが)素晴らしく引き締まった力演を聞かせてくれた。モノラルに向かない曲だし、録音もいいとは言えないが、ガウクに敬意を表して○ひとつ。ブラヴォー拍手あり。

マキシム・ショスタコーヴィチ指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(MELODIYA)

かなりあっさりめで軽い演奏だが、瞬敏さは特筆すべきか。ロシアオケのローマ三部作といえばスヴェトラーノフだが、およそ違う解釈である。ロシアオケの個性は抑えられ、響き重視の節度ある表現は物足りなさを感じる。表面的な演奏と言い切ってしまおう。そういう演奏。

◎ケンペ指揮ロイヤル・フィル(SCRIBENDUM他)1964/5/22-25・CD

明るい。そしてあったかい。あきらかにドイツ系の音作りをする指揮者だけれども、それでもそんなところが存外イギリスのオケにあうのである。イアン・ジョーンズのマスタリングは正直あまり好きではないのだが(変にクリアでささくれだったように感じるのだけれど)これは元のリーダース・ダイジェスト録音がよかったのだろう。60年代のものとしてはこの上ない良好な状態である。この人といったらまずリヒャルト・シュトラウスだそうだが、末流ロマン派作曲家の充実したオーケストレーションを生かしたすこぶる立体的な演奏を行えることの証しである。この演奏ではっとさせられるのはまずは瑞々しいリズムのキレだ。1楽章のウキウキした音楽は本当に楽しい。オーケストラの華やかな響きもこの上なく瑞々しく表現されている。金属質の硝子のように硬質で明るい響きが求められる楽章だがケンペはそんな砥ぎ方整え方はせず人間的な柔らかさを持った響きを創り出している。この曲中では一番陰うつなはずの2楽章はなぜか明るい。というか優しいのである。語り口が巧いのでこういうアプローチもアリだと思わせるものがある。幸福なカタコンベ、ちょっと不思議な感覚だ。3楽章にはそのままの幸せな気分で入るが、この楽章、ケンペの性向にあっているのだろう、同曲中白眉の美しさである。とにかく色彩的で煌びやかだ。ここにはとても素直で穏やかな気分の発露がある。録音がいいせいかいくぶんリアルな夕暮れの風景といった感じだ。ただここで余りに存在感のある演奏を行ってしまったがために4楽章は既に頂点に来てから始まってしまうような感じがあり、クライマックスへ向けて進軍するローマ軍の行進というより、ただ騒々しいフィナーレといった感じが拭えない。それでも迫力はあるのだが。ケンペの紡ぐ華麗な音楽は幾分オリエンタルな趣を内包し、レスピーギの師匠リムスキーの後香を嗅ぐ思いだ。このオケ、フィルハーモニア管かと思うくらいに素晴らしい技術と感性を発揮していて、とくに管楽器群の巧さには舌を巻く。ただ、2楽章で遠くからひびくペットソロに始まり、とくに4楽章、ブラスの一部(バンダだけか?)のピッチが低い感じがする。マイクからの距離のせいでずれて聞こえてくるのかもしれないし、ひょっとすると和声的な整合性を計算しての微妙な音程操作がクリアな録音のせいで逆方向に働いた結果かとも思う。あまり指摘する人がいないので私だけの妄想的感想かもしれない。だがこれはチューリッヒのライヴでも同じ感想を持ったので、あながち妄想とは言えないような気もするのだが、小さい事なのでいいです(でもこの完成度の高い演奏の中では目立った)。全般、カラッと乾いた南欧的な明るさが持ち味の「松」という曲に対して、紫外線を感じさせないというか、ちょっと生ぬるい湿度のある明るさを通した演奏であり、その意味では特異である。中欧の指揮者のやる構造的でがしっとした重い演奏とももちろん違う。ケンペ独自の境地だろう。ここには生身の人間の暖かさがあり、音楽の生き生きした脈動がある。音楽が生きている。◎。

○ケンペ指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団(BMG)1973/12/11live・CD

