湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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ラヴェル ボレロ (2012/3までのまとめ)

2012年04月23日 | Weblog
<エキゾチックな単純な旋律が数々のソロ楽器に受け渡されひたすら繰り返されて、徐々に音量を増してゆき最後には大管弦楽で奏せられるが、転調して一気に雪崩れ落ちるという趣向。コロンブスの卵的発想はショスタコーヴィチに模倣されたりもした。誰でも知ってるラヴェルの代表作だが、本人は自作の中では評価していなかったらしい。>

作曲家指揮
○ラムルー管弦楽団(MUSIC&ARTS他)1930/1CD
ラムルー管弦楽団(PHILIPS)1932CD

前者16分6秒、後者15分30秒。この二つの録音は録音状態がかなり異なり、恐らく別のものだと思われるが、同じものが別々のSPで出された可能性も否定しきれないので(30秒程度の違いはSP盤の繋ぎかたや余白の取り方、回転数の微妙な差異で発生する可能性は十分にある)前もって断っておく。前者には詳細な記述があるが後者のライナーはアバウトで録音年以外の詳細がわからない(このころの盤の録音年表記は発売年と混同されたりもしていたようだ)。両者とも共通するのは不断のテンポ。まったく揺れることなくひたすら固持されるテンポが、最後には毅然としたボレロの舞踏に巧くハマってくる。ひとつひとつの音が強く、びしっと縦が揃えられているから尚更厳しく、また一個所ホルンソロのグリッサンドがわざとらしく入るところ(8分前後のところ)以外での感傷性は一切排除されている。しいていえば録音状態と楽器本来の音色が結果として感傷的な雰囲気を持ち込むくらいのものだ。ここまでは両者同じ。ここからは主観的に違いを言うが、前者はややバラバラ感がある。四角四面のリズムにソリストがぎくしゃくと乗ってくる、結果オケとソリストに微妙なテンポのズレが感じられるのだ。ただ、録音のせいということも否定できない。録音が不明瞭なためにそう聞こえるだけかもしれない。全般にはしっかりした演奏である。後者はまずピッチがやや高い。これは聞き比べるとけっこう違和感を感じる。ひょっとすると30秒の差はここであっさり吸収されそうだ(但し他の部分で両者の進み方にはズレがあり、合計時間だけではいちがいに言えない)。何よりこちらで気になるのは雑音。雑音のレベルが高いので聞きづらい。しかも、SP盤の継ぎ目が余りにはっきりしすぎている。ガラっと雑音の聴感が変わったりして少々興を削ぐ。ただ、M&A盤より音がちょっとだけクリアであり、M&A盤で書いたホルンのグリッサンドもしっかりテンポにハマってなんとも言えない独特の味を加えて聞こえる。念を押すような音の入れ方(ひとつひとつの音符でいちいち思い直すようなアクセント)が明瞭に聞き取れ、後年の他の演奏者とは違う個性があらわれている。こういう演奏を目指していたのか、と目から鱗が落ちます。雑音を加味して前者のみ○とします。

コッポラ指揮グラモフォン・グランド交響楽団(LYS/EMI)1930/1/8初録音盤CD

ラムルー管と自作自演レコーディングを行う直前のラヴェル立ち会いのもと録音された盤であるが、ラヴェル自身の演奏とはけっこう趣が違っている。最初はなんだかだらしない感じでリズムもしまらない。ソリストとオケがずれてくる珍妙な箇所も織り交ざる。これは録音のせいと信じたいが(無理あるが)、楽器が増えてくるにつれ、ソリストにもよるがとても懐かしい音色でヴィブラートをバリバリに効かせたり面白い。テンポに瞬間湯沸かし器的な抑揚がつけられているところがあるが、これなどラヴェルが認めていたとは思えないのだがどうだろう。EMI盤のライナーによると録音は終盤まではごく平穏に進んでいったという。だが終盤でラヴェルは突如コッポラのコートの端を掴み激しく抗議した。M&A自作自演集のライナーによるとコッポラがテンポアップしたことが逆鱗に触れたらしい。結局録りなおしになったそうだが、その結果は聞けばわかるとおり依然速い。但し15分38秒というタイムは自作自演盤とあまり変わらないので、このくらいがラヴェル想定範囲内だったのだろうか。単純に速いから非難したわけではなく、クライマックスで譜面に無いアッチェランドをかけたことに怒ったのだろうと思われる(それほど違和感無いが)。ちなみにラヴェル晩年のお気に入りだったフレイタス・ブランコの録音はラヴェルの指示をよく守ったものと伝えられるが(たぶん根拠なし)、史上最遅の演奏と揶揄されるおっそーい演奏。トスカニーニと衝突したという話もまさにコッポラと同じテンポが速くなりすぎるという作曲家のコメントからきたわけで(結局ラヴェルが納得し和解したが)、「速さ」に何かしらこだわるところがあったのだろう。ひょっとするとイダ・ルビンシュテインのための舞踊音楽という本来の機能を顧みるに、連綿と踊るには余りに速くなりすぎだ、という感覚が働いたのかもしれない。まあ単純に譜面に無い事をやるなということだったのかもしれないけど。ラヴェルは完璧主義者であり、試行錯誤を繰り返し悩み磨き抜いてやっと作品を仕上げることが多かった。そこに奏者が安易な解釈を入れてくることに抵抗があるのは当然のことだったのかもしれない。ラヴェルはのちにコッポラに、奏者は自動演奏機のように演奏すべきだ、とのたまったそうで、これはストラヴィンスキーの「奏者は奴隷である」という発言に繋がっていくわけだが、それほどに音楽が複雑化し、一方で演奏技術も向上して様々な表現が可能になった20世紀という時代の持つ矛盾を象徴するものであった。コッポラは元々速いテンポで感傷を排した演奏を行う即物的指揮者だったが、感情のままに突き進んだとしか思えない録音も少なからずあり、ラヴェルとは到底相容れないスタイルの持ち主だったとも言えるかもしれない。トスカニーニほどの説得力も持ち得なかったのだろう。話しがずれたが、最後の方で盛大に盛り上がる所では最初の音像の不安定さもなくなりラヴェル自身の演奏同様毅然としたリズムで威厳をもった旋律が進んでいく。このころのオケなので音色的なバラバラ感は否めないが、当時最高の録音技術によって録音されたこの盤は決して今のオケでは聞けない歴史的価値プラスの何かを持っている。といいつつ無印。オケはレコード社グラモフォンの専属オケでコッポラはこのタッグで精力的に録音活動を行い大量の骨董録音を遺している。

クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(RCA)1944/11/22,27・CD

余りに律義で正直びっくりした。速めのテンポは頑なに維持され、ダイナミクスにはデジタルな変化が聞かれるがSP原盤の継ぎ目に過ぎないだろう。録音がクリアなら誰しも歯切れ良いリズムと凝縮された響きに快感を覚えるだろうが、特に前半の雑音がきつい。最後の余りにあっさりした処理は一つの知見である。録音大マイナスに解釈の単純さを鑑みて無印。

○デゾルミエール指揮チェコ・フィル(SUPRAPHON,EURODISC)LP

素気ない速いテンポ、明晰な発音。スプラフォン盤は加えてくぐもった音響と弱音部の強調(大きすぎる!)という録音上の悪条件が加わる。チェコ・フィルのソロ楽器のレベルの高さがはっきり伺えるこのボレロは、和声的なバランスがよく、リズム感もすこぶるいい。ソロがよく歌うし(ホルンの謡い廻し!)チェコ・フィルにしては異例なくらい色彩感がある。パワーこそ足りないところもあるが(弦!)抜けのよい音が心地よく、クライマックスでも気品を失わない演奏となっている。貴族の行列を観覧しているみたいだ。こういう「味」は今の演奏ではめったに聞くことができないものだ。旋律の独特の歌謡的なフレージングが耳に残った。○。現在中古LPで容易に入手可能。(2003/12記)

流れるように軽快に進むボレロで、ピッチが若干高いのが気になるが、微妙に(音色的に)洒落たニュアンス表現がいかにもフランス風のエスプリ(の微温)を感じさせる。それにしてもテンポ的には一切揺れないラヴェルに忠実な演奏と言うことができよう。リズムセクションが極めて明瞭で引き締まった表現を見せており、水際立った演奏ぶりでダレを防いでいる。技術的には完璧に磨き上げられており凄い。ホルン以外は非常に上手いと言い切っていいだろう。最後まで律義で軽すぎて派手な歓興には欠けるが、清々しさでは他に類を見ないものだ。クライマックスで旋律の一音一音を短く切ってリズムを際立たせるのはいかにもリズム感重視のデゾならではの機知だろう。いかにもこの人らしいラヴェル、好悪分かつと思うが綺麗なので○。再掲。(2005/3/2)

○メンゲルベルク指揮ACO(pearl他)1920/5/31・CD

pearlレーベルは新しいものでもダメだ。このCD(90年代末)も肝心のこの曲の中間部分が思いっきし劣化していた。古い日本盤企画(andanteや最近のものじゃなくて)「メンゲルベルクの芸術」にも収録されているものだが、そもそも90年代初頭モノでは日本盤でも信用できない。80パーセントは聞ける状態にあるし、クライマックス前に復旧するのと他のトラックには影響はないようなので(ほんとに劣化か?)何とかとりあえず手段を考えようとレーザーの強力な(?)ドライブを探しているところである。演奏自体はかなり満足いった(だからこそ残念なのである)。パールにしては音もいい(だからこそ残念なのである)。聞きやすさは他のマイナーSP板起こしより上だろう。パワーには欠けるが元々パワー溢れる演奏ぶりであるからいい。メンゲルベルク(のとくに30年代くらいまでのSPモノ)の特徴は、

1.速い
2.ポルタメント

の二点である。速さはもちろんSPという収録時間をケチる媒体の特性上の理由もあることだろう。颯爽としたテンポに、弦の頻繁なポルタメント(統率が凄い)を織り交ぜたかなり強烈な揺らし(舞曲的な揺らし方である)をしなやかに織り交ぜてくる。そのためコントラストで「情緒纏綿」といった印象を受ける。じっさいはそれほど物凄くロマンティックに揺れることはない。基本は力強く突き進む、である。ボレロは殆ど音量変化は聞き取れないが(というか劣化のせいかもしれないが途中でいったん音量が落ちたりする(泣))ひたすら突進する音楽の楽しみはまさにショスタコのレニングラード冒頭を彷彿とする「軍隊行進曲」で、小太鼓の鼓舞にしたがって音楽は突き進み盛り上がる。かといってミュンシュなんかの芸風と違い恣意性の目立つやり方をしていないしオケの音色も統一されまとまりがいい。とにかく全般かなりいい。「メンゲルベルクの芸術」のこのトラック、誰か聞かせてくれないですかねー(笑)◎にした可能性をのこして○。

◎サバータ指揮ニューヨーク・フィル(FONIT CETRA)1950/3/5LIVE

「子供と魔法」の初演で作曲家の絶賛を受けた指揮者の演奏である。これはいい。録音はウィーンの「ラ・ヴァルス」に輪をかけて悪い(というか音場がかなり狭い)が、音像が安定しているので聞きやすい。早めのインテンポで進む演奏で、リズムがきわめて明確で音響は決然としており格好がいい。クライマックスで長い音符が僅かに引き伸ばされるほかは人工的な彫刻が無いのが却って個性となっている。とにかく強い発音がメリハリを与えて聞く者を飽きさせない。打楽器要素を目立たせるのもこの人流儀、オケもこの指揮者とすこぶる相性がいいようだ。最後フライング気味に入るブラヴォーの嵐がすさまじい。◎。

