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湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆ブラームス:交響曲第2番(1877)

2017年11月14日 | Weblog
○ダムロッシュ指揮NYP(BIDDULCH)1928/1/4~6・CD

正確には統合前のニューヨーク・シンフォニー。堅実で揺れの無い解釈にポルタメントだらけの情緒てんめんな弦が乗るが、総合して面白みはない。かなりドイツ臭い剛健な造りをしていて、妙に楽天的というかアメリカンな音色(SPの復刻次第なんでしょうが)だけを武器として直進を続けるさまはいささか地味にすぎる。しかし速いテンポに鋭いリズム感をもって煽る4楽章に聴ける要素はあり、最後まで近視眼的なルバートはいっさい無いのだが、なんともいえない浮き立つ感覚が愉快だ。だから○ひとつにしておく。SP復刻というのはノイズ除去をしくじると音を骨抜きにしてしまい、特有のクリアで鋭い音を非力で聞き辛いぼやけたものに化かしてしまう。演奏自体にそういう印象を付加してしまう。これはややその気がある。

○ミトロプーロス指揮NYP(CON MOTO:CD-R)1952/11/2LIVE

しっかりした構成感を持ったうえで躍動する音楽。1楽章から圧倒的なオケの合奏力に感服させられる。ムラのあるオケとされることも多いがミトプーの元でもこんなにも一体感のある音楽を作り上げることが実はできたのだ。ブラームスのようにカッチリした曲だからこそのレベルの高さも感じるがそれだけではあるまい。2楽章の憧れに満ちた響きもどうだろう、緩やかな楽章だってうまくやれるのだ。感傷的なグダグダに陥らない、すこぶる幸せな曲の気分を存分に味わわせてくれる。構造のための挿入句のような詰まらない内声のフレーズも疎かにしないからこのまとまりが出るのだ。4楽章は短い序奏のあといきなり物凄い迫力で爆発。速いし激していく指揮者がわかる。そのため多少流れるし極めて瞬間的なコントラストを意図したかのような第2主題の異常な遅さはいつものミトプーそのもののやりかたで、ブ厚い弦の旋律が壮大だ。激しい音楽はかなりのカタルシスをあたえながらガシガシ進んでいく。スピットな変化をアクセントに織り交ぜて豪奢なフィナーレにむかう音楽の前進力こそミトプーの命。拍手が最初だけで切れているがブラヴォ来ただろう。録音悪く○。

※2004年以前の記事です
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バルトーク:ピアノ協奏曲第1番

2017年11月12日 | Weblog
ロロフ(P)クリュイタンス指揮BPO(memories他)1952/9/5ベルリンlive・CD

クリュイタンス初ベルリン・フィルのライヴ記録で音はこもり気味。それを押しても暴力的なバルトークの野蛮主義が冒頭から破裂し、ナチはもういないんだとばかりにバリバリ弾きまくるロロフ。しかしクリュイタンスは比較的透明感ある音を作り、少しヤワに聴こえる。もっとも民族的表現の昇華の過程でラヴェル的なところも結果として盛り込まれたバルトークはフランスのオケと相性がいいと感じることがある。クリュイタンスは響きの理知的な部分で訴える。まだ雑多な聞き心地のするバルトーク、どうもとっつきづらい一番ではあるが、ドキュメント以上の演奏にはなっている。が、バルトーク好き以外にはすすめない。
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ラヴェル:幻想的歌劇「子供と魔法」

2017年11月10日 | Weblog
○ロザンタール指揮ORTF&CHO他(ina)1962/12/6live

不安定で撚れのある個所もあるがおおむね安定したモノラル。時代的にステレオにしてほしいものだがinaがどこかからかき集めたコピー音源かもしれない。優しい曲でそれほど長くもなく、マ・メール・ロア(マザーグース)の世界にピアノ協奏曲の素材を入れて洗練させたがごとく伴奏もきらびやかで繊細でロザンタールらしい色彩的なオケに、少し大仰ではあるがとてもフランス的な歌唱が入る。上演版でキッチュな場面では笑いも入る。最期はママンのゆったりした女声のあとブラヴォ。いや、ステレオで聞きたかった。Amazonデジタルで配信中。ルーセルとの組み合わせ。
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スクリアビン:交響曲第1番「芸術讃歌」