シャンデリアの揺れるような煌めきが印象的。弾むようなリズム感で色彩的にまとめあげた1楽章。録音がやや遠くオケも瑕疵が目立ち精彩に欠けるがまあ、ライブだからこんなもんでしょう。2楽章のしっかり立体的に響く音響には安定感がある。カタコンベの陰欝さはないが聞きやすい。そのままの感覚で3楽章の優しい音楽に入る。この幸福感はケンペならではで映画音楽ギリギリでも美しい。やや重心が低い響きだが悪くない。後半で弦楽器の大きく息づくような抒情旋律が顕れるところなど、余りの香気に咽んでしまう。4楽章も細かいフレージングまで手を抜かない。一部ピッチの狂った楽器があるのが大きく興を削ぐが、ケンペのリヒャルトを振るような威厳のある表現はそれなりに楽しめる。途中譜面に無い凄いダイナミクス変化がつけられているのにびっくり。録音が落ちたのかと思った。構築的で透明感の有る音が印象的な演奏です。あまりいい評価がされていない録音のようですが、○です。

○ストコフスキ指揮シンフォニー・オブ・ジ・エアー(旧NBC交響楽団)(EMI)1958・CD

THE ART OF CONDUCTINGのシリーズ6巻に収録。分離のはっきりしたステレオ録音だが一部モノラルになっているような(ようは一本のマイクしか稼動してない所がある)。譜面には当然のように手が入っているようだし、ブラスにちょっとキビシイ場面があるが、意外なほど正攻法な感じがする。前半これといって気になる作為は感じられなかった。弦、木管は善戦しており、とくに3楽章はストコならではの美しいフレージングの応酬。なかなかロマンティックだ。ロマン派過ぎる気もする。4楽章は割合と自然に響いているけれども、結構耳触りの面白い演奏だ。たぶん手が入っているが、楽器配置も独特で、左から弦、右からブラスと完全に別れている。ピッチが低いのが古風な感じもする。さすが盛り上がりどころはかっこいい。ブラスが充実している。ちょっとアメリカ的な中音域の抜けたスカっとした響きが曲によくマッチしている。後半楽章は面白いので、前半楽章の拙さを割り引いても○はあげられます。

ストコフスキ指揮ハリウッド・ボウル交響楽団(DA:CD-R)1945LIVE

ブリキのおもちゃのような音。往年のアメリカが前面に出すぎている。構造の見えやすいコントラストのはっきりした演奏ゆえ理解はしやすいが、それにしては録音が貧弱。オケも「芸」としてしか感じられず、とくにアッピア街道が(音量ではなく音楽的に)迫力不足。無印。残らない。

○ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(SCC:CD-R他)1960/2/12live

有名なフィラデルフィア凱旋ライブで盛り上がりもすさまじいが、日本ストコフスキ協会盤LPで舞台上で動く管楽群がよく聞き取れる云々書いていたと思うが、SCC盤のうぶい音でもそれはよくわからない。フィラ管の弦は明るく華々しいがヴィブラートの根があわないような雑味は否定できず、恣意的な三楽章、クレッシェンドが抑え切れない四楽章などいつものこととはいえこの曲の第一には推せない。ただくりかえしになるが音はいい。やる気も。瑕疵が少ないし。○。

○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(SCC:CD-R)1969/11/24LIVE

ストコフスキの松は遅い。鈍重でぶよぶよしており、リズムが引き締まらない。響きが雑然としてしまう。中間楽章はロマンチックでいいが(ローマだけに)、とくにアッピア街道の松は息が続かなくなりこけたりバラけたりと、開放感のないなんとも締まらない感がある。早々とクレッシェンドの頂点に達してしまい、そのまま吹かしているような。悪くはないが、よくもない。

ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1969/11/23live

最初からのんべんだらりとした拡散的な演奏で集中力がなくただ明るくて響きだけ派手。表層的と言われても仕方のない印象だが、録音のせいだろう、ストコの広がりのある音響空間を再現するのに昔のステレオエアチェックではこの聞こえ方は仕方ないか(松はバンダまで入れてそもそも音響空間的発想を取り入れてやることが多いわけで)。アッピア街道までわりと遅めのインテンポで進み派手に散漫に終わる(ように聞こえる)のだが、客席はブラヴォ拍手喝采の渦。うーん・・・生きているうちに聞いておきたかった、ストコの松。。

◎ライナー指揮シカゴ交響楽団(RCA)1959/10/24

ここまでの精度のものは現代でもなかなかない。透明度が高く、音が万華鏡のように絡み合うところでの色合いがなんともいえず美しい。ボルゲーゼの煌く音のシャワーもさることながら、カタコンブの哀しくも美しいしらべ!ヴォーン・ウィリアムズの音楽を想起した。オネゲルの「夏の牧歌」とともに、RVWの音楽にもしかしたら影響を与えていたのかもしれない。という妄想を抱くほどに暖かな平安を演出している。ライナーもシカゴ響も、舌を巻くほどに巧い!ジャニクロからアッピアへの流れは自然で、節度ある盛り上がりのもとに高潔なローマ軍の行進が描かれている。総じて完成度の高い演奏だ。

ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団(emi)初出1985

オケが少し遠い。あと、録音もまるで綿にくるんだように茫洋とした感があり、不満だ。オケのパワーは諸所で開花しており、今更何を言うまでもないことだが、とくにアッピア街道の松の適度に粘ったスペクタキュラーな表現は特筆すべきだろう。ただ、他の楽章の魅力がいまいちである。フィラデルフィア管弦楽団の演奏としては、この前にオーマンディの2枚があるが、それも個人的に皮相な感触が好きになれなかったので、要はこの曲に私が求めるモノを、フィラデルフィア管が持っていない、というだけのことだろう。そのモノとは何か?少なくとも、トスカニーニ盤にはそれがある。

◎デュトワ指揮モントリオール交響楽団(london)1982/6

このハデな曲にはやっぱり古い録音はダメだ。というわけで現代の名盤の登場である。フランス的抑制がきいているため、もっとやっちゃってほしいのに、という口惜しい場面もままあるが(たとえばアッピア街道の松)、響きの美しさ、交響楽の充実ぶりは比類無いものだ。どんなに陰うつな主題でもけっして重々しくならないし、逆にボルケーゼ荘の松のシャンデリアが揺れるような表現はまったく壮麗で言葉も無いほどすばらしい。これは録音のクリアさのせいでもあることは間違い無い。ここにきて「やっとキたかー」という嘆息が思わずこぼれた。名演。

○ドラティ指揮ミネアポリス交響楽団(MERCURY)1960/4・CD

どうも作為的な録音操作の匂いがして好きになれないリヴィング・プレゼンスだが、この曲ではやはり元来の華美さもあって色彩的で華やかな演奏となっている。とくに終楽章の力感はなかなかのものだ。依然音場の狭さや近視眼的な解釈の匂いは消えないが、十分鑑賞にたえうる充実した演奏と言うことができる。○。オケがやや弱いか。

○デ・サーバタ指揮ニューヨーク・フィル(urania)1950/3/12live

擬似ステレオ。ヘッドフォンで聞くと気色悪い。ちなみにローマ三部作はやはりおおきなスピーカーで大音量で聴くのがよいらしいことに気が付いた。それにしても録音状態は悪くはないのに、こういう余計な効果を付けられると却って演奏の質が落ちたように感じてしまう。デ・サーバタは颯爽としたスタイリッシュな指揮ぶりだが、アッピア街道の松の結部ではかなりリタルダンドして曲を盛り上げ、すかさず入る熱狂的な聴衆の拍手につなげている。ニューヨーク・フィルは少々粗いところもあるように聞こえたが、総じて楽しめた。佳演である。

◎トスカニーニ指揮ニューヨーク・フィル(history他)1945/1/13live
○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(rca)1953/3/17

