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湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

何かあればツイッターとかではなくブログにコメントほしいなあ・・・

2018年03月30日 | Weblog

・・・最近ブログにコメントがつきません。これはここだけの話ではなくいくつかある私のブログ全般に言えることです。

しかしながらツイッターなどSNSで、たとえばクラシック音楽の話題を振られたり、反応されたりすることは若干増えています。

気軽さの面で、SNSを使うお気持ちはわかります。ただ、私自身の長いSNS歴からして、mixiやmyspaceのような親密でサークル活動の盛んなSNSは今はほとんどありません。海外はともかく、日本ではそうです。ごく一部のクラスタがFACEBOOKで閉鎖的に活動しているだけの印象があります。これは掲示板も同じく、閉鎖的な活動の場といえるかもしれません。

そういういわばマニアの集う場は集合知としての優位性はあるのですが、個人に紐づきませんのでしょせんは流れ去る揮発性のものに見えます。あるいはファンクラブ。だから同じ話題が何度もあがり、最終的に同じ少数者がまとめる。そういったことを繰り返した結果、クラシック関係の場などは下火に見えます。

とにかくそういう感じなので、やはり個人ブログとして長年やってきている以上、そんなところに出張していくメリットもありません。そもクラシック音楽で1999年個人でホームページを開設しようと思ったきっかけが「bbsでは多人数の意見に左右されて自分の価値観がぶれてしまうので、自分だけの場を作り一定の評価軸を保ちながら音盤の感想を書く」ことですから、これからもないでしょう。

といったスタンスを貫きすぎて常連さんがつかないという・・・いや記事の一つ一つが浅いということもあるのですがそれはこのページが質より量を重視しているので・・・ま、まあ、それはともかく、ツンデレなので、離れて行ってしまう方も多く、結果今の状態です。

しかし!ツイッターなどで言及されると「こんなとこ書くならブログに書いてログ残してー」となるのです。ツイッターは私はもう見放してる場なのでかなりてきとうです。たぶん衰退も遠くないでしょう。こちらへきてコメントしてください!

ドクターからのお願いでした。(ここだけじゃなくて雑記ブログとかも同様です寧ろあっちのほうが深刻なアクセス不足に陥ってます)
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ドビュッシー:小組曲(ビュッセル管弦楽編曲)

2018年03月29日 | Weblog
アンゲルブレシュト指揮パドルー管弦楽団(SLS他)1929-30

SP復刻でかつてCDになっていた。ポッとした素朴な味わいは牧歌的な曲やオールドなオケ以上にまだ若いアンゲルブレシュトの正硬な棒による印象だろう。丁寧にスコアをなぞるようなやり口で、人工的にデジタルな大きな起伏を作る感じは後年に通じるが、情緒的に少し鞣しその支配下において情感を醸させる、フランスオケの音色の明るさと華やかさがあるから聞き物として成立している面もあろう。3楽章は装飾的な跳ねる音を明確にコントラスト付けて出させるなど各所に強調的な表現がみられる。テンポはゆったりしたインテンポだが、後年よりぬるまゆい情緒があるのは音色だけの理由だろうか。けして乱れさせないキッチリ揃えられた4楽章、テンポが前に向かわないもどかしさはあるが、響きは充実しており、ドイツの演奏ぽい縦ノリ感だ。まあ、乱れさせないようにテンポを緩めしっかり弾かせるのはSP時代の骨董録音にままあることなので、アンゲルブレシュトだけの話でもない。
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ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

2018年03月29日 | Weblog
トゥルトゥリエ(Vc)バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(BS)1963/1/29マンチェスターlive・CD