2017年11月09日 | Weblog
スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団&合唱団、サリニコフ(T)他(russian disc他)1990/4/14live・CD

6楽章制(!)で理知的な構成を目指したロマン派大曲。ロシアの鈍重さも西欧の先鋭さもなく、ひたすら幸福感をふりまく旋律に彩られ、後半楽章でワグナーというよりは発想の類似性を指摘されるマーラーの復活(実際作曲前に同曲を生で聴いたそうだ)のようにドラマチックな展開をあくまで組曲的に積み上げるものの、長大な終楽章は延々とふたつばかりの芸術讃歌が繰り返され、唐突な歌唱の導入は確かに復活を意識はしているが、あのように滑らかな起伏なく、楽想の堆積であり、ディジタルである。単純かと思えばそうなのだが、そうではなく華々しいオーケストラの響きは和声感覚の鋭さとともにここですでに萌芽をみせる。結局ピアノへ帰っていく作曲家だが、オーケストラで一つの世界を築いた「世紀末作曲家」の代表格である。スコアを見たくなる瞬間はある(そして見て単調さにガッカリするのだがそれは書法の癖に過ぎない、必要最小限を目指したのだ、ということにしておこう)。スヴェトラーノフのこのライヴはオケや歌唱の出来を含め隔絶して素晴らしい。弱体化したソヴィエトの楽団をかき集めるだけかき集めて迫力を失わせないようにしているかのようだ。他の指揮者の同曲の演奏を聴けばいかにスクリャービンの良い部分を取り出して自然に聴かせているか、スヴェトラーノフがダイナミックな指揮者では必ずしもなく最後にはシンフォニックな響きの指揮者であったことを思い起こさせる。聞いていて、曲が確かにメロディ一個一個に楽章を割り当てたような生硬な組曲ふうのものである(努力して統一感は持たせようとしているが未だ有機的な繋がりを持たせる技巧は持っていない)から演奏によっては瓦解した交響曲であったり、楽章毎の出来が違ってしまったり、ぶっちゃけ下手な管弦楽法の悪いところを露呈させてしまったりして、途中聴くのをやめてしまう。が、これは私は聴くのを止めたことがない。録音が新しい割にはあまりよくないと感じる人もいるかもしれない、舞台が遠いと感じる人もいるかもしれないが、それでも音量を上げて聴いてみてください。「法悦の詩」に通じるものは絶対にあります。
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ブラームス:交響曲第2番

2017年11月09日 | Weblog
ワルター指揮NYP(columbia/sony)1953/12/28・CD

残念ながらモノラルで、CDは軽くてキンキンした音になってしまいLPのほうがいくぶん重みを感じる録音に聴こえるかと思う。そのせいか曲のせいかどうにも緩くだらだらとした印象を受けてしまうが、4楽章だけは違う、ワルターのデーモンが引きずり出され、NYPも活気づき素晴らしく愉悦的な音楽で圧倒する。ここだけにかんしてはトスカニーニらと同じ趣を持つが潤いがいくぶんある。NYPにしては雑味がなく聴きやすい。いい復刻で聞きましょう。

※私の手元には以下のものがある。

NBC交響楽団(1940/2/24)
ニューヨーク・フィル(1953/12/28)
ベルリン・フィル(1950)
フィラデルフィア管弦楽団(1944/2/12)
◎フランス国立管弦楽団(1955/5/5)
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☆ベートーヴェン:交響曲第7番

2017年11月07日 | Weblog

○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(ASdisc)1944/1/8live

クーセヴィツキーは古典曲に対してはけっこう客観的で常識的な演奏を行うようだ。「あー、スタンダードだなー」というのが第一聴象。ちゃんと「ベートーヴェン」を演じている。適度に熱した演奏にも関わらず非常に格調高く、踏み外した場面というのはほとんど無い。水際立った指揮ぶりが胸のすくような終楽章に傾聴。ボストンの弦楽セクションは強力だ。スピード感を失わずに最後まで見事に弾き切っている。

pristineのものは別録音としているが同じ1944年で疑似ステレオ化によりわかりにくくしている、怪しい。

※2004年以前の記事です
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☆ラフマニノフ:交響曲第2番(1906-07)

2017年11月07日 | Weblog
スヴェトラーノフ指揮:

