ナレーションや拍手はクリアだが演奏はノイズ多し。安定はしている。しかし1番はこの人に向かないのか?どうにも鈍重だ。スケルツォの攻撃的なテンポを除けば重くうねるロマンティックな表現が目立ち、かえって飽きてしまう。チャイコフスキー的というか。旋律が重視されている演奏なので構造的演奏を好む人には向かない。演奏的には精度も高く精力も強い。時代のせいか、目の詰まった音に何か非常に感情がこもっている。既出と同じかもしれない。
ナレーションや拍手はクリアだが演奏はノイズ多し。安定はしている。しかし1番はこの人に向かないのか?どうにも鈍重だ。スケルツォの攻撃的なテンポを除けば重くうねるロマンティックな表現が目立ち、かえって飽きてしまう。チャイコフスキー的というか。旋律が重視されている演奏なので構造的演奏を好む人には向かない。演奏的には精度も高く精力も強い。時代のせいか、目の詰まった音に何か非常に感情がこもっている。既出と同じかもしれない。
既出CDと同じ?板起こしの模様。それっぽいノイズと裏返し音が入っていて、ここが残念なところだが終楽章の盛り上がったところではっきり音とびがする。演奏はテンションが空回りせずこなれていて、始終スピードと野太い歌心は保たれるがシベリウスらしい清潔な叙情が失われず、つまりは音響的に濁りを発生させないよう整理が行き届いた現代的な構築性があるということである。この人は結果はわりと似たり寄ったりのテンション芸になるけれども、曲によって楽曲分析の方法が変わっているようにも思える。ロマン派以前の曲とラヴェル以降の現代曲の間に顕著だが、チャイコとシベリウスという国民楽派で一くくりにされる(両者とも相対的には西欧折衷派的なんだけど)二者の演奏をとってみてもオーケストレーションの違いだけには帰結できない表現方法の違いがあるように思う。チャイコの合理性は旋律主体で構造を非常に単純化するがシベリウスの合理性は音響(コードではなく響きあう「音響」)主体で非常に複雑化する。ドビュッシーの影響があるかなしかでの違いもあるのだろうが、クーセヴィツキーははっきり前者に向く指揮者なだけに、シベリウスだけは例外だったのだ(但し後期を除く)、と思わせる。名演、だが録音マイナスで○。
シベリウス録音においてモノラル時代並ぶ者のいなかったコリンズの極めつけの一枚。ラジオでもさかんに放送され、ここまでまっとうにカタルシスを得られる演奏というのは他にない。もともと扇情的なこの曲に限らず初期から晩年作まで、全て例のトスカニーニ様式的な力強さと歌いっぷり、ではあるが男らしいというか雄渾で高潔な指揮ぶりは、シベリウス受容において世界一であった英国においてもビーチャムを凌ぐ魅力っぷりは否定できない。構造的な部分の鮮やかな組み立ても「スコアの読める」指揮者であることを再認識させる。まったく、モノラルという限界さえなければバルビローリですら奇演と聞こえたろうに。◎。全集が廉価で手に入るようになっている。お勧めで無いものはない。凄まじいのに聴きやすい。これだけだ。
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初出かどうか調べてないが多分初めて聞く気がする。録音悪。晩年に近い演奏であり、この人らしくなく(ただ2番は余り得意ではない感じはある)スピッカートがレガート気味でキレが悪く揃い方も半端で、旋律がロシア式に粘ったりするために声部がバラバラになるような、あるいは前半細かい音符がばらけるなど奇妙な弛緩がみられる。長い曲でなまじ思いいれがあるとこうなってしまうのかもしれないが、流されたようなライヴに感じる半面、歌謡的な流れに沿って非常に印象的につけられた抑揚には感銘を受ける部分もあり(終楽章の最後にヴァイオリン主題が回帰する場面など力強く独特の感動がある)、近視眼的な変化が目立つ中でもやはり弦楽器奏者だなあ、という面のメリットで評価できる。