新発掘の放送用音源でモノラルライヴなりの音。正直良いとは言えない録音でこもっている。バルビローリ協会盤だからバルビローリの指揮に力点が置かれているし、演奏もバルビローリのドヴォルザークというイメージに薄い演目(交響曲の7~9番は録音し協会もCDにまとめているが)ということでソリストは二の次に聴いてしまう。バルビローリ自身がチェリスト出身で、トゥルトゥリエクラスではないとはいえ知り尽くした楽器、かなり融和度は高く、とくに自然な流れの作りかたがうまい。バルビらしい歌いかたも特異な解釈もソリストの表現を超えるものはなく、ただ音色の美しさが際立つ。木管ソロなどイギリスの上質の音を提供して穏やかな気分になる。さて、ソリストは線が細くヴァイオリン的な軽い指回しがいい意味でも悪い意味でも目立っている。後者の例というとたまに音程が悪い。不思議と不安定感はないが線の細いからこそ音程はシビアにきかれてしまう(太ければその幅のどこかが正確な音程にあたるのだ)。1楽章で、こんなところでなぜ、という半音ずつの下降音形の乱れがきかれ、ライヴだから手を抜いたのか、とすら思った。ただ音色はニュートラルなのでバックオケとの相性はいい。下手ではない、指も弓もよく回るのでミスを指摘して捨てる気にはならない。だが面白くはない。バルビマニア向けだろう。
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ドヴォルザーク:交響曲第7番

2018年03月28日 | Weblog
○セル指揮NYP(WME)1965/11/20live

モノラルだが迫力の演奏に圧倒される。セルのドヴォルザークは凄いのである。しかもニューヨーク・フィルは(ミスもするが)分厚く、ヨーロッパ的な重心の低い演奏も上手い。1楽章からして引き込まれる。フォルテの表現は…ひたすらフォルテの表現はこの曲の劇的要素をただただ強調し、鼓膜に叩きつけ続ける。2楽章ですら何か「聴かせよう」という意志の強さで、末尾の弱音部も綺麗なのだけれど、全般には緩徐楽章ぽくない。3楽章も舞踏らしくリズムが切れている。緩やかな主題の歌謡的なフレージングと激しい三拍子の動きがメドレーのようにつながっていく。楽団の厚さがやや悪い録音でも関係なく音楽の楽しさをダイレクトに伝えてくる。メカニカルゆえスリリングなアンサンブルも楽しみの一つであるこの曲の、そのスリリングなところをセルは非常な求心力をもって聞かせにかかる。誰も臆することなく気が絶えない。四楽章も緩やかに始まったかと思ったら駆け上がる主題でいきなりテンポアップ。結構テンポ変化があるが、瞬間沸騰的なものはすくなく、聞かせどころでしばらく少しテンポダウンする、といった、おおむねスコアの書き込みどおりということで、それの再現度がたぶん、凄まじい。弦楽器主体の楽曲にNYPの「やる気になった」弦楽セクションはうってつけだ。ブラームスをわかりやすくしたような作品を、さらにわかりやすく歌で繋いでいく。悲劇的で渋い色調の楽曲もこういう力づくスタイルの前には、ダイナミックでアポロ的な印象を与える。矢鱈の弦楽パートの掛け合いなど、セルだから曖昧にはならずに構造的な楽しみもあるのでメカニカルに聴きたい向きにもあっている。以前出ていた気がするが、この音質でもお勧めしたい。生だとどんな凄い演奏だったろう、ブラヴォの嵐。
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ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」

2018年03月25日 | Weblog
パレー指揮ORTF(SLS)1957/5/9シャンゼリゼlive

物凄い意思的な演奏で、ゴリゴリ力づくで押し進めるスタイルはトスカニーニよりトスカニーニ。時折面白いテンポルバートをかけたりするけれど、冒頭から最後まで一パートも曖昧な表現は許さず全力で音を出させ、フォルテからフォルテテテテテテテッシモまでの間でドラマを創る、いやドラマだと言い切る。清々しいくらい情緒がなくリアルで、だがアメリカのオケではなくこのオケであるところがソロの音色やオケ全体の明るく柔らかな響きによって辛うじてドビュッシーであることをわからしめている。個人的には個性的で好きだが、これだけ爆弾を投げつけるような音を破裂させながら聴衆は普通の反応、まあ、ミュンシュと同じ力感をミュンシュと対極の残忍な棒さばきで表現したわけで、海ではないか。録音は意外と聴けるレベル。
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ラヴェル:ボレロ