前にも書いたが私はローマ三部作が苦手である。でも、きょうは”勉強”のためトスカニーニ/NBC盤を5回ほど聞いた。派手なボルケーゼ荘の松とアッピア街道の松については前々から魅了されてはいたのだが、こんかい特にジャニコロの旋律のふりまく切ない独特の美しさにも感銘を受けた。ナイチンゲールの声挿入も嫌味な感じがして好きではなかったのだが、慣れた。この盤、手元にあるのが12年前に出た中古CDのためかもしれないが、音場が狭く、派手な場面での派手さの再現がいまいち足りないような気がして、これまであまり聴いていなかったのだが、この時代にしては音質は良いし、トスカニーニの速く颯爽とした指揮ぶりも板についていて、ああ、この盤はやはり作曲家直伝?のスタンダードな盤といってもいい良質のものだな、と思った。思ったところに、超廉価盤で、NYPのライヴ盤が手に入った。これが、やはりといっていいのだろうか、超名演であった。モノラルならモノラルなりの音の生生しさが好きなのだが、音質では段違いに悪いものの、音の抜けがよく、まさに生々しい。ニューヨーク・フィルの魔力というべきか、まるでジョン・ウィリアムズの映画音楽を聴いているかのような甘く切ない感触もあるし(J.W.は確実に影響を受けていると思う)、オーケストラの威力を誇示するような場面では期待に大きく答えてくれている。ブラス陣の強力さは格別だ。アッピア街道の松はひときわ速いテンポで進められるが、それがかなりかっこいい。トスカニーニはやはり凄い。熱狂する観衆の拍手もさもありなんと思わせる出来だった。

○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(NBC,TOSHIBA EMI:DVD)1952/3/22LIVE

RCA録音1年前のテレビ放送実況録画である。私はあまり映像には興味が無いのだが(実演に興味薄なのもそのへんの感覚)動き額に汗を垂らすトスカニーニの姿は感慨深いものがある。80代とは思えない。じつにしっかり振る指揮者だなあ、と思って見入ってしまう。そういえば遠目にはカラヤンに似てなくもないか。音は貧弱。やはりテレビの音声だから、しっかり録音録りしたRCA盤にはかなわない。高弦や金管が安っぽく聞こえるし、なんとなく微妙に映像とズレているような気がしなくもない。スケール感にも乏しい。やはりこの記録は映像あってのものだろう。爆発的な迫力というものはこれでは望めない。しかし、ライナーにもあったが、「ジャニコロの松」の、繊細で、やさしい響きにはかなり魅了される。トスカニーニのしかめ面、静かな曲なのに同じ調子で大きく振っている、汗も垂らしている、なのにこのやさしいハープのひびき。もともと多分にイマジネイティブで印象的な音楽であるが、他のことをやっていても、この楽章がくると画面を見詰めてしまうのは、もはや説明を超えたトスカニーニの「オーラ」のせいか。続くアッピアはもう独壇場だから、まあ録音のレンジは狭いけれども、画面を見て想像力を膨らませると、この時この場にいられたら、どんなに幸せだったろう、と思われ、いかめしく口を開け歌うように振るトスカニーニの顔が、最後のクライマックスで、古代の英雄的なフリーズに見えてくる。にしてもブラスうまいな・・。すごいっす。音色的にも完璧ですペット。テレビの解説だとこれがトスカニーニ最後のライヴ映像ということだが、たしか最後のライヴ(ステレオ録音だそうで。。)も映像があったのではないか、と思うが、まあいい。高価なボックスですが、「運命」も入ったこの1枚だけのために買ってもいいでしょう。ドビュッシーやシベリウスもあり。