あと、やっぱりこの曲は2楽章が要だ。クーセヴィツキーは型どおり終楽章に雄大なクライマックスをもってくるが(全般スピードが遅めなのはこの人特有の解釈である)、音楽のもっとも引き締まったのは2楽章で、冒頭よりキレよくびしっと揃い、リズムに裏付けられた立体感、内省的な音楽を内声部からしっかり組み上げることで明快にさばいてみせている。終楽章などバス音域を強調し、クライマックス後もロシア国民楽派的な粘着質の旋律を繰り返し続ける長々しい音楽のメリハリをしっかりつけて、ドラマ性を維持し印象的ではあるが、あざとさも感じる。
一見率直な解釈が持ち味のクーセヴィツキーに明らかに作為が見えるのがらしくないところではあるが、前記のとおり思い入れが強いのだろう。最後の録音とされるものに50年代の録音があるが、かつては定番として聞かれたものである。集中力と統制力という面で最盛期は戦中までだったとも思えるが、没後シベリウスがよせた言辞は(作曲家は彼より6年長く生きた)他の先立った数多い音楽家に比べいっそ個人的思いの深さをかんじる。
バルビローリはかつてシベリウスの交響曲を時期別にまったく違う作曲家として扱うべきと考え、解釈から奏法までも違えて録音した。クーセヴィツキーはそういう器用なことをしない指揮者であり、恐らく後期作品向きの芸風だ。それでも私はこの終演後には、しばし陶然としてしまった。聴衆の態度はやや悪いが、ライヴとしてはいい演奏だと思う。○。
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他録と同じ可能性大。演奏スタイルもまったく同じ。録音はこの時代の非正規ライヴにしてはクリア。DAの記載では2月ライヴになっているがアナウンスが1943年のクリスマスと言っているのでそちらのほうが信用できる。前進的で緊密で浮き立つようなリズムに満ちている反面何度も聴くと飽きるような「わかりやすいがゆえの」単調さも否定できない。○。
クーセヴィツキーについてはこちら
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(参考:30年代正規)
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ストコフスキの強靭で意思的な流れが本来繊細で細かい変化を愉しむようなところのある後期シベリウスをブラ1のような派手な交響音楽に仕立てているのが面白い。スピードも速く響きは旋律に集約され極めてわかり易いのは事実だ。しかし、録音は極めて悪く鑑賞に堪えない(DA)。
(参考)ストコのシベリウスはやはり初期が人気があるし現役盤も多い。ライヴならこれか。
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○ストコフスキ指揮ヘルシンキ市民管弦楽団(DA:CD-R他)ヘルシンキ音楽祭1953live
CD化音源と同じものか。DAは非常に録音が悪くブラスと弦の分離すらままならない。ただ、演奏自体は異様な雰囲気に包まれている。スコアは原型をとどめていない。この曲にはないこともないが、カットだらけのいじりまくりで主部以降のヴァイオリンの旋律がオクターブ上げられ続けるあたりなど、分離の悪い録音でもしっかり聞こえてくる奇妙さだ(ストコの「わかりやすさへの配慮」が悪録音で活きてくる見本のようなところだ)。序奏部ではテンポが完全に二分化され主旋律はじっとりゆっくりだが合いの手は異常な速さで入り気が煽られ(というか対位的な書法を完全に旋律とそれへの絡みという主従関係に単純化しているのだ)、主部以降はとにかく異常な速さで突き進んでいる。緩徐主題ではヒステリックに叫ぶ。あっけなく幕ぎれる高速演奏ぶりだが、潔くていい。○。
(参考)ストコフスキ指揮のフィンランディアは探せば出てきます。これは品切れの様子ですが・・・