2018年03月24日 | Weblog
○パレー指揮ORTF(SLS)1957/5/9シャンゼリゼlive

高速軽量級、やる気漲るパレーの十八番ボレロ。アンコールないし末尾にやられることが多かったようだ。このリズムでは軽すぎるとしても、響きや音色は美しく華やかに統一され、このオケだからひときわソロの魅力が際立つ(ホルン除く)。また弦のピチカートが粒立って激しく轟き軽量級なりのリズムの打ち出し方をしているのも面白い。ひたすら揺れのないテンポはボレロはこのままで完成されていることを実感させる。全奏部に至っては独特の短い発声のペットと強靭な打楽器群が高らかに軍隊を鼓舞し、それ以外の楽器はまったく同じ調子を続けているのに音楽はしっかり大きな山になっている。阿鼻叫喚まではいかないが振り切ったパレーに盛大なブラヴォが浴びせられる。録音はモノラルで音場が狭いぶん録音瑕疵はさほど気にならない(はじめの方で大きく放送エアチェックノイズが入るのは残念)。
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ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

2018年03月24日 | Weblog
ミュンシュ指揮シカゴ交響楽団(SLS)1967/2/16live

エアチェック音源らしく音の欠落や全編砂ノイズに塗れて聴きづらい。オネゲルとルーセルにはさまれて収録されているがこれが一番静かな曲のせいか耳障りが悪い。演奏は陶酔的で、ノイズがなければ浸りこむことができただろう。ミュンシュの同曲の解釈に幅はないのだが、オケが清澄な音を出すせいだろう音楽もねっとりしたものではなく、ニュートラルに聴こえる。拍手はほとんどカット。オネゲルがDAのものと同じとすると収録の三曲中唯一の初出になる。
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オネゲル:交響曲第2番

2018年03月23日 | Weblog
ミュンシュ指揮シカゴ交響楽団(SLS)1967/2/16live

驚きの記録でパリ管との最後の録音の10ヶ月前のシカゴ響との実況である。この次の「牧神」は半年後の実況録音が出ているしルーセルの3番は公式には2日分の編集盤が、非公式には同日のものが出ているので、シカゴとの演奏としては初出になろう(同月NYPとの実況録音なるもの(DA)があり、この時期にしてはノイジーでも録音状態はこちらのほうが格段に上で(DAは客席録音ぽい、共にステレオ)単純比較はできないが、同じものの可能性がある)。ミュンシュの終生振り続けた曲であり、ギチギチと軋む弦楽合奏がつづいたうえで高らかなトランペットで開放される曲構成もカタルシスを得やすいし、パリ開放を思い出せるから好きだったのだろう。だが演奏スタイルはかなり変化しており、この頃にはテンポが落ち集中力に欠ける演奏が聴かれるようになる。ギチギチが要の曲なだけにそれは致命的で、この演奏も残念ながら第一には推せない。ただ、オケは良いのである。一糸乱れぬ弦楽アンサンブルは振ってきた他のオケとは違うものがあっただろう、一楽章はライヴなりにではあるがこれがミュンシュかというようなトリッキーな装飾音型もビシッと揃えてきてビックリする。二楽章の表出力も素晴らしい、チェロソロがボリューミーだ。だが、三楽章が遅い。新古典主義の構造的な書法を楽しむには、あるいは演奏するには遅いのである。無理してテンポを抑えているようなシカゴ響弦楽セクションには「もういいから暴走して力を遺憾なく発揮してくれ!」と言いたくなる。弛緩して雑味を呼んで、、、と思いながらも流石にギチギチ感が出てきて偉大なクライマックスでのっぺりしたトランペットを聞いて、あざとさの最後にミュンシュの唸り声、ブラヴォの渦。終わり良ければ、か。
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フランク:交響曲