○ボリショイ劇場管弦楽団

~スヴェトラーノフは近年円熟し、エキセントリックな色合いを緩める反面ppの表現を深めてきている。この曲の新録(来日したときのライヴ(東京芸術劇場)も、キャニオンの最新録音(1996発売)もそうだが)ロシア国立交響楽団によるものは、どうしてもこの旧録にみられる極限的アンサンブルと烈火の如きスピード、めくるめく音彩の変化に対して「弱み」をみせる。ファーストヴァイオリンの弱さもその原因のひとつだろうが、録音のせいもあるのだろう。私はこのボリショイ盤こそ、交響曲作家としてラフマニノフを最も尊敬しているという巨匠スヴェトラーノフの頂点だと思うが、それは同時にこの曲の数ある演奏記録の中でも、段違いに優れた盤であるということを意味する。弱音部や緩徐部の表現がややどぎついが、ムラヴィンスキー流儀のエコーとも思えるし、それはそれで良いのかもしれない。但しこの「弱点」、確実に克服されつつあるのは、来日ライヴの演奏で一目瞭然だった。恐らく今現在存命の指揮者のうち、今世紀前半の伝説的指揮者達と比肩しうるのは、この指揮者だけなのではないか、と思わせる実に巨大な、そしてとてつもなく深い「音楽」を創り上げつつあることがわかった。東京芸術劇場の広い会場はほぼ満席で、終演後のブラヴォーは無数に響き渡り、15分経ってもカーテンコールをせがむ人々の拍手は止まらなかった。本当に巨匠になってしまったのだ、と感じた。(1995記)

(補記)早くから知られた単独盤。国内盤CDも出ていた。若き?スヴェトラーノフのエキセントリックさを堪能できる。特に2楽章のギスギスした響きはすれっからしの聞き手にとっては“やれやれー!”といった感じ。

◎ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)

~録音が理想的。ほどよく残響がきいているため、オケの粗さが吸収され、まとまった音楽として非常に聞き易いものに仕上がっている。ボリショイの演奏をグレードアップさせた感じ。このくらいのバランスの演奏が一番いいと思う。名演。

◎ソヴィエト国立交響楽団(SCRIBENDUM)1985/1/25LIVE

名演。表現の苛烈さとそれと感じさせない練り上げられたアンサンブルが素晴らしい。スヴェトラーノフ最盛期の覇気に満ちた演奏に酔ってしまう。どの楽章も印象的な場面が少なからずあるが、この演奏全体で特徴的なものといえばとりもなおさず終楽章のテンポだろう。異常に速くとられたテンポは私のようにこの楽章が大好きな人間にとってはこたえられない聞きごたえだ。しかもびっちり弾き込まれていて弛緩のシの字もない。カンペキである。このテンポで盛り上げられると最後のルバートがこの上なく効果的にひびく。終演後のブラヴォーの渦はロシアでの演奏では珍しい。スクリベンダムだしライヴなので録音状態は最高とは言えず、やや音場が狭い感もあるが、他演でも述べたとおり、このくらいの距離感があったほうがバランス良く聞こえていい。迫力は音量ボタンで出せばいい。また、ラフマニノフの描いたテクニカルな部分もこの演奏ではよく聞こえてくる。1楽章では対旋律が意外な魅力を発揮して対位法的効果がくっきり描き出されていたり、4楽章などでちらりと顕れるフーガ音形のじつに明瞭に効果的に整えられたひびきにはとても感銘を受けた。まあ、このての賛辞は山ほど付けられそうなので敢えてこれ以上は語るまい。晩年の悠揚とした演奏とは違う、非常に起伏の激しい解釈、その絶妙な解釈が血肉にまで染み付いた団員たちによる力感に満ちた音楽表現、そのもたらす忘我の時を楽しもう。録音にややマイナスを感じるが、メロディヤ録音と同等の聴感を受けたので同じ◎をつけておく。

NHK交響楽団2000/9/20 NHKCD

~穏やかな近年様式ではあるがN響奮闘。終楽章などはライブならではのルバートが随所にかかり熱狂を呼ぶ。無理して吠える金管に喝采。

○ロシア国立交響楽団(CANYON)