○レイボヴィッツ指揮パリ・コンサート・ソサエティ(音楽院)管弦楽団(CHESKY)1960/6

レイボヴィッツは色彩的な指揮ぶりが華々しい。テンポはわりあいとインテンポを通すがそのぶん音に華がある。このボレロはそういうレイボヴィッツにうってつけ、決して踏み外した演奏はしていないけれども、清々しく感情を昂ぶらせてくれる。変に民族的にするでもなく、変に感情を込めるでもなく、松葉を思い切りダイナミックに開ききらせるわけでもなく・・・と書くと魅力に欠けるオーソドックスな演奏ととられるかもしれないけど・・・これぞコンサート・ピースとしてのボレロだ、というところを見せてくれる。先入観なしに聞ける点で初心者向きかもしれない。○ひとつ。

○フレイタス・ブランコ指揮シャンゼリゼ劇場管(WESTMINSTER他)CD

威厳のある演奏、まるで王様の行列がゆっくり通り過ぎているのを見ているような感じである。いや、響きはいささか世俗的なのだが。この演奏、ラヴェルお墨付きの指揮者にもかかわらず異様な遅さで有名だ(ラヴェル自身の固い演奏やこれまたお墨付きのトスカニーニの演奏は割合と早めなのに)。しかしブランコの色彩的な指揮、シャンゼリゼの派手な音響とあいまって、面白さは抜群。決して弛緩しない。このテンポに慣れると病み付きか(?)。独特の演奏である。長らく店頭から消えていたが、復刻近いかも。デュクレテ・トムソン原盤。(2003/6/25記)

○アルベール・ヴォルフ指揮パリ音楽院管弦楽団(DECCA/NARROW RANGE:CD-R/Eloquence Australia)1950年代・CD

フレイタス・ブランコのウェストミンスター録音に近いものを感じる。テンポはあれほど遅くはないが、割合とクリアな録音がゆえに最初から最後まで細部が明確に聞き取れ音楽が多彩に聞こえるのと、はっきりとしたリズム表現に強い描線がブランコの演奏の威厳に近いものを感じさせるということだろう。若い頃のスピードこそないものの、情緒的に揺れない客観性が情緒的な音色変化とバランスをとり進むさまは変わっていない。○。

○デルヴォー指揮ハンブルグ・フィル(EURODISC)LP

不断のテンポに違和感はないのだが、音の切り方がすべてスパッと切り詰めすぎいささか堅苦しい。デルヴォにしては率直な演奏だがいくつか違和感ある表現もあり、ロマンティックというよりは人工的だ。オケのドイツぽさが露骨に出ているため重く、遊びに欠けるようにも聞こえる。やや技術的問題もはらむ。全般ボレロはこうやるべきというものにわりと忠実だが、反面面白みを失ったか。カタルシスいまいち。録音良好。広く見て○にはすべきか。

○デルヴォー指揮NHK交響楽団(KING、NHK)1978/11/17LIVE・CD

最初はやけに遅く朴訥とした表現にやはり・・・と思うが、ラヴェルの意図通りというか、まったく揺れないテンポに甘さのない音色を固持して踏み外すことを許さない、果てにスコア通りの積み重なりが破壊的な迫力をもたらす。デルヴォはケルンの録音が有名だが、冷血なまでに真面目な演奏として特筆できる。○。

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○パレー指揮デトロイト交響楽団(MERCURY)1961/3・CD

軽くて速い。確かに録音のせいもあるけど、決然とした重いリズムの演奏ばかり聞いてきただけに新鮮。単純に音楽として楽しい。TP外すなよー・・・おおらかな時代の録音ですね。

○パレー指揮デトロイト交響楽団(DA:CDーR)1961/11/24LIVE

軍隊。ここまで鋼鉄のインテンポで突き進められれば立派。物凄いテンションとスピードに終演後はすさまじいブラヴォの渦となる。ただ録音が悪くて最初何だかわからないのと、余りの速さにブラス陣がこけまくるのが問題かも。しかしパレーを知るには格好の記録です。○。

○パレー指揮デトロイト交響楽団(DA:CD-R)1975live

パレーのオハコであるがここではいつもの剛直直進演奏という超ドライな芸風からやや落ち着いて、小気味いいボレロのリズムを終始楽しむことができる。オケのひびきも心なしか華やかだ。録音が悪いので最大評価はできないが、終演後の大ブラヴォがパレーの晩年評価を物語っている。今なぜ忘れられているのだろう?○。

○パレー指揮カーティス・インスティテュート管弦楽団(DA/vibrato:CD-R)1978/2/13live

かなり激しく揺れ動く情緒的な演奏。繊細な微音表現もパレーらしくないほどに美しすぎる。この伸縮もけっこう芯のとおったテンポ設定ならではの一直線の上に展開されているといえばそう。ミュンシュではない。カーティス交響楽団と紹介されているが、まるごとコピーか同一音源を使用していると思われるVIBRATO盤で正式名称が記されているのでその名称にしておく。正規にならないのがおかしいくらいの高音質ステレオで演奏もパレーのライヴの、別の一面を見せてくれる面白いものだ。

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ミュンシュ指揮

◎パリ音楽院管弦楽団(LYS/GRAMOPHONE)1946/10/10・CD

歯切れの良い発音としっかりしたテンポ感が印象的。まとまりがよすぎてこじんまりしてしまうかと思いきやまったくそんなことはない。まさにボレロそのもの、イダ・ルビンシュテインの颯爽とした舞踊が目に浮かぶ。威厳すら感じさせる実にカッコイイ演奏です。ミスがあってもモノラルであっても支障なし。