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○ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(dell'arte/biddulph)1932/2/23・CD
同曲の初録音盤。ストコの常として録音状態はいいが、楽章がアタッカでつながる曲となるとどうしてもSPの継ぎ目が残る。非常に気になるが、仕方ないか。そのせいか知らないが、後半になるにつれ散漫な印象を受ける。シベリウスで最も難解とされる曲で、静謐な楽想が終始支配的であるがゆえ、何か指揮者が仕掛けないと聴衆もけむに巻かれる。しかも録音時期が時期なだけに繊細な表情の再現が難しく、ストコはかなり曲を単純化し旋律線を太筆描きにしていく方法をとっているものの、旋律の役割が薄くなりアンサンブルの妙のみを聴かせるようになってくると、楽想の点滅を繰り返す途切れ途切れの音楽に聞こえてくる。それでは却ってわかりづらい。たとえば同時代のビーチャムなどよりは表現がはっきりしているぶん入りやすいが、コノ曲をきちんと理解したければ無理して古い演奏を聴く必要はないか。○にはしておく。ビダルフは同じ音源と思われる。どちらのレーベルも稼動していないが探せば容易に出てきます。シベリウスはこの録音を賞賛したらしいが、誰でも賞賛する傾向にあるので音盤の売り文句として理解しておいたほうがいいだろう。ビダルフでカップリングされているオーマンディのほうが親交篤かったようにも言われる。
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録音は最悪。しかし演奏はすさまじい。ゴージャスな爆音だったことを想像させる破裂しそうな録音の中から、テンション高く技巧的にすぐれた分厚いオケが異様な速さで疾走するさまが聞き取れる。この怒濤のテンポは即物的なほどだが、あっという間のフィナーレ後得られるカタルシスはかなりのものだ。録音が悔やまれるのみ。
雄坤でスケールの大きい演奏で、前期シベリウスを聴くような感じがする。録音のよさもあるが晩年らしさを感じさせない若々しい解釈ぶりで、透徹せずロマンティックにも堕さない絶妙を得ている。オケも力強い。
アンセルメの国民楽派は指揮者を見ないで聴いたほうがいい。色眼鏡は不要、当事国以外で最も当事国に近づいた演奏のできた人。才人マルティノンは別として、けしてフランス系やら現代音楽指揮者やらとはみなさないで聴いてほしい。スイス・ロマンドは構造の透けて見える演奏をたたき込まれているだけに音響作曲家シベリウス向きでもあり、ステレオ良録音のために細部に技術のほころびが聴こえるもののそれが荒々しい国民楽派らしさをかもすことにつながっている。アンセルメの天才的なリズム処理は、使い古された表現だがバレエ指揮者としての経験にもとづくものでもあろう。強すぎず甘すぎず、軽めシャープで僅かに前のめり、名盤とされるボロディンよりもリズムが乗りやすく心地いい。廃盤には惜しい名演。迷ったが◎。

このシリーズの多聞に漏れず雑音の目立つややバランスの悪い録音。演奏は1楽章は丁寧なフレージング処理に力点を置いた晩年のバルビらしいスタジオ録音に近い演奏で好悪分かつだろう。2楽章はいよいよバルビらしい緩徐楽章で心根深い表現が心を打つ。3楽章は冒頭から弦楽アンサンブルがのっていて、磐石とは言い難いハレ管のとくに高弦がシャキシャキしたキレのよさを発揮して壮年期のバルビを彷彿とさせるが、主主題提示あたりから録音が旋律に偏重しているように感じ、シベリウスが後期の作り込まれた作風に移行したことを物語る立体的な書法が聞こえづらい。バルビの芸風もあるだろうが録音のせいのようにも思う。ステレオではあるが立体感が無いのだ。稀有壮大になっていって結果バルビ晩年らしい横長のクライマックス後に一斉にブラヴォが叫ばれる祝祭的雰囲気ではあるが、終楽章冒頭のテンションが維持されて聞こえてきたらと思うと手放しで賞賛する気にはならない。○。