~キャニオンの全集盤から。スヴェトラーノフの録音は常に短時間(ほぼ一発録り?)らしい。玉石兎に角網羅的に録音せねばならなかったソヴィエト国立とのロシア音楽アンソロジーシリーズには、粗雑な出来上がりのものが少なからずある。特にグラズノフの新録など80年代後半、西側へ流出した弦楽器奏者の穴が埋められなかったのか、しなやかな機能性と量感溢れる音響で魅了したソヴィエト国立弦セクションの、見る影も無い演奏が見られるようになる。録音乏しいグラズノフの新録が出ると聞いて心待ちにしていたのが、聞いてあっさり拍子抜けした覚えがある。マイナー曲での奏者のやる気が無い演奏は、曲のイメージのためにも勘弁してもらいたいが、強固な使命感に燃えて悪化する状況下にも秘曲録音を続けた志の高さには深く敬意を示したい。

ライヴでお馴染みのチャイコフスキーなどオハコに関してはほぼ心配無く、スヴェトラーノフもそりゃ途中で指揮棒を降ろすわちゅうもんだが(そんくらい理解しろ当時の評論家!!)、数年前池袋でやったラフマニノフ2番(プラチナとはいかないまでも良い席の獲得は困難だった)では、いかにも弦楽器が“若く”、曲の要求する激しいアンサンブルが、すべからく甘いように聞こえた。肝心の中低弦は安心して聞けるレベルだったものの、弱体化久しいバイオリンパートはやはり薄かった。もっともあれは前述の通り、日本で演奏された最良の2番であったと思う。

この盤は名盤の誉れ高い国内盤で、賛美者の枚挙にいとまが無いが、私は“落ち着いてしまった”と感じた。個人的に思い入れのあるバルビローリ晩年を彷彿とさせる。音響が繊細なまでにコントロールされており、ややゆっくりめのテンポの中で各声部を効果的に引き立たせる計算が見られる。基本は客観主義であるものの、ロマン作曲家として情熱的な表現をよしとする資質を反映させた、一種破天荒な演奏を行う指揮者としての魅力は薄まっていると言わざるを得ない。但しスヴェトラーノフの天才が真の円熟を得てこのスタイルに至ったと見るのが大勢であろうし、すれっからしを相手にしては音楽の未来は無いから、これでいいのだろう。このチクルス録音もやはりほぼ一発であったようだが、アンソロジー後期の荒さは無く、カラヤン並みの統率力を見せ付けるものとなっている。

※2004年以前の記事です
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☆マーラー:交響曲第6番<悲劇的>(1903-06)

2017年11月06日 | Weblog
<最も充実した時期に書かれた純管弦楽交響曲三部作の中間にあたる作品。さすがに中身が濃く、マーラーの全交響曲中もっとも形式にのっとって書かれているためか案外よく演奏される。ウェーベルンがこの曲を演奏した写真が残っている。長大でドラマティックな終楽章の最後に英雄を打ち倒す木槌の音、2回聞こえるか3回聞こえるか?アンダンテ楽章はシェーンベルクに賞賛された美しくも哀しいマーラー節。1楽章の第二主題はアルマ夫人のテーマと呼ばれるちょっと恥ずかしいくらい甘いメロディだが、そこへ至るまでの音楽は葬送行進曲なのである。この時点でのマーラーは順風満帆だったはずだが、なぜ「悲劇的」なのか?通称ではあるけれども、「亡き子をしのぶ歌」もろとも、悲劇の予感はやがて的中するのであった。>