ボストン交響楽団(RCA)1956/1/23・CD

じつはこの組み合わせ、苦手である。ボストン交響楽団ははっきり言ってそれだけではあまり面白い音楽を作れる団体ではない。だから指揮者の色がとても出易いと思うのだが、ミュンシュの場合個性がきつすぎてヘキエキしてしまう。いや、すべてがすべてオケのせいでもなく、録音のせいということもあるのだが。リヴィング・ステレオのこのCDも高音域が張り裂けるようなギリギリの音で耳触り悪く、中声部がスカスカでラヴェルのような身の詰まった音楽は骨抜きにされ宙ぶらりんになってしまう。ラヴェル得意の不協和音の妙もこのバランスだとうまく響かない。また、何より気になったのが、だいぶ大きくなったところで初めて登場するヴァイオリン、小さいこと小さいこと。そしてクライマックスの真ん中の抜けた奇妙なバランスの、やはり今一つ爆発力のない音楽。ミュンシュはダイナミックな音楽作りが持ち味だが、全ての録音中もっとも速い14分弱という時間も、伸び縮みの極端に少なく、ただただ高速で突き抜けるこの演奏の異様さを裏付けている。情熱が今一つまとまった音楽として聞こえてこない、これは余り面白くない演奏。知る限り同じ組み合わせで1958年にもRCA録音(15分弱)、DECCAでパリ音楽院管と入れた古い録音(17分弱)、そして恐らく最もダイナミックな起伏の施されたEMI録音(17分強)がある。時間バラバラ。

○パリ管弦楽団(EMI)1968/9/21~28・CD

ミュンシュのラヴェルは聴く人を選ぶ。じゅうじゅう肉汁の垂れ滴るような演奏に嫌気を催す人もいるだろうし、熱狂的な感興を覚える(といってもミュンシュは決してからっと明るいラテン気質の音楽を作り出す人ではないのだが)人もいるだろう。私はどちらかといえば前者のタイプなのだが、パリ音楽院管の流れを汲む因縁のオケ、パリ管のある意味とてもローカル色の「薄い」音は、ミュンシュのボストン帰りのスタイルにうまくハマっているようだ。やや雑味があるし、ミュンシュ独特の整えられないひびきが耳につかないといえば嘘になる。この盤に特徴的なのはねっとり粘着質のフレージングだ。後ろに引き摺るような旋律の重さは独特の味。ミュンシュのボレロで一番灰汁が強いと言われる録音、さもありなん。しかしラヴェル独特のキンキン耳に付くような金属質の不協和音はそれなりにしっかり響いており、最後のボントロなんかの重い響きもコケオドシ的で面白い。まあ、これをミュンシュ畢生の名演とは言い難いが、確かに独自のものを持っている。○。

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○アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(london)1963/4

アンセルメもちょっと不思議な距離感をもつ指揮者だ。バレエ・ライクでリズミカル、感情的な演奏もあれば、至極客観的で節度の有る、言ってしまえば「面白くない」透明な指揮をしていることも多い。ラヴェルにおいては前者の色が強い感じがするが、独特の恣意性がはさまるのが特徴的ともいえよう。ワルツ音楽における独特の「間」、あまりにはっきり意識的に入れているがために、現代音楽ぽい雰囲気すら持ち合わせていて面白い。この「ボレロ」も独特。響きはスイス・ロマンド特有の無味無臭といった感じでは有るが、徐々に迫り来る音響は非常に明瞭で、ラヴェルの精妙な和声を巧妙に再現しており出色だ。ピッコロの不協和なひびきが自然に聞こえてくるのが嬉しい。なかなかです。しかし圧倒的というまでにはいかなかったので○ひとつ。

ルイ・マルタン指揮パリ・ソリスト管弦楽団(CHRISTOPHORUS)LP

うーむ。普通だ。ちゃんと出来上がった演奏なのだがどこか物足りない。この曲にはいろいろな演奏があるから、普通に演奏しても面白味がなく聞こえるのだろう。音色はフランス的でいいオケなのだが。無印。

○モントゥ指揮ロンドン交響楽団(PHILIPS)1964/2LONDON・CD

僅かに萎縮したような危なっかしい所が見られるが、歯切れの良い発音と小気味よいリズムが魅力的な演奏。舞踊音楽としての出自を強く意識しているようだ。奇をてらわずオーソドックスな解釈といえばそうかもしれないし、余りスケールが大きくないといえば確かにそうだが、録音の明瞭さと速い速度だけでも充分スリリングで楽しめる。○。

○ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(WEITBLICK)1985/5/9,10・CD

なかなかラヴェルらしい演奏になっている。ケーゲルはラヴェルをけっこう演奏していたようで、「子供と魔法」なんかもあったと思う。理知的で合理的なラヴェルの書法はケーゲルの几帳面でエキセントリックな解釈と意外と相性がいい。快く聴きとおせる演奏です。言われるほど凄まじいというわけではないが、冷たい肌触りがする独特の熱演と言っておこう。○。

ボルサムスキー指揮ライプツィヒ交響楽団(URANIA)

ああっ、録音が悪いんだよう!あまりに音飛びするので評価不能としたいところだがあくまで私の盤だけの問題なのでおさえておく。音色変化はないが漲る力感が曲の不断の前進性を強調してすこぶる効果的、圧倒的な音量、スピーカーの紙が破けるほどの破壊的な大音量に忘我。それだけではない。音量がぜんぜん安定しない。これは録音か編集のせいだとは思うのだが、短いスパンで変な抑揚が付きすぎである。音量ツマミを握りながらの鑑賞にあいなった。小さいところはぜんぜん聞こえず大きい所は割れんばかりの大音響(と破裂音)、電車の中でヘッドフォンで聴くときは気をつけないと。苦労はするが面白演奏だった。録音マイナスで無印。

シュヒター指揮北西ドイツ・フィル(IMPERIAL)LP

LPと書いてますが12インチとか小さいのも含んでます。シュヒターはシュヒターらしくじつに実直でテンポを崩さない手堅い演奏をしている。重みのある音響やきっぱりとした発音にはドイツらしさが出ているものの、それ以外の部分でドイツっぽさというものはとくに感じられない。客観的というのともまた違うのだが、とにかく強烈な個性をぶつけてくる演奏でないことは確かだ。まあ、この演奏内容なら水準よりは上か。録音は古い割に意外とクリアでした。無印。