2018年03月22日 | Weblog
○アンゲルブレシュト指揮ORTF(SLS)1955/3/17シャンゼリゼlive

びっくりの音源で、演っていても不思議はないが録音が出てくるとは思わなかった。また同時期のドビュッシーなどにくらべ一楽章あたりはダイナミックでかつ、ミュンシュのような滑らかな表現でロマンティックな、国民楽派交響曲のように進めていく。ほんとにアンゲルブレシュト?というような、SP期の短い曲で聴かれた主情的な表現はクライマックスあたりでもブラスの露骨な音色に現れてくる。だが、この三楽章冒頭は均整感を重視した構築性があらわれ、やはりアンゲルブレシュトだと確信させる。清々しい透明感のある響きはあるものの、曲に忠実にロマンティックな点はダンディの交響曲を録音したときと同傾向といえば同傾向のスタイルでもある。突進するたぐいの演奏ではない、ミュンシュやパレーとは違うが、プレートルに通じる部分はあるかもしれない。期待しなければ聴けるギリギリの音質。もちろんモノラル。個人的には同曲をドロドロにしないでかつチャイコフスキーみたいにやってのけているのは好み。
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ラフマニノフ:ヴォカリーズ

2018年03月21日 | Weblog
ミトロプーロス指揮NYP(SLS)1955/5/8シアトルlive

この指揮者に未だ未発売音源が残っていたのかと驚いた。発掘され尽くした挙げ句、モノラル悪録音しかない骨董指揮者の宿命で忘れ去られたものと思っていた。シアトルのホールからの実況録音で、ボロボロではあるもののミトプーのライヴにしては悪くない。ねっとりした無言歌、甘やかで諦念も感じさせるこの仄暗いメロディの伸び縮みする歌い回しを楽しむことができる。手兵だったオケも、人によってはグズグズになる弦楽器が結集して実力を発揮している。久しぶりに聞いた曲だが、例えばストコフスキのような人工的な造形ではなく滑らかに連続した歌となっているので、同じ恣意的なスタイルでも自然に入ってくる。最近あまり聴かれる曲ではないが、アメリカで演奏されたものとしては、バーバーのアダージョと共に二十世紀を代表する弦楽合奏曲といえる。このあとプロコフィエフの五番、カバレフスキーのコラ・ブルニョン序曲とアメリカで人気のあったロシア音楽が続く。ロジンスキ、トスカニーニがよくやった曲だ。
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ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

2018年03月20日 | Weblog
ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(HMV)1934/10/22

三度目の全曲録音か(この時代では考えられない)。SPに慣れた向きは十分楽しめるし情報量もある音。迫力あるキレキレの音で、ストコらしい細かい操作もあるが基本的に新世界のサウンドとしての面白さをそのままストレートに伝えてくれる(4楽章冒頭のリタルダンドは何度聴いても慣れないが)。フィラデルフィア管弦楽団黄金期の、とくに弦楽セクションの分厚さ。どういう録音方法をとったんだというようなボリュームのある捉え方をしている。録音状態的に音色は楽しめないが管楽器もノーマルに力強くしっかりしている。やはり2楽章のようなしっとりした楽章より3楽章のようにリズム、律動だけの音楽の方がパワーオケの特質をよく示しており楽しい。4楽章の遅さ、しゃっちょこばった表現はストコの解釈なので仕方ない。おかしなバランス、作為的なルバートも全部ストコをストコたらしめているものだ。メンゲルベルク同様、必然性などあまり考えないほうが良い。この時期にこの録音なら満点だろう。ラストまで普通ではない。音楽として楽しめるかどうかは趣味次第。
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ラヴェル:道化師の朝の歌

2018年03月19日 | Weblog
フレイタス・ブランコ指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団(EMI他)CD