○バティス指揮ロイヤル・フィル(NAXOS)1991/4

ちょっと残響が多いというかオケが遠い感もあるが、録音状態はまずまず。よくまとまっている。オケコントロールの巧い指揮者だ。壮麗なボルケーゼ、陰うつなカタコンブ、天国的なジャニコロ(素晴らしい!)、破壊的なアッピア、それぞれの楽章の性格を極めて明瞭に描き分けており秀逸だ。弦にもう少しパワーが欲しい気もするが、ロイヤル・フィルはおおむね巧い。アッピア街道の松の繰り広げるドラマティックな情景は力強い打楽器群によってそのパワーを増し、聴くものを圧倒する。総じて佳演だ。

○シルヴェストリ指揮ボーンマス交響楽団(bbc)1967/9/20live

非常にドビュッシズムの影響の大きい曲であるが、より派手で装飾がかっているのが特色だ。これは古いライヴにもかかわらず瑞々しい音で聞かせる。シルヴェストリが手塩にかけたボーンマス交響楽団は、合奏力にやや難があるし、音の個性にも欠けているが、シルヴェストリのロマンティックな味付けをよく反映した演奏になっておりなかなかどうしてやってくれている。イギリスのオケでこの曲だと、ヴォーン・ウィリアムスのようなどこか鄙びた雰囲気が漂ってしまう場面もあるが(2、3楽章)、それは寧ろ心地よいものといえよう。「アッピア街道の松」ではすがすがしく壮大な行軍描写がいやがおうにも心浮き立たせる。この楽章についてはどんな演奏を聞いてもそれなりに感動してしまうものだが、ライヴであるということが心なしかより迫真性をもって響いているような気にさせる。ブラヴォーが叫ばれる結末。佳演である。

○カンテルリ指揮ボストン交響楽団(ASdisc)1954/12/25live

噴水とともに演奏されたものだがこちらのほうが聴き易い。悪い録音でも目のさめるような音楽が終始耳を楽しませてくれる。もっとも、同曲どんな演奏でもそれなりに楽しめるほど良く出来た作品だから、たとえばこれと同じ水準の演奏を現代聞きたいと思ったら、けっこう聞けるのではないか、とも思う。まあ、難しい事は置いておいて、素直に楽しもう。

○カンテルリ指揮ボストン交響楽団(BSO)1954/12/24LIVE

ボストン交響楽団自主制作盤ボックスの中の一曲。これ、カンテルリには12/25のライヴというものも残されており、果たして違う演奏なのか、同じではないのか、と思って聴いてみたが、決していい録音ではないものの、音のフォルムは割合とはっきりしていて、キンキンとソリッドに高音が響く感じが25日盤より随分高く、ミックスの違いという可能性も残るものの、いちおう違う演奏であると判断しておく。基本的な解釈は25日盤と変わらないが、原色が破裂しシャンデリアのように響く(響き過ぎて耳が痛い!)ボルケーゼ荘の松は印象的。カタコンブはもう少し陰うつさがほしい。ジャニコロの松ももう少し情感がほしい(鳥の声が作為的・・・仕方ないのだけれども)。アッピア街道は言うことありません。そんなところ。

○カンテルリ指揮NYP(DA:CD-R)1955/3/27live

あまりの速さにびっくりしてしまうが、カンテルリにしては雑音が少ないので(細部が潰れているから2,3楽章はイマイチ伝わらない部分もあるが)煌びやかで前進的な、トスカニーニ的とはいえ明らかに若々しく、より細かい構造への鋭敏な対応ぶりとフランス的な冷美な響きへの感覚の存在を感じさせる演奏ぶりが楽しめる。スピードにブラスソロがついていけない部分があっても、やっぱりアッピア街道は盛り上がり、ブラヴォー大喝采となるわけである。ちょっと即物的な感じはあるし録音のせいでスケール感もないが実演の迫力は凄かったのだろう。○。

シノーポリ指揮ニューヨーク・フィル(DG)1991/4

節度ある表現をもってスタンダードな演奏を指向したもののように聞こえる。この演奏で特筆すべきは緩徐楽章での繊細な響きの交感、むせかえるような香り。暖かみを感じる。終楽章アッピア街道の松は希有壮大であり、いくぶん作為的で情緒的な盛り上がりは少ないものの、ニューヨーク・フィルの本来持つロマンティックな性分がその情緒的な部分を補い、感動的な結末へといざなってくれている。