○フリッチャイ指揮RIAS交響楽団(DG)1953/4

フリッチャイにしてはかなり速い。けっこうスピードを感じる。発音が細部まで明瞭なので冒頭より音量が大きすぎる気もしなくもないが、きっぱりとして力感ある表現はなかなか聞き物だ。透き通った音が印象的。○。

○オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(URANIA)1953/3/22

早いテンポで押しまくる演奏は私は好きだ。だがこの盤ピッチが高いのが気になる。雑音も継続的に入るし、ウラニアのCDにしてもいささか条件が悪すぎる。オケの好調、シャープなオーマンディの指揮ぶり(とくにリズム感のよさ)を加味して○ひとつとしておく。このころのオーマンディは凝縮された力感がある(モノラルのせいもあろうが)。

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ムラヴィンスキー指揮

レニングラード・フィル(multisonic)1953

この盤どうも古いせいかピッチがおかしいような感じがして、それが若干評価に影響はするのは仕方が無いだろう。この演奏はムラヴィンスキーいうところの「運命のメトロノーム」がフルに活用された演奏で、強固なテンポ感により安心して聞かせる。決して奇をてらったところがなくあくまで正攻法だが、オケの独奏楽器の音色がいかにも特徴的で、面白い効果をあげている。派手ではないが、よい演奏である。

レニングラード・フィル(RUSSIAN DISC)1960/2/26LIVE

ロシアン・ディスクもいーかげんなレーベルで、表記間違いが相次ぎロシア音楽ファンを翻弄してくれたものである(ちなみに2003年6月現在、一応まだ存在している)。でも、10年ほど前、怒涛のように流れ込んできたロシアン・ディスク盤は、その発掘音源の希少性からロシア音楽ファンを狂喜させた。今や昔である。もっと質のよい音で別レーベルから再発された盤も少なくないが、再発から漏れている秘曲のたぐいも残されているのは事実である。さて、このボレロは「幻想」「亡き王女のためのパヴァーヌ」とカップリングされている(録音同日)。幻想はとんでもないロシア流儀の幻想で余りの恣意性に驚くが、このページの対象外の作品としてここでは深入りしない。ボレロはマルチソニック(チェコ)盤を以前ご紹介したが、このロシアン・ディスク盤はより洗練された感じがする。マルチソニック盤の鄙びた音色はここでは聞かれない。この盤も決して録音状態はよくないのだが、聞けないほどではない。むしろムラヴィン芸術のアクの強さが音の多少の瑕疵をものともしない、といえよう。クライマックス近くでペットが事故っている箇所がいくつかあるが、流れゆくライヴならではの前進性がさほどの事故も気にしなくさせ、気分をほどよく浮き立たせてくれる。最後にはかなりロシア色の強いえぐい音表現になるが、面白い。最後の雪崩れかたが今一つびしっと決まらないが、全般にはまあまあといったところだろう。聴衆の反応はそれほどでもない。ムラヴィンファンは当たってみるのもよいだろう。

○レニングラード・フィル(MELODIYA)1952

ムラヴィンスキー100歳記念盤(2003年)の2枚目。「ロシアでは」初リリースとあるが、書かれているデータが正しければ、国外でも初リリースとなるものも含まれているようだ。このボレロは記載されている情報が正しければ他に挙げた2演奏とは異なるもの。モノラルで録音も若干聞きづらいが、非常に正攻法の演奏で、ソロ楽器にちょっと不安を感じる部分もあるが、全体としてはよくできている。気持ち良く聞ける一枚。

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◎スヴェトラーノフ指揮ボリショイ劇場管弦楽団?(MELODIYA)1960'?

個人技の曲である。ロシアオケにとってはお手のものだ。中には余り曲に共感していないようながさつなフレージングの楽器も混ざるが、総じて特徴的な音質、適度な前進性、ひずんだ音響があいまって、とても面白い演奏が出来上がった。弦楽器が余り浮き立ってこないのも面白い。恐らく意図的なものなのだろうが、却って新奇な感じがして格好良く感じた。開放的に豪放に鳴り響いて終わるような激情的な演奏ではないが(スヴェトラーノフがまだ直截であったころの演奏である)、聞いた後に何かしら残る演奏。わたしはとても気に入った。◎。ステレオ。

○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(bescol)?

唐突にあらわれたバルビローリのラヴェル集。モノラルだが、手元のディスコグラフィー(HUNT[MUSICAL KNIGHTS])にもまったく書かれておらず、ライナーもないため、出元も年もさっぱりわからない。まあ、ホンモノだと信じて素直に音楽を楽しもう。ハレはハレとは思えないほど精妙に音を重ねて行く。各ソロ楽器の艶めかしい音が「これってハレ?」と聞き直してみるくらいに綺麗に響いている。指揮者の個性が出るたぐいの楽曲ではないため、バルビ節も発揮のしようがないが、意外に「踊れる演奏」になっているのが面白い。バルビはリズム処理がヘタという面があるが、この演奏はまるでメトロノームを置いたように粛々と進んでおり、気を浮き立たせる。素朴な味わいがあり、弦楽器まで入ってくると、スケール感は小さいものの、和声がとてもきれいに響いているのが印象的だ。全楽器が一斉に謡い出してもたいしてスケール感は変わらないが(爆)いちおう壮麗と言っておこう。最後までテンポは一貫して変わらず、フレージングもわりと平坦だが、その一貫性こそボレロの真実であり、この演奏が正統であることのあかしだ。最後の盛り上がりは物足りない感じもするが、耳優しい音楽にたいして○ひとつをあげよう。