数少ない正規録音の中でも作曲家縁のラヴェル集の中の一曲。ライヴ同様ハデハデ、リズムは気まぐれ感がある。ひとつひとつの音にニュアンスは籠めないけれども音の堆積には色彩味が溢れ、自由に力強い。まっすぐに力強いミュンシュとは違う。オケにメリットのある録音にもかかわらず独特の引き締めの緩さがあり、そのあたりモノラルであることとも相まって余り取りざたされなくなったのだろうか、しかしこの人の演奏はつまらないということがない。現代の理知的で精緻な演奏を求めるならそもそもモノラル時代のものには手を出すべきじゃないが、ピリオドうんぬん言うならラヴェルが聴いていた音を聞くべきであり、このポルトガルの指揮者のとくに適性を示した南欧的な楽天性をもつ同曲を、当時の劇場でナマで聞くように楽しんでもいいのではないか。
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ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第二組曲

2018年03月18日 | Weblog
フレイタス・ブランコ指揮トゥールーズ・コンサート協会管弦楽団(forgotten records)1952/3/6live放送

さすがにラヴェルの覆面指揮者を演じた人だけありブランコのラヴェルには余人を許さない表現の壮烈さが感じられる。原曲の劇的要素と舞踏要素を激しい音のコントラストと部分に拘らない全体の派手さで煽り、録音が悪いのが難点だがスヴェトラーノフのような終わり方でブラヴォが飛びまくる。「全員の踊り」が思ったより前に向かわずオケの弱点が露呈するバラケ味に肩透かしにあうものの、まあ、この日の最後の演目ということもあるのだろうし、客観的に言って事故だらけで生演奏ならではの傷の絶えないものではあるが、聴いて楽しくなる。これと比べミュンシュの何とスマートなことか。常に置いておきたい演奏ではないが、一回性の粗野な記録としては良い。
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ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜Ⅰ、Ⅱ

2018年03月18日 | Weblog
フレイタス・ブランコ指揮トゥールーズ・コンサート協会管弦楽団(forgotten records)1952/3/6live放送

ブランコらしく「祭」はリズムがグズグズだが音のボリュームと音色の変化がはっきりしていて非常にわかりやすく、雲ともどもこの指揮者が「ライヴ向きの指揮者」であり、ライヴでこそその「名人芸」を発揮できたんだと思う。リズムのグズグズ感は何もこの曲に限ったことではなく、セッション録音のボレロの異常な遅さ(いくらラヴェルが指定したとはいえ踊りの音楽だ)にも「メロディと音響を聴かせることに全力を尽くす」姿勢が清々しく聞いてとれる。まあ、アンサンブルの乱れやアマチュアぽい「ヤル気」は、つんのめるようなテンポ感と共にオケのせいだとも思えるが、ブランコは著名オケにこだわった人ではないし、これは個性として消化しておくべきだろう。変な打音で終わると盛大な拍手。録音は悪い。
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ヴィラ・ロボス:アマゾナス

2018年03月18日 | Weblog
フレイタス・ブランコ指揮トゥールーズ・コンサート協会管弦楽団(forgotten records)1952/3/6live放送

ファリャのようにカラッとした始まりから混沌としたアイヴズのような世界が明確に春の祭典の影響下にケバケバしく展開されてゆく。この現代的な色彩にあふれるラテン音楽はブランコの独断場とも言える。交響詩というか音詩に近い印象派音楽で、メロディやリズムに特徴的な民族性が表れるのはかなり後の方。断続的なリズム、ノイジーな細かい音の堆積の方に耳がいってしまうが、これはそういう音楽なのだろう。このあとにドビュッシーが演奏されるのも道理。この前はファリャのスペインの庭の夜(タリアフェロ)だから一貫していると言えなくもない。やがてオネゲルの突進する汽車のような直線的な音楽に収斂していくが、簡潔に磨かれるオネゲルとは違い拡散的でノイジーな音響は、南方的で拡散的なミヨーよりもさらに現代的。どうもブランコのせいか、ピッコロやスネアがアイヴズのクラスター音楽のそれにとても似て聴こえる。破天荒さは娯楽的には正しいが、精度を大事にするとまた変わると思う。何か描写的な意味を持って落ちて終わる。拍手は普通。録音は悪い。
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