○作曲家(P)(smithsonian folkways)1963初発売・CD
トーンクラスターはバルトークが用語としての使用許諾を求めたことで有名なカウエルの代表的な概念だが、先行事例がないわけではなくカウエルと一時期親しかったアイヴズが一定の長さの木片で鍵盤を押さえる方法を使っていて、また管弦楽においてはトーンクラスターと呼ばざるを得ないような混沌とした音響を提示している。ともあれ「理性的に」この方法を取り込んだのはカウエルが最初であろうし、この曲がその代表的な作品であることには異論はない。若書きの作品でもあり、右手の旋律と後半部で左手に現れる対旋律のとつとつとした組み合わせだけを取り出してみればケルト民謡に基づく、いわばヴォーン・ウィリアムズのような感傷的な旋律音楽でしかなく、陳腐とすら言える。肘を使って低音部で奏される「運命の大波」こそがこの曲の肝であり、演奏者の柔軟性なり経験なりが試される部分だと言えよう。なかなか聴きごたえのある実演を聴いたことがあるが、それにくらべてこの自作自演がどうかというと、下手。旋律の動きにリズムが乱され、クラスターとのバランスもややぎごちなく(リズム的には旋律とクラスターはまったく同期がとられている)、これはこの自作自演アルバム全体に言えることだと思うが、専門ピアニストではない、ということを否応無く印象付けられる。そういう観点から、骨董価値を見いだしてのみ聴く演奏だ。○。
トーンクラスターはバルトークが用語としての使用許諾を求めたことで有名なカウエルの代表的な概念だが、先行事例がないわけではなくカウエルと一時期親しかったアイヴズが一定の長さの木片で鍵盤を押さえる方法を使っていて、また管弦楽においてはトーンクラスターと呼ばざるを得ないような混沌とした音響を提示している。ともあれ「理性的に」この方法を取り込んだのはカウエルが最初であろうし、この曲がその代表的な作品であることには異論はない。若書きの作品でもあり、右手の旋律と後半部で左手に現れる対旋律のとつとつとした組み合わせだけを取り出してみればケルト民謡に基づく、いわばヴォーン・ウィリアムズのような感傷的な旋律音楽でしかなく、陳腐とすら言える。肘を使って低音部で奏される「運命の大波」こそがこの曲の肝であり、演奏者の柔軟性なり経験なりが試される部分だと言えよう。なかなか聴きごたえのある実演を聴いたことがあるが、それにくらべてこの自作自演がどうかというと、下手。旋律の動きにリズムが乱され、クラスターとのバランスもややぎごちなく(リズム的には旋律とクラスターはまったく同期がとられている)、これはこの自作自演アルバム全体に言えることだと思うが、専門ピアニストではない、ということを否応無く印象付けられる。そういう観点から、骨董価値を見いだしてのみ聴く演奏だ。○。