テンシュテット指揮

○ロンドン・フィル(EMI)1983/4,5

テンシュテットは熱狂的なファンを持つ。そのせいかライヴ盤(海賊?)が跋扈しており、全てを手に入れて吟味するのにはそうとう困難(と金銭)が伴うと思い、手を出すのを躊躇していた。・・・すると、いつのまにか店頭から綺麗さっぱり消えてしまった!結句探し回る羽目になってしまったのだが、やっとみつけたのが今手元にあるボックスセットで、6000円弱。全集だが「大地」は未収録である。さて、CDをてにとり、プレイヤーにかけてしばらく。・・・「さすがだ」。これは名演である。バーンスタインの新録のようにかなり恣意的な操作が加えられており、大きな起伏があるものの、音に重量感があり、非常に安定しており、また(リヒャルト・シュトラウスのように)じつに豊穣にひびく。解釈は奇をてらう一歩手前でおさえられ、まるでライヴ盤のような緊張感がある。とくに気に入ったのがアンダンテ楽章だ。この楽章は旋律を際立たせ、情緒を揺らす表現が通常とられるのだが、この演奏では(まるでクレンペラーの演奏様式のように)重量感のある音響によって古典的なほど荘厳な音楽がかなでられている。独特だ。終楽章のダイナミックな表現はかつてないほどの迫力をもって迫ってきた。嵐だ。あの温厚なロンドン・フィルがうなっている。フレーズの全てに意味付けがなされ、一分の隙もない。分析的な側面も垣間みえるが、このような素晴らしい結論に達せたのであれば、そこへ至る過程なぞどうでもいい。いまどきの録音とは思えぬような綻びがきこえなくもないが、かえってライヴ感があって好きだ。弱音部のぞっとするような冷気にもはっとさせられた。それにしても骨太で力感に溢れた、それでいて壮大で気高さすら感じさせる演奏だ。
・・・うーん、意外な誤算だった。これは聞いて損はない。

但し、個人的にはカウベルはもっと低い音を・・・(もういいって?すいません)

ロンドン・フィル(EMI)1991/11/4,7LIVE

私がこの人の演奏を聞きすぎたせいか、どうも恣意的で客観的な莫大演奏に聞こえて仕方がなかった。演奏的には最晩年にあたる演奏であるが、指揮者にありがちな最晩年様式に陥っているように聞こえた。

◎ロンドン・フィル(sardana records:CD-R)1983プロムス・ライヴ/
ニューヨーク・フィル(rare moth:CD-R)1985live

というわけで6番だけはライヴ盤を買ってしまった。しかし、予想以上の出来だったのがプロムス・ライヴ盤である。スタジオ盤が大人しすぎるように思えるほど、張り詰めた緊張感と溢れるパッション、とくに終楽章の世界の雄大さには感激。アンダンテ楽章もスタジオ盤より歌心に満ちており、心を揺さ振る。終演後のブラヴォーの凄まじさはこの演奏の成功をつたえるものだ。文句無し、「悲劇的」のベスト。対して2年後になるニューヨーク・ライヴは録音自体に問題がある。音質が悪く、またレンジが狭い。大音量の箇所になると、音量がカットされてしまい、拍子抜けする。ニューヨークの音には
独特の魅力はあるが、しなやかで美しいロンドン・フィル盤をさしおいて聴く必要はあるまい。

※2004年以前の記事です
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☆ベルク:ヴァイオリン協奏曲

2017年11月06日 | Weblog
クラスナー(Vn)

○ウェーベルン指揮BBC交響楽団(CONTINUUM/PHILIPS他)1936/5/1LIVE・CD

この曲の演奏としては別格と扱われている名盤である。初演者クラスナーが秘蔵していたアセテート盤が発掘されCONTINUUM盤で現れたときの衝撃は凄かった。ウェーベルンの指揮記録としてもほとんど唯一のものとあって(他はごく短い曲の録音があるのみだ)注目を浴びた。もともとベルクの死後ウェーベルンが初演指揮するはずだったのだが拘りまくるウェーベルンの準備が演奏会に間に合わず、結局急遽シェルヒェンが振った(さすがシェルヒェンである)とつたえられる。これはその後で改めて行われた演奏会の記録であり、その解釈にはやはり相当に前衛的なものがあると言えると思う。この音質の中でも尚響きへのこだわりは仔細に至るまで行き渡っており、ベルク的な感傷性はまったく排されて、クラスナーともどもじつに「純粋に芸術的な」演奏になっている。これは若干の皮肉を込めて言っているのであるが、この曲につきまとうマーラーの亡霊、「可憐な天使」の亡霊、ベルク自身の亡霊、古き良きウィーン・オーストリアの亡霊は全員しっかり除霊され、成仏してしまっている。BBC響というところがまた因縁を感じさせるというか、非常に機能的で怜悧で交響的で現代音楽を得意とするようになるこのオケが、この時点でも既にこういう清潔な美感を伴う正確な演奏を行えるだけの力と個性を持っていたことに驚かされる(ボールトのBBC響が、である)。クラスナーは別掲の演奏が正規録音で残っているが、そちらはあきらかにベルク的な生ぬるさを漂わせたロマンティックな音色の目立つ演奏であり、この一期一会の追悼演奏会にさいしてクラスナーは完全にウェーベルンの掌中に入り、ウェーベルンの冷徹な美意識に従った精妙な音楽を注意深く作り上げていったのだな、と思う。とても36年の演奏とは思えない、雑音を除けばまるきり現代の演奏と言っても通用するのではないかという演奏だ。好みの問題で○に留めておく。この演奏でこの曲に目覚める人もいるだろう、しかし普通の音楽を楽しむ人が最初に聞くべき演奏ではない、理解されにくい、前衛音楽の須らく持つ拒絶感の確かに漂う演奏だから。