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チェリビダッケ指揮

ミラノ放送交響楽団(HUNT・ARKADIA)1966/2/11LIVE

じつに律義で堅固なテンポの上に四角四面の音形を載せていくチェリ。独特の解釈だ。オケがラテンなのでそれだけでも瑞々しいリズム感を持っているはずが、チェリはあくまでドイツふうに「遊び」を許さない。結果として自由に謡いたいオケと独自のテンポを崩さない指揮者の間にとてもスリリングな関係が構築され、いびつな結果が産み出された。どちらかに偏ればまだ聞けるものを、こう拮抗していると少々疲れる。たとえばヴァイオリンが追加されるところであえて音量を抑えて下品なクレッシェンドを避けていたり、縦のハーモニーを意識して各パートに繊細な音操作を加えているなど、面白いことは面白いのだが、奏者が混乱しているところも聞かれる。単純な音形の中にちょっと細かい音符が入るとバラけるのはそれ以前の問題だが。ライヴで聞けたら異常に透明で繊細な「チェリの音」を味わえたろうが、録音が悪くてどうにも不満。最後いささか軍隊調で幕を閉じると、異常なブラヴォー渦にびっくり。ブーイングも少し混ざって、ミラノはこの日も熱かったようだ。

シュツットガルト放送交響楽団(MORGAN'S:CD-R)1975/4/11LIVE

引き締まったオーソドックスな演奏で、晩年のものとは違い前進的ではある。ブラヴォが物凄いけど、正直かなり茫洋とした放送エアチェック録音のせいか特筆すべきところもなく、平板で平凡な演奏に聞こえる(精度は認める)。左のチャネルが拍手に入るまで(つまり「終演後」まで)少し弱く聞こえるのも気になる。盤として無印。他盤と同じ可能性あり。

○シュツットガルト放送交響楽団(TOPAZIO)1975LIVE・CD

MORGAN'Sの4/11録音とされるものと同じ可能性あり。チェリビダッケのボレロであり、ブレは無い。前進的でガツンガツンと盛り上がっていくが、かといって何か徒に気を煽ることについては抑えているようでもある。音質は70年代にしてはいいステレオ。拍手はすごい。オーソドックスに楽しめるが、ほんらい求められるボレロではないかもしれない。○にはしておく、今回は。ほかにフィンガルの洞窟が入っているが、更に後年のマーラーの亡き子が著名な海賊盤CD。まとめてCDR化されたと思う。

○シュツットガルト放送交響楽団(LIVE CLASSIC)1982LIVE

かなり聞き易いインホール録音。音響バランスがいびつな感じがするのは私だけだろうか。ピッコロが鋭い不協和な音をたてる場面、私はこの中間音を抜いた硬質な響きが好きなのだが、この演奏ではあまりに強すぎて不協和性が強調され、むしろ耳障りの悪い音楽に聞こえる(このへんのさじ加減が微妙なのだが・・・録音だとそれがいとも簡単に崩れてしまう)。チェリのバランスのせいでなく、録音のせいと信じたい。なかなかしっかりとした量感のある演奏で(この録音に限らずだけれども)、晩年は精巧な構築性が持ち味だったチェリのまさにそういうところを感じさせる。音色が若干地味なので(ていうかこれが普通か)派手な南のオーケストラには負ける気もするが、機械細工のような冷たいラヴェルに聞きなれた向きにはおすすめ。にしても私はチェリのフランスものを聞きすぎていて、新味を感じないのがいけない。チェリ・マニア以外は2枚(モノラルの南欧ライヴとステレオの新盤)あれば十分でしょう。

○ミュンヒェン・フィル(EMI)1994/6/18LIVE

踊りの音楽ではない。几帳面にぴっしり揃えられた音楽であり、軍隊行進曲に近い。しかしながら聞き進めるうちに心地よく浸ることができるようになってくる。テンポの遅さも後半になるとまったく気にならない。足踏みするような感じは最初の方は気になるが、音楽が流れていくうちに前進性も伴ってくる。ボレロの面白味を引き出すたぐいの演奏ではなく、ボレロという音楽そのものに立ち返らせるような演奏ではある。それは過去の演奏も同様ではあるのだが。海賊盤で出ている演奏よりも純粋であり、また録音も最上である。スケール感も無駄に大きいのではないのがいい。最後の最後で雪崩落ちるところのテンポがはじめて少しルバートするところが面白い。たぶん他盤では聞けない。ブラヴォー拍手は盛大だ。注目盤。

○ミュンヘン・フィル(VON-Z:CD-R)1994live

やや引き気味に聞こえる弦楽器が物足りないが、そこにいたるまでの各ソロ楽器の、自主性はないが完璧なハーモニーをもたらすアンサンブルの妙、もちろんソロとしての技量にまったく不足はなく楽しめる。爆発的エンディングは残念ながら客席のブラヴォーほどには伝わってこないがホール録音というものの限界だろう。恐らく既出盤だと思うが正規と聞き惑うほどに音がいい。

ミュンヒェン・フィル(METEOR)?

録音がまたしてもラジオ・ノイズにまみれ、冒頭の弱音部が聞きづらい。でも演奏は次第に盛り上がり、音が気にならなくなる。規律正しいテンポ感、安定感有る音響、破壊的とまではいかないし、世評のように圧倒的に壮大とも思わないが、とても整えられた演奏で聞き易いとは思う。思ったよりまともな演奏で正直拍子抜けしたが、終演後の熱狂的なブラヴォーと拍手の嵐はすさまじい。たぶん演奏の凄さを録音がとらえきれていないということなのだろう。生で聞くと全く違ったろう。そんな想像をさせる。

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◎ホーレンシュタイン指揮フランス国立放送管弦楽団(MUSIC&ARTS)1966/7/1LIVE