○マゼール指揮クリーヴランド管弦楽団(decca)1976/5/ベルリン・フィル(DG)初出1959

音はよく引き締まっているし、構成感がはっきりしている。この統率力はたいしたものだ。ベルリン・フィルを前にしてここまで取りまとめる力はなかなかのものである。第二楽章カタコンブ付近の松が少々垢抜けすぎているか。余りに巧く彫刻されているのでケチをつけたくなるが、オケの音色がフツーすぎる、くらいのことしかみつからない(クリーヴランド盤)。さて、ちょっと他の指揮者の演奏と違う聴感をもった。情におぼれず理知的に解釈しているせいか、描写音楽という感じがしないのだ。どちらかといえばシンフォニックなのである。そう考えて聞き直したとき、この曲のまったく異なる姿が見えてこよう。孤高の佳演である。

○サージェント指揮ロンドン交響楽団(EVEREST他)

スタイリッシュなサージェントの指揮である。アプローチはロマンティックでやや重いもの。録音が鮮やかなので比較的派手な音楽に聞こえるが、解釈的には派手では必ずしもない。面白いのは3楽章で、ドイツ・ロマン派的な旋律の歌い込みが聞かれる。非常に感傷的で余韻がある表現だが少々重め。垢抜けた棒ではあるが、解釈は決して新しくはない。終楽章もイマイチ盛り上がらない。録音がかっこいいので○をつけておくが、オーマンディ的というか、レスピーギの本質的にラテンな感興には欠ける演奏である。

チェリビダッケ指揮トリノ放送交響楽団(NUOVA ERA)1968LIVE

5回聞いた。で、やっぱり入り込めなかった。四角四面で今一つノることができない演奏。録音の悪さが全ての悪因である気もしなくもないが、それにしてもある意味厳しく純音楽的なものを追求した演奏であり(イタリアオケなのに「遊び」がまったく感じられない!)、そうであるがために1楽章の喜遊性、2楽章はいいとして3楽章の夢幻性、4楽章の爆発的なダイナミズムにおいて全て一歩引いてしまっているから面白くない。終演後の物凄いブラヴォーと拍手は、ひょっとすると実演の迫力を録音がとらえきれていないのかな、とも思うが、これはどう転んでも「イイ録音記録」とはいえない。無印。

チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団(DG)1976/6/20LIVE

ものすごく透明感があり、非常に美しい。晩年の肥大傾向のまだ薄い時期のため、聞きやすい演奏に仕上がっている。大きな硝子の伽藍を打ち立てるようだな、と思った。客観的で構築的な演奏である。だが、個人的にはもっと「情」が欲しい。オケは感情を排し音を発する道具になりきってしまっているきらいがある。ジャニコロなどもっと艶のある音が欲しい。あまり艶を出しすぎると映画音楽になってしまう曲ではあるが。でもヴォーン・ウィリアムズっぽく淡い感傷を込めて弾く演奏が私は好きだ。まあブーレーズのドビュッシーのようなやり方に似ているといえば似ているのだが、チェリの場合もとが熱血男のため余計に残念に感じてしまう。とにかくジャニコロにはもっとイマジネイティブな音色の綾を聞かせて欲しかった。アッピア街道は見事だが他の指揮者の演奏と比べそう特徴的なものではない。それにしてもこの盤、かなり高価なセットもので財布が痛かった。。。

○チェリビダッケ指揮不明(C&R:CD-R)1978live

演奏様式的に70年代中盤のイギリスでのものか。録音が極端に悪くとても人に薦められる代物ではないが、3楽章の美しさはそれでも伝わってくるものがあり、精力的な音楽作りの中でも後年の精緻さを伺わせる繊細な美観をもったものになっている。なので○。