○ロジンスキ指揮クリーヴランド管弦楽団(COLUMBIA/LYS)CD

クラスナーはこの曲の委属者であり現代音楽奏者の草分けの一人である。ここで特徴的なのはベルクの官能性を前時代的な感性に反映させ、豊穣な音楽の中に埋没しているウィンナーワルツだとかマーラー10番ぽい旋律だとかを引き出して魅力的な曲調に仕立てているところだ。この曲を現代曲とするのか末流ロマン派とするのか、まあ作曲家の分類に従って前者とすることが多いと思うが、この演奏ではとてもゲンダイ曲とは言えない。ロジンスキはやや没個性的な棒で付けており物足りないが、とにかくクラスナーの甘い音楽に陶酔してしまう、そういった演奏である。ワタシ的には面白い演奏だった。やっぱ調性だ(謎)。○ひとつ。

○フリッツ・ブッシュ指揮王立ストックホルム・フィル(RSP,IMG)1938/4/20LIVE・CD

とても厳しい演奏であり特筆できる。クラスナーはこうして聴いてみるとたいして巧くない感じがするし、バックのブッシュも渋くて頑固なだけの演奏を繰り広げているように聞こえる。だがその両方がたんに録音が悪いせいでそう感じるだけかもしれないので深くは追わない。なかなか聞きごたえがある重厚な演奏ではあるし、かなりドラマ性のある激しい演奏なので、ウェーベルン盤の神経質さやスタジオ盤の生生しさに違和感を感じる向きはあたってみてもよきかも。オケけっこうウマイです。個人的に夢のようなワルツのフレーズはもっと幻想を込めて欲しかった(いつも言ってますが)。○。

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ベルク:ヴァイオリン協奏曲

2017年11月05日 | Weblog
ギトリス(Vn)ジョリヴェ指揮ORTF(forgottenrecords)1959/11/12liveパリ放送

音が強すぎて何を弾いてるのかわからなくなる。ギリギリと弓を弦に押さえつけて(じっさいギリギリという音が聞こえるところも)出す太い音は、そうであるがゆえにかえって聞く者の音程感を失わせる(前半は実際に音程が狂っているように聴こえるところも)。正しくひいていても何がなんだかわからない。ワルツ主題もその調子なので楽想の描き分けがなく、変化に乏しい。ただ強い音なので曲を知らなければそれなりに聴けるのだろうが(ジョリヴェの指揮は柔らかく達者だ)そういう聴き方ではそもベルクがセリーで描いた意味がない。音色で楽しめないベルクはありえない。これはどうかと思う。
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ベートーヴェン:交響曲第7番

2017年11月05日 | Weblog
クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(PASC)1944live

四番とともにpristineの新発掘とのこと(演奏日が明確になっていないため同年の1/8live録音と同一の可能性は残る)。同じくレストアしすぎて擬似ステレオそのものだが、より音が良かったようで拡がりがあり情報量もある。ただ、ストコフスキのそれのように、音楽が開放的に聞こえてしまい、ベートーヴェンらしさを却って損ねている。おなじくノイズや傷もクリアになってしまいストコフスキ録音と聞きまごうような音になっているのは痛い。初期ステレオ、とくにトスカニーニ最晩年ライヴによく似た聴感なのは、スタイルの近似ともども「いやステレオじゃなくていいのに」と思う。トスカニーニ最晩年同様、音のキレがなくなっているのも聴こえてしまう。しかしプレスト楽章と終楽章終盤は流れにはクーセヴィツキーらしい熱気を帯びながらブラスの冷静なテンポ感に象徴されるように愉悦的なリズムに不可欠の縦の厳しさが保たれ、聞き所とはなっている。四番よりは勧めないが、一部分においては至極まっとうに聴ける。楽章間に拍手が入るのはいかにもアメリカだ。そのくせラストの拍手はカット。
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ベートーヴェン:交響曲第4番