あっけらかんとしかし不断のテンポで格調高く進み、とてもホーレンシュタインとは思えない明るさとすっきりした美しさをはなっている。ひたすらフランス風の音色をブレなくひとつの響きで統一し、ソロ管楽器はカツゼツのしっかりした発音で明確な音楽を作り上げていく。聴き進めるにつれブラスと打楽器、リズムセクションの音に切り詰めた激しさが加わり・・・でも決して音もテンポも外さない。柔らかなニュアンスなどなく、ただただ不断のテンポがある。ミュンシュの肉汁滴る演奏とはまったく異次元の演奏だ。ここまで高潔で、ここまであっけらかんとボレロを演じ上げてみた指揮者がかつていただろうか。ホーレンシュタイン・ラヴェル不得意説は瞬く間にぶっとんでしまった。フレイタス・ブランコの明快なテンポを聴いて以来の「あっけらかんとして明るい系」ボレロの究極を聴いた気がした。終演前には・・・ブラスの激しく付けられた松葉や轟音の中で・・・私の耳は他の自然音を認識しなくなっていた。終わった後、聴衆の一斉に熱狂する声と共に、私も狂喜しながらプレイヤーの針を止めた。◎としか言いようが無い。個性とかそういう問題ではない、ラヴェルの意図したボレロの姿を自己の個性と感覚的にシンクロさせ、しかも聴衆に訴えることのできた名指揮の記録である。このボックスはまったくホーレンシュタイン像を一変させるライヴ音源の宝庫だ。。。

○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(MUSIC&ARTS)1939/1/21LIVE・CD

テンポが速すぎると文句を言った作曲家を、腕ずく(もちろん「演奏」という意味ですよ)で納得させた(とロザンタールが言っていた)トスカニーニのなぜか唯一の記録。30年代にしては破格のいい音だと思う。これはもう各ソロ楽器がトスカニーニの敷いた線路に乗ったうえで勝手にそれぞれ表現しつくしている感じがして面白い。つじつまがあうギリギリまでテンポを揺らしかっこよく歌いこむ人もいれば、つんのめり気味にどんどん先へ突き進もうとする人もいるし、ボレロらしくきっちりインテンポを守る人もいれば思いっきり音を外して恥をかいている人もいてさまざま。こういう楽器おのおのの表情変化を楽しむ曲だ。面白い。

トスカニーニに「不断のテンポ」があるかといえばそうでもない。長い長い旋律の後半部分でシンコペから3連符に入る音の高いところ、必ずテンポを思い直すように落としているのだ。これは・・・現代の耳からすれば違和感がある。これは踊りの音楽である。こういう盛り上がりどころでのスピットなリタルダンド挿入というのはどうなんだろう?更にクライマックスあたりでもいっせいにテンポを落とす箇所がある。こうなるとトスカニーニ解釈ここにありというか、前近代的なロマンティックな解釈とは隔絶した硬質さはあるのだけれども、まるでムラヴィンスキーのように(影響関係逆だが)確信犯的で予め準備された「崩し」が入るところに独特の作家性を感じるし、違和感はあるけど、それなりに面白くもある。最期はもちろんブラヴォー嵐。何度聞いても面白いですよ。

○カンテルリ指揮NBC交響楽団(MUSIC&ARTS)1952/12/15LIVE・CD

かなり速い。軽快だ。カラッと乾いていて、じつにあっけらかんとしている。まさに南欧ふうだ。ブラスにミスが目立つが全体の流れを妨げるものではない。この速さはラヴェルなら怒るだろうが客席は拍手喝采ブラボーの嵐。○。ちなみにこの録音、CDのオモテ面に記載が無い。最近ままある現象だが、収録時間の問題で入れるか入れないかもめたのだろうか。

○カンテルリ指揮NYP(ASdisc)1954/3/19live・CD

打楽器的な演奏というか、とてもリズムが明瞭で切っ先が鋭い。録音はやや悪いがカンテルリの(色艶はなくとも)鋭敏な耳と確かな腕がオケを細部まで統制しきった演奏ぶりがうかがえ、演奏者も盛り上がれば聴衆も熱狂する。NYPにこういう演奏をさせるだけでも凄い。○。

○モートン・グールド指揮ロンドン交響楽団(varese sarabande,JVC)1978/9/18-20,CD

これちょっと変なので持ってる方はスコアと比べて聴いてみてください。いじってるみたいです。
不良爺さんのボレロといったかんじで軽いんだけどリズムがやたら明瞭でカッコイイ。足踏みの音が聞こえてきそうだ。音は横に流れない完ぺきにリズム重視、でもラテンのあのリズム感とも違う、でもノリはすこぶるいい。アメリカ的派手さには事欠かない。低音のリズム系楽器が物凄く強調されるのでクライマックスなんてスペクタクルですがオーマンディのゴージャスなブヨブヨとは違う凝縮力を感じる。物凄い個性的とは言えないけど確かに個性の有る演奏、うーん、コトバでは言い表わしづらいな。モートン・グールド自身オーケストラを知り尽くした作曲家だけあってどうやれば最低限の力で最大限の効果を生み出せるか知っている。それが逆にここではただラヴェルの手の上でゴージャスな広がりを展開させるのではなく、割合と小編成のアンサンブルのように整理して組み上げる事でまるでコープランドのバレエ曲のような「軽い響き」を持たせ、そのうえでドガジャカタテノリ解釈を持ち込んで独自の舞踏音楽(これは踊れます!)を作り上げる事に成功している。佳演。ラヴェル指揮者ではないけれど、近代名曲選の中の思わぬ拾い物、といったところ。

○チラーリオ指揮ルーマニア放送交響楽団(ELECTRECORD)CD

ラテンっ!最初はおとなしく規律正しい演奏振りでむしろつまらないかもと思ったが、クライマックスは豪華なイタリアオペラの一幕を見るように派手でかつ威厳ある表現が無茶かっこいい。前半マイナスとしても十分後半だけで○はつけられる。録音は遠くあまりよくない。イタリア指揮者の面目躍如、オケも脂っこさがないため聞きやすい。ぐちゃぐちゃに歌うたぐいの演奏でも、がちゃがちゃに鳴り響かせるたぐいの演奏でもないが、かっこいいとだけ言っておく。若き王子の颯爽たる戴冠式行進曲。

○リグノルド指揮ロンドン・フィル(RCA)