○シュヒター指揮NHK交響楽団(king,NHK)1959/11/8放送・CD

完璧主義者として知られたシュヒターの記録である。私は「日本だから」というようなレッテルをプラスにせよマイナスにせよ貼りつけて評価するのがキライで、これはシュヒターの松であること、たまたま日本の楽団であること、という前提で聴くわけだが、なかなかによく鍛え上げられた演奏、という印象に尽きる。シュヒターの燻し銀の演奏は時にロマンティックな方向にも振れ、そこがチャイコなどでは魅力になるわけだが、ここでもヴィブラートすらかけさせないような(まドイツ式といえばそれまでだけどソリストの「棒吹き」「棒弾き」はちょっと気を削ぐ)厳しい統制があるからこそ、リリカルで透明感漂うセンスに富んだ演奏がなしえているわけである。とくに聴き所は3楽章であろう。逆に、もっと破壊的に、突進する迫力が欲しかったのは4楽章だ。数々の即興的名演が産まれている「アッピア街道」だけに、相対的には「普通」という感じ。シュヒターらしい中庸さと言うこともできるだろう。オケは決してドイツ的な雰囲気が濃いわけではない。ただ、記譜外での音色変化に乏しく、無個性な感が否めない。解釈のせいでもあろう。総じて○。

○ケルテス指揮ロンドン交響楽団(london)CD

困った。「どこにも欠点が無い」のだ。何を突っ込もうにも、どこにも欠けたところがないのだ。スタンダードで中庸といってもいいが寧ろ端正でかっこいいと言ったほうがいいだろう。たぶんこの曲を知らない人に薦めるのに一番いいたぐいの演奏と思う。どこかケレン味の欲しい人には物足りなかろうがそれでもこの演奏のどこをとっても「欠点が無い」ことには同意していただくしかない。従って◎にはできない。○。

○ムーティ指揮フィラデルフィア・フィル(PO)1998/10/5LIVE・CD

ボテボテとやややぼったい。でも派手だし雄大だしいかにもイタリアっぽいところがある。主兵であったフィラ管の特性をよく生かしたスケールでかい演奏ぶりには最後物凄いフライングブラヴォーと拍手の渦が巻き起こるが、生演奏ゆえ精度の点や技術的な面でイマイチと思わせる所も有り、最大限の評価とは到底いけない(勿論音盤としての評価である)。3楽章の美しさは筆舌に尽くし難いものの飛び抜けてるとは言えず、結果として○にとどめるのが妥当、といったところか。始演前の拍手が終わらないうちにフライングで始まったのにはびっくりした。前代未聞。何やら祝祭的雰囲気が感じられる。

○サッカーニ指揮ブダペスト・フィル(Bud.PO)CD

響きの重心が低いことと金属質な透明感、テンポが比較的落ち着いていることから客観性を感じる。しかし旋律のカンタービレ、特に三楽章、かなり情緒的な揺らぎが聴かれて面白い。陶酔的な表現はこの曲の録音盤では珍しいほうだろう。音色はこの曲向きではないように思えるが全体のバランスのいいオケなので聞きごたえはあり、四楽章など「パシフィック231」かとききまごう重厚さが面白い。迫力がある。音域が高くなると開放的で派手な吹かせかたをするのはイタリアぽいがやや雑味を呼ぶ。○。
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2 Comments

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Unknown (Sonore)
2012-04-20 19:07:16
私の弟はこの曲フェチです。(笑)
このページを教えてあげようかな.....。

コッポラが最初に出ていて喜びました。
SP原盤が手元にあります。
カッターヘッドの種類を示すマークが△ではなく□ですから、1935年以降の録音と思われます。
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データありがとうございます (管理人)
2012-04-20 19:26:51
このSP何度も機会があったのに手に入れられず、結局復刻CD-Rしか手元にありません。記載録音年代が間違っているようですね、ありがとうございます!松はくれぐれも余り得意な曲ではないので、お好きな方には物足りない内容だとおもわれます。。
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