2017年11月04日 | Weblog
クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(PASC)1943live

クーセヴィツキーの同曲唯一の記録でpristineの新発掘とのこと。レストアしすぎて擬似ステレオ状態だが、元の音は悪かったんだろうなあ、という篭ったりキンキンしたりガサガサするところは耳につくが、戦中録音としては破格の聞きやすさで普通は(おそらく)ノイズまみれの原盤よりこちらを好むだろう。クーセヴィツキーと思えないほど緊密な中期ベートーヴェンで古典的な佇まいを崩すことなくロマン派的なメリハリきいたメロディアスでリズミカルな音楽をきっちり聴かせる。これ本当にクーセヴィツキー?というマトモさがあるが、四楽章では特有のロシアっぽい感情が弦楽のドライヴに迸り僅かに甘くなるので、本物だと思う。
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グラズノフ:交響曲第1番「スラブ風」

2017年11月02日 | Weblog
セレブリエル指揮王立スコティッシュ・ナショナル管弦楽団(warner)2009/6/2-5・CD

あーー、長い!こういう冗漫な曲は細かい仕掛けや響きの面白さなんて無視して一気呵成に突き通さなければ、いくら旋律美ガーなんて言ってもそれを無限に単線的に繰り返されるだけでは耳が死ぬ。セレブリエルは正面からまともにやりすぎである。イワーノフなら聴けるがこれはダメ。曲のダメなところがクリアに聴こえる。最初こそ古典を意識した均整感をみせるがそれは単に学生的なクラシック音楽のセオリーに従っただけで、そこに民族主義的主題をぶちこむのは良いが、楽器法が後年とは比べ物にならないほど単純で、ただヴァイオリンがひたすらメロディを担い動き回るだけ、というカリンニコフもびっくりのやり方。それでも四楽章通してちゃんとしてるし、若いなりの冒険的な部分〜あんなわけのわからない終わり方はいいのか?〜を何とかその中に収めているのは恐らく後年の改訂によるところが大きいだろう。いやしかし、しっかりグラズノフではあるのでグラズノフ好きにはアピールするだろうが、普通の人はこの頃のロシア国民楽派、バラキレフやリムスキーなどのたまに書いた「つまらない純音楽志向」の曲と同じものを感じ取り、時代は逆だが劣化カリンニコフとして却下するだろう。うーん。それにしてもくどい。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第5番「革命」

2017年11月02日 | Weblog
ゴルシュマン指揮セント・ルイス交響楽団(capitol)1953

快速ストレートな演奏で最初軽量級かと思うが、音量変化が大きくクライマックスでは異様な迫力を出してくる感じ。これは各楽章同じで、4楽章は見事な構成感というか、前半部分に盛り上がりを作ってしまうのではなくきちんと最後まで持っていくようにテンポを緩めず進めている。聞きごたえはなかなかあるが、モノラルなので小粒に感じる。これは音量を大きくして聴かないと真相がわからない録音。オケはこのオケなりの最高水準。
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カリンニコフ:交響曲第1番

2017年11月01日 | Weblog
ヤルヴィ指揮スコティッシュ・ナショナル管弦楽団(chandos)1987・CD

だいぶ昔に録音してなかっただろうか?あるいは今出ているこれが再発なのか。交響詩との組み合わせだった記憶があるのだが。さて何でも振るがゆえに一律性急でそつなく感じるものもある父ヤルヴィのイギリスオケものである。イギリスオケらしくやや冷たく精度と引き換えに熱量が下がり、人工的な振幅の大きい解釈に対してどことなくよそよそしさを感じさせるが、普通の耳からすれば凡百の録音よりよほど感動的なロシア交響曲を楽しむことができるだろう。音のトーンが変わらないのでニ楽章の冬の日のしんしんとした雪を感じさせる音楽はあまり際立たないし、四楽章冒頭も音量が小さめの感はある。
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