律然としたリズムが格好いい。終始崩れない速めのインテンポで押し通し、ボレロの王道といった演奏ぶりである。管楽器の巧さは言うまでもないが、決して個性を出さずに総体としての響きを重視しており、ソロを楽しむ演奏にはなっていないが、「ボレロ」という音楽を全体として楽しむのには最適といっていいのではないか。久しぶりに「正統派」のボレロを聞いた。特徴には欠けるが、最後までわくわくして聞ける演奏。トスカニーニを彷彿としたが解釈的な恣意は全くない。モノラル。

○ウォレンスタイン指揮ヴィルトーゾ・シンフォニー・オブ・ロンドン(AUDIO FIDELITY/LEF他)CD

これがウォレンスタインの廉価盤にしては音がよく(ブラームスとか音の悪い盤もある)演奏は言わずもがなの引き締まった、激しさも併せ持つもので非常にいい。どこをどう、という批評はしづらい曲だが(ソリストの腕でどうこう言う声が多いのはそのせいでしょうね)この演奏はバランスがとれているというか、パリとか南欧とかアメリカとか、どっちに転ぶわけでもなく正しくこの曲のイメージを表現している、としか言いようが無い。初めての人にも薦められます。○。タワーがこのレーベルを長く売ってくれているおかげで、ウォレンスタインがルビンシュタインの伴奏指揮者というイメージから外れて評価されることを祈ります。このCDは長く品切れ状態だったが今は店頭に並んでいる。オケはLPOか。(2005)

恐らく板起こし。しかし音質は柔らかく透明でいい。オケマン出身指揮者だけあって山っ気というかシロウト臭い解釈を入れずアンサンブルの調和を重視する点で聞きやすさがある。テンポは実直に速めのインテンポ、奇をてらわない演奏振りは好感が持てる。それだけに繊細で美しい響き、とくに木管はさすがロンドン・フィルの精妙な表現が生きてきている。最後も派手になりすぎずバランスが非常にいい。スコアを厳しく音にできれば変な伸び縮みを入れなくても十分効果的に仕上がるのがラヴェルなのだ。○。指揮者としての腕より曲への真摯さが伝わる演奏。(2007/7/17)

○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団?(DA:CD-R)1967?live

クレジットに無いものが入っている場合もあればあるべきもんがない場合もあるこのレーベル、クレーム出しておいてから、しっかりこのクレジットなしトラックについて書きます。多分67年のフランスの放送ライヴ。ラヴェルは正直、ギリギリアウトの不協和音を駆使した作曲家だと思う。そのアウトをセーフに聞かせるのに非常に繊細な各楽器の音量操作がいる。だがストコははっきりいって「アウトでいいのだ!」と不協和なコードを立体的にはっきり響かせてみせる。これは録音のせいでもあろうが却って現代性が引き立ち面白い。ただ、最初からそんな調子なので一本調子にそのまま高みのパレードで終わってしまう平坦さはある。だが面白いことは確か。録音よし。

○ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(SCC:CD-R)1969/5/4live

効果を狙った極端な音量操作が非常に気になる・・・とくにスネア以下パーカスの突発的表現。また、ラヴェルにたいする挑戦のような変更に近いものも散見され、ストコフスキ・クレッシェンドで極限まで引き延ばされる終止和音のあざとさはブラヴォを叫びたくなくても叫ばせるたぐい。オケミスは非常に多いし余り誉められたもんでもないが、不断のリズムはけっしてよれることなく迫力を積み上げていく、これは凄い。○。

○フランツ・アンドレ指揮ブリュッセル放送交響楽団(capitol)

がっしりした演奏ぶりで揺れがなく、ひたすら重厚なリズムが叩かれていくが、肉厚な響きが音量があがるにつれ目立ってきて、とくにブラス中声部が必要以上にブカブカとやるものだからドイツふうからだんだんラテンノリにシフトしていってしまう。しかし曲の構成自体はいささかも崩れず、特異な響きの印象を残して格調高く終わる。ばらつきはあるが堅実。

○ゴルシュマン指揮ラムルー管弦楽団(PHILIPS)

やはり構造の見えやすいクリアな演奏ぶりで、直線的で情緒的な揺れのなさ、曲そのものの持っている力だけで聞きとおさせる啓蒙性には、アメリカで活躍したのがうなずける。「棒吹き」にはやはりどうも違和感があるのだが、各ソロ楽器の名技性を数珠つなぎしていくだけが能の曲でもないだろう。こういう演奏のほうがラヴェルの理想に近いのかもしれない。けっこういいです。情緒派には薦めないけど。○。

ル・ルー指揮フランス国立放送管弦楽団(concert hall)

ちょっとハッキリしすぎる感もある出だしだ。録音がよすぎるのかもしれない。かなりしゃっちょこばった規律正しいソロ演奏を指示しているようである。ラヴェルの自作自演あたりに近いとても機械的で堅い解釈のように感じられる。数珠繋ぎのソロ楽器の音色表現がいずれも非常に単調である。というか、余りに個性が無い。抑え込まれている感すらある。元々持っている楽器の音の美しさだけだ。全体の音響はしかしとても整えられている。遅めのインテンポなうえにただ音響がどんどん重くなってゆく。クライマックス近くで音量が若干抑え目に修正されているのもどうかと思う。とにかくこれはとても「正しいボレロ」だとは思うが・・・面白くは無い。

○フバド指揮リュブリアーナ放送交響楽団(MEDIAPHON)CD

手慣れた演奏ぶりでからっと明るく楽しめる。派手過ぎも重すぎもせず、ボレロのイメージそのままを味わえる。演奏もうまい。

○ベイヌム指揮ACO(DECCA)CD

ベイヌムが得意とした分野の一曲だが、しょうじき「スタンダード」であり、それ以上でもそれ以下でもない。録音ほどよく明晰だからファーストチョイスにも向くが「それなり感」が否めず、カラーも迫力も「それなり」なボレロに意味はあるのか?と言われるとびみょうだ。ACOは中欧オケにしてはフランスものにも強かったが、この演奏でもソロ楽器は「それなりに」巧みで音色も「それなりに」繊細。○にするに躊躇はないが、破壊的ボレロを期待すると裏切られる。節度派向けですな。
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